「すべてのひとに石がひつよう」

バード・ベイラー著 ピーター・パーナル画

 北山耕平訳 河出書房新社

北山耕平さんのホームページ「Native Heart」







こんにちは、友だち。

あなたは、自分の石を持っていますか?

石はそれぞれが記憶装置ですし、生きている小さな地球です。

石とのつきあい方がわかってくれば、地球とのつきあい方もわかります。

自分の石を手にいれたとき、あなたは地球とひとつにつながるのです。

なぜ、すべての人に石が必要なのか、そのときには、きっとあなたにも、

答えがわかっているでしょう。

(本書 帯文より引用)


 


世代を超えて読みつがれる絵本



この本の初版は、1974年に刊行され、多くの人に石(小さな地球)に眼を向けるきっかけと

なりました。以後、数多くの版をかさね、至高の石の本として世代を超えて読みつがれてい

ます。また、全米図書協会のブックリストには「この独創的な本におさめられてある自由詩

は、生命あるものとそうでないものとの間に生じうる心と身体の親和性を、感覚ゆたかに

表現している。ベイラーの詩の世界は斬新であり、またパーナルがそれにつけた絵も、印象

深い。ふたりの洞察にあふれた表現と視野の広さは、そのままアメリカの南西部に広がる

砂漠の大地を思わせる」とあります。

(本書より引用)



なぜ すべての人に 石が必要なのか?

文・北山耕平 本書より引用



こんにちは、友だち。あなたは、自分の石を持っていますか? わたしは持っていますよ。

わたしの石は、手のひらにすっぽりはいるぐらいの、円形をした平たい石です。全体が滑ら

かで、ゴツゴツしたところは少しもありません。同じような形をした石が手もとには全部で四

つあります。ひとつはアメリカの砂漠で見つけました。かれこれもう15年、その石とは一緒に

旅を続けています。わたしが石とのつきあい方を学んだのは、その石からでした。



それからは、しばしば石のことを教えてくれる人たちのもとを訪ねたり、石について書かれ

ている内容の本なら目にはいるものは片っ端から読んだりしました。バード・ベイラー著、

ピーター・パーナル画『すべてのひとに石がひつよう』という不思議な絵本、あなたがいま

手にしているこの本とも、そのなかで出会いました。ここに書かれてある「石をみつけるた

めの10のルール」は、あなたがほんとうに友だちの石を見つけたいと考えているなら、き

っと役に立ちます。



わたしがアメリカの砂漠から持ち帰ったもうひとつのまるい石も、おなじ砂漠の別の場所で

見つけました。14年前のことです。そこは大きな噴火口でした。その噴火口ができるはるか

数千年前はもちろん、さらに数万年、数十万年、数百万年の、大地ができたときから、その

石はそこにじっと転がったまま、わたしの来るのを待っていたのです。まさしく、この本に書

かれてあるのと同じ方法で、わたしはその石を見つけました。地面にはいつくばって、われ

を忘れて、探したのです。



後のふたつはこの5年間に日本を旅して歩いているときに見つけました。ひとつは青森県の

山のかなの瀧で、もうひとつは富士山で、見つけたものです。わたしにとってどれも特別な

場所で見つけた特別な石です。形はどれも似ていますが、石の種類は全部違います。石は、

ふたつとして同じものなどありませんからね。赤紫色をしたもの、黒っぽいもの、灰色のもの、

青みがかかった黒いもの。でも、どれも握り心地は最高の石たちです。ふだんは革の袋に

いれてあります。



こうして自分の石を持っていて良かったなと思うのは「独りぼっちでも淋しくないこと」です。

石にさわっていないとかえって不安になるくらいです。だからなにか大切なことがあるときに

は、どれかの石を必ずポケットにいれていきます。でもその石を他人に見せることはありま

せん。その人がわたしと人生を共有する人たちでないかぎり、見せる必要もないからです。

数時間で石の来歴を語りつくすことなどできない相談です。



ひとりでいるときに、石を握っていると、石があたたまってくるにつれて、色々なことが映像と

して頭のなかに浮かんできます。石の記憶していることが、テレビの映像のように見えてくる

のです。風の音も、聞こえます。瀧の音も聞こえてきます。冬の寒さも、夏の暑さも感じます。

その石を手に持っているだけで、心はその石があった場所に飛んでいきます。そして石は

自分の見てきた世界について話してくれます。石が何千年も見てきたことを全部教わるには、

きっと長い年月がかかることでしょう。だから少しも飽きることがありません。



逆に石を持っていて大変だなと思うこともあります。それは「石たちがもといた場所にときどき

帰りたがるこご」です。石の気持ちを無視していたりすると、石も機嫌が悪くなって、重たくなっ

てきます。機嫌を回復してもらうためには、何年かに一度、長い距離を旅して、それぞれの石

をもといた場所に、連れ帰らなくてはなりません。



もとの、その石を見つけたときにあった場所に置いて、まる一日そのままにしておくのです。そ

ういうときには、ほかの石たちも一緒に持っていって、その特別な場所を共に経験させてあげ

るようにします。石たちはみんな喜んでくれます。その土地のエネルギーでいっぱいになり、わ

たしと一緒に旅をしていた間にそこで起こったことを新たに記憶しているようです。重さも幾分

軽くなります。



変化の時代には、なにが起こるかわかりません。どうか自分の石を見つけてください。特別な

場所で、あなたの来るのを待っている石に、見つけてもらってください。そして自分の石を手に

したら、その石の話に耳を傾け、その石の声を聞きながら、一緒に旅をしてみてください。そし

て残りの人生をその石と共にすごしましょう。



石はそれぞれが記憶装置ですし、生きている小さな地球です。石の話すことは、地球の話して

いることなのです。石とのつきあい方がわかってくれば、地球とのつきあい方もわかります。自

分の石を手に入れたとき、あなたは地球とひとつにつながるのです。なぜ、すべての人に石が

必要なのか、そのときには、きっとあなたにも、答えがわかっていることでしょう。




APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く



(K.K)



 

2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用)



今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。



でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。



ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。



じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に

なってしまいます。



105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生

きしてようやく見ることができるのだと思います。



私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、

インディアンの言葉を思い出します。



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが

ら行われる。



これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら

したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの

が、私たちの仕事なのだ。



私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ

てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。



私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



☆☆☆☆




(K.K)









アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

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