「史上最強の哲学入門」飲茶・著 河出文庫
本書 より抜粋引用 言語に革命を起こした超天才 ソシュール では、結局、存在とは何なのだろうか? その答えの一つとして、スイスの言語学者ソシュール(1857〜1913年)の哲学が参考になるかもしれない。 ソシュールは、代々、学者を輩出してきた名家の出身で、ジュネーブ大学の言語学の教授である。だが、 彼は、それまでの既存の言語学に不満を持っていた。 その当時、言語学は、「ある国の言語は、時間とともにこんなふうに変わっていったという歴史的な経緯を 調べたり、似ている言葉の国の言語同士を比較して共通の祖先を探ったりすることが主流の研究だった のだが、ソシュールは、常々「なんか違うんだよな」と思っていたらしい。 「もっとこう人間と世界のつながりを示すような・・・・。今までにない新しい言語学はつくり出せないものか」 その想いにとりつかれたソシュールは、新しい言語学の発明を目指して、日夜、研究を続けるようになる。だが、 普通の言語学の研究がおろそかになってしまい、学会からは何の成果も認められず、学者としては不遇の人生 を送っていたのだった。 そんなある日のこと、ソシュールは、ついに新しい言語学の発明に成功する。そして、彼は、それを大学の講義 で、学生たちの前で発表することにした。ちなみに、当時、ジュネーヴ大学は、あまりランクの高い大学ではなかっ たらしい。地方都市の二流大学といったところだろうか。そのため、当時の学生たちもそれほど出来はよくなかっ たと言われている。 だから、もしかしたら、学生たちは大したやる気もなく、半分眠そうに講義に参加していたのかもしれない。だが、 そのソシュールの講義で驚かされることになる。自分たちと同様、ぱっとせず、学界から大した評価もされていない ソシュール先生、そんな彼が、突然、今までに聞いたこともない画期的な言語学の理論を講義で説明し始めたか らだ。 だが、そこで悲劇が起こる。ソシュールは、その新理論を学生たちに披露したあと、それを世に問うこともなく、 病死してしまったのだ。新しい言語学を求めたソシュールは、最後の最後まで不遇のままで、死んでしまったので ある・・・・。 さが、どうしよう。どうすればいい。ソシュール先生は、その画期的な言語学を論文としてどこにも発表していな かった。だから、それを聞いて知っているのは、彼の講義を受けた学生たちだけである。ソシュール先生が不遇に 甘んじてまでも、生涯をかけて追い求めた学問の成果をこのまま埋もれさせてしまっていいのだろうか・・・・。いや、 そんなことは絶対にダメ!これをこのまま捨て置いたら・・・・。僕たちは、何のために学問の徒として大学に入った のだろうか! ソシュールの講義に参加した学生たちは奮起した。彼らは、講義のノートを互いに持ち寄り、みんなで協力して 一冊の本を書き上げる。それが「一般言語学講座」という本である。学生たちのつたない解釈にいろいろな矛盾も あり、決して完璧な本というわけではなかったが、ソシュールがどんなアイデアを持っていたかを伝えるには十分 であった。そしてその本は瞬く間に反響を呼び・・・・。その結果、彼らが参加したソシュール先生の授業は・・・・、 言語学界の「伝説」となる。 こうして、ソシュールは、今日において「近代言語学の祖」と呼ばれる偉大なる言語学者として、歴史に名を残す こととなったのである。 (中略) 「言語とは、差異のシステムである」 「言語とは、区別のシステムである」 (中略) そうするとである。「リンゴ」などの存在というものは、「リンゴ」という物質があるから存在しているのではなく、 リンゴをリンゴとして区別する価値観があってはじめて、そこに存在するのだと言えるのである。だって、その 価値観を持っていないものにとっては、「リンゴ」などどこにも存在していないからだ。つまり、「リンゴという区別」 をするものがいてはじめて、「リンゴは存在する」のである。 (中略) したがって、もし人類が滅んでしまった場合には、もはや、僕らが想像しているような「三次元空間に原子が 転がっている」という形式で「世界」は継続していないということになる。「三次元空間」や「原子」というものは、人間 がつくり出した「区切り」にすぎないからだ。だから、そういった「区切り」をするものがいなくなったとしたら、「三次元 空間」も「原子」も存在しない。ただの「のっぺらぼうの一様な連続体・・・・どこにも区切りのない世界、ただの真っ白 な雪景色・・・・」 何かが存在していると言うこともできない混沌になるのである。 そこからひるがえって言うならば・・・・。もし、あなたに、どうしても譲れない、自分にとって一番大切な「価値ある 何か」が存在するのであれば、もしあなたが死んだら、その存在はもはや存在しない。あなたが見ている「世界」 とは、あなた特有の価値で切り出された「世界」であり、その「世界」に存在するものはすべて、あなた特有の価値 で切り出された存在なのである。 だから、あなたがいない「世界」は、あなたが考えるような「世界」として決して存在しないし、継続もしない。 なぜなら、存在とは存在に「価値」を見いだす存在がいて、はじめて存在するからである。 |
2017年8月25日記す。
2013年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 ニーチェと宮沢賢治(写真は1年前に作ったレゴの蒸気機関車です) ニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴される虚無主義(ニヒリズム)と「超人」思想。 私はニーチェの著作に触れたことがなく正しく読み取っていないかも知れませんが、、現世から目を背けている 当時の風潮に対して、彼は果敢な挑戦状を叩きつけたのだと思います。 しかし、来世のことだけを語る宗教への断罪と虚無主義。一部において何故彼がこう考えたのか納得はするも のの、私たち一人一人は空気や水・食べ物など、地球や他の生命が養い創ったもののなかでしか生きられま せん。人間は決して単独で存在できるものではありませんし、他のものとの関係性なくしては生きられないので はないかと疑問に思ったのも事実です。 デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」からニーチェ、ハイデッガー。彼らの「個(人間)」だけを世界から切り 離した思索、人間中心主義が横行した西洋哲学に対して、梅原猛さんはその著「人類哲学序説」の中で鋭く 批判しています。 これらの西洋哲学者の対極にいるのが宮沢賢治や先住民と呼ばれる人なのかも知れません。西洋哲学が 人間を世界から切り離して真理に近づこうとしていたのに対し、賢治や先住民は他のものとの関係性(繋がり) を基軸に据え、賢治の場合は「銀河鉄道の夜」などの童話を通して私たち後世の人に想いを託したのでしょう。 賢治が言う「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、互いの繋がりを 真に肌で感じた者にしか発することが出来ない言葉なのだと思います。 梅原さんは前述した本の中で、宮沢賢治と江戸時代の画家「伊藤若沖」を紹介され、二人の思想の背景には 「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(国土や動物・草木も仏性を持ち成仏できる意味)が あり、縄文時代やアイヌを含む世界各地の先住民の世界観に共通しているものがあると言われます。 またノーベル賞を受賞した福井謙一さんの言葉「科学はいまに、裁かれる日がくるだろう。自然を征服する科学 および科学技術から、自然と共生する科学および科学技術へと変わらなければいけない」を紹介されていました が、科学技術文明の基となったデカルト以来の西洋哲学にも同じことが言えると主張されています。 私たちはデカルト以来の西洋哲学を、反面教師として捉える時期なのかも知れません。 ニーチェの「神は死んだ」、私は彼の思索の片鱗も理解できていないかも知れませんが、虚無としか映らない 状況のなか一筋の光りを見た女性がいました。 ニーチェの「超人」思想がヒトラーに悪用され、ハイデッガーがナチスの思想ではなくヒトラーの強い意志に魅了 されていた同じ頃、アウシュヴィッツの強制収容所で亡くなった無名の人ですが、賢治の銀河鉄道と同じように 多くの人の道標として、これからもその軌道を照らしていくのだと思います。 最後に、フランクル「夜と霧」から抜粋引用し終わりにします。 ☆☆☆☆ それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。 「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。 「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを 追っていなかったからですの。」 その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達 ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。 外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。 病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた 一本の緑の枝を見ることができた。 「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。 私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか? 不思議に思って私は彼女に訊いた。 「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」 彼女は答えた。 「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」 ☆☆☆☆ |
2015年12月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「100の思考実験」と「月と蛇と縄文人」 中学・高校時代から、一つの事象に対して多くの見方・感じ方があるということを教育の一環として、あるいは家庭の中で 子供たちに教えて欲しいと願っています。 先生や学者・専門家が話していること、果たしてそうだろうか、また違った見方があるのではないかという「魂の自由」さを 持って欲しいと思うからです。 「月と蛇と縄文人」、この作者は縄文時代の遺跡を発掘に関わったことがあり、また医学博士の方ですが、縄文土器の 模様の全てを月と蛇に関連付けた展開をされています。 その根拠となっているのが、ドイツの日本学者・ナウマンが推察したことで、将来それは真実だと証明されるかも知れ ません。 しかし、私も感じていた月と蛇の影響を認めつつも、全ての文様が結論ありきによる解釈に縛られていることに、著者の人間と しての「魂の自由」さを全く感じることができなかったことはとても残念です。 清貧に生き、自身も含めて人の心の弱さを知り抜き、多くの人に慕われていた良寛(1758〜1831年)の辞世の句に 次のようなものがあります。 ☆「四十年間、行脚の日、辛苦、虎を画けども猫にだに似ず。如今、嶮崖に手を撤ちて看るに、ただこれ旧時の栄蔵子。」 (四十年前、禅の修業に歩き回った日には、努力して虎を描いても猫にさえ似ていませんでした。今になって崖っぷちで 手を放してみたら、何のことはない。子どもの頃の栄蔵のままでごまかしようがないし、それこそがあるべき真実そのもの だったなあと思います。中野東禅・解釈) 良寛自身の子供時代に体験した「魂の自由」さ、それが今の揺るぎない私の姿だ、と言っているのかも知れません。 近所の子供たちと「かくれんぼ」を共にしていた時、陽が落ち子供たちが家路についたことを知らない良寛(大人)は、 まだ子供たちが「かくれんぼ」をしていると思い、次の日の朝までじっと隠れていたことがあったそうです。 自分とは異なる世界に瞬時に溶け込む、そのような「魂の自由」さに私は惹かれてしまいます。 この「魂の自由」さを良寛とは別な側面、論理的に考えさせてくれるのが「100の思考実験」です。 サンデル教授「ハーバード白熱教室」でも取り上げられている「トロッコ問題」など、自身が直面した問題として想定する時、 異なる多くの見方があることに気づき苦悩する自分がいます。 「100の思考実験」と「月と蛇と縄文人」 一見何の関わりもない2つの文献ですが、私にとっては「魂の自由」さを考えさせられた文献かも知れません。 |
Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent