「大平原の戦士と女たち」

写されたインディアン居留地の暮らし

 ダン・アードランド著 横須賀孝弘訳 社会評論社 より引用







1890年のウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争は終結した。

この時代のインディアンの誇り高い精神性を表現し垣間見ることができるものとして、

エドワード・カーティスの写真が有名であるが、この文献に紹介された多くの写真もま

た同じく貴重なものになるだろう。インディアン学校の教師の妻として居留地に赴き、

彼らインディアンと親密な交流を築き上げ、彼らの日常の生活にまでカメラを持ち込

むことが出来たジュリア。その被写体はスー族やシャイアン族のものが多いが、これ

らの人々は白人の同化政策により、その精神文化を急速に失いつつあった時代に

生きた人々であった。この貴重な写真を著者の言葉で語るなら、「ジュリア・トゥエル

と彼女のカメラは、まさに最後のチャンスに居合わせて、滔々たる小川に漂うかのご

とく目の前を足早に過ぎ去り、ほどなく永遠に失われようとしていたものを、かろうじ

て捕らえたものだった」。しかし、インディアンの聖なる輪は現代においても絶たれて

いない。スー族の聖者ブラック・エルクは未来への希望をこめて次のように祈った。

「いま一度、そして、おそらくこの世では最後に、私はあなたが授けた偉大なビジョン

を思いおこしている。あるいは聖なる木のどれか小さな根がまだ生きているかもしれ

ない。もしそうならば、それが葉を出し花を咲かせ、さえずる鳥で満ちあふれるように

なるようにその根を養いたまえ。私のためではなく、私の民のために聞きたまえ。私

は年老いている。聞きたまえ、彼らがまた聖なる輪に立ち帰り、善なる赤い道と、盾

となる木を見つけることができるように!」。私はこの文献の写真を見ながら、この

聖者の祈りの声を聞いたような気がしてならなかった。

(K.K)


訳者はNHKのテレビディレクターとして、「ウォッチング」「地球ファミリー」「生きもの地球

紀行」などの自然番組を中心に制作しており、著作家として「ハウ・コラ 大平原のスー族」

「北米インディアン生活術」。訳書に「大平原の戦士と女たち」「北米インディアン悲詩」(絶

版)、監修本に「北米インディアン生活誌」がある。尚、著者の横須賀孝弘さんは北米イン

ディアンに関する約350冊の文献の目録(1951-1998)を編集しており、彼らインディアンの

実像を理解しようと思う人たちには参考になるであろう。

 




本書より引用


素人としての感想を言えば、私には、マソームの儀式とは、まるで五幕物の演劇や数楽章から

なる交響曲のように、次から次へと新たな局面が展開していくもののように思われる。儀式全体

について感じられるのは、新たな蘇りの気分だ。ものごとが本来あるべき状態を回復し、まさに

「神は天にありて、世界は万事申し分なし」といった状態に再び戻った、という感覚である。天界

の諸神、地上界の森羅万象が、互いに調和しあい、人は動物の一員として確固たる位置を占

めると同時に、動物界の仲間たちを尊重する。平原インディアンが理想としたのは、つまり、こ

のような調和のとれた状態だったのである。だが、彼らが強力な文明の力に圧倒されたとき、

その調和は粉々に砕け散った。インディアンは、女も戦士も、各々がこのような精神世界、この

ような霊的世界に住んでいたのであり、彼らをとりまく万物は、どれもが、それぞれに霊的な存

在だったのだ。本書でたびたび指摘してきたことだが、ジュリア・トゥエルと彼女のカメラは、まさ

に最後のチャンスに居合わせて、滔々たる小川に漂うかのごとく目の前を足早に過ぎ去り、ほ

どなく永遠に失われようとしていたものを、かろうじて捕らえたのだった。今世紀初めにレーム

ディアで執り行われた非常に込み入った宗教儀礼の現場に彼女が居たことも、そのような幸

運の一つだと言えよう。それにつけても思い起こされるのは、人類の霊的な側面は、幾多の

激動をも切り抜けて生きつつけるということだ。サン・ダンスも再び執り行われるようになった。

平原インディアンの生活は、その精神世界において、今もなお現実のものなのだ。


 
 


本書 あとがき より引用


ともあれ、ようやく終わった。ジュリアの写真のほとんどが長く日の目を見ないまま眠っていた

のは、まったく残念なことである。彼女の写真は、今、多くの人たちに語り始めたのだと思い

たい。本書は、北方シャイアン族のチーフ、アメリカン・ホースがジュリア・トゥエルの赤ん坊

を抱いている写真に触発されての招詞に始まった。今、本書を終えるにあたって、ジュリア

の子どもらが写っている写真をもう一枚紹介したい。今回一緒に写っているのは、ウースタ

ーという名の、名家出身の年配の婦人、本書の六二ページにある優雅な女性である。彼女

は、トゥエル家の娘たちに、初めての弓矢の稽古をつけているところだ。膝に座るジュリア・

メイは、まだ二歳で、ウースターの教えることをあまりちゃんと聞いてはいない。「ピンキー」

(ウィノーナ)の方は、教わったことを試してみようとしているようだ。写真には「最初の稽古」

という標題がついている。しかし私はこれをダル・ナイフの娘ウースターからの最後の教え

としたい。というのも、ここには、単に弓矢遊びに興ずる子どもの写真というだけではない。

もっとずっと深いものが潜んでいるからだ。この女性も、かつては幼い娘だった。幸せな日

々には、彼女もお年寄りから教えを受けたことだろう。しかし、災厄の日々には、彼女の家

族は、偉大なダル・ナイフとともに、執拗に追ってくる兵士から逃れて、雪の中を懸命に進

まねばならなかったのだ。兵士らは、北方シャイアン族に対し、再度南に行けという、過酷

な命令を押しつけてきた。その地は、北方シャイアン族が聖地とした郷土から何百キロも

離れた、彼らには馴染めない不健康な土地だった。シャイアン族は、そこに送られるぐら

いなら死んだ方がましだと言った。実際、多くの者が死んだ。ウースターの兄と二人の姉

妹もこのとき亡くなった。ウースターは生きのびた。彼女には憎悪する権利がある、と言う

者もいよう。さらには、ここにいる、亜麻色の髪をした無邪気な子どもらを憎むことさえ許さ

れよう。この子らは、彼女の民びとの暮らしを破壊しつくした人たちと同じ人種に属するの

だから。しかし、ウースターの表情からは憎しみなど全く窺いとれない。これこそが、彼女

の教えだ。ジュリア・トゥエルは、ウースターのこの点について、こう言っている。「彼女は

魅力的な女性だった。立ち居振舞いは気品にあふれ、正直で、高貴な生まれの婦人なら

ではのタイプの人だった。私は彼女をよく知っていたし、彼女も私の子どもらを愛し、可愛

がってくれた」 けだし、至言である。


 


目次


招詞

ジュリア

衣・食・住

戦士

精神世界


あとがき

訳者あとがき








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