「パパラギ」

はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集

エーリッヒ・ショイルマン編 岡崎照男訳 立風書房より





本書はアメリカ・インディアンに関する本ではないが、ツイアビの叡智あふれる言葉は

アメリカ・インディアンの魂そのものであるが故に、ここに紹介することにする。世界各

地にはエスキモー、アイヌなどの優れた精神文化の花を咲かせた民族が存在し、その

視点は不思議にも共鳴しあっている。本書のツイアビは、西サモアのウボル島の首長

であり、彼が西洋文明を見聞したことを自分の島の人々に演説するという形を取って

おり、ツイアビの鋭い、冷静な、そして先入観によって判断・観察しない視線がこのよ

うな素晴らしい芳香をともなった言葉として結実した。本書は第一次世界大戦終結の

二年後の1920年に発行され、世界各国語に翻訳された名著である。・・・・・・



追記・・・この文献が真実の体験から出たものではなく、完全な創作だという記事もある

ことをご承知置きくださればと思います。

(K.K)


雑記帳「魅せられたもの」1997.3/16「パパラギ」を参照されたし

「絵本 パパラギ」を参照されたし


 




これは鋭い文明批評の書であり、同時に文化人類学的記録であるとも言える。また

これは一種のS.Fとして読むこともできれば、一巻の美しい詩集であるとも思える。

ポリネシアの酋長ツイアビの記した言葉は不思議な力に満ち、私たちの胸を打つ。

私たちは私たちの信じている(と思っている)もろもろの価値が、根本から否定され

るのを見て、恐ろしくなり、また愉快にも感じる。(谷川俊太郎)


神がサモアの酋長ツイアビの言葉をかりて文明批評を書いた。1920年のことだ。

批判は鋭く、それでいて南の嵐のようにゆったりとしており、ときに嵐のように激し

い。驕る文明はこの批判を素直に受けねばならないのだろう。この本は、反文明

の鏡に映された僕ら自身の姿である。(浅井慎平)


 
 


本書より引用


おまえたち、明敏なわが兄弟よ、わたしたちはみな貧しい。太陽の下、私たちの国ほど貧し

い国はない。私たちのところには、箱いっぱいの丸い金属もなければ重たい紙もない。パパ

ラギ(白人)の考えからいえば、私たちはみじめな物乞いなのだ。だがしかし!おまえたちの

目を見、それを金持ちのアリイ(紳士・男)の目と比べるなら、彼らの目はかすみ、しぼみ、疲

れているが、おまえたちの目は大いなる光りのように輝いている。喜びに、力に、いのちに、

そして健康にあふれ、輝いている。おまえたちの目は、パパラギの国では子どもだけしか持

っていない。言葉も話せない、それゆえお金のことは、まだ何も知らない子どもだけしか。・・

大いなる心は、私たちをアイツウ(悪魔)から守ることによって、私たちを愛してくださった。お

金がアイツウである。その仕業はすべて悪であり、悪を生む。お金にさわったものは、その魔

力のとりことなり、それをほしがるものは、生きているかぎり、その力もすべての喜びもお金の

ために捧げねばならない。もてなしをしたからといって何かを要求したり、何かをしてやったか

らといってアローファ(贈り物・交換品)をほしがるような人間を、私たちは軽蔑する。という尊

いならわしを、私たちは大切にしよう。ひとりの人間が、他の人たちよりずっとたくさんの物を

持つとか、ひとりがうんとたくさん持っていて、他の人びとは無一物、というようなことを私たち

は許さない。そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣の兄弟が不幸を嘆いてい

るのに、それでも幸せでほがらかにしていられるあのパパラギのような心にならずにすむ。・・




 



本書より引用


時間というのは、ぬれた手の中の蛇のようなものだと思う。しっかりつかもうとすればするほ

ど、すべり出てしまう。自分で、かえって遠ざけてしまう。パパラギはいつも、伸ばした手で

時間のあとを追っかけて行き、時間に日なたぼっこのひまさえ与えない。時間はいつでも、

パパラギにくっついていなければならない。何か歌ったりしゃべったりしなければならない。

だが、時間は静かで平和を好み、安息を愛し、むしろの上にのびのびと横になるのが好き

だ。パパラギは時間がどういうものかを知らず、理解もしていない。それゆえ彼らの野蛮な

風習によって、時間を虐待している。・・・おお、おまえたち、愛する兄弟よ。私たちはまだ

一度も時間について不平を言ったことはなく、時の来るままに、時を愛してきた。時間を折

り畳もうとも、分解してばらばらにしようとしたこともない。時間が苦しみになったこともなけ

れば、悩みになったこともない。私たちの中に、時間がないというものがいたら、前に出る

がよい。私たちはだれもが、たくさんの時間を持っている。だれも時間に不満はない。私た

ちは今持っている、今じゅうぶんに時間を持っている。これ以上に必要とはしていない。私

たちは知っている。私たちの一生の終わりのときが来るまでには、まだまだじゅうぶんの

時間があることを。そしてそのとき、たとえ私たちが月の出た数を知らなくても、大いなる

心はその意志のまま、私たちを呼び寄せてくださることを。私たちは、哀れな、迷えるパパ

ラギを、狂気から救ってやらねばならない。時間を取りもどしてやらねばならない。私たち

は、パパラギの小さな丸い時間機械を打ちこわし、彼らに教えてやらねばならない。日の

でから日の入りまで、ひとりの人間には使い切れないほどたくさんの時間があることを。




 


カール・スウィーズィ、インディアンのアラパホ一族の言葉

「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」北山耕平著 より引用


白人はみな半で押したように時間のことばかり気にしている。われわれには独自の

季節の呼び方があり、独自の月の呼び方があり、それによって一年が形作られて

いるのだが、それらは白人が使っているものとはまるで異なっている。時計という

ものの顔についている針の意味するところのものがわれわれにはおよそ理解でき

なかったし、白人たちが食事をしたり、教会に行く前に、それをいちいちなぜのぞき

込むのかまったく理解できなかった。白人たちがしばしば口にする時間とか分とか

いうものとその時計とやらが関係しているらしいと言うことも、教えられるまで知る

ことすらできなかった。時間、分、そして秒。それらはなんというか、時の移ろいを

小さく区切ったものなのだな。われわれはそうんなふうに時の移ろいを考えたこと

はついぞなかった。太陽が昇る時、太陽が空高くにある時、太陽が沈む時、われ

われが昔ながらのアラパオの道のうえで生きている時には、一日というのはその

3つに分かれているだけでじゅうぶんだった。狩の旅に出たり、サンダンスの集ま

りに出かける時には、いくつ寝たかで時の移ろいを計ったものだ。白人たちは、

アラパホやシャイアンほどは懸命に相手の生き方を理解しようとはせず、ただわ

れわれが怠け者のように彼らの目に見えたのは、時間というものにたいする姿勢

がまるで異なっていたからなのだ。われわれは時の移ろいを楽しむが、連中は時

をモノサシで計ることに明け暮れる。


 



本書より引用


おお、兄弟たちよ、こんな人間をどう思うか。サモアの一つの村なら村びと全部がはいれる

ほど大きな小屋を持ちながら、旅人にたった一夜の宿も貸さない人。こんな人間をどう思う

か。手にバナナの房を持ちながら、すぐ目の前の飢えた男に乞われても、ただの一本も分

けてやろうとしない人。私にはおまえたち(白人を指す)の目に怒り、唇には軽蔑の色の浮

かぶのが見える。そうなのだ、これがいつでもパパラギのすることなのだ。たとえ百枚のむ

しろを持っていても、持たないものに一枚もやろうとはしない。それどころか、その人がむし

ろを持っていない、と言って非難したり、むしろがないのを、持たない人のせいにしたりする

。たとえ小屋のてんじょうのいちばん高いところまで、あふれるほどの食物があり、彼とア

イガ(家族)が一年食べても食べきれないほどでも、食べるに物なく飢えて青ざめた人を探

しに行こうとはしない。しかもたくさんのパパラギが飢えて青ざめて、そこにいるのに。熟し

たヤシは、自然に葉を落とし実を落とす。パパラギは、葉も実も落とすまいとするヤシの木

のように生きている。「これはおれのものだ! 取っちゃいけない! 食べちゃいけない!」

どうすれば、ヤシは新しい実を結ぶか。ヤシはパパラギよりずっとかしこい。・・・・・・


 



本書より引用


兄弟よ、神さまの愛とおまえたちへの愛が、私の心に満ちている。だからこそ神さまは私に

小さな声を与えてくださり、これまでおまえたちに語ったようなことを、すべて私は語ることが

できた。そうすることでしっかりと私たちが踏みとどまり、すばやく動いて人をだますパパラギ

の舌に、私たちが打ち負かされることのないように。もし白人が近づいて来たら、これからは

手を前に伸ばしてこう言ってやろうではないか。「大きな声を出さないでおくれ。おまえの言葉

は、くだける波の音、ヤシの葉ずれのざわざわだ。おまえの顔が喜びと強さにあふれ、おま

えの目が輝かないかぎり、そしておまえの姿から、神さまのお姿が太陽のように射して来な

いかぎり、おまえのおしゃべりはもうたくさんだ」 ・・・私たちはさらに誓いを立て、彼らに呼び

かけよう。私たちに近づくな。おまえたちの喜びと快楽を持って私たちに近づくな。腕にも、

頭にも富を求め、かき集めてきた野蛮な略奪物を持って私たちに近づくな。兄弟よりも豊か

であろうとする貪欲さ、たくさんの無意味な行ない、むやみやたらに手を動かす物作り、好

奇心だけでものを考えて、なんにも知らない知識、そういうがらくたを持って私たちに近寄る

な。むしろの上のおまえたちを、安らかに眠らせることさえしないあらゆる馬鹿馬鹿しい行

ない。そういうものを、私たちはいっさい必要としない。私たちは神さまからたっぷりといた

だいた、気高く美しい喜びでじゅうぶん満足できる。私たちが神の光に目がくらみ、迷路へ

こんでしまわないように、そうではなくて、、神の光があらゆる道を照らし、私たちが光の

中を歩めるよう、自分たちの心の底で、神の光を受け止めるよう、神さまがどうか、私たち

を助けてくださるように。神さまの光り、そう、それはたがいに愛し合い、心にいっぱいのタ

ロファ(あいさつ)を作ること。


 


本書 訳者あとがき 岡崎照男 より抜粋引用


「パパラギ」・・・・とても不思議な響きを持った言葉だ。サモア語で、空を打ち破って

来た人、という意味だという。響きだけでなく、意味も不思議である。それは、こうなの

である。その昔、帆船に乗った宣教師がヨーロッパ人としてはじめてサモアにやって

来た。サモア人は遠くからその白い帆を見て、空にあいた穴だと思い、その穴を通っ

てヨーロッパ人がサモアの島々にやって来ると信じた。パパラギとは「空を破って現わ

れた人」・・・・ヨーロッパ人のことなのである。


この本の著者、というよりむしろ酋長ツイアビの心と言葉を翻訳、編さんした編集者

エーリッヒ・ショイルマンは第一次世界大戦前の暗い時代に成人し、第二次世界大戦

あとに亡くなっている。夢見がちな少年として育ち、美術学校へ二度もはいったが彼の

求める安らぎは見つからず、ドイツ各地を放浪した。父親のおかげで何不自由なく一生

を過ごせる身分であったにもかかわらず、自分の三人の子の死を契機に、家族の反対

を押し切ってサモアへ渡る。ドイツ国内を放浪していた頃知り合ったヘルマン・ヘッセの

あのインドへの深い憧憬が、ショイルマンを南の島へと誘ったのであろうか。経済的な

困難にもめげず、当時のサモアへあえて渡った彼は、しかしその後帰国してからもやは

りヨーロッパの生活に不満を感じ、第一次世界大戦のさ中にドイツから新世界アメリカ

へと旅立った。


ごく普通の人間だったショイルマンを、いったい何が、そうした冒険へと駆り立てたので

あろうか。政治、経済、思想などありとあらゆるものの大混乱の中、世界じゅうに広がっ

た戦火をくぐりぬけながら、彼はいったい何を求めて長い旅をしたのであろうか。私は今、

その答えをこの本に見るような気がする。20世紀のはじめ、今の機械文明の進み具合に

比べればまるで玩具にすぎないような当時のヨーロッパ社会から、ツイアビの言葉を通して

現代を予知し得たショイルマンの洞察の鋭さ、本当の人間の姿を求めてやまなかった彼の

心の潔癖さ・・・・。


ともかく「パパラギ」の初版は、1920年、今からちょうど60年前に世に出た。そして多くの

人びとに読まれた。ショイルマンによれば「パパラギ」は、“世界各国語に訳され”、彼は“こ

の本の講演をするために世界各地を回らねばならなかった”という。1920年といえば第

一次世界大戦が終結してわずか2年目、当時のヨーロッパ人をして“これ以上凄惨な戦い

はなかった”と言わしめた大戦直後である。精神的、物質的な破局のなかでやっと生きな

がらえた人びとにとっては、「パパラギ」の説く倫理観や世界観が、いや、単なる南の島の

風景描写ですらが、心の大きな支えになったに違いない。そして1977年の初頭、約60

年の眠りを破って再び「パパラギ」は世に出た。


 


目次

〈こちらの世界とあちらの世界〉柏村勲

〈エーリッヒ・ショイルマンのまえがき〉

パパラギのからだをおおう腰布とむしろについて

石の箱、石の割れ目、石の鳥、そしてその中に何があるかについて

丸い金属と重たい紙について

たくさんの物がパパラギを貧しくしている

パパラギにはひまがない

パパラギは神さまを貧しくした

大いなる心は機械より強い

パパラギの職業について そしてそのため彼らがいかに混乱しているか

まやかしの暮らしのある場所について・束になった紙について

考えるという思い病気

パパラギは私たちを彼らと同じ闇の中に引きずりこもうとする

〈この本について〉ベルトールト・ディール

〈訳者あとがき〉岡崎照男








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