Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)の言葉(第二集)



AllPosters


ブラック・エルクの祈り
宇宙家族の祈り モホーク・インディアンの祈りから
デニス・バンクスの言葉
イロコワの「祈り」
誓(ちかい)デニス・バンクス
オードリー・シェナンドア(オノンダガ国の女氏族長)の言葉
シアルス(シアトル)首長の予言(1853)
創造の歌(ホピ族)
チャールズ・ロロマ(ホピ族・宝飾美術家)の言葉
あるアメリカ・インディアンの祈り
祈り レッド・フォックス(スー族首長)
魔法のことば(エスキモー族)
空のはた織り機(テワ・プエブロ族)
ホピ族の長老トマス・バニヤッカ、
マーティン・ガスウィスーマから日本人への伝言
現代に生きるダコタ族の老インディアンの言葉
ローリング・サンダーの言葉
ダ/ラコタの哲学 A・C・ロス博士の言葉
<古来の道>に生きた最後のインディアン“ストーキング・ウルフ”の言葉 
「アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉」より抜粋
「俺の心は大地とひとつだ」より抜粋
ダン・ナミンハの言葉(ホピ族・画家)




 ブラック・エルクの祈り 



ヘーイ・ア・ア・ヘーイ! ヘーイ・ア・ア・ヘーイ! 先祖よ、偉大な精霊よ、もう一度、

地上の私を見て、私の弱った声を身を乗りだして聞きたまえ。あなたは最初に住み、

そしてすべての願いよりも、またすべての祈りよりも古い。二本脚も四本脚も、空の翼

   も、地に生えるすべての緑も、すべてあなたのものだ。あなたは四つの方角の力をた   

がいに交わらせ、よい道も苦難の道をも交わらせたが、それが交わるところは神聖

だ。日が昇りまた落ちて、来る日も来る日も永遠にあなたは万物の生命だ。だから

偉大な精霊よ、私の先祖よ、私は、宇宙の星や大地の草花、あなたが造られたなに

ものをも忘れずに、あなたに祈るのだ。私がまだ若く望みをもつことができたとき、

あなたは私に、苦難の日に、大地の各々の方角に各一回ずつ四たび祈れ。そうすれ

ば、あなたは私のいうことを聞くだろう、と言った。今日、絶望の淵にある部族のため

に、私はあなたに祈る。あなたは私に聖なる煙管を、私がそれで、あなたに献げもの

をするようにと授けた。今それを、あなたは西からの命の水の茶碗と聖なる弓、生か

す力と破壊する力を私に授けた。あなたは私に、白い巨人の住むところから聖なる風

と薬草 --- 清める力と癒す力 --- を授けた。東からは暁の明星と煙管とを授けた。

そして、南からは民族の聖なる輪と花の咲く木とを授けた。あなたは世界の中心へ私

をつれて行き、唯一の母なる緑に染まる大地の善と美と力とを示し、そこでまた、万物

本来の姿である霊の姿を私に示し、私はそれを見た。あなたは、この聖なる輪の中心

で、私に木に花を咲かせるようにと言った。涙を流しながら、おお偉大な精霊よ、偉大

な精霊よ、私の先祖よ、涙を流しながら私は木に花を咲かせなかったと言わなければ

ならない。私はここに哀れな老人となって立っている。そして、私は衰えてしまった、

何もできなかった。ここは、私の若い日に、あなたが私をつれてきて私に教えた世界

の中心、ここにいま私は年老いて立っている。木は萎れている。先祖よ、私の先祖よ。

いま一度、そして、おそらくこの世では最後に、私はあなたが授けた偉大なビジョンを

思いおこしている。あるいは聖なる木のどれか小さな根がまだ生きているかもしれな

い。もしそうならば、それが葉を出し花を咲かせ、さえずる鳥で満ちあふれるように

なるようにその根を養いたまえ。私のためではなく、私の民のために聞きたまえ。私

は年老いている。聞きたまえ、彼らがまた聖なる輪に立ち帰り、善なる赤い道と、盾と

なる木を見つけることができるように! おお、世界の六つの力よ。悲しみのなかで

わたしは弱々しい声で祈っている。悲しんでいる私の声を聞きたまえ。なぜなら、私は

もう二度と祈らないかも知れないから。おお、なにとぞ、私の部族を生きさせたまえ!



「終りなき夢と闘い あるインディアンの生涯」

J・G ナイハルト著 大島良行訳 合同出版 より





 宇宙家族の祈り モホーク・インディアンの祈りから 



有難き 母なる地球

昼も夜も漕ぎゆく 母なる地球

優しく 尊く 豊かな

おお 大地よ さあれ 我らが心も



有難き 草よ 樹よ

雨にも風にも負けず 立ち

根っこは 見事な毛をひろげ

葉っぱは 陽の光 命に変え

踊るは 流れうずまく 種子の中

おお 草よ 樹よ さあれ 我らが心も



有難き 大気よ

その胸のいだくは 天がけるアマツバメ

また 夜明けに静まるフクロウ

我らの歌は息吹く さわやかな心の微風

おお 大気よ さあれ 我らが心も



有難き 野のけだものよ

       秘密と自由と道教え 我らと乳わかち合う兄弟       

満ち足りて 雄々しく 心冴えわたる

おお 獣よ さあれ 我らが心も



有難き 水よ

とどまり また流れ

雲 湖 川 氷河と変わりゆく水よ

我らの生身を流れるは 塩の海

おお 水よ さあれ 我らが心も



有難き 太陽よ

 もやを 樹の幹をつらぬく まぶしい光の鼓動 

熊眠り 蛇眠る穴をあたため

我らを眼ざます

おお 太陽よ さあれ 我らが心も



有難き 天よ

数十億の星をいだき さらに彼方へ

すべての力と 思いをこえて

しかも 我らの内にひろがる

祖父なる天

心は その妻

おお 偉大な天よ



さ あれかし




「対訳 亀の島(Turtle Island)」

ゲーリー・スナイダー著

ナナオ サカキ訳 山口書店より




 デニス・バンクスの言葉 



私たちや、私たちを取り巻く環境は皆、自然の一部である。

すべてが命のつながりの中で生きていて、互いが互いを必要としている。

環境を大事にすることは、自分自身を大事にすることなのだ。




鷲やビーバーは、幾千年間同じ形で生をつないでいる。

    七世代先の人々のことを考え、自分たちが受け継いだ生き方を子供たちに伝えよう。    




滝の音や燃える火に心を傾けること。

幼い子供に話しかけること。

草木の生命に思いを馳せること。




それらは偉大な精霊と交わることである。




私たちを含めて、すべてが地球の住人なのだ。

空気、太陽、火、水、土 ------- すべては所有することができない。




偉大な精霊を、どうやって所有できるというのだろう。




火は、私たちが生きていくうえで欠かせないものである。

火は暖かさを与えてくれるだけでなく、生きる指針も与えてくれる。

火と対話しよう。




水や雨を大切にしよう。

水は私たちの考えを浄化してくれる。

雨は空気を浄化して、地の渇きをいやしてくれる。

私たちは水や雨なしでは生きられない。




地球にあるものは皆、それぞれ存在する意味と役割をもつ。

自然の音に耳を澄ませば、自然は私たちに色々なことを教えてくれる。




鳥の鳴き声に耳を澄ませば、自分の心がわかってくる。

魚の泳ぎに目を向ければ、自分自身の答えが見つかる。




花には生命を絶やさないようにするという役割がある。

花の美しさや色にもそれぞれの役割がある。




目標に向かう私たちに力を与えてくれ、未来への夢を広げてくれるのである。




目がないから見えないとは限らない。

耳がないから聞こえないとは限らない。

鳥、魚、花、木、すべてが私たちの話を聞いている。

彼らに向かって心を込めて話すこと。




寒い冬の日に、木々が話をするのが聞こえてくる。

私たちや、私たちの未来について話している。

いつでも木々を敬うこと。




木の枝がなければ花は咲かない。

木があってこそ森になり、その美しさも生まれるのだ。

なぜ木を倒したり、森を破壊したりするのだろう。




木は私たちに生命の息吹を与えてくれる。




鷲、鹿、ビーバー、すべてが自分たちの流儀で生きている。

それぞれがビジョンを持っている。

肝心なのは、他人をまねることなく自分自身のビジョンを持つことだ。




夢は私たちにストーリーを語り、ビジョンの源を与えてくれる。

私たちが得たビジョンは、また他の人の夢となる。

人々に良い夢を見せてあげることだ。




ひとりひとりの画家は夢をもっている。

一枚の絵には、何かが隠されている。

画家の語りかけに耳を傾け、自分たちと結びつきのある話を聞こう。




太鼓の音や人々の歌は、私たちの心臓の音だ。

私たちの心臓の音は、いつでも宇宙の鼓動を映している。

歌を歌いたくなくなったり、太鼓を打ちたくなくなれば、

誰も私たちの鼓動に耳を澄まさなくなるだろう。




知恵の種は、私たちの中心にある。

自分自身の中心に、汚れのない思考とよい水を与えること。

そうすれば、閉じた中心が開いてきて、知恵の実を結ぶことだろう。




私たちの未来は過去にある。

時は流れているのだから。




日々くりかえす行いこそが生活であり、文化を伝えることである。

年長者から知恵を学ばなければならない。

そして、それを実行しなければならない。




一日一日を生きていくことが、生きる目的なのだ。

日が暮れてしまったら生きる目的を失う、というわけではない。




年を重ねてから、幼いころのことや仲間のことを思い返す。

眼にも胸にも涙が浮かんでくる。




そんな時、人は幸せを感じ、その尊さを知る。




「風の知恵」 黒田征太郎/デニスバンクス著 毎日新聞社より





雑記帳「魅せられたもの」1997.5/30を参照されたし



 イロコワの「祈り」 



おお、大いなる精霊よ、その声を、私は風の中に聞き、

その息吹は、この世界のすべてにいのちを与える、

大いなる精霊よ、私の祈りをおきき下さい。

私はあなたのまえに一人の人間として、あなたの多くの子供たちの一人として立っています。

私は小さく弱い。私にはあなたの強さと知恵が必要です。

どうか私を美の中にあゆましめ、赤々と焼ける夕空をいつまでも見守らせてください。

私の手が、あなたの創ったすべてのものを大切にし、

私の耳が、あなたの声をききもらさぬようにさせて下さい。

あなたが私たちにお教えになったことども、

    一枚の木の葉、一つの岩の下にもあなたがそっとひめた教訓の数々を知ることができるように、    

私を賢明にして下さい。

おお、私の創造者よ、私は強くありたい。

私の仲間にうちかつためにではなく、

私の最大の敵、私自身とたたかうことができるように。

汚れのない手と、まっすぐなまなざしをもっていつでもあなたのみもとに行くことが出来るように、

やがて、私のいのちがあの夕焼けの空の色のように消えるとき、

私のたましいが、なんの恥じ入るところもなく、

あなたのみもとに行くことが出来るようにさせて下さい。




「アメリカインディアン悲史」 藤永茂 著 朝日新聞社 より





 誓(ちかい)デニス・バンクス 



いつの日か、私は鷲を捕えられるだけの智恵と

バッファローに手をさし出せるほどの賢さを身につけるだろう




歳月を超えて、私は聖なるパイプを携えていこう

セイジとスィート・グラスの杉の葉もいっしょに




民人を浄化するロッジを建てよう

遠い山から岩を運んでこよう

コットン・ウッドの木を探そう




私の子供たちは太陽踊りの唄を歌う

大地に生きるすべての物への讃歌を歌う




子供たちは祖先からの言葉を語る

そして四つの方角の意味を理解する




きょう、私はその旅を始める

旅の道すがら、私は疲れ、弱り、倒れるかもしれない




しかし、私は立ち上がる




兄弟、姉妹の力に支えられて私は立ち上がる

そして聖なる赤い道を歩き続けるのだ




いつの日か、学んだ知識と賢さを、私は若い世代に引き継ごう

そのように生き、そして死ぬことを私は選んだ

だから迷うことなく、ただ山羊の精霊に導かれて歩き続けよう







1985年、ダコタ領土内、アメリカ国刑務所にて デニス・バンクス

 (彼は無実であったが、卑劣な州知事ジャンクローの策略により懲役 

三年の有罪を受ける。しかし、1985年9月28日仮釈放される。)

「聖なる魂」 デニス・バンクス/森田ゆり 共著 朝日文庫より


雑記帳「魅せられたもの」1997.5/30を参照されたし





 オードリー・シェナンドア(オノンダガ国の女氏族長)の言葉 



今から私たちの言葉を、すべての生命を支えてくださる母なる大地に向けましょう。

母なる大地の胸元に生きる小さな草々を見つめ心を一つにしましょう。

 あらゆる植物、木々、地球上すべての水、魚、動物、鳥たち、そして聖なる四つの 

方角から吹いてくる風---これらすべてと心をひとつにすることです。

私たちの感謝と敬意はひとつとなって、空の世界へと昇ります。

空の世界にはあらゆる生命の女性たちと深く大切なつながりを持つ、

祖母なる月がいらっしゃいます。

そこにはまた、太陽と星と空の世界の精霊たちがおられます。

これらの存在はみな、

この偉大なる生命のサイクルの原初の教えを守っておられるのです。

   私たちの心はひとつになって、聖なる生命のサイクルに敬意を払い、感謝します。   

私たちは人間として謙虚に生き、

日々自由に使っている創造主からの贈り物に感謝することを忘れてはなりません。




「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」 築地書館より





 シアルス(シアトル)首長の予言(1853) 



白人が我々の生き方を理解しようとしないのは、わかっている。彼らにとっては、

この土地もあの土地も同じなのだ。彼らは、夜にやってきて、必要なものすべて

奪っていくよそ者である。地球は、彼らにとっては、兄弟ではなく敵なのだ。征服

しては、ただ前進していく。彼らの食欲は尽きることなく地球を貪り食い、彼らが

 通ったあとは砂漠しか残らない。空気は、インディアンにとって貴重なものだ。動 

物も木も人間も、すべてのものが同じ空気を吸って生きている。だが、白人たち

は、自分たちが吸っている空気に気づかない。何日も死んでいた人間のように、

嗅覚が麻痺しているのだ・・・・・。・・・・・わしは、白人に汽車の中から撃た

れて、そのまま大草原に放置されて腐ったバッファローの死体を何千と見た。

彼らは、生きるためにだけバッファローを殺す我々を野蛮人だと言う。煙を吐く

   鉄の馬の方がずっと大切だということが野蛮人だから理解できないのだと言う。   





同胞よ、動物がいなくなって、何が人間だというのか?もし、すべての動物が

地上からいなくなってしまったら、人間は魂のひどい孤独感で死んでしまうだ

ろう。動物に起こったことは、いずれ人間にも起こるからだ。すべての命は、

つながっているのだ。・・・・・我々が子供に教えてきたことを、自分たちの子

供に教えるがいい。地球が自らの母であることを伝えるのだ。地球にふりかか

る出来事は、その子供たちにもふりかかるのだということを。人間が地球に唾

を吐けば、自分自身に唾を吐いていることになるのだということを。我々にわ

かっていることは、地球は、人間のものではないということ。人間が、地球の

ものなのだ。そして、すべてのものが一つの家族を結ぶ血のようにつながっ

ているということである。すべては一つに結ばれているのだ。・・・・・。





友人のように共に歩き語る神を持つ白人でさえ、共通の運命から逃れること

はできない。結局、我々は兄弟だったのだといずれわかるときが来る。一つ

確かなことは、いつか、我々の神が、白人が崇めていた神と同じ一つのもの

だったとわかる時が来ることだ。今は、我々の土地を望んだように、神を自

分たちだけのものだと思っているだろう。だが、それは出来ないことなのだ。

神とは人間の神であり、神の慈悲は、赤色人種であろうと白色人種であろ

うと平等に与えられる。神にとってもこの地球は大切なものである。地球を

傷つけることは、その創造主を侮辱することだ。白人もやがて死ぬときが来

る。白人は、我々より早く滅び去るだろう。自分の寝床を汚していけば、

自分が出した排泄物の中で、ある夜、窒息死することになるだろう。・・・





しかし、白人が死ぬとき、白人をこの大陸に導き入れ、ある特別な目的の

ためにこの大陸とインディアンを支配する力を与えた神の力ある手により、

白人に火がつけられる。それは、まぶしいほどの輝きとなるだろう。なぜ、

神が白人をこの地にもたらしたのかは謎のままである。バッファローが、

いつ全滅させられたのか、いつ野生の馬が飼いならされたのか、いつから、

深い森の神秘の世界にまで白人の匂いがしみこんでしまったのか、いつから

実りの深い山々が電線だらけになってしまったのか、何もわからない。

雑木林は、どこにあるのか? 消えてしまった。鷲たちは? 消えてしまった。

生あるものの終わりと、生き残るものの新しい世界の始まりである。・・・




「インディアンの大予言」サン・ベア&ワブン・ウインド著 扶桑社より


アメリカ・インディアンの言葉(第一集)・シアトル酋長の手紙も参照されたし

「心に響く言葉」1997.6.20を参照されたし

「魅せられたもの」1997.6.20を参照されたし





 創造の歌(ホピ族) 



濃い紫の光が北に昇り

黄色い光が東に昇るとき

われら大地の花は生まれん

歓ばしき長寿をうけんため

われらは自らを蝶の乙女と呼ばん


男も女も東に祈れ

創造主なる太陽を尊べ

鈴の音は空気を通して鳴り響き

大地を通して歓びの音を伝え

その歓びの音は全土にこだまする


父よ、われらは慎みて願わん

完全者、父なるタイオワよ

黄色の光によりてわれらに示されし

麗しき生命を造りたもう完全者よ

赤き光のときにわれらに完全な光を

与えたまえ


完全者は完全なる計画を定めたもう

生命の中に歓びを植える歌をつくり

われらに長寿を与えたもう

この幸福の道の上で、われら蝶の乙女は

父なる太陽を仰ぎそのみ心を行なわん


歌は創造主より歓びとともにこだまし

大地のわれらはそのこだまを創造主に返さん

黄色の光が現れるとき

喜びのこだまは幾度となく響く

来るべき時代のために響いては響き返す


    「ホピ・宇宙からの聖書」フランク・ウォーターズ著 林 陽 訳 徳間書店より    





トウモロコシ畑の片隅で、

鳥たちが歌声をあげ、

ひとつになった幸せを歌いあげるだろう。

彼らは、宇宙の力と、

あらゆるものの創造者との調和に合わせて

歌声をあげるだろう。

鳥が歌い、そして人々も歌い、

やがて命の歌がひとつになる。


ロングヘヤー・カチナの歌(ホピ族)

「風のささやきを聴け」より引用




 チャールズ・ロロマ(ホピ族・宝飾美術家)の言葉 



 どこかに深みがある---できるかぎり簡素にされた諸原理についての、より広い覚醒 




私は何も考えず、ただカチナを考えることができた---この刺激的なドラマ、

カチナは世界に、より美しくなることを提案しなければならない。




孤独で自覚されていない元素---単独で美しい雲---の中では、カチナは、

大地が呼吸し、そして大地内のあらゆるものが呼吸しうるための保証である。




カチナの精神はつねに、人々が微笑し笑い声をあげ、そして

面白くない事どもを忘れられるような天来の恵みだった




孤独な雲は、大地内のものが何であれ---カエルやガチョウやアリやウサギ

にいたるまで---彼らが幸せになるのに十分な富を生み出すことができる




それはまた、地球を沐浴させ浄化するための、よみがえりの過程でもある




こうした思考は、より広い展望の中で伝授され---何が真にわれわれの環境

となっているかを人々に気づかせるために---人々に共有されねばならない






「ホピ・精霊たちの大地」 青木やよひ 著 PHP研究所 より


カチナとは宇宙万物に宿り、それらを動かす精霊とその

霊力の象徴でありホピの宇宙観の神髄を現わしている。





 あるアメリカ・インディアンの祈り 



おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、

あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。

お聞きください。

 わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、 

今、立っています。

わたしは小さくて弱く、

あなたの力と智恵とを必要としています。





どうかわたしを、美のなかに歩ませ、

なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。

この両手が、

あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。

この耳を、

あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。

そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、

一枚一枚の木の葉や、

ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、

このわたしも、理解するかもしれません。





父よ、わたしは力を求めています。

偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、

その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、

わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。

もしそれがかなうのなら、

日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、

いささかも恥いることなく、

わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。






アクエサスネ・モホーク・ネーションのセント・レジス・リザベーションの

   なかに立つ「トム・ホワイトクラウド」という名前のひとりのネイティブの   

墓に刻まれている祈りの言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「虹の戦士」 原著者不明 北山耕平 訳 河出書房新社 より





 祈り レッド・フォックス(スー族首長) 



おお、偉大な精霊よ!

私があなたの領域に立ち入ることをお許しください。多分私がまだ私の限られた知能を

もってして人生の謎と取り組むなどということを差し控えるべきなのでしょう。しかし、私は

すでに百年を生きて、白人がこの大陸を征服するさまを目撃してまいりました。この大陸

は1492年の春には、あの幻の楽土アトランティス島のように白人世界から隔てられて

    あったのです。それはまだ白人が、水の上に船をすすめるために風を使い、陸の上では    

歩くか馬に乗るかしていたころのことです。白人が望遠鏡をあたえられ、重力の法則や

原子の神秘についても教えられる以前のことです。



精霊よ、あなたの領域に立ち入るについて私が疑問に思うのは、はたして白人はいま

まであなたからあたえられたさまざまな贈りものを正しい知恵をもって用いてきたのであ

ろうか、それとも彼は、それを単に彼が「進歩」と呼ぶものを達成する方便としてのみ用

いてきたのであろうか、ということです。もし、幸福こそ唯一の善であるとするなら、白人

はさまざまな利便やぜいたく品を所持することによってはまだそれを見出していません。

彼は昔荒野で馬に乗っていたころのほうが、ジェット機に乗って空をとびまわる現在より

も心が充ち足りていたのです。彼は世界を征服しました。しかし自分自身を征服してい

ないのです。



偉大な精霊よ、あなたはあなたがお創りになった土地の残りのなかからこの新しい大陸

を白人にお示しになりましたが、この大陸はいまや彼の貪欲な性質によって略奪されて

しまっているのです。彼はあなたの山々から金や銀を掘り出し、彼自らが呼吸している

酸素をつくりだすのに役立っている林や森を切り倒し、あなたの土地にはさし迫ったさま

ざまな災厄のもとに住んでいるいる人びとを充満させました。かつては清らかであった

流れも彼白人の廃物を海へと運ぶおおいのない下水にすぎなくなりました。そして、河口

周辺の幼稚園に群がり集まる海の生物たちは、内陸から流れてきた殺虫剤が原因で死

に絶えてゆきます。彼はいま沈黙しつつある春に直面しているのです。なぜなら、鳥たち

もまた、かつての原始的荒野に取ってかわった有毒な環境のなかで、消え去りつつある

からです。鳥たちは油にまみれ、波に運ばれて岸に漂着し、そしてその卵は大地を大気

をそして水を汚染する死の化学薬品によって、生殖力を失ってしまっているのです。



いまや真理に悲観主義が、予言に恐怖があるのです。あなたのお創りになったこの

世界にいま起こりつつあることは、おお偉大なる精霊よ、多分一つの陰謀なのでしょう。

人類の運命を予示する最後の災厄なのでありましょう。それとも、このように考えるのは、

いまやあますところなく完成してしまったこの世界に住む、もはや若くはない私という男の

苦い思いのゆえなのでもありましょうか。もし私たちの社会が、あのノーベル賞受賞生化

学のセント=ジェルジの信じているように、死に向かっているのだとするなら、この地上

における人類の生命の終結は避けられない運命です。しかし、この私は、人間には人間

自らが培った悪を克服するだけの知覚力と意志の力とが備わっているのだ、という希望

にしっかり取りすがっているのです。もし人間にその欲望さえあれば、人間は世界をつく

り直すことのできる技術をもっているはずなのです。体制に反抗する若者たちが無益な

自己宣伝癖にあがくことをやめて、その活力を、生存競争にとって肝要な目標に向ける

なら、それが可能かもしれないのです。



おお偉大な精霊よ、過去の知恵と、そして挫折の荒野に自己を見失う時間の無益とを、

白人の子どもたちにお教えてください。彼らに、真実と真実の友である諸徳とを崇めるよ

う、おすすめください。彼らに、大自然の単純さと驚異とを鑑賞する方法を、そして、愚か

しい残虐行為から自然の生命を守ることの必要性を、お教えください。そして、彼らの子

どもたちがやがて成人するとき、彼らの先祖たちを告発している闘争や戦争の破壊的な

無益へも、彼らの眼を開いてやってください。彼らの環境を傷つけてしまっているさまざま

な毒から、大気と水と土地とを開放させる処方を、彼らにおあたえください。



精霊よ、あなたはあなたの創造の手から、私たちインディアンの先祖たちに、二つの大洋

にかこまれたエデンの園をくださいました。私たちの先祖は彼らの眼と耳と思索とをもって、

あなたを崇めました。花や草の葉が彼らに語りかけ、木々のあいだを渡る風のバイオリン

の線のうえに、あなたのさまざまな歌が聞かれました。あなたによってこの大陸に置かれた

インディアンは、いま彼らの過去を嘆いています。彼らには、しかし、道徳と規律との強固

な背景があります。彼らを白人につくりかえようとした者たちをお許しください。そして、彼ら

インディアンの富である彼らの遺産を博物館のなかに葬ることなく、忘却に委ねることもな

く、いつまでも生気に満ちた力としてこの世の中に保ちお守りください。

これが私の祈りなのです!




「白い征服者との闘い アメリカ・インディアン 酋長レッド・フォックスの回想」

秋山一夫訳 サイマル出版会 1971年12月20日発行より




 魔法のことば (エスキモー族) 



ずっと、ずっと大昔

人と動物がともにこの世に住んでいたとき

なりたいと思えば人が動物になれたし

動物が人にもなれた。

だから時には人だったり、時には動物だったり、

互に区別はなかったのだ。

そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。

その時ことばは、みな魔法のことばで、

人の頭は、不思議な力をもっていた。

ぐうぜん口について出たことばが

不思議な結果をおこすことがあった。

ことばは急に生命をもちだし

人が望んだことがほんとにおこった---

したいことを、ただ口に出して言えばよかった。

なぜそんなことができたのか

だれにも説明できなかった。

世界はただ、そういうふうになっていたのだ。




    「おれは歌だおれはここを歩く」 アメリカ・インディアンの詩    

金関寿夫 訳 秋野亥左牟 絵 福音館書店より





 空のはた織り機(テワ・プエブロ族) 



ああ わたしたちの大地の母ああわたしたちの大空の父よ

わたしたちは あなたがたの子供

 疲れた背中に あなたがたへの贈り物を背負ってやってきました 

だからどうかわたしたちの母 わたしたちの父よ

わたしたちに光りの衣服を織ってください




朝の白い光りを縦糸にして

夕方の赤い光りを横糸にして

降る雨を縁ぶさにして

空にかかる虹を縁どりにして




わたしたちに光りの衣服を織ってください

それを着てわたしたちは

鳥の歌う森 みどりの草原を 行くでしょう




「魔法としての言葉」アメリカ・インディアンの口承詩

金関寿夫 著 思潮社 より





 ホピ族の長老トマス・バニヤッカ、
マーティン・ガスウィスーマから日本人への伝言
 



神戸地震について、日本の人たちへ伝えたいこと

マーティン・ガスウィスーマ (1995年1月18日)


日本で地震が起こり、たくさんの人たちが死んだ。これは、わしらホピに

伝えられてきた預言を思い起こさせる。わしらの預言は、時から時へ、

過去から未来へと起こる多くの出来事を教えている。わしらの祖先は、

こう伝えてきた。「いつの日にか、何かのバランスが崩れると、悪いこと

が次から次へと起こり、大地と人々の命が破壊される」と。わしらは長老

たちから、そう教わった。長老たちは、同じことが大昔(前の世界)に起こ

ったことがあるので、再び繰り返されると知っていたのだ。だからこそ、

   わしらホピは、大地と生命のために、その預言を世界中の人たちに伝え   

歩かねばならなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





今、世界中の人々がバランスを失っている。昔の生き方に戻らなければ

ならない、と長老たちは言っていた。そうすることがとても難しいことは、

わしは知っている。だが、バランスが大きく崩れると、地震、竜巻、病気

の蔓延、飢餓、火山の爆発などさまざまな厄災がやってくる。わしらは、

自分たちの身も心も守らなければならない。新しく、近代的なテクノロジー

は確かに強い。だが、その力でいつもコントロールできるとは限らない。

もしも事態が悪化すれば、なんの役にも立たなくなるだろう。飢餓が来れ

ば、大地から食べ物を得るのは難しくなるだろう。すべてが汚染されてい

るからだ。そのために、わしらはたいへんな目にあう。だから、何よりもバ

ランスを取り戻さなければならん。わしらは今、まるで自分で自分を滅ぼ

そうとしているようなものだ。もしも、わしらがバランスを少しでも取り戻さ

なければ、すべてのことがますます悪化していくだろう。人も動物も大地も

すべてのものが滅んでいくだろう。そして、戦争がやって来る。・・・





 わしらホピは、浄化されなければならないことを知っている。わしらのことで 

いえば、誰かがホピの現在のシステムの誤りを調査し、浄化するであろう

ことを知っている。しかし、今や、すべての人々のバランスが崩れているの

で、未来にはとても困難なことが待ち受けている。これはひとえに、バランス

を失っているあなた自身にかかっているのだ。バランスを保つ生活に戻る

のが困難なことは知っている。何か、もっと醜い死者が出る何事かが近づ

いている。動物も人を襲うようになる。すべてはバランスが狂っているから

だ。わしら自身を浄化し、バランスを取り戻さなければ、戦争や破壊を止め

ることはできない。自分たちの信じていることを、もっと積極的に進めなけれ

ばならない。わしらの言うことを信じるのは難しいかもしれん。だが、重ねて

言おう。あなた自身にかかっているのだ。わしには、あなたたちの心を変え

たりする力はない。わし自身で、あなた自身で何かをするのだ。自分の信じ

ている霊的な道や気持ちに対して、あなた自身が変わらなければならない。





すべてはあなたたち次第なのだ。自分自身と人々のために、大地や動物

たち、地球のために、何かをするのだ。わしらは皆、ひとつの地球の上に

いる。神戸の地震は終わっていない。大地はまだ揺れている。だからこそ、

わしらは、大地や人々や動物や木々や草花を救わなければならない。

それを救うのは、あなた次第なのだ。植物は、病気の治療のための薬と

して、わしらが使ってきた役立つものだ。この地上のすべてのものが救わ

れ、生き残ることは、わしらの願うところだが、すべての人が生き残ると

いうわけにはいかないだろう。地震や、あるいは竜巻、洪水、地球上に蔓延

する病が人口を減らしていくだろう。わしらは、今、紛れもなく危機に面して

いる。自分のことと、人々のことを考えるのだ。そして、生き残るためには、

ともかく将来に向かって進むしかない。あなたが信じようと信じまいと、

わしらに伝えられた預言のすべてが現実のものとなっている。長老から、

これらの話を聞いたときには、わしは信じなかったが、今にして思えば、

すべてが、わしらの長老が伝えてきたとおりだ。どうか、自分自身と他の

人々のために、よく考えてほしい。ありがとう。このことを話せて、嬉しく思う。




「ホピ的感覚」預言された「浄化の日」のメッセージ 小原田泰久 著

KKベストセラーズ より



 


2012年1月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

ホピ・インディアンの長老で、アメリカ先住民族運動の精神的リーダーのひとりであるトマス・

バニヤッカ
(Thomas Benyacya 1999年他界) の紹介と言葉を書きます。

写真では左側に写っている方がトマス・バニヤッカです。



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」ウォール&アーデン著 築地書館から引用します



☆☆☆



1948年、第3メサの長老たちは、トーマス・バニヤッカを含む4人の若者を、自分たちの

「耳と舌」となるように選んだ。この4人の若者の役目は、ホピの予言に伝えられている恐

ろしく深刻な警告を外の世界に広めることだった。



ホピの予言には、「ハウス・オブ・マイカ(国連の意)」と、「灰のつまったヒョウタン(原子爆

弾)」が登場しており、人間が破壊的な生き方を変えない限り、避けることのできない大火

災--- 清め ---が起きるであろうとのメッセージがこめられている。



この予言を伝える4人の使者のうち現在生きているのは80代半ばのトーマス・バニヤッカ

ただ一人であり、彼はまた伝統派のインディアン運動におけるスポークスマンの一人でも

ある。(中略) 



「この土地で起こっている問題の原因は、鉱業界の連中がこの地に眠る石炭が欲しいた

め、いやそれ以上に、核兵器の原料、ウラニウムを手に入れたいからなのだ。ホピの予

言には、核兵器のことが伝えられている。それは灰の詰まったヒョウタンと呼ばれ、白人

があちらこちらへと飛ばし合い、そのうち誰にも消すことのできない炎を空一面に広げて

しまうものだ。



もしおまえさんたちが今やっている行いを正さなければ、自然そのものが手を下すことに

なるだろう。どうすることもできない強力な“力”が現れるのだ。ホピの予言に伝えられて

いる“最終段階”が今なのだ。近年各地で起こっている地震、噴火、火災、ハリケーンの

数々 ---これは最後のしるし、最後の警告なんだ。地球はすでに最終段階に入っている。



ホピの予言によると、最終段階では白人がインディアンの土地を盗むことになるらしい。

予言に伝えられたことは、すべて現実となっている。私たちは祈りと瞑想を通して、この

世界をあと少しの間、破壊しないでくださいと偉大なる精霊に頼んでいるのだ。だが、白

人への罰はすでに下されつつある。浄化はもう始まっているのだ。(中略) 



平和で調和のとれた暮らしを、この大地とすべての生命との調和を保てる暮らしをさせ

てくれ。世界の調和を保つには、祈りと瞑想しかないのだ。



ホピの予言では白人について、こう伝えられている。もともと白人は私たちの兄弟であり、

東の方角へ旅立っていったのだ。白人はそこで発明について学び、みんなの生活を向上

させるためにそれを持ち帰るはずだった。そうすれば、白人は私たちの精神の輪を完成

させられるはずだったんだ。しかし、白人は輪のシンボルを持ち帰りはせず、代わりに

十字架を持ち帰った。



輪は人々を引き寄せ、十字架は人々を引き離す。十字架は分裂を引き起こすものだ。

白人はインディアンたちを十字架のように引き離してしまいたいのだよ。奴らは私たち

をつるしたいのだ--- ウラニウムでできた十字架に!」



☆☆☆☆



僕はマルコス政権下のフィリピンを訪れたことがある。この旅で未だに忘れられない言

葉がある。先の大戦中、両親を日本兵に殺されたその男性はこう言った。「私はずっと

日本人を憎んできました。でもあなた達がここに来ることを聞いて、私は許すことができ

るよう一生懸命神に祈って、やっと来ることができました」



彼の目には憎しみはなかった。先の大戦は僕たち世代が関与したわけではない。しか

し、同じ日本人が起こしたことと、それに苦しめられてきた人のことを無関係と呼ぶこと

は僕には出来ない。



これはキリスト教にもあてはまると思う。何故この悲劇が起こったのか、必死になって

その原因を探り感じなければならないと思う。



トマス・バニヤッカ氏の心の叫びを僕がどれほど汲めるのか甚だ疑問だ。しかし彼の

言葉が自分とは無関係だと思いたくはない。



(K.K)


 



 現代に生きるダコタ族の老インディアンの言葉 



毎晩横になる度に、年寄りや子供たちの姿が目に浮かぶ。ここや、

 サンド・クリークや、今は忘れられた何百もの村々にいる彼らの姿が 

 な。わしもじきに彼らのもとに行くことになる。わしはどうして彼らが逃 

げまどいながら殺されなければならなかったのかを知りたいんじゃ。

どうしてわしらの土地が切り刻まれてばらばらにされたのか、なぜそ

の土地や子供たちや年寄りを守るために白人にたてつくことも許さ

れなかったのか。創造主がどうしてこんなことを起こしたのか。わし

は今までずっと知りたいと思い続けてきた。





だが、わしもあんたと同じく、一人の人間にすぎん。自分の命の終

わりまでは見通せるが、そこから先のことはわからん。自分の土地

の端までは歩けても、その先には行けん。地平線の向こうまでは見

えないんじゃ。創造主はそういう風にわしらを造られたからな。だが

わしも年をとった。違った声が聞こえてくるようになったんじゃ。こう

言う声じゃ。「土地は、愛ではなく血によって贖われる。わしらの民

が死なねばならなかったのは、この大地に真実をはぐくむためだ」

   とな。聞く耳を持たぬ白人の心に入り込むために、わしらは大地に   

帰っていかねばならなかったんだろう。やがてわしらは戻ってきて、

丘や谷間をわしらの歌声で満たす。そうはならんと、誰が言える?





 わしらの真実以上に偉大な真実があるのだろう。創造主は地平 

線の向こうまで耳を澄まし、目を凝らしておられるからな。わしは

自分の民のために涙を流し、歌を歌わなければならない。彼らが

常にあがめられ、けして死ぬことがないように。だが、創造主の

考えを知ろうとしても無駄じゃ。いつの日かわかるときが来るかも

しれないし、だめかもしれない。ことによると新しい真実があるの

かもしれない。ラコタ族にとっての真実よりも、すべてのインディ

アンの民の真実よりも、あんたたちがこの土地にもたらした真実

よりも、すべての真実を合わせた真実よりも、ずっと大きな真実

が。もしそうならば、それを一緒に見つけようではないか。





わたしはこう思う。

もう戦っている場合ではない。わしらは怒りを忘れなければなら

ならない。わしが自分の怒りを葬り去ることができなければ、子

供たちがその仕事を引き受ける。それでもだめなら、そのまた子

供たち、そのまた子供たちが引き継ぐ。わしらは心の囚人じゃ。

わしらを開放してくれるのは時だけなんじゃ。あんたたちは傲慢

な態度を改めなければならない。この地球上にいるのは、白人

だけではないし、白人のやり方が唯一でもない。世界のあらゆ

る場所で、人々はそれぞれのやり方で創造主をあがめ、家族を

愛してきた。あんたたちもそのことを尊重するべきなんじゃ。

物質的な力があるのは、あんたたちの強みじゃ。ほかの民には

与えられなかった強みを持っているということじゃ。それをほかと

分かち合うか、それともさらに力を手に入れるためだけに使うか?

自分たちの力を分かち合う・・・・・・・それがあんたたちに課せら

れた課題じゃ。その力は強いが同時に危険なものでもあるんだ

からな。





白人の失敗を思い起こさせるように、インディアンは影となって

立ちはだかる。あんたたちを正しい道にとどめておくのは、わし

らの記憶じゃ。わしらが存在しなかったような、あんたたちがわ

しらを破滅させたのではない振りをするのは、あんたたちのた

めにはならん。ここはわしらの土地じゃ。わしらは常にここにい

る。わしらの記憶をこれ以上取り除くことはできない。目の前に

手をかざしても太陽を隠すことができないようにな。創造主が

わしらを破滅させて、あんたたちに命を与えたことは悲しくてな

らない。だが、考えようによってはそれほど悪いことではない

のかもしれん。なぜなら、あんたたちの宗教では、創造主が

イエスをそういう目にあわせたと教えているのだからな。わしら

が肉体的な死を受け入れることができたのは、精神力のおか

げなのだろう。その力ゆえに、創造主はわしらだけが唯一あん

たたちを救えるとお考えになったのかもしれん。つまらないこ

とをくよくよ考えるあんたたちをな。





わしらこそ、神の真の息子、娘なのかもしれん。あんたたちが

救われるように、恐怖や欲の十字架の上で死ななければなら

なかった神の子じゃ。そんなにおかしな理屈かね? わしはそ

うは思わん。ワカン・タンカ、大いなる謎、創造主、あんたたち

の言う神は、わしらが人のためにいつでも喜んで死ぬことをご

存じじゃ。それはわしらの最高の名誉なんじゃ。中でも最高の

名誉は、わしらの民がすべての人類のために死ぬことができ

たことかもしれん。ワカン・タンカだけがそれをご存じなんじゃ。



  「忘れられた道」ケント・ナーバーン著 児玉敦子訳 講談社より





 ローリング・サンダーの言葉 



どこかひとつの場所が汚染されれば、それは全部に拡がる。

リューマチや癌がからだの中に拡がっていくように、それは拡

がる。この地球は今病んでいる。なぜなら、地球は誤った扱

われ方をしてきたからだ。これにともなっていくつかの問題も

起こるだろう。近い将来ひどい自然の災害が起こるかもしれな

い。しかし、そうしたことは自らの病気を治すための地球の自

然な回復作用なのだ。今この大地の上には、もともとここには

なかったものがたくさんある。よその国から来たものなので、

たとえていえば、ヴィールス、細菌のようなものだ。今のとこ

ろはいつそれが本当に起こるかがわからないだけのことなの

かもしれないが、これからは実にいろいろなことが将来にか

   けて起こるだろう。こうしたことは地球がその病を吹き飛ばそ   

うとするそれなりの試みなのだ。人間が病気になると、熱を出

したり吐き気をもよおしたりする。西洋医学が身体的調整と

呼ぶもの、それが起ころうとしているのだ





これはとても重要なことだから、みんなが理解しなくてはならな

ない。この地球はひとつの生きているオーガニズム、有機生命体

であり、より高次な個に与えられた肉体で、それは意志を持ち、

健やかでありたいと自ら願っており、精神的にも肉体的にも、ある

時は好調であり、時には不調だったりもする。人は自らの肉体を

尊敬をもって扱わなくてはならないように、この地球であろうとそ

れは同じなのだ。地球を傷つけることが自分たちを傷つけること

であるということを、知らない人たちがあまりにも多すぎる。





同じように、そういう人たちは、自分を傷つけることが地球を傷つけ

ることであるとは、気がついてもいない。こうした人々の中には、エコ

 ロジーに興味を持ち、地球を守りたいと願いつつも、トリップするため 

や、フリークアウトするためになら、なんだって口に突っこむ連中が

いる。彼らは時にはわれわれの聖なる薬草まで使ったりすることが

ある。わしはこうしたもののいくつかをヘルパーと、つまり助手、助け

てくれる者と呼んでいる。そうしたものは心を精一杯配って、慎重に、

誠実に取り扱えば、大変に良いものだ。しかしその場合、それは正し

いやり方で用いられなくてはならない。そうでなければ、そうしたも

のは価値がないばかりか、危険なものでもある。ほとんどの人は、

こうしたことを知らない。もしそれを用いるのであれば、まずこういっ

たことをすべて理解しておく必要があるのだ。





そういったことを理解するのはそう簡単なことではないかもしれ

ない。なぜなら理解とは書物や教師が話しているような種類の

ことを知るのとはわけが違うからだ。いいかな、理解というのは、

愛と尊敬にはじまるものだ。偉大なる精霊への尊敬の中に理解

ははじまる。偉大なる精霊グレイトスピリットは、すべてのもの

の生命の中に、ありとあらゆる生き物、植物、そして岩や鉱物の

中にまでも、それは宿る。すべてのものというのは、本当にすべ

てのもののことを言っているのだが、すべてのものは、自分の

意志を持ち、自分のやり方を持ち、自分の目的というものを持っ

ている。尊敬を払わなくてはならないのは、まさにこの点にある

のだ。この尊敬というのは、単なる気持ちや態度だけのものな

どではない。それはひとつの生き方である。自分自身や自分の

周囲の環境に対する責任を常に自覚して、その義務を怠ること

なく実行に移し続けていくことを意味しているのだ。




「ローリング・サンダー」ダグ・ボイド著
北山耕平・谷山大樹訳 平河出版社より





 ダ/ラコタの哲学 A・C・ロス博士の言葉 



ダ/ラコタ哲学は、森羅万象は、対立する二つのもの、つまり善と悪、光と闇、

というふうに対になって出来ているとしている。その対になっているものの一方

が欠けることは不均衡を生み出すものだというのである。そこでひとびとは儀式

を、その平衡の保持のために維持する。儀式のなかでひとは苦しみ(悪)を経

験し、それによって祈りを聞き届けてもらう(善)のである。伝統のダ/ラコタ族

は、ひとがこの地上に生きる目的は、いつか宇宙の中心に帰ることができるよ

うになるためで、それが可能になる方法は赤い道を歩む(均衡のとれた生き

方をする)ことであると信じている。さて本書においてすでに述べているように、

儀式が行われるひにちと場所は、白いバッファローの星座の位置によって決

められる。もっとも主要なダ/ラコタ思想は、グレイト・スピリットはすべてのもの

の創造主であるが、それでいながらその創造されたことがらの一部だ、という

   包括的な考えにある。また、宿命というものはそのひとのこの世における目的、   

または計画のなかにあるというふうに考える。そこで夢の探求を行ってその目

的がなんであるかを捜すことが、そのひとの任務になるわけである。だがラコタ

 の両親が子供にその任務を行わせるようにするとき、そこでは子供の自由意志 

というものが非常に優先される。子供はその任務なり仕事なりをどのようにする

かということは、親から教えて貰うというよりも、それを実際にやっているところ

だけ見せられ、あとは自分でやってみるようそれとなく諭されるわけである。

この考えはじつはダ/ラコタのすべて、つまり文化、教育、狩猟、宗教、要する

に人生すべての局面に及ぶ、基本概念である。





さらにダ/ラコタの伝統の考えでは、霊魂は誕生したその瞬間にその体に

入る。そこで良い霊魂が体に入ってくれるよう偉大なる神秘に、儀式を催し

て祈るのである。ひとが死ぬとその霊魂は銀河に行って、それを南に向か

う。その南の終りに年老いた女性が座っていて、あなたの地上の生活を審

判する。あなたが赤い道を歩き、またひとびとに寛大で、他を助け、すべて

のものと調和のなかに生きたのであったならば、その老いた女性はあなた

に、長い方の道、つまり宇宙の中央にいたる左の道を取ることを許す。もし

あなたが黒い道を歩み、どん欲で自己中心的であったなら、彼女は右の

道を示し、あなたを突き落とす。そこであなたの霊魂はふたたび地上に落

ち、新しい肉体に宿ってこの世に誕生するのである。それはあなたがふた

たびすべてのものと調和に生きるため、新しい機会を与えられたということ

なのである。もしひとが非常に若いうちに、そのような機会もなく死んだ場合

は、長老が選ばれ、その霊魂を一年間守護する。この間その長老はその

若い魂が銀河の左の道を行き、進化の旅を完成して、宇宙の中心に帰る

ことが出来るよう毎日祈るのである。



「我らみな同胞・インディアンの深層世界」
A・C・ロス著 スーザン・小山訳 三一書房より




 <古来の道>に生きた最後のインディアン“ストーキング・ウルフ”の言葉 



一人でいることと淋しいということはぜんぜん違うのだよ。一人でいても淋しくなく

穏やかな心でいるようになるためには、自分が最良の友と一緒だということを知れ

ばよいのだ。自分自身と一緒にいて心が安らぎ、自分を愛していれば、決して淋し

いことはない。人は自分自身を愛するようになったとき、初めて他人を愛すること

ができる。孤独の純粋さに触れるには、まず自分を愛することを学ばなければな

らない。利己的にならずに自分を愛することができれば、淋しさは存在しない。自

   分に対する愛は、また、ほかのすべてのものに対する愛を生み出し、聖なる「ワン   

ネス」の世界に近づけてくれるのだ。(コヨーテ・サンダー)





私は白人を憎んでいるのではないのだよ。白人の考え方や生き方が嫌いなだけだ。

 おまえは私の孫だ。白人ではなくて、大地の子だ。肌の色や血がおまえを大地の子に 

 するのではない。おまえを万物と一つにするのは、おまえの心や信念なのだ。私は彼ら 

の無知や破壊を憎むからののしるので、白人という人種を非難しているのではない。

彼らは何も知らないからだ。私の敵は彼らではなく、そのやり方なのだ。私はおまえが

彼らのような考え方をしていると思ったことはないよ。おまえの心はいつでも大地ととも

に脈打っている。私は誰も憎みはしない。敵でさえもだ。私はこういう人間たちの無知

を憎み、ののしるだけだ。私が戦う相手は彼らの無知で、人ではない。白人なら誰で

も大地を破壊するわけではないし、先住民がみんな大地を守るわけでもない。どの

人種が悪いというのではない。が、私たちみんなに、無知に対する責任があるのだ。





この地上で生きているものは、みなものを食べなければならないことを、まず理解

しなさい。生きるためには大地からのものをもらわなければならない。どのように

してもらうかによって、害悪になるかケア・テーカーになるかが決まるのだ。自然の

恵みを受けるときは、まずそれを賛美し、心で深く感謝しなさい。私たちが生きる

ためには、ほかのものの命を犠牲にしなければならないからだ。自然を破壊する

のではなく、自然に利益をもたらすように、心して命をいただきなさい。未来のこと

を考えて、子どもや孫にすばらしい財産を残すことだ。自然の創造物を、もっと立

派な形にして後世に残さなければならないのだ。そうすれば私たちは大地のケア・

テイカーとしての運命をまっとうしたことになる。(コヨーテ・サンダー)



「グランドファーザー」
トム・ブラウン・ジュニア著
飛田妙子訳 徳間書店より





 「アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉」より抜粋 



ひとりの子供を

育てるには、

村中の努力が

必要だ。


オマハ族の格言





ひとびとのこころに

真の平和が宿るまで、

国と国のと間に

平和はやってこない。


スー族の格言





知識でなく、知恵を求めよ。

知識は過去の産物だが、

知恵は未来をもたらす。


ラムビー族の格言





歩いた足跡で

ひとは

永遠に知られる。


ダコタ族の格言





泣くことを恐れるな。

涙はこころの痛みを

流し去ってくれるのだから。


ホピ族の格言





死により

 私は

 生まれる。


ホピ族の格言



    「アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉」    

エリコ・ロウ著 扶桑社より




 「俺の心は大地とひとつだ」より抜粋 




誰だって批判されるのは好きじゃない。けどな、批判というのは砂漠を吹く風の

ようなもんだ。風が柔らかい茎を鞭打って吹くものだから、風に負けまいと深く

深く、地中に根を下ろすようになるんだ。


ポリンゲイシー・コヤウェイマ(ホピ族)1964年





平和・・・・それは魂の内にやって来る。人々が宇宙とつながり、そのすべての力と

つながって一体となっていることに気がつく。と、そのとき平和がやって来る。宇宙

の中心に大いなる魂ワカンタンカが宿っていると悟ったとき、また実は宇宙の中心

というのはどこにでもあって、われわれひとりひとりの中にもあるんだとわかったと

き、心に平和がやって来る。


ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族)1947年





文明社会の人たちは、人が作った印刷物に頼りすぎている。私はグレート・スピリットが

創った本をひもとく。そこには彼の創造したものすべてがある。もし自然を学びたいなら、

    その本の大部分にそれが書いてある。君たちの本を全部もち出して、陽の下に並べてご    

らん。しばらくのあいだ雪や雨にさらし、虫に食べさせてごらん。すっかりあとかたも無く

なってしまうだろう。ところがグレート・スピリットは、君たちにも私にも、森や川、山、私た

ち人間を含む動物について、“自然の大学”で学ぶ機会を与えてくれているのさ。


タタンガ・マニ/ウォーキング・バッファロー(ストーニー族)1969年





富はいらない。だが子供たちをまっすぐ育てたい。

富など、われわれにとってはなんの役にも立たない。

そんなもの次の世界へもっていけないじゃないか。

富なんぞいらない。欲しいのは、平和と愛だ。


レッド・クラウド(オガララ・ラコタ族)1870年





われわれイロコイ六か国連邦と大ラコタ国のメンバーは“西半球”の先住民を代表して

ジュネーブへ行ってきた。そこでわれわれは、どんなメッセージを伝えたと思う? 他の

国からの参加者たちは、「人間としての権利を求める声が湧き起こっている」と言って

いたよ。「すべての人たちの権利」ってね。そこでわれわれはこう言ったんだ。「自然界

の権利はどうなっているのでしょうか? バッファローや鷲の座席はどこにあるのです

か? この会議で、いったい誰が自然界の代表者となっているのですか? 大地を流

れる水に代わって話す人は誰ですか? 樹々や森に代わって話す人は誰ですか? 

魚に代わって、鯨に代わって、ビーバーに代わって、われわれの子供たちに代わって、

いったい誰が発言するのでしょうか?」とね。


オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)1990年





一般にリーダーシップなるものは、指導者が何を“する”かで判断されることが非常に

多い。そして状況を改善するために何か違うことを“しろ”と言われる。しかしインディ

アンの考え方では、われわれは何かを“する”ものではなく、“在る”ものなのだ。もし

リーダーシップのもとでの“すること”を変えたいと望むなら、私は自分自身の“在る

こと”を変えなければならない。自分の在ることを変えるということは、ほかならぬ

存在意義を変えるということなのだ。


ドン・コイヒス(モヒカン族)1993年




「俺の心は大地とひとつだ」

インディアンが語るナチュラル・ウィズダム2

ノーバート・S・ヒル・ジュニア編 ぬくみ ちほ訳

めるくまーる より




 ダン・ナミンハの言葉(ホピ族・画家) 



儀式自体、あるいは参加者について語ることはできない。でも自分自身、個人的な体験に

ついては語ることはできるんです。じっさい、それを僕は絵の中で表現する。たとえばギャラ

リーにあったカチーナの絵。窓は、“通路”を象徴しています。肉体の世界と霊の世界を結ぶ

通路。それは、現在と過去、ひいては未来を結ぶ通路でもあります。ホピという土地は、儀式

に参加しなくても、僕を過去に連れ戻してくれる。そして儀式は、それよりずっとはるかな過去

にまで連れていってくれる。ある意味で、儀式は、遠くからの眺めを与えてくれる、と言うことが

できる。自分が今日いったい何をしているのか、この生において何が最も大事なのか、人間

と自然がどんなふうに織り合わされているのかがはっきり見えるんですよ。



うーん、アートの世界というのは、ある意味で非常に表層的なんです。パーティー、社交・・・・

どこへ行っても人々は無益なことばかり喋り続けている。お金、評判・・・実在しないものの話

です。サンタフェでも同じ。モノがひしめいている世界。携帯電話、コンピュータ、飛行機、そし

て人を殺すためのガンもある。産業廃棄物といった汚染。人間がつくり、地球という惑星に災

厄をもたらすたくさんのモノ。しかし、儀式においては、自分と自然、二つのものしか存在しな

い。自然に対して全霊をかけてたのむと、自然が霊感を与えてくれるんですよ。最後には、

人間と自然のあいだに共感が生まれるんです。それは自分の生をまるで違ったやり方で見

る手助けをしてくれる。精神、思考、ビジョンの清掃をしてくれる。



歌は非常に詩的です。僕は、自分の絵に歌のヴィジュアル・イメージを使うことがある。人は

歌を通じて過去を旅するだけでなく、自分を導くことができる。現代に、都市に暮らすというこ

と、生きていくことはラクじゃない。こうした歌を聴いているとき、人はある意味で自分を見つ

め直している。立ち止まる。歩く速度をゆるめて、自分のなかを覗きこんでいる。それは儀式

と同じく、過去の話でありながら、現在につながり、未来に問いを投げかけてくる。過去は未来

であり、未来は過去だ、と僕が感じる所以です



「与えられるんです。絵を描くという作業は、全存在を投入することを要求される。描いて、描いて、

描き続けて、いわば自分を生贄に捧げることを要求される。終わったとき、もう何もできないという

くらい精力を使い果たしている。その意味で、創作は儀式と同じです。儀式では、準備に長大な時

間を費やすだけでなく、最後の段階では、食べることも眠ることもやめて歌い、踊り続けるわけで

す。もう疲れ果てて、どんな感覚も失われている。僕がまだ若かったころ、あれは儀式の二日目

だった。もう立つこともできなくて、キバの床に横たえていた。もううっすらとしか目を開けることが

できなかった。ひとりの長老が来て、<ダン、疲れたのか?>と尋ねる。<・・・・ええ、疲れました>

とやっとのことで答えた。長老は言いました。<よし、そうでなくちゃいかん。もし疲れていなければ、

何にも与えられんぞ>(笑い)」 創作に行き詰まったとき、疲れきってもう描けないと思うとき、ダン

    はこのときの長老の言葉を自分に向かって言う。「疲れているのか? よし、そうでなくっちゃいかん」    

「何であれ、自分にとって非常に大切なものとつながるためには、自分を犠牲にしなければならない

のだと思います。何かに自分を投入していって精魂尽き果てたとき、ある種の心の状態ができあ

がっている。もうほとんど夢を見ているような、からっぽの・・・・・・・・。そのとき、到達している。つな

がっている。言い換えれば、与えられているんです」



「インディアンの夢のあと」徳井いつこ著 平凡社新書より




Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)







夜明けの詩(厚木市からの光景)

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アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

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