Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


アメリカ・インディアンの言葉








ワタリガラスの伝説 クリンギットインディアンの古老の言葉




今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと 

聞くのだ。たましいのことを語るのを決してためらってはならない。ずっと昔の

話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森

をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の

中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚た

ちもじっと動くことはなかったのだ。ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中

から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると

一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく長く、それは

一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆく

タカにワタリガラスは聞いた。あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れ

なければならなかった。「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた

時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲し

いのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくる

と、それをタカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、

頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」 若者は地上を離れ、ワタ

リガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続け

た。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫

んでいたのだ。ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世

を救うために炎を持ち帰るのだ」 やがて若者の顔は炎に包まれ始めた

が、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れ

た。その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動き

だし、森の木々も伸びていった。それがわたしがおまえたちに残したい

物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを

見つめている。そのことを忘れるな。これからの時代が大きく変わってゆ

くだろう。だが、森だけは守ってゆかなければならない。森はわたしたち

にあらゆることを教えてくれるからだ。わたしがこの世を去る日がもうすぐ

やって来る、だからしっかり聞いておくのだ。これはわたしたちにとって

とても大切な物語なのだから。


(クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ

数日前に、クリンギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人

かの若者たちに託した神話だった。この古老の最後の声を、ボブはテー

プレコーダーに記録したのだ。)



「森と氷河と鯨」

ワタリガラスの伝説を求めて

星野道夫 文・写真 世界文化社より引用


「星野道夫の仕事 第4巻 ワタリガラスの神話」を参照されたし


「心に響く言葉」1998.10.23を参照されたし


 
 


2012年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

カワセミ(写真は他のサイトから引用)



私の家から少し離れたところに小川が流れ、カワセミが良く飛んでくる。その宝石のように

キラキラ光り輝きながら飛行する姿、川の中の小魚を獲って水中から舞い上がる姿を見て

いるだけで、生命の神秘を感じさせてくれる鳥だ。私が出会ったときに特に嬉しいと感じる

鳥、それはカワセミと鷹だ。



でもだからと言って他の鳥が嫌いではない。私も鳥のように自由に空を飛べたらといつも思

う。部屋の窓から見ると、大小いろいろな鳥が飛んでくるが、どの鳥も厳しい自然の中で生

き抜いている力を感じさせてくれる。



しかし同じ鳥でも、カラスはどうしても好きにはなれなかった。鳥類の中でも霊長類に匹敵

する知能を持っているカラスなのだが、死肉をあさるイメージが強いのが嫌いになった原因

かも知れない。その印象を変えたのは、ワタリガラスの伝説を聞いてからだった。



ワタリガラスに限らず、多くの渡り鳥が何故正確に目的地に到達できるのか、それは太陽

や星、星座や地磁気などによって方向を定めることがわかってきている。それに比べ人間

は文明の利器の進歩と引き換えに、自然のサイクルで生きる術や感覚を消去してきたの

ではないかとさえ思ってしまう。



人間が鳥のように逞しく生命の輝きを取り戻すにはどうしたらいいのだろう。



☆☆☆☆



ワタリガラスの伝説 クリンギットインディアンの古老の言葉



今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと 聞くのだ。

たましいのことを語るのを決してためらってはならない。



ずっと昔の話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森を

つくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の中に座り、どうして

いいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚たちもじっと動くことはなかったのだ。




ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスは

じっと見つめていた。すると一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく

長く、それは一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆくタカに

ワタリガラスは聞いた。



あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れなければならなかった。「力を貸してくれ」 三度

目にワタリガラスが聞いた時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとって

きて欲しいのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくると、それを

タカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、頭を傾けて、枝の先を炎の中に

突っ込むのだ」 



若者は地上を離れ、ワタリガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び

続けた。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫んでいたのだ。



ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世を救うために炎を持ち帰るのだ」 



やがて若者の顔は炎に包まれ始めたが、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川

の中へ投げ入れた。



その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動きだし、森の木々も伸びて

いった。それがわたしがおまえたちに残したい物語だ。



木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを見つめている。そのことを忘

れるな。これからの時代が大きく変わってゆくだろう。だが、森だけは守ってゆかなければな

らない。森はわたしたちにあらゆることを教えてくれるからだ。わたしがこの世を去る日がもう

すぐやって来る、だからしっかり聞いておくのだ。これはわたしたちにとってとても大切な物語

なのだから。



(クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ数日前に、クリン

ギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人かの若者たちに託した神話だった。こ

の古老の最後の声を、ボブはテープレコーダーに記録したのだ。)



「森と氷河と鯨」ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫 文・写真 世界文化社より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2012年6月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

氷河期の記憶(写真は岩田山公園にて撮影)



太陽の魂、暖かさを地上にもたらす鳥の伝説は2月5日に投稿した「ワタリガラスの伝説」があるが、

寒冷地に住む民族ほどこのような伝説を産みだしやすいのかも知れない。



このような伝説は、7万年前から1万年までの最終氷期を生き抜いた人類が子孫に伝える教訓とし

て伝説や神話の中に生きている。



自身の「死の自覚」から神(創造主)との接点、それが神話の誕生に繋がったのかも知れないし、

それらはほぼ同時期に産まれたのかも知れない。



世界屈指の古人類学者のフアン・ルイス・アルスアガは、「死の自覚」が今から40万〜35万年前の

ヒト族に芽生えたと言っているが、それは我々の祖先と言われてきたミトコンドリア・イブ(約16万年

前)よりも遥かに古い時代である。



エレクトゥス(100万〜5万年前)、ハイデルベルゲンシス(60万〜25万年前)、ネアンデルターレンシス

(35万〜3万年前)のヒト族は既にこの世界から絶滅しているが、もし彼らに「死の自覚」、神との接点、

神話があったとしたら、それはどのようなものだったのだろう。



そして現生人類(我々)の最古の宗教であるシャーマニズム、そして現存する多くの宗教はどのよう

に関わっているのだろう。



2010年に現生人類(我々)の遺伝子にはミトコンドリア・イブだけでなくネアンデルターレンシス(ネア

ンデルタール人)の遺伝子がある可能性が指摘されたが、今後の遺伝子研究や発掘により、彼らの

真実が明らかになってくることだろう。



ただどんなに過去や未来に想いを馳せようが、我々は今この瞬間を生きていることだけは確かな

ことかも知れない。



過去未来に関わらず、すべての生命がそうであった(ある)ように。




(K.K)



 






「神を待ちのぞむ」シモーヌ・ヴェイユ著 田辺保・杉山毅・訳 勁草書房 より以下抜粋引用



信仰を支えてくれる最良の土台は、天の父にパンを求めるならば、決して石を与えられること

はないと保証されていることである。あからさまな宗教的信仰の外側にあっても、ひとりの人間が、

真理を把握することのできる能力を一そう身につけたいという一ずなねがいをもって、注意力を

こらして努力するならば、その度ごとに、たとえその努力が目に見えるどんな果実も産み出さな

かったとしても、その能力は一そう大きくなっていくのである。エスキモーのある物語の中に、こん

なふうにして光ができたのだと説いているものがある。「からすは、夜がいつまでもつづいて、食物

を見つけることができないので、光がほしいと思った。そこで、大地は照らし出された。」 もし本当

にねがいがあるならば、そして、そのねがいの対象が、本当に光であるならば、光へのねがいが

光を産むのである。注意力をこらしての努力があるところに、まさに本当のねがいがある。それ

以外の動機が何一つなければ、まさに光そのものが、ねがい求められているのである。注意力

をこらしての努力が、何年もの間、表面上はみのりのないままに終っているようにみえても、やが

ていつの日か、この努力に正確に即応した光があらわれて、たましいを満たすのである。どのよう

な努力でも、世界中の何ものも奪い去ることができない宝物に、なおいくらかの黄金をつけ加え

るものである。













アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)の言葉(第一集)

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)の言葉(第二集)

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