「鷲の羽衣の女」
エレーヌ・アイアン クラウド 語り手
菊地敬一 書き手 徳間書店より引用
モンゴルの王族の血をひいたエレーヌは生まれて間もなく父母のもとから 離され、シャイアン族の居留地で働く祖父に厳しく育てられる。これは彼女 がモンゴルの祖先蒼き狼の目をしており、モンゴルの民の光りになること、 モンゴルやシャイアンの心と生き方をエレーヌに伝えることに祖父が賭けた ことによる。幼い頃から毎日馬と共に生き、ヴィジョン・クエストやサン・ダン スの儀式を通してたくましく育っていくエレーヌ。しかし彼女が10歳の時に 祖父が亡くなり、数年間をシャイアン族の助けを借りながらたった一人で 生きていくことになる。インディアン学校や恋人の死を乗り越えて、メキシコ オリンピックで100m競泳で金メダルを取るが、電光掲示板に出たのは 自分の名前ではなく白人コーチの名前だった。彼女は金メダル2個をメキ シコのテオオワンカンの湖に沈めてしまう。「メキシコのインディオの部族 たちは、金は太陽の汗、銀は月の涙というよ。純金のメダルは名誉のシン ボルではなく、太陽の汗。だから、大地にかえすべきだ。私、その方が正し いと思ったから」。そしてインディアン権利獲得運動にも参加していくことに なる彼女は、その後日本に来て日本国籍を取る。祖父やシャイアン族との 想い出や生活を交えながら波乱万丈に生きた一人の女性の物語が語られ るこの文献は、残念なことに絶版になっていますが、復刻されることを強く 願っています。(エレーヌさんによればオリンピックでの金メダルの話は書き 手の菊池氏による創作であるとおっしゃっています) 同じ著者による「生き物として、忘れてはいけないこと」も見ていただけたらと思います。 「天空の果実」の「メディシン・ウィール」をも参照してください。 2002年9月12日 (K.K)
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サン・ダンス(太陽の踊り) 本書より引用
準備は一切シャーマンの指示によって行われる。エレーヌたちは、仕事の分担によって スタッフを決めた。まず、“聖なる花咲く木”を準備する組が、シャーマンと山に入り、シャ ーマンの選んだ木を切り倒してとくべつの方法で式場に運んだ。“聖なる花咲く木”という のは、式場の中央に立ててサン・ダンサー(受式者)たちにとって最も大切な意味をもつ 木である。ハコ柳(ポプラ科)で、その下の方の枝を払い落とし上部の枝だけを残す。長さ は5から8メートルぐらい。“聖なる木”を式場に立てる時、土に穴を掘るのは妊婦に限ら れている。これもシャーマンが指名する。木が立てられると、その上部に残した枝にいろ いろな飾りつけをする。人形を一体、お守りにするためのリボンや革の切れ端、そして原 色の布などである。その飾り付けをした“聖なる花咲く木”の上部を“雷の巣”と呼ぶ。“聖 なる花咲く木”はサン・ダンサーにとって、“敵”ともみなされる。憎い敵ではなく、“最も 尊敬する勇者”という意味の敵だという。“聖なる花咲く木”が立てられると、それを中心 にして直径15メートルほどの円が引かれる。この円を“くにの輪”または、“サン・ダンス の輪”と呼ぶ。この円の中は、サン・ダンサーが命をかけて踊る聖域なのである。“サン・ ダンスの輪”の外側に、ぐるりと円形に観客・応援の群衆の席がつくられる。これは柱を 組みその上に松の枝葉をのせて日覆いをする。“聖なる花咲く木”の東の方向30メート ルほどの所にインピ(前出)がつくられる。なお、インピの近くにもう一つ直径5メートル ほどのティピー(天幕)がつくられる。これはサン・ダンサーが、シャーマンと泊まる場所 である。これで式場ができたことになる。いよいよサン・ダンスの儀式が始まるのだが、 サン・ダンサーになるには特別な制約がない。希望者は誰でもなれる。とは言っても、 気楽になれるものではない。人並み以上の勇気と体力がなければ生命にかかわる試練 なのである。儀式は、満月の三日前から始まった。その日、裸になってインピに入り体を 清めた。小さなインピの中には、火で赤く焼かれた大石がいくつも置かれ、その上にかけ られる水が、痛いほどに暑い蒸気となって走る。流れる汗を、ヨモギの束で拭く。体を清 めた後、そばのティピーに入って一晩休んで明日に待機する。翌日から、四日間の絶飲 絶食の受式がはじまるのである。第一日目の朝、シャーマンの指示によって手伝いの スタッフがサン・ダンサーの体に装飾をほどこした。まず顔に、泥絵具(色のある土を鷲 の油で練ったもの)で黒・赤・白の太古から決めたくまどりがつけられた。次に太陽や 月の模様が胸や肩に描かれた。次に体や顔に、ヨモギや鷲の羽で装飾がつけられた (扉うらの口絵参照)。シャーマンが、お祈りを捧げた後、第一日目の“語り聞かせ”を はじめた。それは“歌っている石”の話(後出)の第一日目の部分だった。それが終わ ると、二三人は外へ出て“サン・ダンスの輪”の中に入った。「私たち、それはそれは 緊張してた。シャーマンの目、金色に光った。その目みながら“歌っている石”聞いた。 外へ出た。“サン・ダンスの輪”に入った。あたりの群集仲間、どっとさわいではやした。 私たち、太陽に向かって、太陽を見つめながら“踊った”(横へいっぽいっぽ歩く)。聖な る木回りながら“踊った”。鷲の骨の笛吹きながら踊った。一日中踊りつづけた。喉は からから、自分ののどではないよう。疲れた。とても。夜になった。夜になっても踊りつ づけた。夜中まで休まず踊りつづけた。第二日目がきた。私たち、また第二日目の装飾 をしてもらった。シャーマンが、第二日目の“歌っている石の話”をした。このころから、 空腹、のどのかわきひどくなった。疲れ出てきた。草原では、見物人大さわぎの宴会。 飲めや歌えやの楽しいお祭り。その香りティピーの中に流れてくるんだ。ティピーの中、 別の世界。まったく、表と裏の二つの世界が隣り合ってた。 (中略) 第四日目の話、 意味、ときどき理解できなかった。でも、シャーマンの声、まるで霊界の声にきこえた。 大きく響いて、耳にがんがんひびいた。いよいよ最後の日はじまった。群集たち、手を 叩いた。太鼓鳴らして応援した。そのこともはっきり覚えていない。私は、それ、別の 世界のできごとのような気がした。もう空腹も、のどのかわきも感じなかった。夢の中、 歩いてた。“聖なる花咲く木”の下に誰かに連れていかれた。“聖なる花咲く木”から、 皮紐が二十三人分(四十六本)ぶらさがっていた。バッファローの皮を三つ編にした 丈夫な皮紐。その皮紐の先端に、鹿の角でつくった四、五センチの鉤がついていた。 シャーマンが、骨の小刀を、私たちの胸か肩の肉に突き刺した。そこへ、皮紐の先の 鉤を差し込んで取れないようにした。痛さ、一つも感じなかった。皮紐を引っぱりなが ら、太陽みて踊った。横へ横へと脚動かした。もう体力なかった。皮紐で、引っぱって るだけだった。群集、興奮した。太鼓たたき、手を打ってリズムとって歌った。おい あ の者、立派に踊っている その恋人、見ているから 子供たち、食べ物持って、ふざ けて見せびらかすんだ。大人たちも、うまそうに食べて見せるよ。若者たち、彼氏彼 女で、ふざけ合って見せて、サン・ダンサーに口惜しがらせるんだ。でも、その悪ふざ けの中でも、群集は、一つのリズムを打って、サン・ダンサーを応援し、勇気づける。 熱狂して、歌いつづけた。ごらん その者、立派に踊っている その恋人、見ているか ら そのうちに、皮紐の鉤が、肉を裂き破ってやっと離れ、サン・ダンサーが倒れはじ めた。倒れた者から順に、インピに運びこまれた。そこで私たちは装飾を落としてもら い、サン・ダンスの霊をはらうための清めの式を受けた。シャーマンが、聖なる草で 傷の手当てをした。そして、ティピーに運んでいって寝かした。私たちは死んだように 眠った。私たちが、意識をとりもどした時、シャーマンが桜んぼの入った湯を飲まして くれた。四日目にはじめて湯飲んだ。サン・ダンスが終わると、この世のすべてが 新しくなった。
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目次 第一部 出合い エレーヌから受けた衝撃 私は鷲だ、トカゲだ、狼だ 博物館のインディアン
第二部 生い立ち 七つの姓名 精霊たちに会う儀式 大自然の中で(狼と子鹿の話 はじめて鹿をとったときの話 鷲が鹿の角を拾い集める話) 育ての親ムンフの死 モンゴルの血 馬と生きた少女
第三部 エレーヌが見たもの ニューヨークからの逃避行と恋人の凶死 闘いと居留地の老人たち オリンピック優勝の屈辱 インディアンの抵抗の歴史 インディアン生存運動へ
第四部 たたかい サン・ダンス(太陽の踊り) テングリ(永遠の蒼天)に祈る インディアンの道(われわれは帰ってきた パハ・サパは叫ぶ)
第五部 話・詩 〈話〉 メディシン・ウィール(聖なる輪) コヨーテの歌 星の水 〈詩〉 ああ 故郷よ 初雪の歌 おまえのため おれは舞う 鷹よ 狼 祖父よ インピ イェロー・シャーツ この新しい歌をうたうのは誰 アテルイの像をたてたい千葉ちゃんへのこたえ
シャイアンの月名 あとがき
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「北米インディアン悲詩 エドワード・カーティス写真集」アボック社出版局 1984年発行 付録「座談会 時代を映す鏡 カーティスの視点をめぐって」より引用
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