「北米インディアン悲詩 エドワード・カーティス写真集」
金関寿夫・横須賀孝弘 訳 富田虎男 監修 中上健次 解説
アボック社出版局
恐らく日本で初めてエドワード・カーティスの写真を紹介した文献であろう。 彼の代表作105点の写真と約20編の詩と説話を同時に収録している他、 「カーティス・その作品」「カーティスの人と生活」そして座談会「時代を映す 鏡・カーティスの視点をめぐって」の貴重な記事も盛り込まれている。この 座談会には、日本で最初に「ブラック・エルクは語る」を翻訳した弥永健一 氏や、「鷲の羽衣の女」のエレーヌ・アイアン クラウド女史、「米国先住民 の歴史」の清水知久氏、「アメリカ・インディアンの歴史」の富田虎男氏が 出席している。1984年発行(現在絶版) (K.K)
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本書より引用
19世紀末、北米西部では白人によるインディアン同化政策が急速に進め られていた。シアトルで肖像写真家として成功していたエドワード・カーティ スは、1900年、32歳の時、平原インディアンのサン・ダンス集会に招か れたことをきっかけに、“失われゆく文化の記録者”にならんことを決意す る。彼が写真家としての全生命を注いだ“ミシシッピー河以西の全部族の 写真と記述による民俗誌『北米インディアン(The North American Indian)』 全20巻”は、その時から30年の歳月をかけて完成した。T・ルーズベルト、 J・P・モーガンの援助のもとに揃いで3千ドルという超豪華本として限定 272セットが出版され、カーティスの名は一躍高まったが、多くは秘蔵本 としてその後書庫の奥深くに眠り、彼の作品はしだいに忘れられていった。 1960年代後半、インディアン文化がみなおされるとともに、カーティスの 写真は全米で再び流行を巻き起こし、歴史的価値はもとより、その芸術性 が高く評価されるようになった。しかし一方では、“滅びゆく民”という撮影 テーマをめぐる論議があり、彼の写真は現在のインディアン問題と切り離 しては語れない。本書では『北米インディアン』の別冊ポートフォリオより 彼の代表作105点を選び、全体として20巻の構成を追う形で文化圏ごと に配列するという方法をとった。また、インディアンの口承文学から写真に 合わせて約20編の詩と説話を収録した。巻末には評伝と解説、別冊とし て作品をめぐる座談会その他の関係資料を加えたので、本編と併読して いただけると幸いである。
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本書 「カーティスの人と生活」T・C・マクルーハン より抜粋引用
カーティスを、アメリカ・インディアンを撮った他のすべての写真家から区別 するものは、とりわけこの目的意識なのである。ジャクソン、オサリヴァン、 その他すべての写真家は、様々な視覚的な事実、それもただの事実を映 像に捕らえることに意を用いた。本質的には記録者にすぎなかった。彼等 の映像は、科学的なやり方で、見事に対象を「描写」している。儀式の様 子、衣服の詳細、様々な部族から集めた代表たちの人相上の特徴などを、 正確だが冷静な方法で描き、余すところがない。これらの写真家たち・・・・ あえてつけ加えるが、彼等の仕事は、インディアン文化を描いた視覚的記録 文書中の、大変貴重な一部であったし、今なおそうである・・・・が、まことに 重要な役割を果たしたことは、疑を容れない。だが概念的には限界があっ た。それに反してカーティスは、単にインディアン生活の映像ではなく、その 生活に関する映像を作り出すことに専念した。インディアンのライフスタイル がもつ「精神」を捕え、それを自分の作品に付与するために、明確、そして 慎重な態度で、仕事に着手した。殆ど狂信的なほど無心な態度で追求した このゴール・・・・そして結果が証明するように、彼は見事にそれに到達した ・・・・こそ、彼を先輩写真家のすべてと区別するものなのである。他の写真 家たちは、単なる表相のみを記録することに満足して、暗黙のうちに、自己 を単なる視覚的速記者として定義してしまったが、だがカーティスは、表相 だけでなく、実体、つまりインディアン生活の中心的エトスを、なんとかして 映像化しようと願い、その結果、自分の被写体の、いわば「語り部」となっ たのである。これを言いかえると、カーティスは、芸術家として仕事するこ とを選んだ、と言えるかもしれない。だがこの言葉には、語義が重層して いて、必ずしも写真映像に対応する言葉としては意味がない。そこでわざ と私は「語り部」という言葉を使ったが、それはカーティスが、自分の被写体 を自分自身の見方で見た(これは写真家なら誰でも行う)だけでなく、同時 に、被写体がもっており、またそれらが象徴しているものを、自分自身の ヴィジョン、自分の内なるヴィジョンで見たことを、意味しているのである。
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