Reuben Taylor (Istofhuts) - Cheyenne

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)

インディアンの写真集・絵本・映像






AllPosters

当サイトは、Amazon(新品、古本)のアフィリエイトに参加しています。
古本においては、Amazonが一番充実しているかも知れません。
 

またブラウザ「Firefox」ではリンク先が正常に表示されない場合があります。


各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

(紹介するものには、インディアンだけでなく世界各地の先住民のものも含まれます)

  この文献の詳細ページへ ビデオ「ホピの予言」


人類滅亡・核時代の最終予言
アメリカ・インディアン最古の民に伝えられていた核時代の
最終予言

ヒロシマ、ナガサキに投下された原子爆弾は、アメリカ・イン
ディアン最古の民、
ホピ族の聖地から掘り出されたウランか
ら造られたものだった。その彼らの間
には、数千年の昔から、
偉大なる聖霊から与えられた謎の予言の石版がある。
そし
て、そこには驚くべきことに「灰のびっしりつまったヒョウタン」
と呼ばれたヒロ
シマ、ナガサキの原爆投下を始め、第一次、
第二次世界大戦、更には、来たる
べき人類とこの文明の破
滅と再生が予言されているのだ。いま、彼らは、その
予言の
中に告げられた人類存亡の最終的危機と、それを乗り越える
道を、世界
の人達に映画を通して訴え始めたのだ。この映画
は、監督の宮田雪が、ホピ族
を代表する予言のメッセンジャ
ー、
トーマス・バニヤッカに出会ったことによって始まり、約七
年の歳月を経て、完成した。第十二回のアメリカ・インディアン・
フィ
ルム・フェスティバルで最優秀ドキュメンタリー大賞を受賞し、
日本ばかりでなく、
アメリカ、ヨーロッパでも上映され大反響を
呼んでいる。1986年作 75分
 
ビデオの解説より引用)

ランド・アンド・ライフは「ホピの予言」というドキュメンタリー
映画を1986年に制作しました。
ご希望の方はランド・アンド・
ライフ事務局まで連絡してください。VTR「ホピの予言」73分

カラー 宮田雪監督 一本15450円(税込み)+送料390円。
〒657-0817 神戸市灘区上野通1-2-35-312
TEL/FAX:078-881-8163

ランド・アンド・ライフ・ジャパン
(辰巳玲子さん宛)

 







 

この文献の詳細ページへ 絵本「木を植えた男」 
ジャン・ジオノ原作 フレデリック・バック絵 
寺岡訳あすなろ書房

「人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行い
は、長い年月をかけて見定めて、はじめてそれと知られるも
の。名誉も報酬ももとめない、まことにおくゆかしいその行い
は、いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、
のちの世の人びとにあまねく恵みを施すもの。」 という言葉
から、この魂の偉大さ、寛大さ、不屈の精神に満ち溢れた
物語が始まる。一人の男が、その肉体と精神をぎりぎりに
切りつめ、荒れはてた地を、幸いの地としてよみがえらせて
いく物語りは、20年近く作者が自身の体験を基に構想を練っ
たものだが、その洗練された文章と共に挿絵が実に素晴ら
しい。この物語を理解し、愛した人間でしかこのような挿絵を
書くことができないのではないだろうか。文・絵が見事に調和
した傑作絵本。


製作にあたりバック氏は次のように語っている。「私は15年
以上前にはじめてこの物語を読み、深く感動しました。その後、

読み返すたびに同じ感動を覚え、そこに盛り込まれている多く
の要素を感じとったのです。
この物語では、自分の仕事に打ち
込んだ男の献身的な働きぶりが語られています。その
男は、
それが行なうべき重要なことだと知っており、自分の長年に
わたる努力が、将来、
大地とそこに住む人間にとって有益で
あると確信して、何年も無償の行為を続けていくので
す。彼は
大地がゆっくりと変化していくのを見るだけで、十分幸福でした。
それ以上のもの
を、彼は望まなかったのです。この物語は、
献身的に働くすべての人々に捧げられるとと
もに自分の手で
何をしたらよいかわからない人や、絶望の淵にある人には
心強い激励と
なるでしょう」
(本書より引用)

 
 



この文献の詳細ページへ 映像詩「木を植えた男/
      フレデリック・バック作品集」



アカデミー賞アニメーション部門した「クラック!」と5年半の
歳月をかけて完成させた代表作「木を植えた男」、など時代を
追ってフレデリック・バックの9つの作品を紹介している。これ
らの作品は、現代文明の警鐘に留まらず、自然への畏敬と
「あるべき姿」を模索したフレデリック・バックの集大成とも言え
るもので、万人の心に潜んでいる「生命の輝き」を取り戻そう
と訴えかけてやまない。「木を植えた男」以外、殆ど台詞がな
いこれらの映像詩は、真の芸術家でしか有していない鋭い
感性に裏打ちされたものであり、芸術的に非常に価値が高い
ものである。代表作「木を植えた男」に見る日本の墨絵に似た
絵のタッチ、その静かさの中に秘められた奥行きの深さにも
驚かされるが、バックの初期の作品もまた違った「爆発的」と
表現していいほど斬新な発想が見る者の目を虜にしてしまう。
アニメは絵の美しさだけでは人の心は打たない。揺ぎない
信念と表現する感性の鋭さがなければ人の心をつかむことは
ないだろう。その意味で、この9つの作品はフレデリック・バック
のその人の魂そのものである。

尚、9つの作品中、インディアンが登場するものが4つもある。
きっとバック自身、先住民がもつ視点に共鳴したが故に彼ら
を登場させたのだろう。特に「神様イノンと火の物語」「鳥の
誕生」は、アルゴンキン族とミックマック族の神話伝説を映像
化したものであり、「大いなる河の流れ」はセント・ローレンス
河に最初住んでいたインディアンを登場させており、生態系を
破壊し続ける人間の愚かさを描いている。この「大いなる河の
流れ」ではインディアンを決して美化するのではなく、白人との
接触や西欧の覇権争いの中で、インディアン自身も装飾品や
銃器など手に入れるため、動物の乱獲に加担した事実を忘れ
てはいない。

フレデリック・バック、彼が生み出したこれらの映像詩はアニメ
の傑作という領域に留まらず、ルオーやシャガールなどと同じ
ような高い芸術の領域にまで高められた所に立っている傑作
である。



日本語版では、音声・字幕とも日本語です。

 
    この映像の詳細ページへ DVD「ザイオン・キャニオン 神々の宝」
「ザイオン峡谷 神秘にあふれる谷」日本語版   
「Zion Canyon : Treasure of the gods」 

インディアンの姿を記した映像(映画を含む)の中で不思議と
心に残り続けてきた唯一のものが、この「ザイオン・キャニオ
ン 神々の宝」です。この映像を最初に見たのはプラネタリウ
ムのドームでしたが、その圧倒的な迫力と共にインディアンの
視点が根底に流れている物語性に虜になってしまいました。
この映像は40分ほどの長さしかありませんが、その美しさと
内容の濃さは私の心をひきつけて離そうとしません。現在テレ
ビ画面などを通してこの傑作を見ることが出来ますが、プラネ
タリウムの全天周映画の迫力にはとてもかなわないのは事実
だと思います。しかしそれでもなお、私の心を捉えて離さない
のは何故なのでしょう。確かにこの作品を演出したキース・メリ
ルの初期の作品「“グランド・キャニオン”1984年製作」に登
場するインディアン像は死に絶えた人々というイメージが強く
残っていました。しかし1992年製作の「ザイオン・キャニオン 
神々の宝」に見られる、太古の昔から現代まで生き続けてい
る時空を超えた物語そのものに、インディアンの視点が息づ
いているように感じてなりませんでした。多くのインディアンが
登場する映画・西部劇とは違い、インディアンを悪役にしない
最近の幾つかの映画の力点は、主役の白人が哀れなインデ
ィアンを助けるという構図であり、そこから抜け出すことが出来
ないでいます。その意味でインディアン自身が監督し主役を
演じた「スモーク・シグナルズ」と共に、この「ザイオン・キャニ
オン 神々の宝」は作品の中にインディアンの精神性を垣間
見ることが出来る数少ない映像と言えるものかも知れません。
尚、この映像は国立公園ザイオン・キャニオン内のザイオン・
キャニオン・シアターで常時上映されているものです。





 
この文献の詳細ページへ 「人間が好き」
アマゾン先住民からの伝言 
写真・文 長倉洋海 福音館書店


この写真集はアメリカ・インディアンのものとは違い、
アマゾン・インディオの大地の恵みに囲まれて生きる
彼らの素朴な、そして雄弁で喜びに満ちた表情を追
いかけた素晴らしい写真集であるが、かつてアメリカ・
インディアンもこのような生活を送っていたに違いな
い。この写真集には短いながらも先住民の方たちが
持つ世界観・叡智が込められており、彼らの喜びの
表情そのものの中に限りなく深い精神の豊穣さを垣間
見ることが出来る。文明とは何か、人生とは何かを
この写真集は訴えかけて名写真集。

鳥のように 静かに地上におりたち 
静かに 飛び去っていく 
それが インディオの生きかた 
アユトン・クレナック(アマゾン先住民)

「きみが微笑む時」子どもたちの微笑みがひらく、
大地と地球の明日

「心に響く言葉」1998.5/08「人間が好き」
「アユトン・クレナックの言葉」
「鳥のように、川のように」森の哲人アユトンとの旅
「天空の果実」

 
 
  この文献の詳細ページへ 「THE NORTH AMERICAN INDIAN」 
EDWARD S. CURTIS 
THE COMPLETE PORTFOLIOS TASCHEN


100年以上前にインディアンの魂に魅せられたカー
ティスの素晴らしい写真を集めたもの。770ページ近く
の分厚い本だが、今では見られないインディアンの貴重
な姿と共にその叫びまで聞こえてくる写真集。 
 
   

この写真集の詳細ページへ 「北米インディアン悲詩 
エドワード・カーティス写真集」
 

金関寿夫・横須賀孝弘 訳 富田虎男 監修 
中上健次 解説 アボック社出版局


恐らく日本で初めてエドワード・カーティスの写真を紹介
した文献であろう。彼の代表作105点の写真と約20編の
詩と説話を同時に収録している他、「カーティス・その作品」
「カーティスの人と生活」そして座談会「時代を映す鏡・カー
ティスの視点をめぐって」の貴重な記事も盛り込まれている。
この座談会には、日本で最初に「ブラック・エルクは語る」
翻訳した弥永健一氏や、「鷲の羽衣の女」のエレーヌ・アイ
アンクラウド女史、「米国先住民の歴史」の清水知久氏、
「アメリカ・インディアンの歴史」の富田虎男氏が出席してい
る。1984年発行(現在絶版)

 
 
    この文献の詳細ページへDVD「クジラの島の少女」
ケイシャ・キャッスル=ヒューズ (出演),
ニキ・カーロ (脚本)


「クジラの島の少女」これは心の底から感動しました。
マオリ族の長老の家に生まれながらも、祖父である
長老に認められないでいる少女の物語。昔ながらの
伝統が廃れていくマオリ族の将来を心配する長老が、
誰か男子の後継者を育てようとするが、中々うまくいか
ない。そんな中、クジラたちが浜に打ち上げられ悲痛な
叫びをあげる。少女の素朴な演技、そして伝統の持つ
重みと救い。これは本当に心揺さぶられる作品でした。
「風の谷のナウシカ」の現代版と言っていいかも知れま
せん。シベリアでも同じクジラを題材とした口承文学
あり、これも最高傑作です。 

実在のマオリ族の主人公が不遇な子どもたちにチェス
通して希望を与える物語を映画化した「ダークホース」
The Dark Horse
 /ニュージーランド も参照されたし。




 
  この文献の詳細ページへ DVD「ドリームキーパー」


語り継がれているインディアンの伝説を、現代に生き
る主人公たちを絡めて紹介する構想力には頭が下がる。
また、各部族に伝わる伝説の面白さだけでなく、VFXを
駆使して見せる描写力、現代に生きる語り部としての
祖父とその孫の心の揺れや葛藤などが、見る者の心を
捉えて話さない。自暴自棄になっている若者が、祖父の
語る伝説を通して、次第に自己基盤を見出し、祖父の
意思を継承していく姿は感動的である。


アメリカ先住民に伝わる幾多の伝説を、最新のVFXを
駆使して圧倒的なスケールで魅せるファンタジーアドベ
ンチャー。ネイティブアメリカンの老人が、孫と共部族の
式典のために旅に出る。道中、老人は孫にさまざまな
古代の神話を話して聞かせる。
(「GAGAデータベース」より引用) 
 
 



この文献の詳細ページへ DVD「世界を癒す13人のおばあちゃん 
これからの7世代と、さらに続くこどもたちへ

For The Next 7 Generations 企画・製作 いのちの環


For The Next 7 Generations (DVDより引用)
今こそつながり、語り始めるときです。
赤い人、白い人、黒い人、黄色い人、4つの肌の色、4つの
人種が集まりつながったとき、すべての生命がひとつの輪の
中に存在する世界が始まる。ネイティブアメリカンに伝わるこ
の予言に導かれ、世界の4つの方向から13人のグランマザー
が集結しました。それは、母なる地球の生きとし生ける全て
の命の調和を祈り、子供たちの未来を想い、大切なことを語る
ために。

世界を癒す13人のおばあちゃん
13人のグランマザーは、メディスン・ウーマンでありシャーマン
である。自然の声に謙虚に耳を傾け、自然界の掟を守り、
感謝の祈りを捧げながら、自分たちの暮らしのなかで薬草を
大切に扱ってきた。一方で多くの人々は物質的な世界を求め、
その結果、自らの手で自らの命を破滅させている。地球が病
んでゆくことを、グランマザーたちは真剣に心配している。
地球の未来の子供たちのことを真剣に想っている。もう、地球
は手遅れになるかもしれない。いや、手遅れにならないようにと、
グランマザーたちは共につながり、世界にむかって動き始めた。



 
この写真集の詳細ページへ「INDIAN SPIRIT 
   インディアン・スピリット」
 

マイケル・オレン・フィッツジェラルド 
ジュディス・フィッツジェラルド編
山川純子訳 + インディアン・フルートの音楽CD(全13曲) 
めるくまーる

インディアンの写真と言えば直ぐエドワード・S・カーティス
を思い浮かべるが、この文献に登場するインディアンの写
真は米国国会図書館や哲学者シュオンからのものが多く
含まれているのが特徴である。殆ど平原インディアンの肖
像写真であるが、カーティスと同じように、その写真から彼
らの想いが伝わってくるようだ。そして同じページに昔の長
老達の叡智の言葉が記されている。もう一つの特徴として、
音楽CDも同封されている。このCDを製作・演奏したのは、
神奈川県・茅ヶ崎で「アースロッジ」を経営し、インディアン
の文化の啓蒙活動をしている船木卓也さんがインディアン・
フルートで演奏したものである。船木さんはインディアン・フ
ルート奏者として公演も行っているが、船木さんの奥様に
よる訳書「ネイティブ・アメリカン 叡智の守り人」「風の
言葉を伝えて ネイティブ・アメリカンの女たち」
の優れた
文献がある。



掲載された写真の多くはこれまでまったく公に
されたこともない、にもかかわらず、どのようにし
て選ばれたのか、ほとんどは私たちが過去30年
の間に収集した数千点の写真の中から採用され
ている。その大部分は1974年に米国国会図書館
において実施された調査の収穫で、著作権保護
のためにこの図書館に保管されていたものである。
当時は写真の山に自由に分け入って著作権の期
限の切れたものを複写することも容易だった。私
たちは居留地隔離以前のノマド時代に成人した、
平原インディアンばかりを選ぶようにした。

また、哲学者の故フリッチョフ・シュオンが50年を
費やして収集したコレクションからも写真が採用
され、この本に入ったことは感慨深い。比較宗教
学研究者の間では知られているものの、彼につ
いてなじみのない読者も多いことだろう。シュオン
は若いときから亡くなるまで、北米の平原インディ
アンに深い関心と共感を寄せていた。彼は正式に
首長ジェームズ・レッド・クラウドの一族の養子と
して迎えられ、この偉大なスー族首長の孫となった。
ワンブリ・オヒティカ(勇敢な鷹)という名も与えられ
ている。本書所収の写真の一部はレッド・クラウド
からシュオンに与えられたものである。何年か後、
彼は、クロウ族のメディスンマンでサンダンス(夏
至のころ平原インディアンが行なう重要な祭)の祭
司であるトーマス・イエローテイルの養子になった。
イエローテイルについては後述するが、20世紀に
おいて最も敬愛されたアメリカ・インディアンの精神
的指導者である。

(本書より引用)

 
 
   

この文献の詳細ページへ  「Native American Portraits」 
1862-1918 Chronicle Books


「インディアンの森」という素晴らしいホームページで
作者が紹介していたインディアンの写真集。実際、これ
ら昔のインディアンを記録した写真集は貴重であると
共に、その横顔の雄々しさ、誇りたかさの影に血と涙で
塗られた歴史が横たわっているのを感じずにはいられ
ない。

 
 
  この文献の詳細ページへ DVD「裸足の1500マイル」


世界各地の先住民族の世界観、生命観は源泉は同じ
であっても、その泉に咲く花は驚くべき多くの色彩に彩ら
れている。日本ではアイヌと沖縄・奄美の生活様式が全
く違うように、それぞれの土地の風土に影響を受けなが
ら多種多様な花を咲かせてきました。私自身まだアボリ
ジニに関するこれらの文献を読んでいませんが、「歌の
道」という表現される彼らの神話や世界観を学びたいで
す。「裸足の1500マイル」という実話の映画があります。
アボリジニの子供たちを家族から引き離し、寄宿生活の
中で徹底的に白人社会に同化させ、キリスト教化させら
れた子供たちは“盗まれた子供たち”と呼ばれ、その自
己存在基盤を喪失していきます。そのような背景の中で
実話を基にして映画化されたのが「裸足の1500マイル」
です。この映画を見てアメリカ・インディアンと全く同じ同化
政策がオーストラリアでも行われていたという事実に、そ
して何よりも家族の元に帰りたいという一心で90日間も
かけて1500マイルを歩き続けた少女の過酷な試練に怒り
がこみあげてきたのを思い出します。この映画に関して
詳しくはこちらを見てくださればと思います。 
 
   

この文献の詳細ページへ 「写真集 世界の先住民族 
    危機にたつ人びと」
 

アート・デイヴィッドソン著 鈴木清史+中坪央暁訳 
明石書店

この名著から世界各地の先住民族と呼ばれる人びと
の魂の叫びが聞こえてくる。この中にはインディアンを
始めとして、アマゾン、アンデス、チベット、アイヌ、サラ
ワク、インドネシア、アボリジニ、ブッシュマン、トゥアレグ
など数多くの先住民族がおり、今日どのような現実に置
かれているのかを現地の先住民族の声と共に訴えてい
る。その多くは文明人といわれる大地を憎む人々の野蛮
さや傲慢さにより、絶滅寸前に追い込まれている。一説
によると現在でも世界各地で毎年約25万人の先住民の
方たちが殺されており、先住民独自の言葉の多くが次の
世代には消えてなくなっていくことだろう。そしてそれは
私たち文明人の未来をも奪うことになってしまうことを
意味していることに気づきさえしない。先住民族は物質
文明の流れに乗れず溺れていった悲運の民族などで
はなく、私たちの未来を語る上での試金石なのである。
このかけがえのない先住民族の方たちの視点を失うこ
と、奪い取ることこそ、自らのそして未来の世界・子孫へ
の殺戮そのものなのであり、この世界を破滅へと導い
ていくものだろう。しかしこの私たちに何が出来るという
のだろう。余りにも複雑化してしまった現代文明の中で、
そしてその歯車の一部として動いている自分自身を振
り返るとき、その無力感に囚われてしまうのも事実だ。
ただ、次の世代を荷う子どもたちに先住民族の方たち
の視点・魂が宿ることを願っていきたい。たとえどのよ
うな世界が待ち受けようとも、このような魂と共に生き
る子どもたちが、あるべき姿をした新しい世界を創造し
てゆくに違いない。


本書を以下の人びとに捧げる。民族と土地と生活を
守るために、闘いながら死んでいった先住民族の人た
ちに。世界中の子どもたちに。世界の人びとが自分た
ちの生活様式で生きていくことができることを知っても
らうために。(本書より・アート・デイヴィッドソン)

 
 
  この文献の詳細ページへ 映像詩「イブ ボディー・アンド・アース」


世界創造・人類創造の遥か太古を思い浮かべる悠久な
大自然と美しい男女の肉体が奏でる神話的な映像詩である。
この映像詩には一切セリフは登場しない。映し出される大
自然の景観は、カナダの映像作家ニ-ル・セント・クレアが、
カナダ、アメリカ、カリブ海をはじめ60ヵ所以上を3年以上の
撮影で完成させたものであり、アメリカ・インディアンの聖地
も含まれている。この映像詩の主人公「イブ EVE」は、アメリ
カ・インディアンが残した岩絵(ペトログリフ)を背景に魂の
伴侶を求めて旅に出る。このイブを演じる女性は、97年の
ミス・ユニバースのノルウェー代表、インガー・エベルトフトで、
その他の場面で登場する他の男女の肉体美が大自然の
景観と重なり、その意味をより深いものとして描かれている。
そして音楽も躍動感あるものから静けさの中へと誘うものま
でその場面場面で効果的に使われており、それぞれの章に
は、バイロンからチベット「死者の書」、ワーズワース、シェリー、
ディキンソン、道教、マザー・テレサ、ブッダ、ガンジーなどの
意味深な9つの言葉(詩)が紹介されている。

「イブ ボディー・アンド・アース」は、まるで自分自身が太古の
原始の世界を歩いているかのような錯覚を覚える素晴らしい
映像詩であり、自分の遺伝子の中に眠っている記憶を呼び
覚ましてくれるかのようだ。自分の心を原点に還したいとき、
心を空っぽにしたいときなどこの映像詩を見たくなる。





 
   

この文献の詳細ページへ 「世界をささえる一本の木」 
ブラジル・インディオの神話と伝説 
ヴァルデ=マール 再話・絵 永田銀子 訳 福音館書店


アメリカ・インディアンと同じく大地に根をおろして生き
続けるブラジル・インディオの人々に語り継がれてきた
美しい神話と伝説はインディアンのものと共通性が多い。
大地の恵みを深く感謝して受け取ることが出きる人々に
国境・言葉の垣根は存在しないのだろう。またこの絵本
にはインディオの血をひく著者による実に美しい世界が
描かれている。


「この木が天をささえている。わたしたちの部族がほろ
びる日が来たら、わたしはこの木を引きぬくだろう。わた
しがこの木を引きぬけば、天がくずれ落ちてきて、あらゆ
る人々が姿を消す。すべての終わりが来るのだ。」・・・
同著の「シアナ・世界をささえる一本の木」より引用

 
   

この文献の詳細ページへ 「森の暮らしの記憶」 
絵・マーロン・クエリナド 文・マーロン・クエリナド/清水靖子 
「パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会」制作 
自由国民社


僕の名前はマーロン・クエリナド。パプアニューギニアの
ゴゴール渓谷に生まれた。日本から5000キロほど遠い、
赤道の南のニューギニア島というところだよ。僕が日本に
来たときに、日本の道路わきに、段ボールや紙が捨てら
れているのを見た。そして僕は泣いた。遠い記憶の僕の
森を思い出したんだ。日本の会社が僕の森を伐ってしま
って、チップにして運んで行ったことを。そのチップは日本
で段ボールになってしまったんだよ。僕が十三才のときだ
った。僕は僕の描いた絵を通して、伐られる前の森と暮ら
しがどんなに素晴らしかったかを、日本のみなさんに知っ
てもらいたいと思う。毎日、毎日が天国のような暮らしだっ
たんだよ。(本書より引用)

 
   

この文献の詳細ページへ 「酋長の系譜(写真集)」 
新正 卓 著 講談社


著者が合衆国全土を5年間に渡って撮影した286点の
肖像写真集。その顔には誇り高きもの、そして多くの写真
家が彼らを「見世物」として撮ってきたことへの警戒感とが
交差している。その表情すべてなかに、私はなんと表現し
ていいのかわからないある勇気が湧き出てくるものを感じ
た。


先住民族につけられたインディアンの名称は、1492年、
コロンブスのアメリカ発見時の誤解から生まれた。そして、
西へ西へと追い立てられ、居留地に囲い込まれた。ハリ
ウッド映画に見られるように、それぞれの時代で、インディ
アンは、アメリカ人が望むイメージに合わせて描かれてきた。
それらに迎合する人々も少なくはなかった。しかし、ここには、
彼らの愛する大地や空や水の輝き、輝く松葉、砂浜、奥深い
森の霧、すべての切り透かし、ハミングする虫たち、そして
愛する人々、すなわち、インディアンのふつうの姿がある。
(本書・帯文より)
 

 
 

この文献の詳細ページへ「インディアンの言葉」
ミッシェル・ピクマル編 カーティス写真
中沢新一訳 紀伊国屋書店


インディアンの感銘深い20の言葉と彼ら、消滅しつつある
民族の生活を100年前に切迫した思いで記録に留めようと
したカーティスの素晴らしい写真。小さな本であるが、インディ
アンの心を知るのには最高の部類に入る本。

 
 

この文献の詳細ページへ 「シャイアン・インディアン 祈り  
北山耕平 訳 三五館


小さな小さな本だが、生きてゆく勇気を与えてくれる言葉と
美しい写真集。収録した写真は、シャイアンの住むロッキー
山脈の東側に広がる大平原の風景。


「シャイアン(Cheyenne)は、スー族とならぶ大平原のイン
ディアンを代表する部族です。誇りと勇気とを重んじ、サンダ
ンスと呼ばれる荘厳な儀式を今に伝えています。語り継がれ
た独自の自然観に基づいて美しく質素で精神的な暮らしを
送ってきました。ロッキー山脈の東麓、現在のカナダとアメリ
カの国境付近に彼(女)らの国があります。不思議な力を持っ
た美しい祈りの言葉を、いくつも大切にしてきたことでも、知ら
れています。」・・・・・・・同著あとがきより引用

 
  この文献の詳細ページへ 「森と氷河と鯨」 
ワタリガラスの伝説を求めて 
星野道夫 文・写真 世界文化社


星野道夫という魂から紡ぎだされた言葉並びに写真に
秘められた視点は、私たち日本人が忘れかけている太古
の魂の記憶を甦らせてくれる。そしてこのような星野氏の
魂の遍歴はある一人のインディアンの男との出会いによっ
て浄化され強められていく。星野氏の写真家としての作品
にははっきりとした意志が込められており、彼の視点が
現代文明に浸っている私たちの視点の座標軸をあるべき
位置へと帰還させてくれる。この彼が残した遺言に、そして
先住民族の方たちが持つ世界観に、感謝と祈りと喜びが
存在していることを是非多くの方に知っていただけたらと
思う。彼が残した遺言というべき数々の作品は、いつまでも
私の心に生き続けるだろう。


「ぼくは、深い森と氷河に覆われた太古の昔と何も変わ
らぬこの世界を、神話の時代に生きた人々と同じ視線で
旅をしてみたかった。この世の創造主であるというワタリ
ガラスの神話の世界に近づいてみたかった」アラスカに
伝わる創世神話はなぜかワタリガラスを主人公とした物語
が多い。アラスカの写真家として知られる著者が、かねて
より関心を抱いていた”ワタリガラスの神話”をテーマに、
南東アラスカの自然を旅した。神話を追い求める著者の
旅は、一人のインディアンとの出会いに始まり、それはや
がてモンゴロイドの偉大な旅へとつながっていく。苔むした
森、蒼い氷河、ザトウクジラの海。太古の気配を残す南東
アラスカにワタリガラスの神話を追い、シベリアへと人類の
足跡をたどる星野が遺した最後の物語。(本書・帯文より)


「心に響く言葉」1998.10.23を参照されたし
 
 
   

この文献の詳細ページへ「星野道夫の仕事 第4巻 
   ワタリガラスの神話」
 
星野道夫 写真・文 池澤夏樹 解説 三村淳 構成 
朝日新聞社


星野道夫氏がワタリガラスの神話を追いかけるそれ
ぞれの旅先で出合った生き物たちの、遥か太古の昔か
ら途絶えることのない生命力に満ちた姿とその大地を
記しした感動的な写真集である。氷河、トーテムポール
とそれを創ったクリンギッド族、フクロウ、森、ザトウクジラ、
ラッコ、セイウチ、アザラシ、ハクトウワシ、グリズリー、
ブラックベア、そしてアラスカ先住民。これら全ての生き物
がこの大地と海に育まれてきた。そしてこれらの生命と
の一瞬の出会いの中においてさえも、太古から未来へと
限りなく続く時空の深遠さが横たわり、私の心までこの
渦巻きに飲み込まれる。


星野の関心がアラスカからシベリアの方に向かった
のは、ワタリガラスだけが理由ではなかったと思うが、
しかしアラスカとシベリアの両方に同じようにワタリガ
ラスの神話があることに彼は強い関心を寄せていた。
アラスカはじめアメリカ大陸の先住民はかつてベーリ
ング海がまだ歩いて渡れたころに、アジアから渡った
人々の子孫である。それから数千年の間、彼らは二つ
の大陸にはなればなれになりながら、ほぼ同じ神話を
保持してきた。その点に星野は心を動かされる。数千
年という長い時間の腐食作用に神話がそこまで抗しえ
たことに意味を見出す。われわれが持っているような
短いせせこましい物差しではなく、千年をあっさり跨ぐ
ような長い物差しを持った人々を彼は敬意の目で見た。
(本書より 池澤夏樹)

 
 

この文献の詳細ページへ 「アメリカ先住民女性」 
大地に生きる女たち 
ダイアナ・スティア著 鈴木清史・渋谷瑞恵訳 明石書店


本書にちりばめられた先住民女性への賛歌の美しさは
勿論のこと、古き時代のインディアンの姿を記録したカー
ティスの写真などを通して、先住民女性の美しさや逞しさ
が強く心に伝わってくる文献である。また西洋的父系社会
との対比をすることにより、彼ら先住民族の豊穣な精神
世界が何故生まれたかをも考察し、私たちの未来へと向
かうあるべき道を示している。


執筆を進めながら、わたしは先住民女性についての
情報を集め、さらにおおくの質問を先住民の友人に投
げかけました。かれらは協力を惜しみませんでした。
その作業のなかでわたしがいたく驚いたのは、西洋的
な父系社会と、アメリカ大陸で長年存在してきた母系
社会との大きな違いでした。先住民の人びとはお互い
を、そして大地やすべての生き物を愛し慈しみます。
それは、かれらを征服したヨーロッパ的な大量消費
社会の価値観とは対局にあるものでした。先住民社会
のあいだで、「首長」は金持ちとはかぎらず、むしろ部族
の人びとに尽くし責任を持つ人なのです。もしかすると、
長い歴史と高度に洗練された文化を持つ日本に住む
読者の皆さんは、調和のとれた関係を至上とするアメ
リカ先住民の人びとに何らかの類似性をみいだすこと
になるかもしれません。アメリカで本書が出版されてか
ら2年が経ちました。おおくの読者から、女性が中心的
な役割を果たし、自然と共生してきた先住民文化に感銘
したという声が届いています。危険に満ち、人間の制御
が及ばないように思われる現代のアメリカ社会に暮らし
ているせいか、相互に慈しみ、自分が誰かのために
存在し社会に貢献でき、子どもたちが愛される、そして
何ごとも理由なく破壊されることのない社会について知り
たがっている人びとがおおくいたのかもしれません。
(ダイアナ・スティア 本書より引用)

 
    この文献の詳細ページへ「大平原の戦士と女たち」 
写されたインディアン居留地の暮らし 
ダン・アードランド著 横須賀孝弘訳 社会評論社 

1890年のウンデッド・ニーの虐殺により、白人による
インディアン戦争は終結した。この時代のインディアンの
誇り高い精神性を表現し垣間見ることができるものとして、
エドワード・カーティスの写真が有名であるが、この文献
に紹介された多くの写真もまた同じく貴重なものになるだ
ろう。インディアン学校の教師の妻として居留地に赴き、
彼らインディアンと親密な交流を築き上げ、彼らの日常の
生活にまでカメラを持ち込むことが出来たジュリア。その
被写体はスー族やシャイアン族のものが多いが、これら
の人々は白人の同化政策により、その精神文化を急速
に失いつつあった時代に生きた人々であった。この貴重
な写真を著者の言葉で語るなら、「ジュリア・トゥエルと
彼女のカメラは、まさに最後のチャンスに居合わせて、
滔々たる小川に漂うかのごとく目の前を足早に過ぎ去り、
ほどなく永遠に失われようとしていたものを、かろうじて
捕らえたものだった」。しかし、インディアンの聖なる輪は
現代においても絶たれていない。スー族の聖者ブラック・
エルク
は未来への希望をこめて次のように祈った。「いま
一度、そして、おそらくこの世では最後に、私はあなたが
授けた偉大なビジョンを思いおこしている。あるいは聖な
る木のどれか小さな根がまだ生きているかもしれない。
もしそうならば、それが葉を出し花を咲かせ、さえずる鳥で
満ちあふれるようになるようにその根を養いたまえ。私の
ためではなく、私の民のために聞きたまえ。私は年老いて
いる。聞きたまえ、彼らがまた聖なる輪に立ち帰り、善な
る赤い道と、盾となる木を見つけることができるように!」。
私はこの文献の写真を見ながら、この聖者の祈りの声を
聞いたような気がしてならなかった。
 

 
    この文献の詳細ページへ 「ブラザーイーグル シスタースカイ」 
酋長シアトルからのメッセージ 
絵 スーザン・ジェファーズ 訳 徳岡久生+中西敏夫
JULA出版 

この感動的な絵本はアメリカ書店業協会賞(ABBY賞)を
受賞したものですが、その絵の素晴らしさは、首長シアトル
の言葉と見事に共鳴しあって読者を「あるべき世界」へと導
くものです。是非多くの方に、そして未来を担う子供たちに
読んであげて下さい。


雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」


酋長シアトルの有名な演説は、部族の土地を手放すさい
に、アメリカ政府と条約を結ぶ場で行われたものである。人
と自然との一体を説き、白人との平和を願うその言葉は、
年月を経るなかで何度も書きかえられ、また書き加えられ
たりもしている。スーザン・ジェファーズの繊細だが力強い
絵は、悲しみと希望を織りこんだ複雑な情景をえがきだし
ていて、酋長シアトルの演説との組み合わせによってでき
あがったこの絵本は、現代社会に生きるわたしたちにとって、
あたかも警告と予言の言葉のように鳴り響いき、時を得た
説得力あるものとなっている。
(本書・アメリカの書評誌「ホーン・ブック」より引用)

 

 

この文献の詳細ページへ 「父は空・母は大地」
 寮 美千子 編・訳 篠崎正喜 画 パロル舎


シアトル首長の手紙(”インディアンの言葉”参照されたし)
に美しい篠崎さんの絵が18枚、収められている。相模原で
篠崎さんの原画展があったが、それはそれは新鮮な空気を
肺一杯吸い込んだような爽やか気持ちだった。なお、シアト
ル首長の手紙の言葉は人の手から手へと伝えられた為、
いくつかの異なったものが出ているが、寮さんが訳したもの
も深い感動を覚える。またこの素晴らしい絵本が、CD-ROM
として発売されたが、原画に近い発色をしており、実に
見事な出来栄えである。心にいつまでも残る言葉と絵画で
ある。


雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」

 
   

この映像の詳細ページへ DVD「Beavers」 
「ビーバー~森に生きる天才エンジニア~」日本語版  
Originally Created for Exhibition in IMAX Theaters DVD 
1987年製作


インディアンが「小さなインディアン」と呼んでいたビーバー、
この気高い魂の動物は、インディアンと同様悲劇の歴史を
背負うことになる。ビーバーの柔らかで丈夫である毛皮を
求めて大量殺戮が横行し、彼らの疑いを知らない性質も
災いし絶滅寸前まで追い込まれてしまったのである。この
悲劇に立ち上がった一人の男、子供の頃からインディアン
になることに憧れていたスコットランド人のグレイ・アウル
今でいうところの自然保護運動の先駆者であった彼はこの
現実を西欧社会に訴え続けた。この作品は一組のビーバー
の生態を追ったもので、その構成並びに映像美には心打た
れてならない。またこの作品には1930年に撮られたグレイ・
アウルとビーバーの貴重な映像も残されている。




 
   

この文献の詳細ページへ 「ふたつの島」 
イエルク・シュタイナー 文 イエルク・ミュラー 絵 
大島かおり訳 ほるぷ出版 


傑作。物質文明の危機とその文明の名の下に搾取された
人々の物語だが、人間の暖かさと未来を感じさせる。構想力
と絵が一体化しており、その表現力は胸を打つ。この絵本は
インディアンという特定の人々を主人公にして書かれていない。
世界各地の先住民族がもつ、大地に根をおろして生きること
の大切さを切々と訴えている。素晴らしい絵本であると共に、
現代の人間優位の物質文明に犯されている我々への警鐘の
書でもある。是非読んでいただきたい。

 
 

この文献の詳細ページへ 「アザラシとくらした少年」 
レイフ・マーティン作 デイヴィッド・シャノン絵 
常盤新平訳 岩崎書店


アメリカ北西岸に住んでいたチヌーク族の民話を基に
して書かれた絵本ですが、「昔人間と動物は同じ言葉で
話していた」という世界各地に残されている先住民の世界
観を、実に感動的な挿絵と共に雄弁に語りあげている傑作
だと思います。特に最後の挿絵には心が慰められます。

 
    この文献の詳細ページへ 「かあさん、わたしのこと すき?」 
バーバラ・ジョシー 作 バーバラ・ラヴァレー 絵 
わたなべ いちえ訳 偕成社 ゴールデン・カイト賞受賞 

親からの愛情、それは子供が生きていくために必要な
地下水なのかも知れない。子供はその地下水に根を伸
ばしてこそ、豊かに成長していけるものだと思う。この
地下水が濁っていたり足りなくなったりしていると、子供
という木の成長は止まるのだろう。この絵本は、イヌイット
の伝統的な衣装、神話に登場する動物たち、そしてその
暮らしを背景に描きながら、子供が愛を確かめる話であ
るが、文・絵ともに実に素朴で心温まるもの仕上がっている。


「かあさん、わたしのこと すき?」
「ええ すきよ、だいすきよ」
「どれくらい すき?」
世界のどこの子たちもたぶん、あるときふと親の愛情を
確かめてみたくなるのではないでしょうか。この本のイヌ
イットの少女もそう思いました。くじらやつのめどり、狼な
どの動物を登場させながら、女の子は、くり返し おかあ
さんに問い、おかあさんもまた、くり返し 娘に答えます。
“親子の絆”という普遍的なテーマを描きながら、同時に
イヌイットの暮らしがいきいきと伝わります。しずかな色調
の魅力ある絵は、北極圏の生活を美しくくり広げて見せて
くれます。親子で、なんどでもページを開きたくなる本です。
わたなべ いちえ

 
  この文献の詳細ページへ 「アニーとおばあちゃん」 
ミスカ・マイルズ作 ピーター・パーノール絵 
北面ジョーンズ和子訳 あすなろ書房 

「死」とは何か? ナバホ・インディアンの人生観、自然観
を通して、「死」とは何か、子どもたちに静かに語りかける。
ナバホ・インディアンの少女アニーは愛する祖母の死が近づ
いたことを知り最初は恐れるが、祖母に自然の摂理を説か
れ、やがてはそれを受け入れる。少女にとってははじめての
“身近な人の死”を通して心の成長を描く。すべてのものには
大地に帰る時がある。・・・・・・・本書より引用


同じくインディアンの死生観を記した文献
「老女の聖なる贈りもの」
を参照されたし

 
   この文献の詳細ページへ「パウワウ」 
アメリカン・インディアンの世界 
写真・文 菊地東太 新潮社

アメリカ先住民のパウワウ、住居、食、ヒーリング、自然
と人間について豊富な写真を織り交ぜながら紹介している
文献である。著者は27年にもわたってアメリカ先住民につ
いて取材し、特にナバホのトレーシー一家との深い交流に
より彼らの日常的な生活の場面をも記録している興味深い
文献である

 
   

この写真集の詳細ページへ 「アメリカン・インディアン」 
HASHI著 福武書店


1985年国連記念切手の表紙及び限定版アートワーク
の製作者として異例の抜擢を受け、スティル・ライフ・フォト
グラファーとしてアメリカの広告写真界で不動の地位を築く
著者によるアパッチ族の写真集。

 
    この文献の詳細ページへ 「ハイワサのちいさかったころ」 
ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー文 
エロール・ル・カイン画 白石かずこ訳 ほるぷ出版 
1985年 ケイト・グリーナウェイ賞
 

エロール・ル・カインの独創的で大胆な絵は他の絵本な
どで接してきたが、この「ハイワサのちいさかったころ」で
もその際立った感性を見ることができたのは喜びだった。
実在したハイアワサをロングフェローは叙情詩として完成
させたが、この詩を参考に、エロール・ル・カインは一つ一
つの絵の中に見事にインディアンの世界観を描き出している。


ハイワサ坊やの ちいちゃった頃 月の娘 ノコミスおば
あさんにきいた話はこわかった 美しかった ふしぎだった 
テントの小屋で眠っていた夢の中にもインディアン ハイワ
サ坊やは みたのだ 火の髪たばねたホーキ星 その中
で踊っていた戦士のスピリットたち 冬の凍りつく夜の幽霊
や影たち 耳をすますと水の唄 松のささやく音楽きこえ 
ホタルとランプあそびしたことや のぼる月や虹をみた日
のこと みんなおぼえている そしてフクロウや鳥たち 
けものたち みんなからコトバをおぼえ ふしぎなヒミツを
ならい 大きくなっていったのだが ロングフェローの詩
才能と インディアン神話の美しいふしぎをここまで画で
表現できたエロール・ル・カイン おふたりに天にとどく
敬愛の虹の花束を贈りたい そして読者の胸のランプに
ハイワサの想い出を。
白石かずこ 本書「訳者あとがき」より引用

 
   

この文献の詳細ページへ 「おれは歌だおれはここを歩く」 
アメリカ・インディアンの詩 
金関寿夫 訳 秋野亥左牟 絵 福音館書店


アメリカ・インディアンの詩は、著者が言っているように
言葉の魔力を持っており、文明人の詩につきまとうこみい
った飾りや理屈などはない。実に素朴であり、大自然の
あらゆるものへの感謝と慈愛に満ちている。そしてそれ
は日々の現実の生活に密着したものであり、空想から発
せられたものでない。この絵本には、25の詩が載せられ
ており、背景の絵も独特の強いタッチで描かれているの
は好感が持てる。


尚、アメリカ・インディアンの各部族が持つ詩の集大成
と呼べる本が、同じ著者の手で刊行されている。「魔法と
しての言葉」
金関寿夫 思潮社


「アメリカ・インディアンの詩とは、人間と、宇宙のなか
の、目に見えない存在との間に交わされる伝達の手段
なのだ」・アリス・フレッチャー(人類学者)

 
   

この文献の詳細ページへ 「オオカミのうた」
 ポール/ドロシー・ゴーブル 作  
 おおなか やえこ 訳 ほるぷ出版 


インディアンの兄弟の二人は、ある日道に迷い夜をさま
ようが、オオカミに助けられる。その話を聞いた部族の人々
はオオカミの許へ行き感謝し、首長は聖なるパイプをふかし
人間の兄弟であるオオカミとの平和と友情を誓う。しかし、
白人の侵入と共にオオカミは地球の奥深いすみかに入って
しまう。イギリス生れの著者はインディアンの居留地に住ん
でいる。

 
    この文献の詳細ページへ 「愛の笛」
 ポール・ゴーブル文・絵 北山耕平訳 河出書房新社 

とても美しい男と女のラブ・フルートにまつわる愛の物語。
そしてその中にもインディアンの精神世界がちりばめられ
ている素晴らしい絵本ですが、この本のもととなっているの
がサンテ・ダコタ族に伝わる伝承「求愛の笛の起源」という
ものです。じつに心あたたまる物語です。


昔は、夏の晩ともなると、縦笛の調べが聞こえてきました。
愛の歌です。周囲の松におおわれた山々や、草の生い茂
る丘のあいだから、円陣をなして建てられているティピの輪
の中に、それは、そよ風にのって運ばれてきました。そこで
は若者たちが、愛する娘を思いながら、ラブ・フルートを奏
でています。娘たちは、両親の目が光っているにもかかわ
らず、ティピのなかで、それが自分のことをいとおしく思う
若者の奏でている旋律であることを、知っていました。でも、
いくら愛しあっていても、夜、陽が落ちてからは、ふたりが、
いっしょにいることはゆるされません。だから、縦笛の調べ
のなかで、ふたりのスピリットはひとつに溶けあうのです。 
(本書より引用)

 
    この文献の詳細ページへ 「コヨーテを愛した少女」
     アメリカ・インディアンの12の物語

「今日は死ぬのにもってこいの日」の著者がコヨーテに
関する新しい創作物語。


ここにある十二の物語は、インディアンたちが決して手放
すことのなかった心の中の神聖な場所からやってきました。
それは絵空事ではなくて、かれらにとってはほんとうのこと
です。わたしたちは、それを理解するにはあまりにも遠くま
できてしまったかもしれません。けれど、わたしたちも遠い
かれらの兄弟のひとり。かつては、大地からの収穫を神か
らの贈り物として感謝して受けとる民族でした。きっと心の
どこかで響きあうことができるはずです。 
(寮美千子 本書帯文より引用)

 
 

この文献の詳細ページへ 「リトル・ムーン」 インディアンの男の子 
ヴィンフリード・ヴォルフ 文 ナタリー・ドロシー 絵 
永野ゆう子 訳 ほるぷ出版 


インディアンの人々が他の部族の出身の人に対しても、
分け隔てなく自分たちの家族として受け入れる優しい人々
であったことはよく知られていることですが、この絵本の中
の設定はその逆です。また「おおかみ」に関しても、その
狂暴さを強調しすぎている(北米の狼は人間を襲わないと
いうこと)きらいはありますが、全体的に見てリトル・ムーン
の清らかな視点に、静かな感動を覚えてしまいました。


ひとりぼっちのインディアンの男の子リトル・ムーンは、
両親と生き別れ村の人々からも相手にされません。それ
はリトル・ムーンがこの村の仲間ではなかったからです。
ある日村の人はリトル・ムーンを残して出発してしまいます。
リトル・ムーンは旅の途中で一人のおばあさんに会い、
長い冬をこのおばあさんと過ごします。そして別れの最後
の日に、おばあさんはリトル・ムーンに歌を唄って聞かせ
ました。それは強くて勇敢な、そして人を大切にするリトル・
ムーンを称える歌でした。リトル・ムーンはまたひとりぼっ
ちになってしまいましたが、その胸に明るく大きな力が湧い
てくるのを感じたのでした。

 
  この文献の詳細ページへ 「どうやって空気を売るというのか?」 
アメリカインディアンのスピーチ 
北山耕平 訳 田口富士雄 絵 新宿書房 

このページで紹介している「ブラザーイーグル・シスター
スカイ」「父は空・母は大地」と同じように、首長シアトルの
有名な演説を北山氏の訳と田口氏の絵で構成している。
北山氏が訳されたものは原文に最も忠実なものであり、
その短いながらも素朴な表現は多くの人に深い感銘を
与え続けるだろう。

雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」

 
    この文献の詳細ページへ 「太陽へとぶ矢」 
ジェラルド・マクダーモット作 
神宮輝夫訳 ほるぷ出版 

「昔、太陽の神が、いのちの力を一本の矢にかえ、大地
に向けてとばしました。矢はある村のひとりの娘にあたり
ました。いのちの矢を受けた娘は男の子を生みました。
男の子はすくすくと育ちましたが、子どもたちから“おやなし
子”といじめられます。男の子はお父さんをさがしに出かけ、
ある矢づくりの老人に会いました。老人は、男の子が太陽
の神の子だとわかり、男の子を一本の矢にかえて太陽に
向けてとばしたのです。・・・・アメリカのプエブロインディアン
の神話をテーマにして描き上げた、現代的センスにあふれ
た作品です。子どもだけでなく、大人の心もしっかりとらえる
魅力にみちています。この作品は、アメリカでもっとも権威
のあるカルデコット賞(1975年度)を受賞しました。」(本書
より引用)。物語自体は特異なものではないが、その絵は
素朴さを漂わせながらも強烈な個性が光るものであり、
物語と共に心に飛び込んでやまない逸品である

 
 

この文献の詳細ページへ 「大地のうさぎたち」 
バージニア・グロスマン作 シルビア・ロング画 
ぬくみ ちほ訳 パロル舎


インディアンの10の部族の伝統衣装や日々の生活の
様子を描いた作品。それぞれの部族、スー、テワ、ユート、
メノミニー、ブラックフット、ホピ、アラパホ、ネズパース、
クワキウトル、ナバホの絵を解説を交えて紹介している。


乾いた風 砂漠の匂い まぶしい光 
すべては大地の恵みから。時を越え守り伝えたインディアン
たちの原風景 
かわいい子うさぎたちが、色鮮やかな衣装をまとい、
軽妙なかぞえうたにのせて、10の部族の暮らしを紹介。
(本書・帯文より引用)

 
  この文献の詳細ページへ 「インディアンのティーチングストーリー
     古井戸に落ちたロバ」
 
再話 北山耕平 絵と文 oba
じゃこめてい出版


自分が置かれている環境が大きく変化すると人は混乱
し、自分の人生を嘆くことがあるかも知れない。この絵本
に紹介されているインディアンの昔話は、どんな状況に
陥っても冷静に置かれている状況を見つめ、希望を見つ
けだす努力を怠ってはいけないことを教えてくれる。

「生きるとはどういうことかを教えてくれる。
アメリカインディアンに古くから伝わるおはなし。
どんなに生きる時代が変わったとしても、
生きることがこういうものであることは、
なにひとつ変わってはいないようです。」
北山耕平
本書「帯文」より引用

 
  この文献の詳細ページへ 「すべてのひとに石がひつよう」 
バード・ベイラー著 ピーター・パーナル画
北山耕平訳 河出書房新社

世代を超えて読みつがれる絵本
この本の初版は、1974年に刊行され、多くの人に石(小さ
な地球)に眼を向けるきっかけとなりました。以後、数多く
の版をかさね、至高の石の本として世代を超えて読みつ
がれています。また、全米図書協会のブックリストには「こ
の独創的な本におさめられてある自由詩は、生命あるも
のとそうでないものとの間に生じうる心と身体の親和性を、
感覚ゆたかに表現している。ベイラーの詩の世界は斬新
であり、またパーナルがそれにつけた絵も、印象深い。ふ
たりの洞察にあふれた表現と視野の広さは、そのままアメ
リカの南西部に広がる砂漠の大地を思わせる」とあります。
(本書より引用)


 
   

この文献の詳細ページへ 「ほしのむすめたち」 
カナダ・インディアンの昔話 
マーガレット・ベミスター 再話 羽根節子 訳・絵 

マーガレット・ベミスター 1877〜1984 
カナダのウィニペグに生まれる。カナダ中南部の大草原
地帯で長年教師を勤める傍ら、昔話の採話を精力的に
行なう。

「カナダのインディアンに伝わる30の話」 
マーガレット・ベミスター編

羽根節子(はね せつこ) 1932年、東京に生まれる。
朝倉摂氏に師事し、新製作協会日本画部に約10年間
出品し、2回受賞する。1967年、カナダに移住し、立体
の織物を制作し発表する。1971年、ブリティッシュ・コロ
ンビア州の工芸展で大賞受賞。以後海外の招待展に
数多く出品。現在、キャピラノカレッジの版画工房で版画
の技術を勉強し、制作を続ける。絵本に「かわいいめん
どり」「からすのかんざぶろう」(以上福音館書店)がある。
カナダのヴァンクーヴァー在住。


 
   

この文献の詳細ページへ 「とうもろこしおばあさん」 
アメリカ・インディアン民話 
秋野和子 再話 秋野亥左牟 画 福音館書店


アメリカ・インディアン、特にホピ族にとって「とうもろこし」
は特別に神聖な植物である。彼らにとってそれが主食とい
う意味だけに留まらず、人間の体そのものを現していると
言われており、儀式には欠かすことが出来ないものである。
この「とうもろこし」に関するアメリカ・インディアンのある
美しい民話を描いている。

 
   

この映像の詳細ページへ DVD「アラニス・モリセット/
ライブ・イン・ナバホ・ネイション」
 
日本語字幕 日本コロムビア株


最新アルバム「UNDER RUG SWEPT」が全世界で300万
枚セールスを記録したアラニス・モリセットの「ライブ・イン・
ナバホ・ネイション」です。先住民に関心を持った彼女が
ナバホ族の居留地を訪ねるものですが、彼女の歌の背景
にナバホの美しい大地が撮影され、ナバホ族たちの世界
観・音楽なども紹介されています。私自身彼女のことは今
まで知らなかったのですが、ナバホの美しい大地をDVDな
らではの鮮明な映像で見ることが出来るものです。

 
   

この文献の詳細ページへ 「セドナ 奇跡の大地へ」 
桐野伴秋・写真 NANA・文 講談社


「アリゾナの宝石」ともいわれ、雄大な赤い岩山に囲まれ
た町セドナ。古来よりネイティブ・アメリカンの聖地であり、
近年はスピリチュアルなパワー・スポットとして注目を集め
る憧れの場所です。大地のエネルギーを感じる「ヴォルテッ
クス」の景観や「レッドロック・フィーバー」の魔法を独自の
表現で描き撮った写真家のベストショットとセドナ在住の
アーティストが紡ぎだす惑星・地球への賛歌!
(本書・帯文より引用)
 

 

この文献の詳細ページへ 写真集 「TIPPI・ティッピ」 
シルヴィ&アラン・ドゥグレ写真 日本ヴォーグ社

この写真集に出てくる不思議な少女ティッピは、アフ
リカのナミビアで生まれる。野生の動物たちとすぐに
仲良しになれる不思議な力を持ったティッピの姿を追っ
た写真集であるが、人間と動物の間に突き刺さる垣根
をティッピは軽々と飛び越える。ティッピの口から飛び
出す言葉は現代文明の中で生きる我々が、如何に多く
の根源的なことを忘れてしまったかを想い出させてくれる。

「私も裸にならなければ、動物たちは心を開かないわ。」
ティッピ

雑記帳「魅せられたこと」1997.6/20を参照されたし




 





この文献の詳細ページへ 絵本「千の風になって」 
新井満・文 佐竹美保・絵 理論社


昨秋に刊行した拙著「千の風になって」(講談社)の
あとがきに、私はこんな一文を寄せました。“死と再生の詩
「千の風になって」は、いったい誰が書いたのだろう”。
不明とされている作詞者を探して推理しているうちに、
アメリカ先住民に辿りつき、さらに少年ウパシと少女レイラ
の顔が思い浮かんできた、という内容です。
(中略)
執筆にあたっては、ナバホの人々の歴史や宗教、生活や
文化に造詣が深い作家・むくみちほさんに大変お世話
になりました。心からの感謝を申し上げます。

ご参考までに、物語に登場する名前について書いておき
ますと、愛犬のヤーズイーとはナバホ語で、“熊の仔”、
助産婦のチュイラータとはナバホ語で、“花”という意味です。
ではウパシとレイラはどうかというと、実はナバホ語では
なくアイヌ語なのです。仮名としてつかっているうちにいつ
のまにか脳裡に定着してしまい、もはや変更できなくなって
しまったのです。

さて、小説家の空想から生まれた少年ウパシとレイラは、
文字通り千の風になって、今、あなたのもとに吹いて
きました。これも何かのご縁でしょう。せいぜいかわい
がってあげてくださいね。感謝
(本書より引用)
 
   

この文献の詳細ページへ 「グランド・キャニオン」DVD
製作 Kieth Merrill

アメリカ合衆国アリゾナ州北部のコロラド高原をコロラド
川を侵食して形成した大渓谷。
100万年を要したと考えら
れる浸食作用によって側壁の鮮やかな色彩、侵食に抵抗
て残る弧峰の雄大な姿を、激流を命がけで下るボートか
らの映像とヘリコプターからの
迫力映像で構成。・・・・
同パンフレットより引用。

グランド・キャニオンを川や空から撮影したものですが、
インディアンのことも簡単に紹介されておりま
す。ただ登場
するインディアン像が死に絶えた人々というイメージに終始
してしまっ
ているのはとても残念なことです。これは1984年
に創られたものですが、同じ製
作者によってその後に公開
された「ザイオン・キャニオン 神々の宝」(1992年製
作)
はそのイメージを払拭した傑作映像で、私にとっていつまで
も心に刻まれ続け
続けるであろう作品のひとつかも知れま
せん。

 
 

 

この文献の詳細ページへ NHK「ヤノマミ 
奥アマゾン・原初の森に生きる 劇場版 DVD」
 
国分拓 監督 NHK

国分拓著「ヤノマミ」を読み終わったあとの違和感、それ
はこの文献の感想にも書いたことだが、このDVDを見てそ
れが何だったのか次第にはっきりしてきたのを感じる。3度
の訪問による150日間の長期取材でも心を開かないヤノマミ
の人と、長倉洋界氏の写真や文献に登場するヤノマミの人
とのまるで別世界とも感じる差。それはこのDVDの最初に
登場するヤノマミの男性が取材陣に対して「お前たちは味
方なのか、敵なのか、敵だったら殺すぞ」と詰め寄る場面、
そうこの場面に私が感じた違和感の全てがあるのかもしれ
ない。確かに今までヤノマミに対して何の知識もない人に
とっては、生まれたばかりの胎児を人間として迎えるか、
殺して精霊として天に返すかの決断をする女性の姿や、
先進国顔負けの結婚前のおおらかな性など衝撃を受ける
内容であり、長倉洋海氏の文献や写真でもそれは出てこ
ない。世界各地に住む先住民族の精神文化の中でも特異
な位置にヤノマミは立っているのだろう。ただ、フィールド
ワークという点でこの作品を見ると最初の交渉から失敗で
あったと思う。「ブラジル政府、および部族の長老との10年
近い交渉の末」と書いてあるが、長倉洋海氏は何の連絡も
せず、ただ先住民活動家アユトン・クレナックと共に訪問し
ただけで彼らの警戒心を解き彼らの素顔を撮影できたの
である。10年近くも交渉しながらヤノマミの男性に「敵だっ
たら殺すぞ」と詰め寄られること自体、取材陣の認識の甘
さを指摘されても仕方ないのだろう。これと同じようなこと
がNHKの放送大学の「先住民講座」の中でも見られた。
司会のスチュアート・ヘンリ氏がイヌイットなど先住民族
のカテゴリー分け必要だと指摘したのに対し、若いフィール
ドワークをしている2人の研究者が共に「同じ民族でも一人
一人違う」ことを強調されていたが、それだったら別に外国
まで行かなくても近くのお爺ちゃん、お婆ちゃんの姿を追え
ばいいのである。何故、外国に住む先住民をフィールドワ
ークの対象としているのか、その原点(自分が何故彼らに
惹かれたのか)を忘れ、自分の研究対象が唯一無二のも
のだと近視眼的な捉えかたに囚われていることに気づきも
しない。横道にそれてしまったが、NHKの取材陣も10年と
いう準備期間があったのだから、文献なり情報を集め、何
を写し、何を日本の人に伝えたいのか明確な意思を持つ
べきだったと思う。150日間も一緒に生活しながら、彼らの
警戒心を解けなかったことを猛省すべきであり、この作品
が放送文化基金賞優秀賞受賞したこと自体、滑稽なことに
感じられてならない。ただ、多くの人にこのような特異な精
神文化を持つ先住民がいることを知らしめた事実だけは
認めなくてはいけないのだろう。


アマゾンの最奥部で、1万年以上独自の文化・風習を
守り続けている人々、ヤノマミ。ブラジル政府、および部族
の長老との10年近い交渉の末、撮影陣は「ワトリキ」(風
の地)と呼ばれる集落に150日間にわたって同居すること
を許された。集団で狩りを行い、獲物を全員で分け合う
自給自足の暮らし。豊かな実りに感謝をささげる祭り。
天の精霊たちと会話するというシャーマンの姿。大らか
な性、そして「人間として迎えるか、精霊として天に返す
か」を母親が決める出産。「生と死」、「聖と俗」、すべてが
剥き出しのまま同居するヤノマミの生活。その姿をとらえ
たドキュメンタリー。NHKで2009年に放送した同名番組に
未放送映像を加え再編集した劇場版を収録。(本DVDよ
り引用)


「アユトン・クレナックの言葉」
「人間が好き」アマゾン先住民からの伝言 
写真・文 長倉洋海 福音館書店

「鳥のように、川のように」森の哲人アユトンとの旅 
長倉洋海著 徳間書店

「悲しい物語 精霊の国に住む民 ヤノマミ族」
アルナルド・ニスキエル作 エドムンド・ロゴリゲス絵
田所清克・嶋村朋子 編・訳 国際語学社

 


購入していない文献(新刊も含む)


    




AllPosters



私自身インディアンに関する映画はつい最近見た「ダンス・ウィズ・ウルブス」

「ネイティブ・ハート」「心の指紋」「スモーク・シグナルズ」「サンダーハート」、

そして全天周映画「ザイオンキャニオン」や昔テレビで見た西部劇ぐらいしか

ない。ただ最近のインディアンに関する映画の傑作と一般的に呼ばれている

「ダンス・ウィズ・ウルブス」、そしてシャイアン族を描いた「ネイティブ・ハート」

を見終わった後、複雑な気持ちにさせられたのは私だけではないかも知れな

い。確かにこの二つの映画の中では、初期の西部劇の中で見られた残虐な

インディアン像という誤った視点から180度方向転換しており、白人自身が多くの

何百万人というインディアンを直接・間接的に虐殺してきた正しい歴史認識が

確認されている。だがこのような流れを見て、インディアンと白人が現在におい

て互いを理解し合い、友好関係を結びつつあると結論するのは、余りにも短絡的

すぎることだと思う。実際これらの最近の映画を見てそのように思われた方も多

いに違いない。ただこれらの映画に共通しているのは、インディアンの世界観・

宇宙観というインディアンを語る上で最も欠くことが出来ない根幹部分が欠如し

ており、白人が哀れなインディアンのために命を賭けて立ち上がるという構図か

ら抜け出すことが出来ないところにある。その意味でインディアンの視点に立っ

た「スモーク・シグナルズ」「サンダーハート」「ザイオンキャニオン」は特筆すべ

き作品だと感じられてならない。しかし何故、白人は前述した構図から抜け出す

ことが出来ないのであろう。それは「アメリカ・インディアン悲史」を書いた藤永

茂氏が的確に表現しているので引用したい。



「インディアンについては、アメリカ人は本能的に、ある「おそれ」を持ち続け

け今日に至っている。それは、自分達の幸福論と本質的に対峙する幸福論

によって生き、しかも自分達よりもあるいは幸せであったかもしれない人間

達を、まず力によってみじめま状態に追込み、そして殺してしまったらしいと

いう不安であった。」・・・・「アメリカ・インディアン悲史」より


恐らく白人はその罪の重さに耐え切れないでいる。そして過去を自分の記憶か

ら無理に葬り去るか、或いは傍観者という立場でこの底が見えない崖を飛び

越え、いかにも自分はインディアンの生きかたを認めているという態度をとる

のか、そして最後に自分自身がこの崖を降りてゆき、その降りた次元から改

めてインディアンの視点を理解しようとする誠実な態度をとるのか。私はこれ

らの映画が取っている態度は、二つ目の傍観者のものであるような気がして

ならない。だからこそインディアンの世界観・宇宙観を、その映画という作品

に投影することが出来ず、主人公である白人の勇気や優しさを称えたものに

終始してゆくのだろう。スーザン小山さんの力作「アメリカ・インディアン死闘

の歴史」に書かれてあるが、「ダンス・ウィズ・ウルブス」の監督・主演を務め

たケヴィン・コスナーはダコタ族に同情的な映画を造りはしたが、その後、

ダコタ族の聖地と呼ばれるブラックヒルという場所の一部を連邦政府から買

い取り、賭博場を経営しているという。傍観者が持つところの偽善が最もあ

からさまに現れた例と言えるだろう。そしてこれこそが現在のインディアンと

白人の関係を見事に言い表していると縮図と言っても過言ではない。これは

映画に限らずインディアンに関する文献にも暗い影を落とし、名誉と富のた

めに捏造したインディアンの魂を真実なものとして売り飛ばしている現実が

ある。この現代においてもインディアンは形を変えた新たな侵略にさらされ

ているのである。

(K.K)

「インディアンの伝記や物語を記した文献」を参照されたし


 

ソルジャー・ブルー<HDリマスター版>

夜明けの太陽にきらめいて 愛と青春の
鮮烈な感動が新しい西部劇の曙をつげ
る語られざる西部開拓史の汚点“サンド
クリークの大虐殺”をベトナム戦争に重ね
合わせ、そこに燃えた激しい青春の姿を
シャープな感覚で描いた問題作、遂に初
DVD化!さらにテレビ放映版日本語吹替
音声(フジテレビ・ゴールデン洋画劇場)を
収録!
スモーク・シグナルズ

インディアン自身がインディアン
映画を作った最初の金字塔的作品。
大きな起伏はないが、インディアン
青年の心の変化を、インディアンの
世界観の中で静かに追った心にし
みる作品。

ネイティブ・アメリカンの新鋭C・エア
によるロードムービー。憎んでいた
父の遺灰を引き取る旅に出た青年
の心の成長を描く。
(「VIDEO INSIDER JAPAN」データ
ベースより引用)
サンダーハート


先住民権運動派と改革派が対立する
サウス・ダコタのインディアン居留地で
発生した殺人事件の謎に迫るサスペン
スアクション。ヴァル・キルマー、サム・
シェパードほか出演。
(「Oricon」データベースより引用)
ドキュメンタリー映画「ホピの予言」
ダンス・ウィズ・ウルブス

人気スター、ケヴィン・コスナーの
第1回監督主演作品で、アカデミー賞
作品、監督、脚本、音楽賞など7部門
を制覇、またベルリン映画祭でも銀熊
賞を受賞したスペクタクル西部史劇。
   南北戦争で英雄となった北軍中尉
ジョン(K・コスナー)は、戦後フロンティ
アを夢見てダコタ最西部の砦に赴任し、
ネイティヴ・アメリカンのスー族と親しく
なり、やがて彼らから「狼と踊る男」と
称されるようになる…。
   白人側からではなく、あくまでもネイ
ティヴの側からアメリカ史を見つめつつ、
西部劇ならではの景観とスペクタクル
性を同居させた、堂々たる一大エンタテ
インメント大作に仕上がっているのは、
やはり映画人コスナーの真摯な姿勢ゆ
えだろう。スー族の「蹴る鳥」に扮した
グレアム・グリーンが素晴らしい演技を
見せる。(的田也寸志)
(Amazon.co.jpより引用)
小さな巨人

小さな巨人”とインディアンから称えら
れた男の半生を描いた西部劇。幼い
頃に両親を殺され、インディアンに育
てられた白人男性・ジャックが、白人
社会とインディアン社会を股に掛けて
生きる姿を描く。
(「GAGAデータベース」より引用)
心の指紋

ガンで余命いくばくもない凶悪殺人犯の
少年が主治医であるエリート医師を誘拐
し、伝説の「聖なる山と湖」を目指す旅を
描いた、ウディ・ハレルソン、ジョン・セダ
共演による感動の人間ドラマ。
(「Oricon」データベースより引用)




インディアンの音楽

私自身インディアンの音楽について精通しておりません。次の二つのサイト

は詳しくインディアンの音楽について掲載していますので参考にしてください。

インディアンジュエリーのココペリ

EARTH LODGE(アースロッジ)


 
  「Gathering of Shamen /
Native Flute Ensemble」
 

アメリカでもベストセラーを記録した商品で、
伝統的なネイティブアメリカン音楽にシンセと
いった現代風なタッチをいち早く取り入れた
グループで、注目はエリック・カシラス(メス
ティーソの血を引くインディアン)で、パワー
サイトで繰り広げられる儀式や祭祀へ誘って
くれるCDです。
(DJCP-50027 ドーモレコード/ビクターより)

  「Gathering of Shamen /
Native Flute Ensemble」
 

左の盤の輸入版
  「Spirit Feathers /
Mesa Music Consort」
 

このアルバムもベストセラーを記録した
アルバムで、鳥と動物と人間が同じ言葉
を話してたという、ネイティブアメリカンの
伝説上の神話の時代へタイムトリップさ
せてくれるアルバム。前述のエリック・
カシラスの他に、ベン・タベラ・キングとい
うネイティブアメリカンミュージックのベラ・
キングというネイティブアメリカンミュージ
ックの著名なミュージシャンが参加。この
アルバムと、前述のアルバムには、アメリ
カインディアンの研究家として知られ、彼ら
の人権運動にも参加されているスーザン
小山氏がライナーノーツを書いていただ
いています。
(DJCP-50028 ドーモレコード/ビクターより)

  「Spirit Feathers /
Mesa Music Consort」
 

左の盤の輸入版
  「Spirits of the Canyon /
ANHINGA」
 

ANHINGAの二人が魅了された南西部の
キャニオン(グランドキャニオン、キャニオン
デシェリ、プライスキャニオンなど)を音楽と
いう絵の具によってそれらを讃え描写した
サウンドで、雄大なキャニオンのイメージが
浮かんでくる。メンタルセラピストとして働い
ていた二人が、接する患者の多くが、暮ら
している大都会の慌ただしく車に追いたて
られている生活より、魂にふれるような心
落ち着く音楽を求めて完成させたグループ
である。
(DJCP-50026 ドーモレコード/ビクターより)

   
 
 
   
     



Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)







夜明けの詩(厚木市からの光景)

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

美に共鳴しあう生命

ホピの預言(予言)

神を待ちのぞむ

オオカミの肖像

天空の果実


神を待ちのぞむ トップページ


アメリカ・インディアンに戻る

最初に戻る

サイトマップ



AllPosters