「意識の進化とDNA」柳澤桂子 著 集英社文庫


 







本書 はじめに より引用



私は自分の脚で歩く能力を失って、そのかわりに見知らぬ人の心の中に愛を目覚めさせる力を得た

のである。私の状態がもっと悪くなれば、私はもっと大きな力を持つようになるであろう。



この時、私は瞬間的に気づいた。無限小は無限大であると、理屈ではなく、身体感覚としてそれを感じ

取ったのである。そのことに気づいてみると、無限小が無限大である例がこの世には何と多いことであ

ろうか。欲を捨て、心を無にしていくことによって、そこに何かが満ちてくることにも私は気づいた。それ

は愛であり、勇気であり、力であることを私は実感した。



働くことのできなくなった私には、豊かな時間が与えられた。静かな生活は、私の感性を鋭くした。春の

嵐はこんなにも甘かったのであろうか。花はこんなにも優しい表情をしていたのであろうか。冬の月光は

こんなにも青かったのであろうか。芸術作品の美しさにも、健康であった時には感じられなかった何かを

感じるようになった。そして、その作品を生み出した人々への共感は深まるばかりであった。



人間とは何か。自己とは何か。健康であった頃に得た生命科学の知識と、動けなくなってから見えてき

たせ界の融和を図るべく思索を深めていった。私にとって、研究とは神に語りかけることであったので、

科学知識と精神世界の融合を試みることには何の抵抗も感じなかった。先人たちの書き残したたくさん

の書物にも触れた。



そして、ついに私は「本来の自己」とは、36億年の歴史を背負ったDNAであると考えるに至った。この

想像を絶するような時間の中に私たちは神を見るのではないか。36億年の歴史を持つDNAの発する

強い力と、たかだか数万年の歴史しか持たない自我との間の葛藤に苦しんでいたのが人間ではないか。



神は一人ひとりの心の中にある。そして、本来の自己と自我との葛藤を超えた所に、安らかな美しい

世界がある。これは私が病気という挫折と引き換えに実感として手に入れたものである。



世界は美しい。苦しみは超越できる。人間はすばらしい。生きとし生けるものすべては尊く、中に神を

宿している。芸術も化学も苦悩までもが、きらきらと光り輝く世界に人間の精神は到達することができる

であろう。



このような考えが私の中で大きなうねりとなって渦巻いている時、幸運にも本を書いてみないかという

お話をいただいた。このテーマを、できるだけ多くの方にわかりやすく書くためには、小説というスタイル

を取りたいという、私の大胆な申し出も受け入れていただけた。



小説という形式を選んだ理由はいくつかあるが、その中で一番大きなものは、生命科学や心理学、宗教

という、ややめんどうな話を何とか抵抗なく読んでいただきたいという私の強い願いである。特に生命化学

の分野では研究が分子レベルで進んでおり、その成果は、ますます一般の人々から遠い存在になりつつ

ある。しかし、皆さん一人ひとりのからだの中で、今、この瞬間にも起こっている現象をぜひ知っていただ

きたいし、このような基礎に立って人間というものを理解することが、社会問題一般を考える上でも大切

なことではなかろうか。




 


本書より抜粋引用



「芸術を論理的な思考による認識の上位に置くのですか?」



「そうです」



「ベートーヴェンもいっていますね。“音楽は、一切の智慧、一切の哲学よりもさらに高い啓示である”って。」



「音楽に限らず、すべての芸術がね。人類の認識方法は、一次過程、二次過程、三次過程というふうにふう

に進化すると考えるのです。もう一度、人類の意識の進化を振り返ってみると、生まれたばかりの赤ちゃん

のように、自己と非自己の区別のない時代、非自己が認識されるが、まだ自己との区別があいまいな時代

を経て、現在、僕たちが日常に感じている自我意識の時代が来たのでしょう。自我というのは、自己よりも

さらに成長あるいは進化した倫理観、道徳観などを備えた意識状態と考えてください。ウィルバーは、さらに

意識が進化すると、自我意識を超えて、もう一度自己と非自己のない、一元的な認識に目覚めはじめると

いうのですね。これが芸術にみられるイメージによる認識です。さらに意識が進化すると、意識は完全に

自己を否定して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界であると考えるのです」



「人間の脳で、一番新しく発達してきた連合野という領域が、イメージ記憶を再現する領域であるとすると、

話がうまく合いますね」



「結局、僕たちの感情の根源にあるものは、36億年の生命の歴史すべてですよね。一次過程の思考以前

のものも含まれると思います。それを芸術として表現する時には、他の人の感性にも訴える表現を二次過

程の思考によって考えるわけですが、それは、人間が集合的無意識という共通の精神的基盤をもっている

から可能なわけでしょう」







「それから、チベットとかアンデスとかの高地で、神秘体験を容易にする場所というのがあるらしいんです。

酸素の希薄な所ですよね」



「そういう所へ行くと、神秘体験ができるのですか?」



「そうらしいです。それから、深い悲しみ、苦しみ、難行苦行。強い至高体験をもたらすものを考え合わせて

みると、共通項として強度のストレスというものが浮かび上がってくるでしょう」



「LSDもですか?」



「たいへんな恐怖を味わった時に刺激される神経が、直接に刺激されるのですから、これは強いストレスを

受けた時と同じですね。前に、神経伝達のことをお話した時にいいましたが、ストレスを受けると、視床下部

が刺激されて、副腎皮質ホルモンや快感物質であるエンドルフィンが出るのですね。ストレスを和らげる機構

です。それで、僕は、至高体験、あるいは神秘体験というのは、エンドルフィンのような脳内快感物質と関係

があるのではないかと思っているんです」



「別に神秘ではないわけですね」



「物質的に説明できる時が来ると思いますよ。ただ、強いストレスだけでは、普遍に触れたような感じとか

宇宙との一体感は得られないようですね。三次過程の認識をできる人が、強いストレスを受けた時に、パッ

と眼前が開けるのではないでしょうか」



「やはり、自我を超越する認識方法の訓練が必要なのですね」



「そうでしょうね。いつか、禅宗のお坊さんがお話しておられたことを思い出します。その方は、熱心にお経の

勉強をして、修行に励んでおられたのですが、どうしても悟りが得られない。それで、たいへん悩んでおられ

たようです。ところが、ある日、お寺の裏山の崖の上に咲いている一輪の花をみつけて、それを取ろうとする。

花に手を掛けた途端に足を滑らせ崖から落ちてしまうのです。下がコンクリートの溝になっていたので、そこ

に落ちで、しばらく意識を失っていた。やがて、意識が戻って、目を開けると真っ青な空の中に一輪の椿が

ある。その瞬間にこのお坊さんは、すべてがわかったといわれるのです」



「からだを強く打ったことがストレスになったのですね」



「悟りというのは宗教の問題ですが、こうして考えてくると、宗教は芸術の延長線上にあるように思えます。

現在の科学では実証されていませんが、いずれわかる時が来るでしょう」







「キリストというと、全能の神の代表のように思っていましたが・・・」



「全能といっても、完全に他者中心性であるという意味において全能なのですね。人間は、完全に自己中心性

を捨てることは難しいわけです。絶対に不可能なのだと高橋氏はいい切ります。それを完全に捨てたものが

神であり、愛であるというのです」



「完全な他者中心性が愛である」



「高橋氏はそのように考えておられます。ですから、人間は自己中心性を完全に否定することは不可能である

としても、それを否定した分だけの愛をもつことができるのではないでしょうか」



「そうですねえ」



「人格神としての性格がもっとも強いと思われるキリストの教えでさえ、このような解釈が成り立つんですね。

そして、ボンヘッファーの神学というのが、プロテスタントの新しい流れになりつつあるようです」



「聖書の解釈も時代を反映するのでしょうか」



「言葉は全能ではありませんからね。宗教の初期の形態はアニミズムでしょう。一次過程の認識の時代には

多神論的な思考が優勢なのですが、自我意識が強くなると、一神論的な思考に推移するようです。さらに、

自我が超越されると、人格神が否定されるというように、人間の意識のありかたと神のありかたとは関連が

あるように思えますね。仏教の方に目を向けると、こちらでも自己中心性の否定ということが、いろいろな形で

語られています。たくさんの経典がありますが、その中のひとつである『般若心経』には、大乗仏教の根本

思想である『空』の概念が説かれています」



「『空』というのは、難しいのでしょう?」



「二次過程の認識に固まっていると難しいです。ここに中村元と紀野一義の名訳がありますから、ちょっと読

んでみましょう。『般若心経』そのものが短いのですが、その中から一部だけを読みますよ」



 


本書より抜粋引用



「また記憶ということを考えてみると、完全に遺伝的である本能記憶と、外から情報を取り入れる記憶とは

進化の過程で連続的に変化している。進化するにつれて、外から取り入れる情報量が増えているに過ぎない

のですね。最初は細胞の中のDNAにだけ記されていた記憶が、脳細胞の進化とともに脳に蓄えられるように

なり、さらに文字が発明され、印刷技術やコンピューターの発明によって記憶量は限りなく増加しています。

しかし、我々が下等な生物であった時代の遺伝子をも温存していることを考えると、人間の記憶もまた動物の

脳からの自由ではあり得ないことがわかります。リズムのような例を考えると、生命の誕生の時からDNAに

刻まれたDNAの構造上のリズムと現在私たちが感じるリズムに対する快感とが関連している可能性さえ考え

られるのです」



「遺伝というのは、ある意味ではDNAを通して伝えられる“記憶”なのですね」



「そうです。このように、人間は36億年の歴史を背負って生きている生物ですが、おそらく、この36億年の

歴史をもつDNAによって発せられる力は大変な心的エネルギーとなって私たちにせまってくるでしょう。ユング

は、人類誕生以後の抑圧された意識を無意識と考えましたが、僕は、無意識層というのは36億年の歴史を

もつだろうと思うのです。一人ひとりのもつDNAがその人の“本来の自己”であり、他の人々との共通部分が

集合的無意識ではなかろうか。これが僕の仮説です」



「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」



「人類にも自己と非自己の区別のない、一次過程の認識の時代がありました。やがて、言葉を使うようになる

と、自我意識が目覚める。現在は言葉と論理と自我意識の時代、いいかえれば、二次過程の認識が主流に

なっている時代です。しかし、芸術を心理学的に考えてみると、それは論理性を超越していることがわかりま

す。おそらく、一次過程の思考は、36億年の歴史に突き動かされる強い力を秘めているでしょう。しかし、野生

的で動物的でもある。そこに論理的な二次過程の認識の“篩(ふるい)”をかける、すなわち、一次過程の認識

に客観性と倫理性を与えたところに新しい認識方法である三次過程の認識が生まれると考えられます。それ

は、超言語的な認識方法で、豊かなイメージを想起させます。イメージとは、論理性を超越した全体的な精神

状況の凝縮されたものの現れで、本来の自己の表出でもあるのです。このような認識方法がさらに進むと、

自我は完全に超越されて、自己と非自己の区別もない、本来の自己と一体となった状態に至るでしょう。これ

は、一次過程の認識への逆行ではなく、二次過程の認識よりさらに進化した全的な認識方法であり、これが

完全に成就されたものが悟りだと僕は考えています」



「三次過程の認識に至る道は?・・・」



「自我を乗り越えることですね。それにはまず、執着を断つこと。そして、自分の内なる自己の声によく耳を

傾けること。フランクルは、我々の性格や衝動や本能に対して我々が取る態度を問題にしていますが、僕は、

本能をなじ伏せるような態度はよくないと思っています。自分の二次過程の認識における倫理観を信じている

限り、本能や衝動を恐れることはないと思います。それは、すばらしいエネルギーの源なのですから。サケが

四年間も海洋を泳ぎ回ったあと、自分の生まれた川の匂いを覚えていて、いのちがけで急流を登っていくあの

エネルギー、鳥が渡りの際に見せるあのエネルギー、あんなに小さな生き物にも、あれだけ大きなエネルギー

が漲っているのです。むしろ、私たちの本来のエネルギーが理性によって押さえつけられているかもしれませ

ん。名誉とか、富というものを離れて、静かに自分の内部の声を聴くと、そこから湧き上がって来るエネルギー

を感じることができると思います。“この道こそわが命なり”というものが自然にはっきりと見えてくると思います」



 

 



命と原子力共存できぬ

~ 3・11からの再生 ~生命科学者 柳澤桂子

Aloe*Wing 命と原子力共存できぬ ~ 3・11からの再生 ~ 生命科学者 柳澤桂子 から引用しました。



これまで命や環境に関する本を50冊余り出しました。そろそろ執筆がつらくなり、人生最後の本のつもりで、

地球温暖化と原子力発電の恐ろしさについて書きました。その原稿を仕上げて整理をしていた3月11日、

福島第一原発事故が起きてしまいました。



最初に強調したいのは、わたしたち生物と原子力は、共存できないということです。生物は40億年前に誕生

し、DNAを子どもに受け渡しながら進化してきました。



DNAは細胞の中にある細い糸のような分子で、生物の体を作る情報が書かれています。わたしたちヒトの

細胞は、DNAを通じて40億年分の情報を受け継いでいます。DNAは通常、規則正しくぐるぐる巻.きになって

短くなり、染色体という状態になっています。



生物の生存は誕生以来、宇宙から降り注ぐ放射線と紫外線との闘いでした。放射線も紫外線もDNAを切っ

たり傷をつけたりして、体を作る情報を乱してしまうからです。



一方、細胞にはDNAについた傷を治す「修復酵素」が備わっています。ヒトの修復酵素は機械のように複雑

な働きをします。しかし、大量の放射線にさらされると、酵素でも傷を修復できず、死に至ることがあります。



ヒトが短時間に全身に放射能を浴びたときの致死量は6シーベルトとされ、短時間に1シーベルト以上浴びると、

吐き気、だるさ、血液の異常などの症状が表れます。こうした放射線障害を急性障箸といいます。しかし0.25

シーベルト以下だと、目に見える変化は表れず、血液の急性の変化も見られません。



ところが、そうした場合でも細胞を顕微鏡で調べてみると、染色体が切れたり、異常にくっついたりしている

ことがあります。また、顕微鏡で見ても分からないような傷がつき、その結果、細胞が分裂停止命令を無視

して、分裂が止まらなくなることがあります。



それが細胞のがん化です。がんは、急性障害がなくても、ずっと低い線量で発症する可能性があるのです。

しかも、がんは、進行して見えるようにならないと検出できませんから、発見まで5年、10年と長い時問がか

かります。いま日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで亡くなります。なぜこんなに多いのか。



わたしは、アメリカの核実験やチェルノブイリ原発事故などで飛散した放射性物質が一因ではないかと疑っ

ていますが、本当にそうなのかそうでないかは、分かりません。この分からないということが怖いのです。さら

に、放射線の影響は、細胞が分裂している時ほど受けやすいことも指摘しておかなければなりません。



ぐるぐる巻きになっているDNAは、細胞分裂の時にほどけて、正確なコピーを作ります。糸を切る場合、ぐる

ぐる巻きの糸より、ほどげた細い糸の方が切れやすいでしょう?胎児や子どもにとって放射能が怖いのは、

大人よりも細胞分裂がずっと活発で、DNAが糸の状態になっている時間が長いためです。



わたしは研究者時代、先天性異常を研究し、放射線をマウスにあてて異常個体をつくっていたので、放射能

の危険性はよく知っていました。1986年、チェルノブイリ原発事故が起きた時、わたしはいったい誰が悪いの

だろうと考えました。原子力を発見した科学者か。原子力発電所を考案した人か。それを使おうとした電力

会社か。それを許可した国なのか。



いろいろ考えて、実はわたしが一番悪いのだと気付きました。放射能の怖さを知っていたのに、何もしてい

なかった。



そこで88年、生物にとって放射能がいかに恐ろしいかを訴えるため、「いのちと放射能」(ちくま文塵)を書き

ました。原発がなせダメなのか。第一に、事故の起こらない原発はないからです。安全性をもっと高めれば

よいという人がいますが、日本の原発も絶対に事故は起こらないといわれていました。福島の事故で身に

しみたはずです。



第二に、高レベル放射性廃棄物を子孫に押しつけているからです。処理方法も分からない放射能のごみを

残して、この世を去る。とても恥ずかしいことです。10年もしたら、みんな福島のことを忘れてしまうのではな

いかと心配です。



原発がないと困る人はたくさんいます。政治家は電力会社から献金を受け、テレビ局や新聞社は電力会社

の広告を流しています。原発は地元の町や村に雇用を生み、交付金などで自治体財政を潤します。それら

は生産すること、お金をもうけることです。いくらもうけても、原発事故で日本に住めなぐなったら何にもなら

ない。どうして政治家が気付かないのか不思議です。わたし一人の力は小さく、原発はなくなりません。



「福島のために何かしたい」とおっしゃる方はたくさんいます。ただ、福島産の物を買ってあげるとか、そうい

うことでしょうか。「自分」というものを考えてみる。生命とは何かをしっかり考えてみる。



そういう、根本的なことが大事な気がしています。それが福島のためであり、子孫のためになると思います。

繰り返します。生物と原子力は共存できません。原発は絶対にやめるべきです。



(聞き手 細川智子 道新11.8.29.)




美に共鳴しあう生命





2014年5月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



独り言なのでコメントは不要です。



科学者、教壇で教える立場の学者、彼らに「地球に生きる全ての生命に思いを馳せる」資質が欠けているなら、

決して彼らを人々の上に立たせてはいけない。



原子力に限らず、他の学問(政治・経済・医学・哲学など)に対しても言えることだと思いますが、たとえそれに

よって人類の進歩が遅くなっても、後に生み出される多くの災難に比べると小さなことではないでしょうか。



頭が切れる、知能指数が高いのは優れている、その判断基準がまかり通った結果が現代の世界かも知れま

せんね。






「進化しすぎた脳」 中高生と語る大脳生理学の最前線 池谷裕二著 講談社

より以下、抜粋引用。2017年3月10日追記



共通するルールを見つけ出す、つjまり、一般化する、これを「汎化」(はんか)と言うんだったね。



論理的思考法には大きく2種類あるというのは聞いたことがあるかな。帰納法と演繹法というのは知らない? 数学的

帰納法というのを習ったような気がする?



数学というのは基本的にすべて演繹法なのね。「まず定理、つまり絶対的なルールがはじめからあって、そのルールから

導かれる個々の結果はつねに正しい」という論法。たとえば、人はみな死ぬ、だから、私もいつか死ぬ、という考え方。こう

いう演繹法はまさに数学のやること。数学的帰納法だって、帰納法という名前がついているけど、本質的にはもちろん演繹

法だ。



でも人間の脳はそんなことできない。だって脳は解釈するだけだもん。世界は広すぎるから全部は調べられない。だから、

ある程度限られた例数のなかからルールを見つけて、それを一般化する。こういうのを帰納法って言ったよね。つまり、

脳のやり方は「帰納法」なんだ。



そういう意味では、〈汎化〉と〈帰納法〉は同義語だね。



そして、汎化のために有利なプロセスこそが、「抽象化」なんだよ。抽象化すると、いろんなことに応用が利く。数学も物理

なんてまさに抽出の世界だけど、応用範囲が広いよね。ものごとを個別に考える考えるんではなくて、一歩下がって「これ

らを結びつけるものは何だろう」という抽象的な考え方ができるからこそ、脳は〈汎化〉ができる・・・・。何となくイメージつか

める?



抽象的な考え方ができればれきるほど、〈汎化〉が得意になる。そして汎化によってルールを知れば、新しい状況・環境に

なっても応用が利くでしょ。人間がほかの動物と比べて、著しく応用力が高いのは、抽象的な思考ができるからだろうね、



ところで、、人間が抽象的な思考ができるのはなんでだっけ? 人間は何を持っているからだっけ? そう、「言語」を持って

いるからだったね。人間は言葉を持っているから抽象的な思考ができる。言葉がないと抽象的な思考ってむずかしい・・・・。

そういう話をしたよね。



これでわかると思うけども、意識とか心というのは多くの場合、言葉によって生まれている。意識や心は言語がつくり上げた

幽霊、つまい抽象だ。こう考えると、ひとつの結論にたどり着く。そう、意識と心は〈汎化〉の手助けをしているんだよ。わかる

かな。



つまり、「言葉→心→汎化」だ。人に心がある〈理由〉はきっと言葉があるからだけど、人に心がある〈目的〉は汎化するため

なんだろうね。汎化がいかに重要なファクターかは、すでに話した通り、その議論を拡張すれば、人にとって〈心〉もまた重要

なファクターになるわけだ。



人間以外の動物にどこまで心があるかはわからない。もしかしたら、いわゆる〈心〉と呼ぶにふさわしいものがないという

可能性だってある。でも、だからと言って、〈心〉が生命に不要なものかというと、そんなことはない。〈心〉は人間の生活の

飾りなんかじゃない。人間には〈心〉を活用して抽象的な思考をして、そして周囲の環境から基底ルールを抽出して、それを

未来に向けて蓄えて、応用して、環境に適応しているんだ。



ちょっとまとめようか。〈汎化〉が言葉によって生まれるとしたら、言葉にはおそらくふたつの側面がある。



ひとつはコミュニケーションの手段、伝達のための信号・記号だね。もうひとつは抽象的思考をするための道具、考える

ためのツールとしての側面だ。



人間はこの両方をうまく使っている。多くの動物は、〈仮に言葉があったとしても〉記号的な使い方しかしていない。それでは

「言語」とは呼べないと思う。



人間について言うのなら、「言語を操るようになった」=「それをツールとして抽象的思考が扱うようになった」=「応用力・

環境適応力の高い動物になった」・・・・と言えるんじゃないかな。





2013年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(写真は他のサイトより引用)



1991年に刊行された柳澤さんの「意識の進化とDNA」を最近読みました。2004年に生命科学者としての

視点を踏まえながら般若心経に迫った「生きて死ぬ智慧」は注目を集めましたが、土台はその十数年前

に芽生えていたのですね。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者でしたが、その後原因不明の病気で、36年間闘病生活を強いら

れます。生命科学者としての目、そして自殺も考えた心の痛み、この2つが彼女の死生観の根底にある

と思います。



「意識の進化とDNA」は彼女の専門分野の遺伝子に限らず、心理学、哲学、芸術などの底流にある関連

性について、二人の男女の会話を通して小説風に書かれた読みやすい本です。



彼女は言います。「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」と。そして意識の進化は「自己を否定

して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界である」と考えます。



私自身、“悟り”がどのようなものかわかりませんが、彼女の言う意識の進化は、必ずしも生命に多くの美

を宿すことにつながっていないような気がします。



私たち日本人の基層として位置づけられるアイヌの人々、彼らは縄文時代の世界観を受け継いだ人々

でした。果たして昔のアイヌの人々と現代人、どちらが多くの美を宿しているのでしょう。



美、あるいは美を感じる心とは何でしょう。それは、私と他者(物)との「へだたり」への暗黙の、そして完全

な同意から産まれるものと感じますし、「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言うヴェイユ

眼差しに共鳴してしまいます。



動物や植物、太陽や月、天の川と星ぼしたち。



現代の私たちは科学の進歩により、この「へだたり」を狭くしてきました。しかし、その一方で峡谷は逆に深

くなり、底が見えなくなっているのかも知れません。それはこの世界の混沌とした状況によく似ています。



世界屈指の古人類学者のアルスアガは、「死の自覚」が今から40万~35万年前のヒト族(現生人類では

ありません)に芽生えたと推察していますが、「死」という隔たりを自覚したヒト属にどんな美が宿っていた

のでしょう。



私は星を見るとき、あの星団はネアンデルターレンシスが生きていた時代に船出した光、あの星は大好き

な上杉謙信が生きていた時代、などと時々思い浮かべながら見るのが好きです。



そこで感じるのは、柳澤さんが問いかけている「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己」に近い不思議な

感覚でした。



意識の進化にはいろいろ議論はあるかも知れませんが、柳澤さんの眼差しには宇宙創世からの大きな時

の流れそのものを感じてなりませんでした。




 


2012年3月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

写真は「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」柳澤桂子著より引用



私が尊敬する人で仏教にひかれている人は多い。宮沢賢治、哲学者の梅原猛さん、生命科学者

の柳澤桂子さんなどがそうである。



しかし葬式仏教の姿や住職が高級外車に乗り、ロレックスの金時計などしているのを見ると、本来

の仏教とはかけ離れたものになっているのではないかと感じていた。



ただ、前の投稿にも書いたが職場の同僚が高野山に出家したときから、仏教にたいしての自分の

無知がいろいろな偏見に繋がっているのではないかと思うようになっていた。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者だったが、原因不明の病気で36年もの間苦しみ自殺も考

えたという。しかし彼女が一般の人向きに書かれた遺伝子に関する本は高い評価を受ける。そん

な彼女が書いた「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」は、自身が研究してきた遺伝子という科学の

視点、そして何より闘病の苦しみの中から般若心経を自分の視点で捉えなおしたものだった。



何か日本人として遅すぎはしたが、ブッダのことをもっと知らなければならないと感じている。



☆☆☆☆



私たちは生まれながらにして、仏性、神性を善とする考えをもっていると思います。



私たちの意識の進化の方向は、他人をたいせつにする方向に向いているのです。



あるいは、自己本位であることが、私たちの本来の性格であると思うこともあるかもしれませんが、

私たちは、自己中心性を超越して、他人のために尽くすことに喜びを感じるよう成熟しつつあるの

だと私は思っています。



そのような視点から見て、これから人間たちの前途に大きく立ちふさがるのは、科学のまちがった

使い方です。



人間のつくったホルモン作用攪乱物質や放射能によって、私たちの地球は汚染され、生物が住め

ないような状態になってしまうかもしれません。



子孫が、そのようなことで苦しまないように、われわれは全力を尽くすべきです。



地球上のどこにも闘いのない、思いやりに満ちた人間社会をつくることができるよう願っております。



「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 



柳澤桂子 | 話題の本 | 書籍案内 | 草思社 より画像引用


「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」文・柳澤桂子 画・堀文子 英訳・リービ英雄 小学館

「いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる」柳澤桂子著 小学館

「愛蔵版DVD BOOK 生きて死ぬ智慧」文・柳澤桂子 画・堀文子 小学館

「われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学」柳澤桂子著 草思社

「柳澤桂子 いのちのことば」柳澤桂子著 集英社


柳澤桂子さんのホームページ 「柳澤桂子 いのちの窓」

心に響く言葉(2011年7月3日)・柳澤桂子(生命科学者)の言葉



Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent




人類発祥時からの流れをつかむ、その探求を避けては真の哲学の意味など見出せないでしょう。

哲学=西洋哲学ではなく、人類が先ず世界とどのように関わってきたのか、太古からの生き方を

受け継ぐ世界各地の先住民族の考え方や視点、そしてその世界観を知ることを基底としなければ

ならないと思います。現在の自分自身の立っている場を正しく捉えるためにも、この探求は必要

不可欠なものだと感じます。




「ギリシャ、エジプト、古代印度、古代中国、世界の美、芸術・科学におけるこの美の純粋にして正しい

さまざまの反映、宗教的信条を持たない人間の心のひだの光景、これらすべてのものは、明らかに

キリスト教的なものと同じくらい、私をキリストの手にゆだねるために貢献したという私の言葉も信じて

いただいてよいと思います。より多く貢献したと申してもよいとすら思うのです。眼に見えるキリスト教

の外側にあるこれらのものを愛することが、私を教会の外側に引き留めるのです。」

シモーヌ・ヴェイユ「神を待ちのぞむ」より






アビラの聖女テレサ(イエズスの聖テレジア)の生涯と「霊魂の城」

「夜と霧」 ドイツ強制収容所の体験記録 ヴィクトール・フランクル著 霜山徳繭訳 みすず書房

「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ (著), 河井美咲 (イラスト), 向井 和美 (翻訳) 紀伊国屋書店

「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」 スーザン小山 著

「シャーマニズムの精神人類学」癒しと超越のテクノロジー ロジャー・ウォルシュ著 安藤治+高岡よし子訳 春秋社

「哲学大図鑑」ウィル バッキンガム (著), 小須田 健 (翻訳) 三省堂

「チベット永遠の書・宇宙より遥かに深く」テオドール・イリオン著 林陽訳 徳間書店

「人類哲学序説」梅原猛・著 岩波新書

「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書

「みるみる理解できる相対性理論」Newton 別冊

「相対性理論を楽しむ本」よくわかるアインシュタインの不思議な世界 佐藤勝彦・監修

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 著 講談社現代新書

「進化しすぎた脳」 中高生と語る大脳生理学の最前線 池谷裕二著 講談社

「死に至る病 (まんがで読破)」キェルケゴール・作 バラエティアートワークス

「生と死の北欧神話」水野知昭・著 松柏社

プラトン 「饗宴」・「パイドロス」

「人類がたどってきた道 “文化の多様化”の起源を探る」海部陽介著 NHKブックス

良寛『詩歌集』 「どん底目線」で生きる  (100分 de 名著) NHKテレビテキスト 龍宝寺住職 中野東禅・著

カール・ラーナー古希記念著作選集「日常と超越 人間の道とその源」カール・ラーナー著 田淵次男 編 南窓社

「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」ウォール&アーデン著 舟木 アデル みさ訳 築地書館

「ホピ 神との契約」この惑星を救うテククワ・イカチという生き方 トーマス・E・マイルス+ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ 林陽訳 徳間書店

「火の神の懐にて ある古老が語ったアイヌのコスモロジー」松居友著 小田イト語り 洋泉社

「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 梅原猛 著 佼成出版社

「沖縄文化論 忘れたれた日本」岡本太郎著 中公文庫

「ソクラテスの弁明(マンガで読む名作)」プラトン・原作 & サンデル「正義とは」・ハーバード白熱教室

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社文庫

「宗教の自殺 さまよえる日本人の魂」 梅原猛 山折哲雄 著 祥伝社

「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」福岡伸一 著 木楽舎

「アンデス・シャーマンとの対話」宗教人類学者が見たアンデスの宇宙観 実松克義著 現代書館

「沖縄の宇宙像 池間島に日本のコスモロジーの原型を探る」松井友 著 洋泉社

「木が人になり、人が木になる。 アニミズムと今日」岩田慶治著 第16回 南方熊楠賞 受賞 人文書館

「10代からの哲学図鑑」マーカス・ウィークス著 スティーブン・ロー監修 日暮雅通・訳 三省堂

「面白いほどよくわかるギリシャ哲学」左近司 祥子・小島 和男 (著)

「哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン」マーク・ローランズ著 今泉みね子・訳 白水社

「エデンの彼方」狩猟採集民・農耕民・人類の歴史 ヒュー・ブロディ著 池央耿・訳 草思社

「カラマーゾフの兄弟 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「罪と罰 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「夜間飛行 (まんがで読破)」サン=テグジュペリ・作 バラエティアートワークス

「若きウェルテルの悩み (まんがで読破)」ゲーテ・作 バラエティアートワークス



美に共鳴しあう生命

オオカミの肖像








夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

祈りの散文詩集

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実


美に共鳴しあう生命