「TIPPI ティッピ」

アフリカに育まれた少女

写真・シルヴィ&アラン・ドゥグレ

発行・映像文化センター 発売・日本ヴォーグ社




 


この写真集に出てくる不思議な少女ティッピは、アフリカのナミビアで生まれる。

野生の動物たちとすぐに仲良しになれる不思議な力を持ったティッピの姿を

追った写真集であるが、人間と動物の間に突き刺さる垣根をティッピは軽々

と飛び越える。ティッピの口から飛び出す言葉は現代文明の中で生きる我々

が、如何に多くの根源的なことを忘れてしまったかを想い出させてくれる。

(K.K)


「私も裸にならなければ、動物たちは心を開かないわ。」ティッピ


雑記帳「魅せられたこと」1997.6/20を参照されたし


 


アフリカに育まれたティッピ

(「Tippi ティッピ アフリカに育まれた少女」より引用)


「もしかするとこの子は、そう長く生きられないかもしれない」。出産に立ち会った医者が

そう思うほどその女の子は小さく、儚そうにみえたという。1990年6月4日、アフリカは

ナミビアの首都ウィントフークでのこと。ともにフランス人のアラン・ドゥグレとシルヴィ・

ロベールとの間に誕生したその小さな女の子は、“ティッピ”という名を授けられた。ヒッ

チコックの映画“鳥”に出てくる女優(ティッピ・ヘドレン)から採ったものだった。ナミビア

の独立がこの年の3月だから、ティッピはナミビアで生まれた初めてのフランス人だと

いうことになるだろうか。しかし、ティッピは、フランス人の女の子であると同時に、短い

命かもしれないという医者の心配をよそに、熱い太陽に負けない“アフリカの女の子”

にも育っていった。ナミビアで生まれたティッピの初めてのおもちゃは、巨大なカバの

頭蓋骨だった。生後数ヶ月の彼女には、きっとジャングルほどの大きさだったに違い

ない。そして、ティッピが「お兄ちゃん」と呼ぶ28歳年上のアフリカ象“アブ”が最初の

友だち。豹の皮のパンツをまとい、緑のブーツを履いたティッピは、地上でもっとも大

きな友だちに近づいていき、5トンもの巨体を揺らしながらその長い鼻で息を吹きか

けられると、くすぐったそうに笑う。ヒヒの“シンディ”も、チーターの“ヌーシュカ”も、

ライオンやダチョウ、へび、カエル・・・・・・・みんなティッピの大切な友だちなのである。

野生の動物たちとすぐ仲良しになれる不思議な能力を自分たちの娘にあることに

気づいたアランとシルヴィは、その交流をテーマに写真を撮るべく、ティッピを連れ、

アフリカでの自分たちの足跡を改めてたどることにした。1997年2月のことである。

ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ・・・・・・・。トヨタのランドクルーザーにキャンプ装備

一式とティッピを乗せ、長いアフリカ滞在の間に得た多くの友人を訪ね行く2ヶ月間の

旅になった。旅の途中ティッピは、ランドクルーザーに轢かれそうになったカメレオン

・・・“レオン”と名付けた・・・と親友になり、この旅の間、片時も離れることはなかった。

好物のバッタ採りに根気よく付き合うのはもちろん、毎夜のベッドもいっしょだった。

ナミビアのMt.ギャムスベルグでは“J&B”という豹をいとも簡単に手なずけてしまっ

た。ティッピは人に向かって牙をむくJ&Bにすたすたと歩み寄って「おやめなさい」と

きつく叱り、頭をコツンと叩いたのである。そしていつしかティッピは、J&Bの首筋を

優しく撫でていた。それからこう囁きかけた。「J&Bは世界でいちばん強い豹よね」。



私が人生で好きなことは冒険。大人はアフリカの野生動物と一緒に生活することを

冒険だと言う。でもそれは完全な間違い。冒険というのは、たとえばキッチンでお菓子

やケーキを盗んで、親友と一緒に戸棚の陰に隠れて食べること。あるいは、自分の

恐怖に打ち勝つために、秘密の任務を自分に与えること。大人はこういう冒険をばか

みたいと言うけれど・・・・。でも、それは大人がわかっていないから。それとも、もう忘

れてしまったから。人生はいつも素晴らしいとは言えないかもしれないけれど、ファンタ

スティックなすごい冒険さえあれば退屈しないと思う。幸せになる秘訣、それは冒険を

生きることだと言えるかもしれない。ただし、問題のない冒険を選ぶことが条件だけど。

ある晩、私は流れ星を見た。そのとき私は、神様に話しかけていたところだった。私が

動物たちと一緒に暮らせるこの世でたった一人の女の子でありますようにって。そして

天国に行ったら歓迎してくれるよう頼んでいた。私は神様が大好きで、神様のことを考

えていると言った。そうしたら、神様は私に流れ星を送ってくれたの。私は笑うのが大

好き。髪に風を感じるのも好き。たとえば、草原を車で走り、首が寒くなければ、車の

屋根の上に座る。それに、親友に出会い、両腕で抱きしめるのも好き。両親がいて、

親友がいれば、もうそれだけで充分。

(「ティッピ 野生のことば」 より引用)





「ティッピ 野生のことば」

ティッピ・ドゥグレ文 水品修訳 小学館




「野生のティッピ 動物と話す少女」

シルヴィ・ロベール アラン・ドゥグレ著 水品修訳 小学館






2012年11月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



「動物はすべてを知っている」J.アレン・ブーン著 SB文庫

写真はこの本で紹介されたストロングハート(1917〜1929)である(写真は他のサイトより引用)。



「ハリウッドの聖人」「銀幕王国の聖フランシスコ」と呼ばれた著者のアレン・ブーン(1882〜1965)

は、映画の製作者で1965年に83歳で亡くなるが、この文献の中でストロングハートという犬に留

まらず、ヘビ、スカンク、ハエやアリも「沈黙のことば」で分かり合えることを事例を挙げながら語っ

ている。



またこの文献の特色として、人間やそれ以外の存在、その存在そのものを問う哲学的・宗教的な

洞察も語られているところにあるが、日本及び外国においてこの文献は高く評価され続けており、

その内容に懐疑的な意見はあまり聞かれない。



私個人はというと、そのような経験がないからか正直わからないというしかないが、このアレン・

ブーンとほぼ同じ時代に生きた「シートン動物記」で有名なアーネスト・シートン(1860年〜1946年)

と重ね合わせてしまう。



シートンはアメリカ先住民の世界に触れて、「レッドマンのこころ」(1937)の出版など彼ら先住民

の世界観を世に広める活動をしてきた人物でもあるが、ブーンはシートンよりも22年遅く生まれ

ながらも、二人はアメリカ先住民が白人より劣った消えゆく民族であるとの目が支配していた

時代に生きていた。



ブーンもこの本の中でアメリカ先住民やアラブ系の遊牧民ベドウィン族との触れ合いから教えら

れたことを紹介しているが、二人は「沈黙のことば」「沈黙」の真の姿を垣間見た数少ない白人

だったのかも知れない。また二人は出会ったことはないかも知れないが、互いの存在に気づい

ていた可能性はあるのではと思う。



ただ、シートンが自分とは反対の証言を紹介しながら観察事実を基に博物学者・科学者として

の冷徹な視点を保ちながらも、動物に対する畏敬の念を抱いていたのに対し、ブーンの「動物

はすべてを知っている」はこの視点があまり感じらない。



別な言い方が可能なら、シートンが人間と動物の種に横たわる断崖を受け入れるの対し、ブー

ンはその断崖を埋めようとする、或いはその断崖を跳躍しようとする姿勢を感じたのも事実で

ある。



フランスの哲学者であり戦士、神秘家であったシモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943)は「重力と恩寵」

の中で次のように記している。



「純粋に愛することは、へだたりへの同意である。自分と、愛するものとのあいだにあるへだたり

を何より尊重することである。」



私自身この言葉の意味を真に理解したものではないので偉そうなことは言えないが、種と種の

間に横たわる断崖、その隔たり、これは人間同士の間、人間と創造主との間にも横たわって

いるものものかも知れない。



アレン・ブーンが訴えかけているような、実際に動物や昆虫と沈黙を通して意志の完全な疎通

を、私は経験したことはない。



ただ私自身が経験したことがないと言って全て否定することは傲慢であるし、私が経験したこと

がない、或いは私が気づいていない何かが、この世界に横たわっているのだろう。



それは世界の先住民の文献を読んでいて常にそう思うし、「沈黙」が語りかけるものを先住民に

限らずキリスト教や仏教でも重視してきた。



写真のストロングハートの目を見ると、人間界のブッダ、キリストのような光が犬の世界でも僅か

なものに現われ、その光を目の前にして初めて、アレン・ブーンはそれが多くの動物の中にも

宿っていることに気づいたのだろうか。



「私も裸にならなければ、動物たちは心を開かないわ」、これは象、ライオンや豹などの多くの

動物といとも簡単に心を通わせることができたアフリカで育まれた少女ティッピの言葉である。

しかし、アフリカからヨーロッパに戻ったティッピは、この不思議な能力が少しずつ消えていく

のを感じた。



本書で語られている内容の真偽、アレン・ブーンが亡くなって50年近く経った今となっては、

もうわからないかも知れない。



最後に今から100年以上前に書かれた「シートン動物誌」の中から、オオカミに関するシートン

の想いを引用します。イヌはオオカミが飼い馴らされて家畜化したものと考えられていますの

で本書とも関係があるかと思います。長い間オオカミは誤ったとらえ方が横行し、人間の手に

よってニホンオオカミも100年以上前に絶滅しました。今、このオオカミを森の再生のため山

に放そうとする運動が世界中で起きていますが、私自身この問題をもっと勉強していつか書く

ことが出来ればと願っています。



☆☆☆☆



オオカミの真実の姿を描き出す「シートン動物誌2 オオカミの騎士道」紀伊国屋書店より以下引用



この章で私は、オオカミの勇敢さ、騎士道精神、強さ、遊び好きな性格、忠誠心、獰猛さ、親し

みやすさ、思いやり、英雄的な態度、それにやさしさなどについて、さまざまな証拠をあげな

がら論じてきた。



悪意に満ちた人間社会のうわさ話に終止符を打ち、この動物の誠実で勇敢な姿を読者に示

したいというのが、私の願いだった。



私はまるでごみ箱を引っかきまわし、なかからほんのひとかけらの金片を見つけ出そうとする

かのように、猟師たちから根堀り葉堀り聞き出し、小さな真実のかけらを見つけ、つなぎあわ

せようとしてきた。



そうしたなかから読者に、この野生動物の本当の姿、本当の生活を少しでも察知してもらう

ことができただろうか。



こうして山と積んだすべての証拠を見て、望むならさらに手に入れることのできる大量の証拠

があること、それに「ロボ・・・カランポーの王様」の物語(基本的に事実にもとづいている)に

書かれたことを思い起こしていただければ、わかってもらえるのではないだろうか。



私がオオカミを心の底から愛していること、そして、私がオオカミこそは真の高潔さ、すなわち、

輝かしい動物界の英雄にふさわしい性格のもち主だと信じて疑わないことを。



☆☆☆☆












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