1997.6.20
A Nambe girl Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress) |
霊的な戦士
写真集「TIPPI・ティッピ」の中に出てくる不思議な少女は、アフリカ・ナミビアで 生命を受ける。フランス人の両親を持つこの少女は、生まれてすぐに両親と共に アフリカでキャンプ生活を送ることになる。ティッピの最初の友達はアフリカ象の 「アブ」であったが、すべての動物がティッピの大切な友達なのである。野生の 動物たちとすぐ仲良しになれるティッピの不思議な力。テレビでも簡単に紹介 されていたが、「私も裸にならなければ、動物たちは心を開かないわ。」という ティッピの言葉にアメリカ・インディアンと共通するものを感じた。ティッピは六歳 の時パリに戻り地元の小学校に通うことになるが、その顔からだんだんと生気が 失われていくのを感じた両親は再びアフリカの大地を踏ませようと旅に出る。
そしてティッピが「お兄ちゃん」と慕う野生の象「アブ」との再会。このシーンは テレビの中でも放映されていたが、感動的な瞬間だった。「アブ」はティッピの のことを覚えており以前と変わらずティッピを自分の頭へと乗せ、アフリカの 大地を歩いてゆく。野生の動物が怖がりもせずティッピの許に近寄る光景に 「人間と動物の真の姿」を垣間見させてくれたような気がしてならなかった。 ティッピが言った「私も裸にならなければ、動物たちは心を開かないわ。」という 言葉には外面的なものと内面的なものが含まれていると思う。ティッピはその ことを本能的に知っていたのではなかろうか。怖がりもせず野生の豹に近づい ていくティッピの心には動物への深い愛情と信頼があった。彼女にとっては 動物たちは自分の兄弟という存在のなにものでもなかった。・・・・・・・
私は長崎・佐世保で生まれるが、物心つかないうちに奄美大島に移った。 青い海、赤い蘇鉄の実、モンキーバナナ、そしてサトウキビ畑、私の家の 近くには美しい自然が残されていた。お菓子といえばサトウキビであり、 奄美で暮らした数年間は懐かしい思い出が沢山詰まっている。しかし、 この島には猛毒を持つハブが生息しており、一人で山の中に入ることは 許されなかった。ヘビをも抱きしめるティッピの写真を見て、私はアメリカ ・インディアンの様々な部族がヘビを天地の神秘の不思議な力の象徴とし て崇めていたことを思い出していた。「蛇踊り」として有名なホピ族の神聖 な儀式を見ることが出来た数少ない白人のフランク・ウォーターズは、 ホピ族のなかで長年共に暮らした作家であるが、その著「ホピ・宇宙から の聖書」の中で、この儀式のことを詳しく書き留めている。この儀式は 豊饒祈願、つまり作物最後の実りのために雨を降らすことを目的として 一年おきに実施されるものである。この模様を簡潔に書き記している、 「インディアン・カントリー心の紀行(スーザン・小山著)」を参照したい。
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「さて、祭りの日が近づくと人々は砂漠に出かけて様々な蛇を捕まえてくる。 毎年捕まえに行くのは面倒だから飼って置けば良いのに、などと考えるの は私のような怠け者くらいのものだから、自然のものを自然のままに、創造 主の作った流儀を尊敬するホピ族はその都度出かけて行く労をいとわない。 砂漠にはさまざまな蛇がいるが、なかには、というよりもその大部分が猛毒 を持つブルヘッド、がらがら蛇、サイドワインダーのたぐいである。この採集 も東西南北四つの方向に四日にわたって行われる。捕まえられた蛇は土製 の瓶のなかに入れられてキヴァに運ばれ、そこで祭司はその魂をあがめる さまざまな祈りを捧げる。蛇は数日にわたる儀式のあいだ神聖なとうもろこし の花粉を与えられ、大切に大切に人間のそばにおかれる。儀式に従う主立っ た人々は祭りの間中キヴァの中で寝泊まりするが、その間蛇とともに寝起き する。さきに述べたバンダリェはその日記のなかで、長さ数メートルに及ぶ 巨大な蛇が、キヴァの床に横になって寝ている人々の体の上に身を横たえ て一緒に眠っている様子を書き留めている。そこでこの蛇踊りである。 踊り手(すべて男性であるようだが)はこうして集めた蛇を踊りの主体に据 え、それを口にくわえ、また伝統の手順に従って頃合に放して次の蛇に 移る。逃げるのを捕まえる係りがいて、驚くべき巧みさで遠くにいかない うちに捕まえ、瓶の中に戻す。こうして儀式の終わったあと、蛇達は再び 丁重な祈りの言葉とともにもとの砂漠の中に放たれるのである。このような 儀式は白人の進出以来度重なる干渉に出会ってきた。力による禁止は もちろんだが、時代が進んでもう少し人道的になっても、毒蛇の被害から 守るためというようなもっともらしい口実で禁止の動きが出る。言うまでも なく部族は頑強に抵抗して信教の自由を守り抜いた。そして白人側が 設けた禁止の口実にもかかわらず、これほどの猛毒をもつ蛇を扱う人々 のなかから被害が出たという例はまずないという。彼等の信念によれば、 蛇は邪悪な心を見抜く力を持っている。だから正しい心をもって接すれば 決して噛み付かれるようなことはないというのである。大自然への、ひい ては創造主の創造物に抱く絶対の信頼だろう。それでも単なる無知で 信頼によりかかっているのではなく、十分な観察から来た蛇の習性への 知識が被害を防いでいるのだという。」・・・・・・・・・・・・・
「インディアン・カントリー心の紀行」スーザン・小山著 三一書房より引用
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「ガラガラ蛇からサイドワインダー、ヤマカガシまであらゆる種類の蛇がおった。 六〇匹はいたじゃろう。あちこちに動き回って、囲んでいる男たちの顔を見上げ ていた。男たちは動かず、優しい顔つきで歌っているだけじゃ。すると、大きな ガラガラ蛇が一人の老人の方に向かい、足をはい登り、そこで眠り始めた。 それから次々と蛇がこの老人に集まり、優しそうな顔をのぞき込んでは眠り始 めたのじゃ。蛇はこうやって心の清い人間を見分けるのじゃよ。」・・・・
コアウィマ(太陽を反射する毛皮)の言葉 「ホピ・宇宙からの聖書」フランク・ウォーターズ著 林 陽 訳 徳間書店より引用
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「心の清い人間」、そして「私も裸にならなければ、動物たちは心を開かないわ。」 という言葉に共通しているのは、わたしたちの「ひとみ」に何らのフィルターをも つけない生き方を指し示しているのではなかろうか。私がアメリカ・インディアン、 アッシジの聖フランシスコ、シモーヌ・ヴェイユにひかれつづけるのは、この理由 によるものだろうと感じるのである。わたしたちはこの母なる大地にしっかりと 根をおろすことを遥か彼方に忘れてしまった故に、母なる大地から多くの霊的糧を 受け取ることが出来なくなってしまっているのかも知れない。慈愛、調和、謙虚、 そして祈りをわたしたちは記憶から消し去ってしまった。再びこの喜びに満ちた光 を取り戻すことができるのであろうか。ホピ族の予言ではこの世界は浄化を迎え ようとしていると言う。そして第五の世界には、このような「ひとみ」を持った人々が 生き残るのかも知れない。それはまさしく「霊的な戦士」として、この世界において 戦い続けた人々のことであろう。どのような迫害にも屈しないで、母なる大地との 調和を守り続け、深い沈黙のうちに創造主の声を聴き、感謝と祈りを捧げた人々。 そのような「霊的な戦士」により、新たな世界が産声をあげるのだろう。そしてそこ には、森羅万象のすべてがつながりあい、支えあって生きている「聖なる輪」が、 いつまでも人々の心に刻まれ続けていく。
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創造主がマサウを通して語った預言と教示をまとめた「テククワ・イカチ」 ホーク・フー・ハンツ・ウォーキング(歩きながら狩りをする鷹)からの手紙 ドキュメンタリー映画「ホピの予言・人類滅亡・核時代の最終予言」を参照されたし
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