「セドナ 奇跡の大地へ」

桐野伴秋・写真 NANA・文 講談社 より引用








セドナ・アリゾナの宝石(本書より引用)


沙漠が広がるアメリカ南西部にあって、セドナは「アリゾナの宝石」とも言われ、

世界でも類を見ないレッドロックと呼ばれる赤い岩山に囲まれた街です。その

象徴的風景が、レッドロック・クロッシングから見るキャセドラル・ロック。まるで

描いた絵のように、流れる川の面に赤い岩がその優美な姿を美しく映していま

す。その川はオーククリークと呼ばれ、セドナの北から南にかけてずれた断層

によってできた渓谷を水源としています。2億8000万年の歴史を刻む赤い岩

山の荘厳な風景と共に、オーククリーク・キャニオンの豊かな水を水源とする森

林が、景観に潤いを与えています。刻一刻と変化していく光に、幻想曲を奏で

るように表情を変えていくセドナの岩山。一瞬が永遠に溶け込んでいく姿の目

撃者となって、私たちは皆、地球の、そして宇宙の一部だという思いに満たさ

れ、羊水に漂っているような安心感が広がってゆきます。ゆっくりと燃え上がる

ように赤みを増していく夕映えのレッドロックは、この地を訪れる多くの人の心

に、忘れえない感動を刻み続けてきました。赤い不動の岩山に、日は昇り落

ち、月は満ち欠け、星は巡り、雲は湧き起こり、風は歌い、水は流れてゆきま

す。同じ場所に立っても、二度と再び同じ光景はありません。風景とも、その時

の自分自身とも、一期一会の出会いなのです。



アル長老の言葉(本書より引用)


「祈りは、まず感謝から始まる。祈りとは、グレートスピリットへの感謝なんだよ。

そして祈りの中でなにかを願うとすれば、グレートスピリットへの絶対的な信頼

が必要だ。祈りは、にんじんの種を蒔くようなものだ。畑に種を蒔いたら、根が

生えてきて、芽が出てくることを信じて水をやるだろう? 何度も同じことを願う

のは、畑に蒔いた種をほじくりかえすようなものだ。水をやり畑の世話をしてい

れば、蒔いた種がにんじんになるように、一度蒔いた祈りの種は神にゆだねて、

自分のやるべきことをし続ける。絶対的な信頼に身をゆだれ感謝していれば、

それは現実のものとなる」


セドナの隣町コットンウッドに住んでいたチェロキー族のアル長老とは、10年前、

ウォーター・セレモニーという儀式の時に初めてお会いしました。その後、私をとて

も可愛がってくださり、私はアル長老をグランファーザーと呼んでいました。北米

の数百の部族をまとめ、アメリカ政府にネイティブ・アメリカンの権利を訴え、一度

奪われた自分たちの言葉を教育の場に取り戻した偉大な勇者でした。相手の目

を3秒みれば、その人に必要なものがわかってしまうほどのメディスンマンでもあ

りましたが、自分の功績や能力を誇示することなく、とても謙虚な方でした。その

業績により、チェロキー族の居留地に広大な土地を贈られたのですが、そこに移

る直前に亡くなられました。長老からは、ネイティブに伝わる伝説と現在起きてい

ることとの関連、ネイティブの歴史についてなど教えていただきましたが、特に冒頭

に掲げた祈りに関する言葉は、とても印象深く私の心に刻まれました。生涯、小さ

なトレーラーに住み、謙虚にグレートスピリットへの信頼に生きたアル長老。自分

の語る言葉通りの生き方を見せてくださった長老との出会いは、私にとってとても

幸運なことでした。


 


写真・桐野伴秋(きりの ともあき)

高知県生まれ。1985年、コロンビアレコードよりデビュー。音楽活動、舞台

プロデュース等の仕事をへて、独自の技法による風景写真家として活動を

始める。主に世界遺産や日本各地の美をテーマに多くの作品を発表。その

幻想的な作風は、宗次朗などのCDジャケットにも起用され、2009年四国

八十八箇所公式ポスター等も手掛ける。日本芸術写真学会会員

桐野さんのホームページ


文・NANA(なな)

東京都生まれ。高校卒業後、スウェーデンにわたり、美術と語学を学ぶ。

25歳で帰国後は、日本語教師をしながら雑誌にイラストを描く。1996年、

米国アリゾナ州に移住。97年よりセドナに住み、シュタイナー・スクールで

日本語を教える傍ら詩画集などの製作を始める。現在はツアーガイドや

各種セッションの通訳や自らもリーディングをしながら、創作活動を続けて

いる。 NANAさんのホームページ








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