「レッドマンのこころ」

アーネスト・シートン著 近藤千雄訳 北沢図書出版





「動物記」で有名なシートンが集めた北米インディアンの魂の教え。「レッドマン

の信仰は普遍的であり、基本的であり、根源的であり、本当の意味での宗教で

ある。」シートン。現代ではアメリカ・インディアンの文化は多くの人々からの共

感を得るようになっていますが、シートンがこの本を書いたのは約70年前のこ

とです。その頃は彼らの精神文化を理解する人は数少なく、偏見と差別・迫害

の時代でした。しかしシートンはその直感により、彼らこそ神と深く結びついて

いる人々との確信を得て、その精神文化を探って行ったのです。歴史的にも

貴重な文献の中の一冊。尚、最初この文献は違う訳者により「赤人の福音書」

として出版されましたが、既に絶版となっています。

(K.K)


雑記帳「魅せられたもの」1997.6.6「アメリカ・インディアンの残虐性の真否」を参照されたし

雑記帳「魅せられたもの」1997.5.18「真の文明とは」を参照されたし


 








アーネスト・シートンの言葉(本書より)



冒頭で私はホワイトマンの文明は失敗と決めつけたが、では、文明というものは

何を尺度としてその価値を評価すべきなのであろうか。それをいくつか思いつく

ままに列記してみよう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


1 隣人の権利を侵害しないかぎり自分の権利を行使する完全な自由を保障してくれ

ているかどうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2 最大多数の最大福祉へ向けて機能しているかどうか。・・・・・・・・・・・・


3 法廷における公正と街角における小さい親切を特色として誇れるかどうか。・・


4 市民の苦しみと窮乏を和らげることに最大の努力がなされているかどうか。・・


5 人間本来の力を発揮させ、人間本来の権利を認めているかどうか。・・・・・・


6 信仰の自由を本当に認めているかどうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・


7 衣、食、住、それに人間としての尊厳を保証してくれているかどうか。・・・・


8 一票を投ずる権利と同時に、一人の人間としての個性を発揮する場を与えてくれ

くれているかどうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


9 各自の勤勉が生み出すものが生かされるようなシステムになっているかどうか。


10 ”物的なもの”がはかない存在であり、”霊的なもの”こそ永続性のある価値を

有するという事実を認識しているかどうか。・・・・・・・・・・・・・・


11 強権的な公正よりも”思いやり”の方に重点が置かれているかどうか。・・・・


12 一個の人間が必要以上の物的財産を所有することを戒めているかどうか。・・・


13 病人、障害者、身寄りのない人、新米の人に対する施策は万全かどうか。・・・


14 ”家族”という自然発生的な集団を大切にしているかどうか。・・・・・・・・


15 人間の第一の義務は一個の成人として完成させることであること---それは、一個

の人間を形成している身体のあらゆる機能と生命力と精神とを調和よく発揮

できるようになることであり、最終的にはそれを同胞のために活用することで

あることを、現体制は基本的理念として認め、かつ促進しているかどうか。



私が見るかぎり、以上のどれ一つを取り上げても、白人の文明は落第である。

インディアンが所有していた同じ大地において、あれほどの食糧を生産し、あれ

ほどの富を生み出し、ありとあらゆる原料を有し、労働力もあり、働く意欲もあ

りながら、白人文明はなぜ挫折したのか---それだけの好条件を有効に、統合的

にまとめる上で障害となるものが、どこかにあるはずである。今の西欧的物質文

明では、一人の億万長者が出る一方で億の単位の貧困者を生み出すばかりであ

る。そんな荒廃のもとでは幸福はあり得ない。世界史に類を見ない勇壮な民族だ

ったレッドマン、肉体的にも完ぺきの域を極めていたレッドマン、最も霊性豊か

な文明を生み出したレッドマン---このレッドマンになり代わって私は、古き良き

時代からのメッセージをお届けした次第である。遅きに失したとはいえ、この

メッセージが心あるホワイトマンに慙愧の念を覚えさせ、現文明を完全な破滅か

ら救う手立てを考えねばという気持ちにさせる機縁となれば幸いである。・・

それは、人類にもまだ救いの道が残されていることを意味するものであろう。


「二人の小さな野蛮人」シートン著 を参照されたし


 
 



アーネスト・シートン
Ernest Thompson Seton
(August 14.1860 - October 23.1946)
Ernest Thompson Seton - Wikipedia, the free encyclopedia より引用

 


本書 はじめに アーネスト・シートン より引用



インディアンの信仰に関しては、インディアン自身が書き残したものがあるわけではない。

それはちょうど、キリスト自身が書き残した「福音書」、モーゼ自身が書き記した「五書」、

仏陀自身が綴った「三蔵」、ソクラテス自身が書いた「対話」が存在しないのと同じである。

いずれの場合も、それぞれの師の生存中に師事した人たち、あるいは、少なくともその

“声”に接する幸運に浴した人たちの話を聞いた者によって記録されたものである。本書

を著すに当たって私は、一人のインディアンからすべてを聞き出すということはせずに、

妻と同伴で多くの長老に会い、敬意をもって問い、伝説を集め、習慣に注目し、生活を

細かく観察し、預言者と呼ばれる霊能者たちの記録を集め、原始時代のインディアンに

ついて研究している白人にうかがい、とくに青少年期をインディアンの伝統的慣習の中で

生活したあとで白人に混じって同等の教育を受けた人たちと語り合った。そうすることで、

どうにかインディアンの教義、部族内の不文律、それから自分と仲間さらには宇宙の創造

主であり支配者である「大霊(たいれい)」とのつながりと義務について、理解のようなもの

が得られたと思う。



なにしろ北米大陸は広い。何百もの部族があり、それぞれに異なった生活文化をもってい

るのであるから、おのずから思想的にも細かい点で相違点が見られる。そこで私はその中

からこれだけはインディアンの土着のものと思われるもので最高・最善のものを選び出した。

それは、全体としては、スー族、シャイアン族、オジブワ族、イロコワ族、ショーニー族、プエ

ブロ族、ナバホ族、アステカ族、マヤ族のものに集約されている。当然のことながら、私は

そうした部族の思想的指導者である酋長の教えを探し求めた。とくにワバシャ、ウォボカ、

そして偉大なる酋長として名高いテクムセの教えに着目した。



私のモットーは「最高のインディアンの最高の教えを」ということである。それは当然のこと

であろう。われわれの文明社会には無法者もいれば暴力団もいるが、紹介してもらうとな

ると、最高の頭脳の持ち主や聖人・君子のような立派な人を選んでほしいと思うのと同じで

ある。インディアンの手工芸、木彫、農業、社会生活、健康、娯楽といった分野に関する教

訓は、改めて紹介するまでもないであろう。それ自体が素晴らしさを物語っている。いずれ

も、今日の西洋文明にとって必要なものばかりである。レッドマンは野外生活の手本であ

り、その処世訓は、私が知るかぎりのいかなる西洋の倫理的教訓よりも、今日の地球人類

にとって必要なものであると考えている。フランシスコ・ベーコンも次のように述べている。



「生まれも育ちも申し分なく、紳士としての豊かな教育を受けた英国人のクリスチャンの中に、

自分の意思でその高い地位と贅沢な生活を捨てて未開人の世界に入り、彼らと同じ生活を

送り、あらゆる野性的生活を体験している人を多く見かけている。ところがその反対のケース、

つまり未開人が自分の意思で野外生活を捨てて文明人の生活を送っている例は、一つも見

かけない。」



しかし、野外生活に戻るだけでは何の意味もない。未開人が引き継いできている霊的なメッ

セージの方がもっと大切である。なのに、そのことが理解されていない。


 


本書 訳者あとがき 近藤千雄 より抜粋引用



これは、「シートン・インディアン団」といい、のちにボーイスカウトとして発展する。その母体と

なったものである。自然と一体の生活をするインディアンから学ぶことを目的としたもので、

思うに、ジュリアの「まえがき」にある、老婆によるご託宣をきっかけに始めた本格的なインディ

アンの生活と宗教の調査が、そういう形で結実したとみてよいのではなかろうか。さきにも触れ

たが、コナン・ドイルは今なお「シャーロック・ホームズ」でその名を知られてはいても、後半生

の最後まで彼の精神生活を支えたのはスピリチュアリズムの思想だったように、シートンは今

なお『動物記』でその名を留めているが、その後半生において彼の心を捉えたのは、滅びゆく

インディアンの生活の中に色濃く残っているスピリチュアリズム的な物の考えと信仰だった。



自分と同じ民族のホワイトマンによる侵略と自然破壊の歴史を振り返り、さらに、否応なしに

保留地へと追いやられ、白人文明に毒されていくインディアンの現実の悲惨さを目のあたりに

してきたシートンは、『動物記』のシートンとして第三者が想像するものとは全く異なる精神世界

に生きていたことであろう。小冊子ともいえそうなこの著書を翻訳しながら、私は、その中に秘

められた痛恨と懺悔の念を、片言隻句の中に窺い知ることができた。その時は著者があの

シートンとは思い至らなかったが。


 


目次

一章 レッドマンのこころ

霊性の自覚

神の概念

インディアンの安息日

酋長と宣教師との対話

インディアンの教え

インディアンの超能力

寂滅の行

祈りの行

インディアンの祈り

葬儀と供養

死の歌


二章 レッドマンの社会生活

ユダヤ的共同生活

基本的な規律

結婚と離婚

子供と養育

女性の地位

純潔

宣教師が見たインディアン

将軍が見たインディアン

その他の評価

シャーマン

罰則

インディアンの警察

虐待行為に関する誤解


三章 健康美あふれる生活

頑健そのものの身体

清潔好き

勇気

陽気な性格

正直さ

弱者への思いやり

大虐殺の真相

祖国愛


四章 預言者ワバシャは語る

感謝

罪と犯罪

慈悲の心

神への畏敬

肉体美

自衛

施しの心

姑との関係

エチケット

約束

自分に厳しく

客人のもてなし

客人としての振るまい

審議会での心得

小屋の中で


五章 レッドマンの「古事記」

天地初めの時

オマハの言い伝え

オマハ族のことわざ

ブラックフット族のことわざ

スー族のことわざ

パイウート族のことわざ

ズニ族のことわざ

サウスウェスト族のことわざ

キチェ族の神話

レッドマンの童話

ポーニー族の酋長の未亡人の教え

ショニー族の酋長テクムセの抗議文

酋長レッド・ジャケットの挨拶

コマンチ族の酋長ノコーナの壮絶な最期


六章 レッドマンの「血」を死守せんとした英雄の系譜

ハイアワサ

ポワターン

メタカム

ワバシャ

ポンティアック

テクムセ

ブラック・ホーク

セコイヤ

クレイジー・ホース

シティング・ブル

スモハラ

ジェロニモ

ウォボカ


エピローグ

解説(中沢新一)

訳者あとがき





2012年11月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



「動物はすべてを知っている」J.アレン・ブーン著 SB文庫

写真はこの本で紹介されたストロングハート(1917〜1929)である(写真は他のサイトより引用)。



「ハリウッドの聖人」「銀幕王国の聖フランシスコ」と呼ばれた著者のアレン・ブーン(1882〜1965)

は、映画の製作者で1965年に83歳で亡くなるが、この文献の中でストロングハートという犬に留

まらず、ヘビ、スカンク、ハエやアリも「沈黙のことば」で分かり合えることを事例を挙げながら語っ

ている。



またこの文献の特色として、人間やそれ以外の存在、その存在そのものを問う哲学的・宗教的な

洞察も語られているところにあるが、日本及び外国においてこの文献は高く評価され続けており、

その内容に懐疑的な意見はあまり聞かれない。



私個人はというと、そのような経験がないからか正直わからないというしかないが、このアレン・

ブーンとほぼ同じ時代に生きた「シートン動物記」で有名なアーネスト・シートン(1860年〜1946年)

と重ね合わせてしまう。



シートンはアメリカ先住民の世界に触れて、「レッドマンのこころ」(1937)の出版など彼ら先住民

の世界観を世に広める活動をしてきた人物でもあるが、ブーンはシートンよりも22年遅く生まれ

ながらも、二人はアメリカ先住民が白人より劣った消えゆく民族であるとの目が支配していた

時代に生きていた。



ブーンもこの本の中でアメリカ先住民やアラブ系の遊牧民ベドウィン族との触れ合いから教えら

れたことを紹介しているが、二人は「沈黙のことば」「沈黙」の真の姿を垣間見た数少ない白人

だったのかも知れない。また二人は出会ったことはないかも知れないが、互いの存在に気づい

ていた可能性はあるのではと思う。



ただ、シートンが自分とは反対の証言を紹介しながら観察事実を基に博物学者・科学者として

の冷徹な視点を保ちながらも、動物に対する畏敬の念を抱いていたのに対し、ブーンの「動物

はすべてを知っている」はこの視点があまり感じらない。



別な言い方が可能なら、シートンが人間と動物の種に横たわる断崖を受け入れるの対し、ブー

ンはその断崖を埋めようとする、或いはその断崖を跳躍しようとする姿勢を感じたのも事実で

ある。



フランスの哲学者であり戦士、神秘家であったシモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943)は「重力と恩寵」

の中で次のように記している。



「純粋に愛することは、へだたりへの同意である。自分と、愛するものとのあいだにあるへだたり

を何より尊重することである。」



私自身この言葉の意味を真に理解したものではないので偉そうなことは言えないが、種と種の

間に横たわる断崖、その隔たり、これは人間同士の間、人間と創造主との間にも横たわって

いるものものかも知れない。



アレン・ブーンが訴えかけているような、実際に動物や昆虫と沈黙を通して意志の完全な疎通

を、私は経験したことはない。



ただ私自身が経験したことがないと言って全て否定することは傲慢であるし、私が経験したこと

がない、或いは私が気づいていない何かが、この世界に横たわっているのだろう。



それは世界の先住民の文献を読んでいて常にそう思うし、「沈黙」が語りかけるものを先住民に

限らずキリスト教や仏教でも重視してきた。



写真のストロングハートの目を見ると、人間界のブッダ、キリストのような光が犬の世界でも僅か

なものに現われ、その光を目の前にして初めて、アレン・ブーンはそれが多くの動物の中にも

宿っていることに気づいたのだろうか。



「私も裸にならなければ、動物たちは心を開かないわ」、これは象、ライオンや豹などの多くの

動物といとも簡単に心を通わせることができたアフリカで育まれた少女ティッピの言葉である。

しかし、アフリカからヨーロッパに戻ったティッピは、この不思議な能力が少しずつ消えていく

のを感じた。



本書で語られている内容の真偽、アレン・ブーンが亡くなって50年近く経った今となっては、

もうわからないかも知れない。



最後に今から100年以上前に書かれた「シートン動物誌」の中から、オオカミに関するシートン

の想いを引用します。イヌはオオカミが飼い馴らされて家畜化したものと考えられていますの

で本書とも関係があるかと思います。長い間オオカミは誤ったとらえ方が横行し、人間の手に

よってニホンオオカミも100年以上前に絶滅しました。今、このオオカミを森の再生のため山

に放そうとする運動が世界中で起きていますが、私自身この問題をもっと勉強していつか書く

ことが出来ればと願っています。



☆☆☆☆



オオカミの真実の姿を描き出す「シートン動物誌2 オオカミの騎士道」紀伊国屋書店より以下引用



この章で私は、オオカミの勇敢さ、騎士道精神、強さ、遊び好きな性格、忠誠心、獰猛さ、親し

みやすさ、思いやり、英雄的な態度、それにやさしさなどについて、さまざまな証拠をあげな

がら論じてきた。



悪意に満ちた人間社会のうわさ話に終止符を打ち、この動物の誠実で勇敢な姿を読者に示

したいというのが、私の願いだった。



私はまるでごみ箱を引っかきまわし、なかからほんのひとかけらの金片を見つけ出そうとする

かのように、猟師たちから根堀り葉堀り聞き出し、小さな真実のかけらを見つけ、つなぎあわ

せようとしてきた。



そうしたなかから読者に、この野生動物の本当の姿、本当の生活を少しでも察知してもらう

ことができただろうか。



こうして山と積んだすべての証拠を見て、望むならさらに手に入れることのできる大量の証拠

があること、それに「ロボ・・・カランポーの王様」の物語(基本的に事実にもとづいている)に

書かれたことを思い起こしていただければ、わかってもらえるのではないだろうか。



私がオオカミを心の底から愛していること、そして、私がオオカミこそは真の高潔さ、すなわち、

輝かしい動物界の英雄にふさわしい性格のもち主だと信じて疑わないことを。



☆☆☆☆





 


2013年8月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




関東地方は梅雨が明けたのですが、夜明けの時間帯に関しては7月中旬から雲に覆われた日が

続いています。しばらく夜明けの写真は投稿できないかも知れませんが、ご了承ください。



上の映像は、野生のコアラが民家に遊びにくるものを撮ったもののようです。本当に可愛いですね。



この映像を見ながら、100年前に絶滅したと言われる「日本オオカミ」が、今でもこの日本のどこか

で生きていて欲しいと願い、また出会いたいと思っていました。



「赤頭巾ちゃん」などで悪者にされることが多いオオカミ。しかし1995年以降、アメリカのイエロー

ストーン国立公園では森にオオカミを放つ試みをしておりますが、人を襲ったことはなく、逆に森の

生態系の回復に役立っていると聞いています。



近くの丹沢山系の森林は、増え続けている野生の鹿の食害により森が死につつあります。以前、

この山奥で何度か星空観望したのですが、必ずと言っていいほど近くで鹿の足音が聞こえてき

ます。



日本の古い記録ではオオカミが人を襲った報告が残されていますが、オオカミが人を襲うのは

狂犬病にかかったオオカミ、餌付けなどで人を恐れなくなったオオカミ(決して餌付けをして人に

慣れさせてはいけない)、子育て中に突如餌動物を失ったオオカミ(インドで起こった事件で、

村人がガゼルなどの過剰な狩猟により、子育て中のオオカミが自然餌を失った)に限られて

います。ちなみに狂犬病に関しては日本では50年前に撲滅されているそうです。



「一般社団法人 日本オオカミ協会」のサイトでは、「1990年代以降、フランス、スイス、ドイツなど

ヨーロッパ各地でオオカミが復活し、生息地を拡大しています。このため、ヒツジやヤギなどの

放牧家畜に被害が出ていますが、人身害は発生していません。」と書かれています。



今から100年前のオオカミへの偏見が満ちていた時代。あらゆる先入観を持たず、ありのまま

のオオカミの姿を記録したシートンの言葉を抜粋紹介します。以前の投稿にもこの言葉を書い

たのですが、シートンの偉大さを改めて感じさせると共に、日本でもオオカミを森に放つことへ

の議論が真剣になされることを願っています。



☆☆☆☆



この章で私は、オオカミの勇敢さ、騎士道精神、強さ、遊び好きな性格、忠誠心、獰猛さ、親しみ

やすさ、思いやり、英雄的な態度、それにやさしさなどについて、さまざまな証拠をあげながら

論じてきた。



悪意に満ちた人間社会のうわさ話に終止符を打ち、この動物の誠実で勇敢な姿を読者に示し

たいというのが、私の願いだった。



私はまるでごみ箱を引っかきまわし、なかからほんのひとかけらの金片を見つけ出そうとするか

のように、猟師たちから根堀り葉堀り聞き出し、小さな真実のかけらを見つけ、つなぎあわせよう

としてきた。



そうしたなかから読者に、この野生動物の本当の姿、本当の生活を少しでも察知してもらうことが

できただろうか。



こうして山と積んだすべての証拠を見て、望むならさらに手に入れることのできる大量の証拠が

あること、それに「ロボ・・・カランポーの王様」の物語(基本的に事実にもとづいている)に書かれ

たことを思い起こしていただければ、わかってもらえるのではないだろうか。



私がオオカミを心の底から愛していること、そして、私がオオカミこそは真の高潔さ、すなわち、

輝かしい動物界の英雄にふさわしい性格のもち主だと信じて疑わないことを。



「シートン動物誌2 オオカミの騎士道」紀伊国屋書店より抜粋引用



☆☆☆☆









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