「木を植えた男」
ジャン・ジオノ原作 フレデリック・バック絵 寺岡訳 あすなろ書房
「人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行いは、長い年月をかけて 見定めて、はじめてそれと知られるもの。名誉も報酬ももとめない、まことにおくゆ かしいその行いは、いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、のちの 世の人びとにあまねく恵みを施すもの。」 という言葉から、この魂の偉大さ、寛大 さ、不屈の精神に満ち溢れた物語が始まる。一人の男が、その肉体と精神をぎり ぎりに切りつめ、荒れはてた地を、幸いの地としてよみがえらせていく物語りは、 20年近く作者が自身の体験を基に構想を練ったものだが、その洗練された文章と 共に挿絵が実に素晴らしい。この物語を理解し、愛した人間でしかこのような挿絵 を書くことができないのではないだろうか。文・絵が見事に調和した傑作絵本。 (K.K)
「木を植えた男」「クラック」「大いなる川の流れ」など9作品を収録 |
原作者 ジャン・ジオノ 1895年、南フランス、プロヴァンス地方マノスクに生まれ、生涯をこの町ですごす。16歳で 銀行員として働きはじめるが、1914年、第一次世界大戦に出征。1929年、処女小説「丘」 がアンドレ・ジイドに認められ、その援助により出版。ジオノが生活したプロヴァンス地方 は、ローマ時代の遺跡ものこる風光明媚なところとして知られるが、気候は激しく、アルプ ス山脈からふきおろす冷たい北風が有名な土地である。作品の多くはそんなプロヴァンス 地方を舞台に、自分の体験をもとに書かれている。この作品も自らの体験をもとに、20年 以上におよぶ草稿づくりを経て、1953年に書きあげられた。その後、ヴォーグ誌に発表さ れ、少なくとも12ヶ国に訳された。主人公の名のエルゼアールは、いにしえのヘブライ人 の予言者、賢者からイメージをとり、ブフィエは巨人が息をブッと吹く、あるいは雲のよう にふくれあがるという意味が隠されているという。ジオノは、その生涯に30冊以上の小説、 エッセイ、映画シナリオ等をのこし、1970年、マノスクで死去した。
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画家 フレデリック・バック 1924年、ザールブリュッケン(現・西ドイツ領)に生まれ、フランス、アルザス地方で幼少の 時をすごす。1937年、パリに移り絵画とリトグラフを学ぶ。1949年、カナダに渡りカナダ国営 放送に職を得る。1968年よりアニメーションの製作に携わり、以来、8作品を製作、主な作品 に「クラック!」(1982年アカデミー賞短編映画賞)「木を植えた男」(1987年アカデミー賞短編 映画賞)がある。本書はこの短編映画をもとに、絵本として新たに描き起こし、構成した作品 で、「クラック!」(あすなろ書房)に続く2冊目の絵本である。製作にあたりバック氏は次のよ うに語っている。「私は15年以上前にはじめてこの物語を読み、深く感動しました。その後、 読み返すたびに同じ感動を覚え、そこに盛り込まれている多くの要素を感じとったのです。 この物語では、自分の仕事に打ち込んだ男の献身的な働きぶりが語られています。その 男は、それが行なうべき重要なことだと知っており、自分の長年にわたる努力が、将来、 大地とそこに住む人間にとって有益であると確信して、何年も無償の行為を続けていくので す。彼は大地がゆっくりと変化していくのを見るだけで、十分幸福でした。それ以上のもの を、彼は望まなかったのです。この物語は、献身的に働くすべての人々に捧げられるとと もに自分の手で何をしたらよいかわからない人や、絶望の淵にある人には心強い激励と なるでしょう」
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訳者 寺岡襄(てらおか たかし) 1937年、東京に生まれる。東京大学教養学部卒業。訳書にW.H.グッドイナフ「文化人類 学の記述と比較」、エレン・ハワード「ジリーの庭で」等がある。
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