「ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く」 リサ・ランドール著 向山信治・監訳 塩原通緒・訳 NHK出版
数式を使わず、余剰次元やひも理論に至るまでの物理学の流れを丁寧に開設している。 ただ、この本を理解するには一般相対性理論や量子力学の基礎を知っていないと難しいと 思う。私自身も量子力学に関しては素人なので、半分以降は理解することが出来なかった。 2017年8月8日 |
2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。 彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック (ピオ神父などが有名)にも見られる。 アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。 日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。 詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、 瞽女(ごぜ)もそうだった。 盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。 キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く 味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。 これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも 特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。 しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。 エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父) 悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など 過去の迷信と思っている人も多いだろう。 ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔) に苦しめられていた。 現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。 ハワイ先住民や南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが 書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。 ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。 宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る ものを未来の人類は見出すと思う。 ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。 真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い 嘆いている。 聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰 があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。 存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。 そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・ 慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。 私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。 ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。 写真は、惑星状星雲・NGC6543です。 |
2012年2月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
本書「ワープする宇宙」より抜粋引用 対称性は重要な要素だが、宇宙はふつう完璧な対称性をまず実現させない。わずかに不完全な対称性が、この世界を興味深い {しかし統制のとれた)ものにしているのだ。私にとって、物理学研究の最もわくわくする側面の一つは、非対称的な世界のなかで 対称性を意味あるものにする関連性を探求することだ。 対称性が完全でないとき、物理学ではそれを対称性が「破れている」という。破れた対称性はたいてい興味深いものだが、かならず しも美的魅力にあふれているとは言いがたい。根本的な系や理論の美しさと簡潔さは、えてして失われる(あるいは減じられる)もの なのだ。非常に対称的なタージ・マハルでさえ、完璧な対称性をもっているわけではない。これを建造した皇帝のけちな後継者がもと もと計測されていた二つめの零廟をつくるのをやめ、代わりにバランスを崩した墓をもともとの墓の横に置いてしまったからだ。この 二つめの墓のせいでタージ・マハルの完璧だったはずの四重の回転対称はぶち壊され、その根本的な美しさがわずかに損なわれ ている。 しかし美しいものが好きな物理学者にとってはありがたいことに、破れた対称性はときに完璧な対称性よりさらに美しく、さらに興味 深い場合がある。完璧な対称性は、ともすると退屈だ。モナ・リザがもし対称性な微笑を浮かべていたら、これほどの名画にはなって いなかっただろう。 美術と同じように物理学でも、単純さだけがかならずしも至高の目標となるわけではない。生命も宇宙も完璧であることはめったに なく、どのような対称性を思い浮かべても、そのほとんどすべては破れている。私たち物理学者は対称性の美しさを高く評価している が、ただ感嘆するだけでなく、対称の理論と非対称の世界とをつなぐ関連性を見つけなくてはならない。最良の理論とは、対称理論 のエレガントさを保持しながらも、この世界の現象と矛盾しない予言をするのに必要な対称性の破れを組み込んでいかなくてはなら ない。物理学者の目標は、理論のエレガントさを犠牲にすることなく、より豊かで、場合によってはより美しい理論を構築すること なのである。 「自発的対称性の破れ」という現象(これについてはつぎの節で説明する))に依存するヒッグス機構の考え方は、そのような洗練され たエレガントな理論上の概念の一例である。スコットランドの物理学者ピーター・ヒッグスにちなんで名づけられたこのメカニズムは、 標準モデルの素粒子・・・・クォーク、レプトン、ウィークボソン・・・・がどのように質量を獲得するかを説明する。 このヒッグス機構がなかったら、あらゆる素粒子が質量をもたなくなる。質量をもつ素粒子を含んでいる標準モデルにヒッグス機構が 含まれていなければ、高エネルギーでの予言が意味をなさなくなる。ヒッグス機構には、両立しえないことを両立させてしまう魔法の ような性質がある。粒子は質量を獲得していながら、質量をもった粒子が問題を起こすようなエネルギーでは質量がないかのごとく 作用するのである。このあと見るように、ヒッグス機構によって粒子は質量を獲得できるが、ある一定の範囲内では自由に移動する ことができる。ちょうど半マイル進むごとに警察に止められてしまうアイクの車が、一定の距離までは邪魔されずに走れるのと同じで ある。この仕組みがあれば高エネルギー問題は解決するのだ。 トロイ戦争も、長い距離で働く力が短い距離で働く力よりも強力になる例の一つだ。「イーリアス」によれば、トロイ戦争の発端は、 トロイの王子パリスがスパルタ王メネラオスの妻ヘレネを奪い去ったことにあった。仮にメネラオスとパリスが一対一でヘレネの 争奪戦をし、それからパリスとヘレネがトロイに逃げたのだったら、ギリシャとトロイの戦争は壮大な抒情詩になるまえに終わってい ただろう。メネラオスとパリスの距離が離れてしまった段階で、両者はその他大勢と相互作用をすることになり、きわめて強力な ギリシャ・トロイ間の相互作用にかかわる強い力を生みだしてしまった。 たしかに意外ではあっても、強い相互作用の距離に応じての強まりは、強い力のあらゆる特徴を申し分なく説明できる。この性質が あるから、強い力はクォークを陽子と中性子という姿に結合させたり、クォークをジェットのなかに閉じ込めたりできるぐらいに強力 なのだ。要するに、強い力は距離が長いほど大きくたるために、強い力の作用を受ける粒子は、別の強い相互作用をしている粒子 から過度に遠くまでは離れられない。したがって、クォークのような強い相互作用をしている基本粒子が単独で見つかることは決して ない。 めいっぱい離れたクォークと反クォークは、膨大な量のエネルギーを蓄えることになる。したがって、そのあいだに別の物理的な クォークと反クォークを生みだすほうが、もとのクォークと反クォークを離したままにしているよいエネルギー効率がよい。クォークと 反クォークをさらに引き離そうとすると、真空から新しいクォークと反クォークが生まれてくる。この新しいペアは、ボストンの道路事情 を思わせる。ボストンでは、前の車とのあいだに一台分の距離があくやいなや、隣の車線から車が割り込んでくる。同じように、この 新しいクォークと反クォークも、もとのペアのすぐそばにいて、決して離れることがない。したがって、一個のクォークや反クォークが 最初の時点からすこしでも孤立することはありえない。かならず別のクォークや反クォークがすぐそばにいる。 距離が大きいときの強い力はきわめて強力なので、強い相互作用をしている粒子は互いから離れられず、強い力の荷量(カラー荷) を帯びている粒子はつねに同様の別の粒子に囲まれて、強い力が中性となる組み合わせをつくっている。その結果、私たちは決して 単独のクォークを見ることがない。強く結びついたハドロンとジェットが見えるだけである。 量子力学と一般相対性理論はかなり広範囲の距離スケールで仲良く共存できており、実験で確認できる範囲ではいっさい矛盾 しない。どちらの理論もあらゆる距離スケールに適用されるが、測定できる範囲での長い距離、短い距離で、どちらが支配的になる かはお互いに理解している。量子力学と一般相対性理論が平和にテリトリーを共有できるのは、お互いが相手の相当分野での支配 権を尊重しているからだ。一般相対性理論のほうは、恒星や銀河のような巨大なものにとって重要となる。しかし、原子に対する 重力の影響にないも同然の小さなもので、量子を調べる場合には安心して一般相対性理論を無視できる。かたや量子力学は、量子 のような極小のサイズにおいて欠かせないものとなる。原子についての量子力学の予言ははっきりしていて、しかも古典物理学の 予言と大きく異なるからだ。 とはいえ、量子力学と相対性理論は、完全に調和する関係でもない。この二つのまったく異なる理論は、距離が極端に短くなると、 どうしても折り合いがつかなくなる。この距離をプランクスケール長さといって、10のー33乗センチメートルに相当する。すでにニュー トンの重力の法則から、重力の強さは質量に比例し、距離の二乗に反比例するとわかっている。原子スケールで重力が弱いといって も、重力の法則にしたがえば、もっと微小なスケールになると重力はとてつもなく強くなる。重力は大きく広がった質量の大きなものに とって重要なだけではなく、極端に接近しているもの、つまりプランクスケール長さだけ離れているものにとっても重要なのである。 この測定できないほど小さい距離について予言をしようとすれば、量子力学と一般相対性理論の両方に働いてもらうことになるの だが、この二つの理論からの大きな寄与がどうしても相容れない。量子力学も重力も、この競合するテリトリーでは無視できないの だが、そこでの量子力学の計算と一般相対性理論の計算は互いに協力してくれず、したがって予言は必ず失敗する。 一般相対性理論が機能するのは、曲がり方がゆるやかな時空によって表される、なめらかな重力場がある場合に限れる。しかし 量子力学にしたがえば、プランクスケール長さを探ったり、その長さに影響を与えたりできるようなものは、運動量がきわめて不確定 だとされる。プランクスケール長さを探るのに充分なエネルギーを備えた探測器があったとしても、活発な仮想粒子の発生といった 破壊的な動力学過程を引き起こしてしまい、一般相対性理論で記述しようという望みをことごとく打ち砕いてしまうだろう。量子力学に したがえば、プランクスケール長さでは、ゆるやかに起伏する地形の代わりに、激しく揺れ動く世界が現れるはずだ。あちらこちらで 時空が波立って輪ができたり突起ができたりと、ちょうど未来世界のアイクが遭遇したような地形になるのだ。このような荒々しい 領域では、一般相対性理論は使えない。 だが、それで一般相対性理論が退いて、その場を完全に量子力学に委ねるわけでもない。プランクスケール長さでは、重力が しっかりと力を働かせるからだ。私たちの慣れ親しむ素粒子物理学レベルのエネルギーでは、たしかに重力の力は弱い。しかし、 プランクスケール長さを探るのに必要な高エネルギーでは、重力の強さがとてつもなく大きくなる。このプランクスケールエネルギー ・・・・プランクスケール長さを探るのに必要なエネルギー・・・・までいくと、もはや重力は無視していいような弱い力ではなくなる。 プランクスケール長さでは、重力を無視できないのだ。 実際、プランクスケールエネルギーでは、重力のつくる障害によって従来の量子力学の計算は不可能になる。10のー33乗センチ メートルを探れるだけの高いエネルギーをもつものは、あっというまにブラックホールになって、入ってくるものすべてを閉じ込める。 その内部がどうなっているかを証明できるは重力の量子論だけだ。 微小な距離では、量子力学も重力も、もっと根本的な理論を切実に必要としている。量子力学と重力の矛盾を考えると、どこかから 外部の調停者を連れてきて双方に代わるものとするしかない。その新しい体制は、量子力学と一般相対性理論にそれぞれの明白な テリトリーで存分に全権を振るわせながら、どちらも支配しきれない問題の領域では、しっかりにらみをきかせていられるようなもので なくてはならない。その調停者が、ひも理論ではないかと目されているのだ。 量子力学と重力の相容れなさは、「グラビトン」の高エネルギー相互作用に関する従来の重力理論のばかげた予言にも表れている。 グラビトンとは、重力の量子論において、重力を伝える粒子とされているのだ。 だが、さらにその先を考えて、空間次元について私たちが本当に知っていることは何だろうと自問してみたらどうなるのか。じつの ところ、私たちは空間がどこでも三次元に見えると知ってはいない。私たちの近くの空間が三次元に見えると知っているだけだ。空間 が三つの次元(時空にすれば四つの次元)をもっているように見えるのは、私たちに見える範囲の距離においてだ。だが、空間は その先の、到達できない領域にまで伸びているかもしれない。 結局のところ、光の速さは有限であり、私たちの宇宙はある有限の時間しか存在してきていない。したがって、おそらく私たちは空間 の一部にしか知りえない。それは宇宙が始まったときから光が旅してこられた距離の範囲内にある、私たちの周囲の一領域である。 この空間は無限に広がってはいない。それを定義するのが「地平線」という領域だ。私たちが入手できる情報とできない情報とを隔て る境界線である。 地平線の先のことは、もう何もわからない。空間が私たちのまわりと同じだという保証もない。コペルニクス革命が何度も新しく書き 直されてきたように、私たちがどんどん宇宙の奥を見ていくにつれ、すべてのところが私たちの見ている姿と同じであるとは限らない とわかってきた。物理法則はすべてのところで同じでも、その法則が演じられる舞台はかならずしも同じではない。近くのブレーンが 私たちの近傍で見せている重力法則は、別のところで見られる重力法則とは違っているかもしれない。 私たちの視界の外にある宇宙の次元のことを、どうして知っていると言えるだろう? その先の宇宙がもっと多くの次元を見せたと しても、何の矛盾もないだろう。次元は五つあるかもしれないし、一〇あるかもしれないし、あるいはもっとたくさんあるかもしれない。 すべてのところが・・・・到達不可能な領域まで・・・・私たちの時空と同じような時空でできていると思い込む代わりに、必要最低限の 条件だけ考ええみれば、何が本当に根本的なもので、何が最終的にありえると見なせるのか、おのずと導きだされるだろう。 私たちが知っているのは、私たちの感知する時空が四次元らしいということだけだ。宇宙のほかの領域がすべて同じように四次元で あると考えるのは、おそらく行きすぎというものだろう。私たちの世界から遠く遠く離れたところは、私たちがまったく・・・・あるいは非常 に弱い重力信号を通じてしか・・・・相互作用していない可能性もある。だとしたら、そこが私たちと同じような重力と空間を見ていなくて はならない理由はない。そこに違う種類の重力が働いてもおかしくはない。 ここ数年のあいだに物理学は驚きの発見がいろいろとあったが、まだ重力の手なづけ方もテレポーテーションの手法もわかって いないし、おそらく余剰次元への不動産投資を考えるのもまだ早い。それに、時間を行き来できるような宇宙を私たちの住む宇宙に 結びつける方法もわからないのだから、いまのところタイムマシンをつくるは不可能だし、近い将来それが可能になる見込みもほとん どない(もちろん過去にも)。 だが、こうしたアイデアがSFの範疇から出ないとしても、私たちが住んでいる宇宙はすばらしくミステリアスだ。私たちの目標は、宇宙 を構成する断片がどのように組み合わさって、どうやって現在の宇宙の姿にまで進展してきたのかを知ることである。まだわかって いないつながりとは何だろう? 前章で述べたような疑問にはどういう答えがあるのだろう? 物質の究極の起源は、まだ最も深いレベルでは理解されていない。しかし、とりあえずここまでの話で、物質の根本的な性質の多くの 側面が、実験で調べられる距離スケールにおいては理解されていることがわかってもらえたと思う。そして時空についても、その最も 基本的な要素はわからないにせよ、プランクスケール長さよりずっと大きい距離にいての性質ならわかっている。そういう領域では、 私たちの知る物理原理を当てはめて、これまで述べてきたような帰結を導きだせるようになっている。いままで余剰次元とブレーンの 意外な特徴をいろいろと見てきたが、これらの特徴が、ひょっとしたら宇宙の謎のいくつかを解き明かすのに決定的な役割を果たす かもしれない。余剰次元は、新しい驚くべき可能性に私たちの目と想像力を向けさせてきた。いまの私たちは、余剰次元がとれる 形状や大きさには無限の種類があることを知っている。それは歪曲した余剰次元かもしれないし、大きな余剰次元かもしれない。 ブレーンを一枚含んでいるかもしれないし、二枚含んでいるかもしれない。バルクに粒子を含んでいるかもしれないし、別の粒子を ブレーンに縛りつけているかもしれない。宇宙は私たちが想像しているよりも大きく、豊かで、多様性に富んでいるのかもしれない。 これらの考えのなかに、この現実の世界を記述しているものがあるとして、いったいどれがそうなのか? それは現実の世界が答え てくれるのを待つしかない。嬉しいことに、おそらくそれは実現する。ここで紹介してきたいくつかの余剰次元モデルの最も心躍る性質 の一つは、その帰結が実験結果に表れるということだ。この驚くべき事実は、いくら強調してもしすぎることはない。余剰次元モデル ・・・・おそらくありえない、あるいは目に見えないと思われていた新しい特徴を備えたモデル・・・・の何らかの帰結が、私たちの目に 見えるかもしれないのである。その帰結から、ひょっとしたら余剰次元の存在を導きだせるかもしれない。もしそうなったら、私たちの 宇宙に対する見方は決定的に変わるだろう。 余剰次元をもった時空の検証は、もしかしたら天体物理学や宇宙論でできるかもしれない。物理学者はいま、余剰次元世界の ブラックホールの詳細な理論を組み立てており、それは四次元ブラックホールと似た特徴があるものの、微妙な違いもあることが わかっている。余剰次元ブラックホールには明らかに独特な性質があるので、四次元ブラックホールとの違いも充分に認識できる のだ。 宇宙論的な観測も、最終的に時空の構造について多くを教えてくれるかもしれない。今日の観測は、宇宙が数十億年前にどういう 姿をしていたかを探っている。多くが予言と一致しているが、いくつか重要な問題も残っている。もし私たちが高次元宇宙に住んで いるのなら、その初期の姿はまったく違ったものであったに違いない。そして、その違いのいくつかが、観測結果の不可解な特徴を 説明する手がかりになるかもしれない。物理学者はいま、余剰次元が宇宙論にとってどういう意味をもつかを調べている。それに より、別のブレーンに隠れているダークマターや、隠れた余剰次元の物体に蓄えられた宇宙エネルギーなどが解明されるかもしれ ない。 だが一つ確実なことがある。この五年以内にCERNの大型ハドロン加速器(LHC)が稼動して、これまで誰も観測したことがなかった 物理領域を探るのである。私もほかの研究者たちも、その日を心待ちにしている。LHCはおそらくやってくれるだろう・・・・物理学者に とってこれほど心強いことはない。LHCでの実験は、ほぼ確実に、標準モデルの先の物理についての手がかりとなる清新な性質を もった粒子を発見するだろう。その新しい粒子がどんな姿をしているかは、まだ誰も知らないのである。これほど心躍ることがある だろうか。 私が物理学を研究するようになってから新たに発見された粒子はすべて、理論上から確実に発見されるだろうと言われていた粒子 だった。これらの発見をけなすつもりは毛頭ないが・・・・それらはすばらしい遺産だった・・・・本当に新しい未知のものを見つけるの は、興奮の度合いがまったく違う。LHCが動きはじめるまで、どこを集中的に調べればいいのか誰も確実にわからない。LHCから 得られる結果は、きっと私たちの世界観を変えるだろう。 LHCには、非常に意味深い新しい粒子を生みだせるだけの充分なエネルギーがある。その粒子はスーパーパートナーかもしれない し、四次元モデルが予言する別の粒子かもしれない。だが、ひょっとしたらカルツァークライン粒子、すなわち余剰次元を横断する 粒子が現れてくる可能性もある。果たしてそのようなKK粒子が見つかるのか、見つかるとしたらいつなのかは、ひとえに私たちの 住む宇宙の大きさと形状による。私たちは多次元宇宙に住んでいるのか? その宇宙の大きさや形状は、KK粒子を目に見える ものにしてくれるのか? 階層性問題を解決しようとするすべてのモデルには、目に見えるウィークスケールの帰結がある。歪曲した幾何もそうしたモデルの 一つであり、とくにすばらしい痕跡を残す。この理論が正しければ、きっとKK粒子が検出されるはずで、それが残していった手がかり から数々の性質が測定できる。あるいは別の余剰次元モデルがこの宇宙を記述しているならば、エネルギーは余剰次元に消失する だろう。その結果として生じたアンバランスなエネルギー収支から、最終的にその余剰次元が検出されることになる。 私たちの知らないことはまだたくさんある。だが、まもなく宇宙はこじあけられようとしている。今後の天体物理学の観測は、宇宙を かつてなく初期にまで、遠くまで、より詳しく探っていくだろう。LHCでの発見は、これまでの物理過程では観測できなかった微小な 距離での物質の性質を教えてくれるだろう。宇宙についての真実が、高エネルギーにおいて噴き出しはじめるはずなのである。宇宙 の秘密が明かされようとしている。少なくとも私は、それが待ちきれない。 |
2016年4月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) アイスランド南部にあるセリャラントスフォス(滝)とオーロラ (写真1枚目はNASAより、それ以外は他のサイトより引用) 1枚目の写真、幻想絵画かなと思いましたが、滝の水しぶきで何度もレンズを拭きながら撮られた写真です。 オーロラのやや右側に明るく輝く星が織姫星(ベガ)、左側に輝く星が彦星(アルタイル)です。 ですから天の川が位置するところにオーロラが出現したんですね。 北欧では死者と生者の世界を結びつけているのがオーロラであり、イヌイットの伝説ではこの世で善い行いを した人はオーロラの世界へ行けると言われているようです。 死後の世界を意識することによって、初めて生の意味が問われてきたのかも知れません。 それはギリシャ哲学(ソクラテスやプラトンなど)よりも遥か太古の世界、ひょっとしたら私たち現生人類よりも 前の人類にも芽生えた問いかけのように感じています。 オーロラなど天球に映し出される様々な現象(太陽、月、天の川、星、彗星など)を通して、人類は異なる次元の 世界を意識し死後の世界とのつながりを感じてきた。 ただ、精神世界の本に良く見られる「光の国(星)からのメッセージ」的な言葉に違和感を感じているのも事実です。 自分自身の足元の大地にしっかりと根をはらずに、ただ空中を漂っている、或いは彷徨っているような感じしか 受けないからです。 アインシュタインの相対性理論、まだ理解は出来ていませんが、それぞれの立場によって時間や空間が変わる、 それは他者の立場(社会的・文化的・経済的)を想像することと同じ意味を持っているのではと感じます。 もし、相対性理論なしでカーナビを設定すると現在地よりも11キロずれたところを指してしまいますが、それが 人間同士や他の生命間のなかで実際に起こっている。 自分自身の根をはらずに、他者のことを想像することなど出来ないのではないか、その意味で私も大地に根を はっていないのでしょう。 一度でいいからオーロラを見てみたいです。 |
2017年5月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 約40億光年離れた巨大な銀河団のアベル370と「重力レンズ」 アインシュタインは一般相対性理論(1915〜16年)から導き出された「重力レンズ」(巨大な質量を持つ天体の そばでは重力の影響により光が曲がり、光学的な錯覚が生まれる)を、1936年に予言しました。しかし、それ より12年前の1924年に、「重力レンズ」の理論をフヴォリソンがアインシュタインの一般相対性理論に基づき 最初に提唱しています。 現在、「重力レンズ効果」によるリング状の像のものをアインシュタインリングと呼んでいますが、上のことに より正しくは、「フヴォリソン-アインシュタイン・リング効果」と呼ぶのが相応しいとの意見もあります。 「重力レンズ」とは、恒星や銀河などが発する光が、途中にある天体などの重力によって曲げられたり、その 結果として複数の経路を通過する光が集まるために明るく見えたりする現象のことで、この巨大な銀河団の アベル370の画像を通して、その証拠が見られます。 画像全体にちりばめられた「円弧」もそうですが、特に画像中心からやや左下の長細い銀河の形は「ドラゴン」 と呼ばれ、「重力レンズ」によって歪められたと考えられています。 巨大な銀河団のアベル370(手前)と、細長い銀河「ドラゴン」(遠方)は、たまたま地球から同じ方向に見える だけで、その距離は異なります。 約40億光年離れた、くじら座に属する巨大な大質量銀河団「アベル370」が、さらに遠い銀河(「ドラゴン」など) の光を屈折させる様子が映し出されたこの画像には、科学的な理論を超えて、何故か宇宙の神秘さを感じ させます。 宇宙はいまから140億年から160億年前に起こったビックバンによって膨張し冷えていったと考えられていま すが、宇宙創成の時、私を構成するものと「アベル370」「ドラゴン」を構成するものの源は、今と姿かたちは 異なっても同じものだったんでしょうね。 このことを知識ではわかっていても、同じ源であることを感じる想像力が、一つの感覚として、自分の中で はっきりと宿していないのを感じます。 |
Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent
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