「日本人の魂の原郷 沖縄の久高島」
比嘉康雄 著 集英社新書 より引用
沖縄の精神文化を語る上で、久高島の祭祀を知れなければ沖縄のことを口に 出すことは許されないかもしれない。そう思えるほどの濃厚な精神文化、祭祀 の姿が、本書を通して読者の目の前に繰り広げられる。30年近くもこの精神文 化を追いつづけ、西銘シズさんを初めノロたちの信頼を受けた著者が彼女たち から託された想い。それは現代文明の荒波の前に崩れ去ろうとしている久高島 の精神文化や祭祀を後世の人たちに伝えることだった。日本人の根っこを知る うえで貴重な一冊であり、私たちはこの精神文化の豊穣さから何を学ぶべきな のだろうか。 (K.K)
|
まえがき・・・・古代祭祀が残った島 本書より引用
鹿児島と台湾の間の約1200キロの大洋上に点々と島々が連なる。その中に、奄美 群島、沖縄群島、宮古群島、八重山群島があり、総称して琉球弧ともいう。その島々 の祭祀を全体的にみると、豊穣や島人の息災を祈るものから、個々の魂を鎮めるも のまで、祭祀の主体は女性である。八重山群島のように、外来の神を取り入れた男 性主体の祭祀が並行しておこなわれている例もあるが、古い祭祀が残っている典型 的な久高島や宮古島狩俣が示すように、祭祀を担う主体は女性(母)であり、島人の 守護神は女性、つまり「母神」となっている。これが、琉球弧の祭祀の原型であった。 つまり、琉球王朝以前のはるか時代をさかのぼる古代人の心情から発した祭祀の祖 型といえるものではないだろうか。
本土の祭祀が多くのところで男性神職者によって担われていることにくらべて、なぜ 女性主体の祭祀の形が琉球弧に残ったのであろうか。大洋に散らばる小島群という 地理的条件が文化のローラー化の歯止めとなり、つい最近まで古い祭祀を残すこと になったということもあろう。15世紀後半に琉球弧の島々にその支配力を及ぼした 琉球王朝・首里王府にしても、1879年の完全崩壊(琉球処分)まで、基本的には、 「聞得大君」以下、女性神職者による祭祀制度を維持しており、それが琉球弧周辺部 に母性原理の祭祀世界を今日まで残す条件の一つになったともいえるだろう。
なかでも本書にとりあげる久高島は、少なくとも私が集中的に通っていた1980年代 の中頃までは、守護神である「母たちの神」の祭祀が最もよく継承され、生活の中に息 づいていたのである。その祭祀の中で、島の創世、神々の由来などの島の歴史や、あ の世とこの世、太陽と月、昼と夜の意味など、島人の宇宙観、それに死生観が表現さ れていた。人々は、魂の不滅を信じ、魂の帰る場所、そして再生する場所を海の彼方 のニラーハラーに想定し、そこから守護力をもって島の聖域にたちかえる母神の存在 に守護をたのんでいる。この「母たちの神」は、<生む><育てる><守る>という母 性の有り様の中で形成された。つまり、内発的、自然的で、生命に対する慈しみがべ ースになっている<やさしい神>である。この久高島の祭祀世界を深く見ていくなかで、 私は、母性原理の神のもつ根本的な意味を考えさせられることになった。
久高島は沖縄本島から比較的近い離島である。今でこそ定期船が就航し便利になった が、戦前は定期船などなく、病気、買物など特別な時に漁師のサバニという刳り船を頼 んで行くという状態であった。つまり島の独自性が・・・・島人にとっては不本意であったか もしれないが・・・・保持されることになった。また久高島は琉球開闢の祖神が降り立った 島として首里王府から位置づけられ、島人もこれを誇りとした。そのため、とくに近年の皇 民化教育の中で母性原理の祭祀世界が近代化をさまたげるものとされたなかにあっても、 久高島は自信をもって祭祀をつづけてきたのである。それに、生業が農業漁業であって、 自然を対象にしていたことも重要である。そうして最も大事なことは「母たちの神」を信じて これを支えた女性たちがいたし、今もいるということである。このような精神文化の祖型が 残ったことはすばらしいことである。この母性原理の文化は、父性原理の文化がとどまる ことを知らず直進を続けて、破局の危うさを露呈している現代を考える大切な手がかりに なるであろう。いまや残してくれたシマの人々に感謝しなければならない。
|
目次
まえがき 久高島地図
序章 久高島の祭祀世界 久高島に渡る 語り部との出会い 完結した島宇宙 シマの暮らし 母系のつながり 創世の神話 女は神人、男は海人 一年の時を刻む祭り
第一章 魂の発見 葬送歌の意味 とだえた風葬 魂はどこに行くのか 魂の発見 祟る魂 魂の鎮め 秩序霊と混沌霊 秩序霊を司る者 ムトゥの神々 ノロ制度とクニガミ 神職者の継承
第二章 守護神の成立 三代の絆 守護力の根拠 妹の力 神女の資格 神となって歌うティルル
第三章 海神からの贈り物 漁労祭祀を司るソールイガナシー イラブー漁 キスク漁
第四章 神々の鎮まる場所 始祖神の館 カマドと火神 母神の鎮まる森 始原の地ニラーハラー
第五章 巫女の力 神女と王の恋 シャーマンの力 混沌霊を鎮める巫女 霊魂が入る頭頂 頭頂を開く儀式(チヂフギ) 抜け落ちた魂の儀式(マンブカネー) 死霊昇天のための<天地御願> 言霊の力<クチゲーシ>
第六章 久高島祭祀の風景 母が神になる刻(イザイホー) 1978年のイザイホーの4日間 喜びのうちに終わるイザイホー ニラーハラーの神々の来訪(ハンザァナシー) 豊漁の祈願(ヒータチ) 新たなる年への祈り(正月) 害虫祓い(ハマシーグ)
第七章 自然から紡ぎ出した物語 太陽と月と海 暮らしの中の神 妖怪ヒジムナーの話
第八章 誕生、結婚、そして死 生まれ変わりとしての誕生 結婚の儀式 逃げる花嫁 ニラーハラーへの旅立ち
終章 崩れゆく母たちの神 ある神女の死 神女としての生涯
あとがき
|
2012年2月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2015年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 先日9月28日ののスーパームーンと皆既月食(写真はNASAより引用) 大西洋方面(ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカ)ではこの二つの現象が重なり合いましたが、次にこの 二つの現象が見えるのは18年後の2033年です。 北海道のアイヌと共に、縄文人の遺伝子の多くを引き継ぐ沖縄、彼ら沖縄の人々の月への想いはどの ようなものだったのか。 「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書より以下引用します。 <月の神> ◎月も、太陽と並ぶ久高島の最高神である。 月神は<マチヌシュラウヤサメー>(マチは待つ、シュラは美しい、ウヤサメーは尊い親の意)といっている。 月の光の柔らかなイメージが女性のイメージと同質と考えたのか、月神は神女たちの象徴で、家レベルでは 根神が、シマレベルでは外間ノロがその司祭者である。 また月は女親であって産む能力を持っていて、久高一人一人の命に責任があると考えられ、出生のとき、 結婚のときは月神に報告し守護を頼む。年始めの健康願いも月神に祈る。 穀物を生産する力も月神で、麦、粟で作った濁酒は月神の守護力を持った尊いものである。麦、粟の 農作祈願祭祀はこの濁酒を神女たちが「共飲して」おこなわれる。 太陽が一日の周期を考えるのに対し、月は一ヶ月の周期で考えられる。つまり、月の満ち欠けによって 月日を読む。 月もその光によって守護力が発揮されると考え、十三、十五、十八夜は守護力が強い吉日と考え、祭祀の 適日である。イザイホーも十五の満月の夜から始める。一年で月神の守護力である月光が最も充実して いるのは旧暦八月の十五夜である。 この満月の夜に穀物の豊作と神女たちの健康願いがおこなわれる。月神も太陽神と同じく地上に降臨 することはなく、香炉もないまま、神饌を供える高膳が外間殿にあるだけである。月神を象徴する色は白である。 また月は普通、チチと呼ばれている。なお、日食は月神と太陽神の逢引といわれている。 |
Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent