Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
1997.5.18
真の文明とは
私たち文明人と呼ばれる多くの人々は、「快適な生活」を求めて数多くの発明をし、 またその恩恵に与かってきた。それが人類にとって有益なものであり、必然な道だと 信じて疑わなかった。しかし極端なまでの物質主義が横行し、持つ者と持たない者が 生まれ貧富の差はこの地球上を覆った。人々は「持つ」ことに囚われ、飽くなき飽食を 繰り返す。自分自身の「快適な生活」のため、どれだけ多くの動植物が地上から消え 失せたか。地球は人間というガン細胞にその体を蝕まれてしまった。そしてそのガン 細胞から発せられる異様な悪臭が、人間自身に降りかかってくることを理解していな がら、私たち人間は飽食の宴を止めようとはしない。自分が現在生きている時代のこ としか関心がないのかも知れない。アメリカ・インディアンの人たちが常に七世代先の 子孫のことを考えて行動したことから比較すると、文明人というのはなんと目先のこと しか考えることができない醜い生命体なのだろう。私は「快適な生活」を追い求める こと自体を否定しているのではない。自分自身が物質的に豊かになればなるほど、 「持つ」ことに囚われ、日々の感謝は消え、如何にして自分の財産を守ることしか脳裏 に浮かばない精神的危機が蔓延し増大することを言いたいのだ。この危機を明確に 意識の、そして無意識のレベルにまで悟った人間は数少ない。アメリカ・インディアン たちは本能的にこれを感じ取っていた。文明人と呼ばれる人々が彼ら先住民族に対 して言ったところの「野蛮人」は、まさに文明人そのものの本質を表わす言葉であっ たと言えるのではないだろうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
熟したヤシは、自然に葉を落とし実を落とす。パパラギ(白人)は、葉も実も落とす まいとするヤシの木のように生きている。「これはおれのものだ! 取っちゃいけな い!」どうすれば、ヤシは新しい実を結ぶか。ヤシはパパラギよりずっとかしこい。 「パパラギ」より引用
これと対照的に、インディアンについては、アメリカ人は本能的に、ある「おそれ」 を持ち続けて今日に至っている。それは、自分達の幸福論と本質的に対峙する幸 福論によって生き、しかも自分達よりもあるいは幸せであったかもしれない人達を、 まず力によってみじめな状態に追込み、そして殺してしまったらしいという不安で あった。ここで幸福論を神といいかえてもよいかもしれぬ。白人たちが物の所有に よって幸福を求めるとき、彼等はわかち合うことをよろこびとし、白人たちが隣人と 競い、それに優越することによって幸福を求めるとき、彼等は自己にうちかつこと によって自らと他の自由を確保し、白人たちが大地を凌辱してその富を強奪すると き、彼等はそれを大いなる母と慕った。インディアン達のあらゆる愚昧さは、白人た ちの競って利用するところであった。その愚昧さによって白人たちは莫大な利益を 手に入れた。しかし、同時に、そのインディアンの愚昧さのかげに、初々しい精神 の高貴としかいいようのないものを、白人たちはたしかに垣間見たのである。 「アメリカ・インディアン悲史」より引用
「快適な生活」を追い求めることによる精神的危機を多くの人が自覚していれば、私たちの 文明は違う形のものになっていたかもしれない。私にはそれがどのようなものなものか想像 することさえ出来ない。ただ自分自身は多くの命により生かされているという現実を、思弁 的な頭で理解するのでなく、肌を通して、日常の現実を通して、心に植え付けられていたな ら、私たちの文明は精神的な高貴さを保ち続けながら成長していけたのだろうと思う。現代 の傲慢さに裏打ちされた文明ではなく、謙虚な自尊心をもった文明を、そして深い沈黙の中 から出でる感謝と歓喜が、人間と人間以外の生命への架け橋となり、祈りへと導く文明を。
デニス・バンクスの言葉、イロコワの「祈り」を読んで頂けたらと思います。 私自身も傲慢な人間であり、弱い人間であります。多くの人と同様、日々 感謝を忘れることがある人間です。その意味で私はまだまだ大地に根をお ろしている存在とはいえないのでしょう。・・・・・・・・・・・・・・
最後に「動物記」で有名なアーネスト・シートンが70年前に書いた言葉を紹介します。
冒頭で私はホワイトマンの文明は失敗と決めつけたが、では、文明というものは 何を尺度としてその価値を評価すべきなのであろうか。それをいくつか思いつく ままに列記してみよう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1 隣人の権利を侵害しないかぎり自分の権利を行使する完全な自由を保障してくれ ているかどうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2 最大多数の最大福祉へ向けて機能しているかどうか。・・・・・・・・・・・・
3 法廷における公正と街角における小さい親切を特色として誇れるかどうか。・・
4 市民の苦しみと窮乏を和らげることに最大の努力がなされているかどうか。・・
5 人間本来の力を発揮させ、人間本来の権利を認めているかどうか。・・・・・・
6 信仰の自由を本当に認めているかどうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・
7 衣、食、住、それに人間としての尊厳を保証してくれているかどうか。・・・・
8 一票を投ずる権利と同時に、一人の人間としての個性を発揮する場を与えてくれ くれているかどうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
9 各自の勤勉が生み出すものが生かされるようなシステムになっているかどうか。
10 ”物的なもの”がはかない存在であり、”霊的なもの”こそ永続性のある価値を 有するという事実を認識しているかどうか。・・・・・・・・・・・・・・
11 強権的な公正よりも”思いやり”の方に重点が置かれているかどうか。・・・・
12 一個の人間が必要以上の物的財産を所有することを戒めているかどうか。・・・
13 病人、障害者、身寄りのない人、新米の人に対する施策は万全かどうか。・・・
14 ”家族”という自然発生的な集団を大切にしているかどうか。・・・・・・・・
15 人間の第一の義務は一個の成人として完成させることであること---それは、一個 の人間を形成している身体のあらゆる機能と生命力と精神とを調和よく発揮 できるようになることであり、最終的にはそれを同胞のために活用することで あることを、現体制は基本的理念として認め、かつ促進しているかどうか。
私が見るかぎり、以上のどれ一つを取り上げても、白人の文明は落第である。 インディアンが所有していた同じ大地において、あれほどの食糧を生産し、あれ ほどの富を生み出し、ありとあらゆる原料を有し、労働力もあり、働く意欲もあ りながら、白人文明はなぜ挫折したのか---それだけの好条件を有効に、統合的 にまとめる上で障害となるものが、どこかにあるはずである。今の西欧的物質文 明では、一人の億万長者が出る一方で億の単位の貧困者を生み出すばかりであ る。そんな荒廃のもとでは幸福はあり得ない。世界史に類を見ない勇壮な民族だ ったレッドマン、肉体的にも完ぺきの域を極めていたレッドマン、最も霊性豊か な文明を生み出したレッドマン---このレッドマンになり代わって私は、古き良き 時代からのメッセージをお届けした次第である。遅きに失したとはいえ、この メッセージが心あるホワイトマンに慙愧の念を覚えさせ、現文明を完全な破滅か ら救う手立てを考えねばという気持ちにさせる機縁となれば幸いである。・・ それは、人類にもまだ救いの道が残されていることを意味するものであろう。
「レッドマンのこころ」 シートン著 近藤千雄 訳 北沢図書出版 より引用
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