「ネアンデルタール人の首飾り」 フアン・ルイス・アルスアガ著 

藤野邦夫・訳 岩城正夫・監修 新評論










本書・プロローグより抜粋引用



しかし、私は読者に正直でありたい。科学者としてのわれわれがネアンデルタール人の絶滅した

時代を少しずつ明らかにしても、どのようにして、どんな理由で絶滅したかという問題はいまだに

わかっていない。出来事がおきた状況は相反する解釈を許すので、科学が袋小路におちいった

位置から仮説を前進させざるをえない。わたしは本書で自分の見方を説明しよう。この謎に直面

したとき、手がかりになるのは理由ではなく直感だから、読者が望めばべつの結論を引きだせる

余地がある。



いずれにしてもネアンデルタール人が本書の中心人物になるのは、われわれの祖先だからでな

く、まさに祖先でないからである。何十億年前に出現した最初の生物と現代人を結ぶ長い連鎖の

ひとつを研究してみても、たいした意義はないだろう。それに反してネアンデルタール人は、数万

年ものあいだヨーロッパで、われわれの種と無関係に進化した類似の人類の代表である。ネアン

デルタール人はわれわれが自分の姿を見つめ、その結果、より以上に自分を知るための驚くべ

き鏡になる。



 


第7章 毒いりの贈り物 より抜粋引用



人類がシマ・デ・ロス・ウエソスに住みつくまでに、脳容量は格段に大きくなった。その結果、より

高いレベルの知的能力と意識の広がりに大きな進展が見られるようになり、意識は拡大しつづけ

る活動範囲の支えになった。意識は目前の制限を打破し、未来に向けて舵を切ったのである。

人類は自然界の出来事を予測し、ほかの人類の行動を事前に読みとれるようになった。そして

そのとき、「あること」がおきたのだ。それは思考の最初の大きな成果としてのセンセーショナルな

発見であり、それがほかのすべての発見の発端になった。われわれはある瞬間を避けることは

できないし、それが実在する瞬間を避けることもできない。ヒト科はだれもが例外なく死ぬ運命に

あることを理解したのである。死は生物学的な目前の脅威でなく、すべてのものの宿命だった。人

類以外の地球上のすべての生物は、そのことに気づかなかったのだ。



この思考は以下のように要約される基本的論理に関係する。つまり他人の死を避けることはでき

ないし、自分は他人と違わないのだから、自分もまたいつかは死ぬだろうという論理である。この

ためにはもちろん自分と他人を区別しなければならない。そしてそれこそエルガスターと、たぶん

アウストラロピテクスももっていたと認められそうな能力である。われわれはこの確信が生まれた

正確な瞬間を知ることはできないし、死の避けがたい性格を自覚した最初の人類を特定すること

もできない。いずれにしても40万年前から35万年前にアタプエルカ山地に住みついた人類の精神

に、すでにこの意識があったことはたしかである。皮肉なことに4億5000万年以上の進化の歴史で

異例に知的な生物がつくりだされ、その生物が生涯とは死に向かう秒読みであることを自覚した

のだった。旧約聖書の外典(「集会の書」または「ベン・シラの知恵」1.18)には「多くの知恵をもつ

ものには多くの悩みがあり、知識を高めるものは苦悩を深める」と書かれている。つまり、すぐれ

た知的能力は毒いりの贈り物だったのである。



本物の人間らしさが死の自覚と、どんな方法を使っても死を逃れることはできないという確信から

はじまったと主張した思想家は、フェルナンド・サバテール(1947〜、スペインの哲学者)だけでは

なかった。それがあたっていれば、40万年前から35万年前にブルゴス周辺で暮らした個体群は、

当然のことながら、われわれのように死を自覚した集団の一員だったことになる。しかし、われわ

れは死についての知識をもつにいたった過度の自覚があったはじめて生きることを理解し、この

視点から生も自覚した。フェルナンド・サバテールは死に気づいた先史時代の人類の最初の反応

が、自分を飾りたてて美化することだったと主張した。悲劇的な最後を自覚し、なおも生きる喜び

を表現する極度の歓喜のシンボルで身を飾り、自分を表現しなければならなかったというのである。

この考えはレバノン生まれの作家アミン・マアルーフの小説『レオ・アフリカヌス』の登場人物のこと

ばに呼応する。



「死が避けがたいものでなければ、人間は死を避けようとして全生命を使いつくしたことだろう。

なにひとつ危険にさらさず、試みようとも計画しようとも考えだそうともしないで、なにひとつ創造

しなかっただろう。人生は永続的な回復期の保養所となっていただろう」



のちにこの基本的確信の芸術的表現に役だつ、象徴表現と神話の領域にふれるつもりである。

しかしいまは、もうひとつべつの問題に問題にとり組むことにしよう。それは生の最後に待つもの

を知った人類の寿命は、どれくらいだったかという問題である。








本書・エピローグ 家畜化された人間 より抜粋引用



はじめに700万年前から600万年前のあいだに、われわれとチンプに共通する祖先のサルがいた。

それはアフリカの熱帯雨林に住んでいた。サルが社会面を中心とする意識に到達するには、わず

かなものが不足していた。そのあとヒト科があらわれ、チンプの祖先とともに熱帯アフリカのさまざま

な地点に四散した。



森林はずっと存在したが、ヒト科が気候と生態系の変化につれて乾燥の度を強める環境に適応す

るようになったのに、チンプの祖先は湿度の高い森林を離れなかった。ヒト科のなかには400万前

にすでに二足歩行になったものがいたが、生活はまだ森林に結びついていて。かれらの食物のほ

とんどは植物質だった。ここで「ほとんど」といったのは、昆虫と、機会があれば小型の哺乳類も食

べていたからである。



進化は250万年前に、ホモ・ハビリスという新種のヒト科をつくりだした。ハビリスはより大きな脳を

もち、石と石を打ちつけて石刃を手に入れることができた。この石刃には、肉を切るという大切な

役割があった。そのころ食性に非常に大きな変化がおきて、このためニッチに影響がおよんだ。



地質学的に見ればただちに、じつに新しいヒト科のホモ・エルガスターが出現した。かれらの脳は

現在までに知られるチンプより大きく、成長はより遅かった。エルガスターは頑強な体格をもち、身

体比率はわれわれにかなり似ていたが、とくに体力があった。この種は標準的な道具をつくり、記

号を使って交信し、少なくとも感情の身体的・音声的表現をマスターすることができた。感情表現は

精神状態の単純な指標にとどまらず本物の記号となり、成員はこの記号を使って望ましい情報を

思いのままに伝達した。つまり言語の基礎的形式をもち、学習期間はかなり長かったので、かれら

はチンプの認識能力を大きくこえることができた。



これらのヒト科、より性格にいえばエルガスターという人間の種は、周囲に社会的・文化的環境を

つくりはじめ、そのおかげで物理的環境に対抗する確実な独立性を獲得した。そして、こうした自立

性が高まったので個体群は発展することができた。つまり、かれらは150万年以上前にユーラシア

の全域に広がり、赤道から遠く離れた高緯度の気候と生態的な生涯を乗りこえることができたのだ。

当時のべつのヒト科のパラントロプスはアフリカという敷居をこえることができず、この壮挙に成功し

なかった。



アフリカをでた人類に幸運が訪れたので、かれらはアジアとヨーロッパに住みつくことに成功し、そ

のあと50万年前にドイツとイギリスの寒冷な土地にも到達した。この時代のはるか以前に、べつの

人類がイベリア半島の東端と、中国やジャワ島のような東アジアについていた。ホモ・エレクトゥス

と呼ばれる最古の化石がジャワ島で発見されており、それらとアフリカのエルガスターとのあいだに

大差はない。



ヨーロッパでは人類は切り離されて進化し、ネアンデルタール人という土着の人類が誕生した。つ

ねに頑丈だったかれらは、ヨーロッパの気候に生理的にたくみに適応した。ネアンデルタール人は

大きな脳をコミュニケーションや、手のこんだ道具の作成や、火をつけたり自在に使いこなしたり

することに使用した。かれらは季節的な周期性を強い特徴とする、霊長類の生存にはほとんど適さ

ないヨーロッパの生態系に特有の問題を解決することができた。



ネアンデルタール人はヨーロッパで進化したが、現代人のほうはアフリカで進化した。しかし3万年

前という時代には、われわれの祖先とネアンデルタール人は、身体的にも行動面でもそんなに違っ

ていなかった。両種のはっきりと異なる進化がおきたのは比較的最近のことであり、その時代に脳

の第二次の重要な増大がおきた。以上の現象はヨーロッパとアフリカで別々におきたので、結果は

おなじではなかったのだ。



われわれがもっとも良く知る結果は、いまも目に見えるかたちでのこっている現代人という種に関係

する。この過程のもっとも驚くべき成果は分節言語であり、記号を操作し、ストーリーを語り、想像の

世界をつくりだすわれわれの独特の能力は分節言語にもとづいている。われわれの特殊性は創造

力にあり、それはヨーロッパの枝でなくアフリカの枝に出現した。ネアンデルタール人は認識能力と

交信能力の面で、シマ・デ・ロス・ウエソスの人類より大きく進化したが、われわれのように情報を伝

達する革新的なシステムを発展することができなかった。


 



本書 解説 監修者・岩城正夫 より抜粋引用


優れた文化の担い手だったネアンデルタール人(この本の著者は「首飾り」という言葉によってその

ことを象徴的に示した)は、ホモ・サピエンスとの出会い、併存の結果として最終的に絶滅に至った

ことを具体的に示したかったのだと思う。



この本を読んで私は、現代の地球上における人類の驚異的繁栄と、世界各地で絶滅の危機にさら

されている人類以外の動物たちの運命を重ね合わせて考えざるをえなかった。他の動物たちが次々

と絶滅していくなか、このままホモ・サピエンスだけが繁栄を続けることが果して可能なのか? とい

う問題だ。題がわれわれに迫ってはいるが、そうしたこととは別の次元において、人類と他の生物た

ちとの相互関係を根本から問いなおすべきときではないのか?



またさらに現代において、衣食住の問題は確かに先史時代に比べたら驚くほど進歩していると言え

るかもしれない。とくに一部先進国といわれるところでは、有り余るほどの物量で満たされてはいる。

が同時にそこに生活する人達のあいだでは精神的ストレスが年々増加しつつある。それはやがて

限界に達することにはならないのか?



ネアンデルタール人に対比するなら、たしかに現生人類であるわれわれは抽象的思考力により優

れ、想像力により優れ、豊富な諸芸術になれ親しんでいる。そのより優れた抽象的思考力・想像力

はさまざまな観念世界をも創造し、世界に張りめぐされた情報伝達の網の目を通して交信し交流し、

とくに若者たちの心に重大な影響をあたえつづけている。それはまたわれわれの精神的ストレスを

強化・増幅することに大きく加担していると思われる。いま先進諸国の人々のあいだでの精神的な

「病」の増加はとどまるところを知らないとさえいわれる。そこにおいて人類の真の幸福とはいったい

何なのか、再検討せざるをえないときが来ているのではなかろうか。



この本が、われわれ人類の未来を根本的に考えるための参考になればと願う。




美に共鳴しあう生命






2012年8月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



過ちと回心



回心すること、新しく生まれ変わること、その真の意味を私は本当に理解できているの

だろうか。



私たちは先住民に対して、太古の時代から自然と環境に調和する人々と捉えているが、

1万3000年前のアメリカ大陸では現代の私たちがしてきたことと同じように、乱獲などで

31属の大型草食動物が絶滅されたと言われている。



これはアメリカ先住民に限らず、オーストラリアのアボリジニ(最近の研究で明らかに

なりつつある)など世界各地に共通することかも知れない。



過去と現代、同じ過ちを犯していたとしても、彼ら先住民と私たち現代人の決定的な

違いは、過去から学んだ「知の遺産の継承」(国立科学博物館の海部陽介氏が提唱し

ている進化の仮説)、この場合は「回心の継承」とも言うべきものがあるかどうかなの

かも知れない。



先住民は、過去の過ちから学んだ教訓、それが回心となって魂に刻まれたが故に、

1万年以上も渡って世代から世代へと受け継がれてきたのではないだろうか。



私たち現代人は、動植物の絶滅と共に戦争など多くの悲劇を目の当たりにしてきた

が、果してそこから得られた、揺らぐことのない教訓が1万年先の人類にまで共有さ

れたものになっていくのだろうか。またそこに回心と呼べるものが存在しているのだ

ろうか。



ホモ・サピエンス(現生人類)は1万3000年前に一時陸続きになったベーリング海峡

を渡ってアメリカ大陸に来たとされているが、アメリカ先住民の多くはそれを否定し、

「自分たちは天地創造の時に亀の島(アメリカ大陸)に置かれた」と主張している。



ミトコンドリアなどの遺伝子解析から見れば在り得ないことだが、真に回心し、新しく

生まれ変わったことを体感した人ならば「今、私たちは生まれ変わり、そして今、私

たちはここに立つ」と言えるのだと思う。



この回心、それはシャーマニズムアニミズムとも関わってくるが、私自身はシャー

マニズム・アニミズムは1万3000年前より遥か太古の時代に生まれたと思っている

し、その背景にはネアンデルタール人などの旧人と言われた人の存在があったの

ではと感じている。細々と、しかし脈々と受け継がれてきた精神が1万3000年前に

多くの人々に共有され花開いたのかも知れない。



話はそれてしまったが、回心、1万3000年前の現生人類が体感したこと、それは私

が想像するより遥か高い次元での回心であったと感じてならないし、次の世代へ

継承させるために、私たちはこの回心の真の意味を心に感じることから始めなけ

ればいけないのかも知れない。



(K.K)



 

 

2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)



 

2012年6月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

氷河期の記憶(写真は岩田山公園にて撮影)



太陽の魂、暖かさを地上にもたらす鳥の伝説は2月5日に投稿した「ワタリガラスの伝説」があるが、

寒冷地に住む民族ほどこのような伝説を産みだしやすいのかも知れない。



このような伝説は、7万年前から1万年までの最終氷期を生き抜いた人類が子孫に伝える教訓とし

て伝説や神話の中に生きている。



自身の「死の自覚」から神(創造主)との接点、それが神話の誕生に繋がったのかも知れないし、

それらはほぼ同時期に産まれたのかも知れない。



世界屈指の古人類学者のフアン・ルイス・アルスアガは、「死の自覚」が今から40万〜35万年前の

ヒト族に芽生えたと言っているが、それは我々の祖先と言われてきたミトコンドリア・イブ(約16万年

前)よりも遥かに古い時代である。



エレクトゥス(100万〜5万年前)、ハイデルベルゲンシス(60万〜25万年前)、ネアンデルターレンシス

(35万〜3万年前)のヒト族は既にこの世界から絶滅しているが、もし彼らに「死の自覚」、神との接点、

神話があったとしたら、それはどのようなものだったのだろう。



そして現生人類(我々)の最古の宗教であるシャーマニズム、そして現存する多くの宗教はどのよう

に関わっているのだろう。



2010年に現生人類(我々)の遺伝子にはミトコンドリア・イブだけでなくネアンデルターレンシス(ネア

ンデルタール人)の遺伝子がある可能性が指摘されたが、今後の遺伝子研究や発掘により、彼らの

真実が明らかになってくることだろう。



ただどんなに過去や未来に想いを馳せようが、我々は今この瞬間を生きていることだけは確かな

ことかも知れない。



過去未来に関わらず、すべての生命がそうであった(ある)ように。




(K.K)



 


2012年1月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



写真は、デニソワ人(Denisova hominin)を想像したもの。

2008年、シャーマニズムの発祥の地ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟において発見される。



☆概要(ウィキペデリアより要約)



デニソワ人の化石は約4万1千年前のものとされる。80万4千年前に現生人類であるホモ・サピエンス

の共通祖先から、ネアンデルタール人・デニソワ人の祖先が分岐。64万年前(35万年前の説もある)

にネアンデルタール人から分岐した人類で、現在のメラネシア人のゲノム(遺伝情報)の4〜6%が

デニソワ人固有のものと一致している。



つまり、40万〜30万年前にアフリカを出、中東を経てヨーロッパに拡がった集団がネアンデルタール

人に、中東を経てアジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になった。それに遅れて6万〜5万年前

にアフリカを出た我々現生人類の祖先は、中東やアジア内陸部で先住者のネアンデルタール人や

デニソワ人と交雑しながら全世界に拡がり、現在に至った。



☆個人的感想



最初に書いたシャーマニズムの発祥の地と言われるロシア・アルタイ地方は、デニソワ人が約4万年

前まで生きていました。



実は不思議な文献があります。それは「ベロボディアの輪 シベリア・シャーマンの智慧」オルガ・カリ

ティディ著です。私にはこの文献の信憑性を確かめる術もないのですが、デニソワ人の存在が明確

になったのは2008年、この文献が出版されたのがそれより10年以上も前のことです。ただ以前から

このアルタイ地方はシャーマニズム発祥の地として知られていましたのでそれを加味しながら、この

文献の引用をお読みいただけたらと思います。正直私自身これをどのように解釈していいかまだわ

からないのです。



「以来、多くの集団がシベリアに彷徨いこみ、消滅した文明の神秘的なパワーに影響された。アルタ

イ地域は新しい文化誕生の沸騰する大釜となった。人々の流れがそこから分離し、多くの異なった

方向へと遠くまで広がっていったのだ。その流れの一つが現代のイランの領域へと辿りつき、そこで、

かれらが携えていった聖なる知識がゾロアスター教として誕生した。後にこれと同じな流れがその知

識の多くをキリスト教へと伝えた。別の流れは現在のインドやパキスタンへと移住し、その地での社会

の確立がヴェーダーンダの伝統の富を生み出した。最初の知識の場にシャンバラの名前を与えた

タントラ仏教は何世紀にも亘って、その知識と直接的な交流を果たした。西に赴いた人々は、ケルト

人として知られるようになり、ドルイド教の儀式を通して、共通の源に結びつけられた。このように、

アルタイに発するこの古代文明の神秘的遺産は世界中の多くの偉大な宗教の最初の源泉となった

のだ。これらのさまざまな伝統の内部には、それぞれベロボディアと直接触れたことのある人間が

つねに存在していた。」

引用終わり



先にも書きましたが、現在のメラネシア人のゲノムの4〜6%がデニソワ人固有のものと一致していま

すが、人種的にはオーストラロイドと混血したモンゴロイド系の民族です。東部のメラネシア人社会で

は超自然力(マナ)を信仰しており、すべて形あるものに精霊が宿ると信じられていましたが、ハワイ

先住民のカフナにも超自然力(マナ)が存在します。詳しくは最近の自己啓発ブームの中で突然現れ

てきた簡略版の「ホ・オポノポノ」ではなく、「原典 ホ・オポノポノ 癒しの秘法」マックス・F・ロング著を

お読みいただけたらと思います。



デニソワ人はネアンデルタール人から分岐したらしいですが、シャーマニズムと密接な関係と言いま

すか、シャーマニズムはデニソワ人から世界に広まったと思うのが妥当ではないかと感じています。

前に投稿したネアンデルタール人もそれに似た世界観を持っていたと推察していいのではと思いま

す。64万年〜35万年前に既に人類は、ロジャー・ウォルシュが「シャーマニズムの精神人類学」で言

うように、「この人類最古の宗教的・神秘的・医学的・心理学的伝統に関しては、まだまだ多くの謎が

残されている。シャーマニズムについて探求すればするほど、人間の体、心、魂について認知されて

いない側面や可能性があることがわかる。何千年もの長きにわたり、シャーマニズムの精神は、人類

を助け、癒し、導いてきた。それはこれからも、さらなるものを与えてくれるかもしれない」と感じてなり

ません。 



発掘などで得られた情報を基に太古の世界をいろいろ想像してしまいます。

次回は「ホピの予言」に戻りますが、整理したいのでしばらく時間をください。



(K.K)



参考文献

「アナザー人類興亡史 人間になれずに消滅した傍系人類の系譜」

「生物の進化 大図鑑」マイケル・J・ベントン他(監修)

「日本人はるかな旅 展」国立科学博物館 NHK



 


2012年1月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



写真は、DNA情報に基づき復元されたネアンデルタール人の女性です。

「存在を否定する人と存在を受け入れる人、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人」という題で

投稿します。



最初に今までわかっているネアンデルタール人に関する共有されている説の紹介と、それを根

拠にした私の妄想・暴論が続きます。



☆現在共有されている説



●約20万年前(ミトコンドリア・イブとほぼ同時期)に出現し、2万数千年前に絶滅した。

●ネアンデルタール人の脳容量は現生人類より大きく、現生人類と比較しても遜色のない知能

を有していた可能性がある。

●外見上では現生人類(ホモ・サピエンス)より顔が大きく、特に上顔部が前方に突出した突顎

であるが、写真で見てもわかるように大きな違いはない。

●何故絶滅したのか、はっきり特定は出来ていない。

●ネアンデルタール人の遺骨の近くには数種類の花粉があり、これは死者を悼む心があり、

副葬品として花を添える習慣があったと主張する人もいる。

●ヨーロッパの洞窟で発見されたフルート(人類最古の楽器)は年代的にネアンデルタール人

が作ったと主張する人もいる。

●2010年、現生人類には絶滅したネアンデルタール人の遺伝子が1-4%混入しているとの研

究結果が発表された。つまり単一起源説(ミトコンドリア・イブ)への疑問が浮上。



☆私の仮説(妄想・暴論)から先に書きます。



「ネアンデルタール人は今の先住民の特質(存在を受け入れる人)の原形であり、自然と共生

する世界観を有していた。また「人を殺すための武器を持ってはならない」ことを何らかの理由

で実践していた。一方、存在を否定する人(現生人類)は共生する世界観を否定する傾向を

特徴としていた。ネアンデルタール人の絶滅の原因はこの非暴力、並びに現生人類が持ち込

んだ感染症によるものだった。これは虐殺と共に白人が持ち込んだ天然痘などにより、免疫を

持たなかったインディアンの9割が死亡したことと共通する。



外見上、現生人類と大きな差がないネアンデルタール人と現生人類に交配があった可能性は

極めて高く、最近の研究でも裏づけられている。しかし、ネアンデルタール人は上記の理由で

ほぼ絶滅し、交配によって辛うじて現生人類の遺伝子の中にのみ刻まれた。このネアンデル

タール人の遺伝子を何らかの形で意識まで吸い上げたのが先住民族であり、その「存在を受

け入れる」先住民の世界観は世界各地で花開くこととなる。



しかし「存在を否定する」傾向の強い現生人類は自然・他者を支配しようとし、その憎悪の矛

先は自分自身へ向かい社会的・精神的な各種の病を生み出す。その混沌とした状況で生ま

れたのがイエスであり、「存在を否定する」傾向のある世界観を変えようとする。聖書が説く

「隣人愛」と「原罪」の意味はここにある。しかし現生人類は社会の安定のため外見上はキリ

スト教を容認するが、心の本質(原罪)は変わっておらず、2度目のネアンデルタール人への

虐殺(先住民虐殺)へと向かうことになる。



以上この仮説を通して私は、単一起源説(ミトコンドリア・イブ)に異を唱えるものであり、遺伝

子が消失或いは辛うじて残っている「存在を受け入れる」特質を有したネアンデルタール人も

同様に私たちの祖先として位置づけられることを願う。それはこの祖先が、私たちがどのよう

な未来を築くべきかの方向性を与える一つの座標として存在することをも意味しているからで

ある。」



☆後書き(仮説に至る経緯)



ここまで書いて自分が嫌になってきました。私の仮説はネアンデルタール人が善良な人々で

あったと美化しそれを前提としていますが、それを明確に証明するものは発掘されておりま

せんし、先住民という定義も曖昧であり他の宗教の生い立ちも省かれています。私よりも皆

さんの方が妄想と感じておられると思いますが、この妄想に至った出発点が二つあります。

科学的な側面では、ミトコンドリア・イブの子孫たちが、同時代に生きていたネアンデルタール

人などと交配することなく世界を席巻したと考えるのは余りにも不自然だからです。外見上

そう変わらないネアンデルタール人と現生人類に交配があったと考える方が極めて合理的

であり自然です。これはDNA解析技術が進歩していくと共に真実が明らかになってくるのか

も知れません。



精神的な側面では、キリスト教の言う「原罪」と先住民が共有していた「世界は美であり、私

たちは喜ぶために生きている」の大きな世界観の違いです。勿論、その土地の風土によっ

て宗教の形は変わってくるかもしれません。しかし両者には何か根本的な、というか根源的

な違いも感じるときがあります。この二つの疑問を通して、私はその答えを単にネアンデル

タール人に求め、軽薄に出した結論が上のものですが、いつかこの仮説とは異なるものを

見いだすかも知れません。



一人の馬鹿が導き出した妄想と捉えて頂けたら幸いです。またこの文章で不快な思いをさ

せてしまいましたら申し訳ありません。ただ、まだ全体像そして絶滅した原因が不明なネアン

デルタール人に少しでも関心を持っていただけたらと思い投稿しました。



今後の発掘調査によって私の想像とは180度異なったネアンデルタール人の実像が明らか

になる可能性もあると思いますが、どのような発掘であれ死者の魂を傷つけないような態度

で接することを願っています。



(K.K)



参考文献

「アナザー人類興亡史 人間になれずに消滅した傍系人類の系譜」

「生物の進化 大図鑑」マイケル・J・ベントン他(監修)

「日本人はるかな旅 展」国立科学博物館 NHK



 

2013年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(写真は他のサイトより引用)



1991年に刊行された柳澤さんの「意識の進化とDNA」を最近読みました。2004年に生命科学者としての

視点を踏まえながら般若心経に迫った「生きて死ぬ智慧」は注目を集めましたが、土台はその十数年前

に芽生えていたのですね。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者でしたが、その後原因不明の病気で、36年間闘病生活を強いら

れます。生命科学者としての目、そして自殺も考えた心の痛み、この2つが彼女の死生観の根底にある

と思います。



「意識の進化とDNA」は彼女の専門分野の遺伝子に限らず、心理学、哲学、芸術などの底流にある関連

性について、二人の男女の会話を通して小説風に書かれた読みやすい本です。



彼女は言います。「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」と。そして意識の進化は「自己を否定

して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界である」と考えます。



私自身、“悟り”がどのようなものかわかりませんが、彼女の言う意識の進化は、必ずしも生命に多くの美

を宿すことにつながっていないような気がします。



私たち日本人の基層として位置づけられるアイヌの人々、彼らは縄文時代の世界観を受け継いだ人々

でした。果たして昔のアイヌの人々と現代人、どちらが多くの美を宿しているのでしょう。



美、あるいは美を感じる心とは何でしょう。それは、私と他者(物)との「へだたり」への暗黙の、そして完全

な同意から産まれるものと感じますし、「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言うヴェイユ

眼差しに共鳴してしまいます。



動物や植物、太陽や月、天の川と星ぼしたち。



現代の私たちは科学の進歩により、この「へだたり」を狭くしてきました。しかし、その一方で峡谷は逆に深

くなり、底が見えなくなっているのかも知れません。それはこの世界の混沌とした状況によく似ています。



世界屈指の古人類学者のアルスアガは、「死の自覚」が今から40万〜35万年前のヒト族(現生人類では

ありません)に芽生えたと推察していますが、「死」という隔たりを自覚したヒト属にどんな美が宿っていた

のでしょう。



私は星を見るとき、あの星団はネアンデルターレンシスが生きていた時代に船出した光、あの星は大好き

な上杉謙信が生きていた時代、などと時々思い浮かべながら見るのが好きです。



そこで感じるのは、柳澤さんが問いかけている「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己」に近い不思議な

感覚でした。



意識の進化にはいろいろ議論はあるかも知れませんが、柳澤さんの眼差しには宇宙創世からの大きな時

の流れそのものを感じてなりませんでした。




 

2013年6月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



(大きな画像)


バタフライ星雲(惑星状星雲 NGC6302)(写真はNASAより引用)



惑星状星雲は恒星が死の間際に膨張し、ガスを放出する姿のことですが、まるで宇宙空間を羽ばたく

蝶のようですね。



この星雲は「さそり座」の近く、地球から約3800光年離れたところにありますが、この恒星のガスの

放出は、2200年にわたり時速96万キロ以上の速さで広がりつつあるようです。



私たちの太陽も約63億年後に、赤色巨星から惑星状星雲になっていきますが、気が遠くなる未来ですね。



未来で思うのですが、現生人類(今の私たち)の寿命ってどのくらいなのかと考えたことがありました。



と言いますのも、現生人類が進化の最終段階であると断言することは誰もできないと思ったからです。



1万2000年前まで生きていたフロシエンシス(「指輪物語」で登場するホビットに例えられる)は約6万年、

現生人類が出現する前のネアンデルタレンシスは約30万年、ネアンデルタール人と現生人類の最後の

共通祖先ハイデルベルゲンシスは40万年の寿命を持っていました。



私たち現生人類がアフリカで誕生したのは約20万年前と言われていますが、たとえどの地点に現生人類

が置かれていても、私たちは今ここに生きている、ことは揺るぎない事実なのかも知れません。



地球上に生命が誕生して以来、多くの生命がそうであったように。



☆☆☆☆





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