「シャーマニズムの精神人類学」
癒しと超越のテクノロジー
ロジャー・ウォルシュ著
安藤治+高岡よし子訳 春秋社 より引用
人類の魂の源流であるシャーマニズムが持つ現代的意味を、科学者として の目と謙虚な視点で考察しているトランスパーソナル心理学第一人者によ る精神医学の名著。著者ロジャー・ウォルシュはカリフォルニア大学の教授 であり、臨床に従事しながら、精神医学、人類学、哲学の教鞭をとっている が、精神科医としては、スタニスラフ・グロフと並んでトランスパーソナルの 活動を推進してきた中心人物の一人である。本書はシャーマニズムの持つ 多くの側面(人類学、宗教学、民族学、社会学、医療・医学、精神医学、 心理学、生態学)から特に精神医学と心理学から接近した優れた研究書で ある。シャーマニズムという先住民族に流れている源流、そして太古の昔、 私たちの魂にも流れていた川に立ち戻ることなしに「未来」は語れないの かもしれない。本書を通して、多くの方が人類のあるべき姿を考え行動し てゆくきっかけとなることを願わずにはいられません。 (K.K)
シャーマンの世界観はいかに異なっていることか。シャーマンにとり、すべてが 聖なるもので、生きている。すべてが互いにつながりをもち、依存し合っている。 あらゆる生き物が、万物の調和を保ち、ひとつの壮大な生命の織物の一部で ある。シャーマンにとり、チーフ・シアトルがいったように、「あらゆるものはつな がっている。ひとつの家族を結びつける皿のように」。この神聖かつホリスティ ック(全包括的)な世界観は、シャーマニックな体験から培われたように思える。 マイケル・ハーナーは、つぎのように述べている。
「シャーマニズムによってもたらされる体験は、あらゆる生命との一体感 をベースに、宇宙に対する大きな敬意を育てる傾向がある。調和のなか に入ってゆくことにより、人は他者を助けるためにはるかに大きな力を 使えるようになる。なぜなら、宇宙との調和こそ、真の力の源だからで ある。そして、人は嫌悪よりも愛を強調し、理解やオプティミズムを推進 する生き方をするようになる。」
1997.7/25 「インディアンの源流であるアニミズムとシャーマニズム」
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(本書より、ロジャー・ウォルシュ)
われわれの課題は、自分たちの違いよりも類似性に目を向けなおし、相争い 合う集団や文化の二元論的差異を強調することから、自分たちが共通しても っている人間性の統合的理解へ向かうことである。またわれわれを自然から 隔てられたものと考え、自然自体を部分と見なす断片的見方から、あらゆる ものの統合とつながりを認識するホリスティックなヴィジョンへとシフトさせる ことなのである。自分自身を他者や世界から切り離され、独立したものと見 るか、あらゆるものに影響したり、影響されたりしているものと見るかを選択 するのである。それは小さな選択ではない。自分自身、そして自分と世界と の関係をどのように見るかを選択する。そのしかたが世界とわれわれの運 命を決めるかもしれない。シャーマニズムほど明白に、自然やエコロジーを 指向している伝統は少ない。その世界観と技術の両方が、この指向性を支 えている。それは自然を、人類が密接なつながりをもち、究極的に依存して いる、広大で聖なる神秘と見る。また、こうしたエコロジカルな見方を育てる 直感的知恵や体験に触れるための簡単な技術を提供する。つまりシャーマ ニズムは、古代の永遠の哲学と現代のエコロジー・サイエンスの両方のホリ スティックな見方に一致するものであり、その実践方法は、こうした見方を支 える体験を誘発するかもしれないということである。したがってシャーマニズム は、地球と人類の両方の生存を保証する助けとなるような、世界や自分自身 についての認識を培うという重大な課題において、こうした哲学や科学をサポ ートすることができるかもしれない。
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日本語版への序 ロジャー・ウォルシュ カリフォルニア大学アーヴァイン校 精神医学・人類学・哲学教授 より引用
近年、日本と西洋社会の間では、コンピューターや自動車、食料品、その他さまざまな 製品の貿易問題に非常に大きな関心が呼び集められている。メディアの注意は、もっぱ らこうした貿易問題やその底流にある国家間の競合やあつれきの問題への議論に集中 され、まったくそれ一色といった感さえもある。しかし、そうした騒がしさの影で、静かにそ して相互にとって有益な形を取りながら、もうひとつ別の貿易、つまり心理学や宗教の交 流が進行している。各種の豊富な宗教的伝統を受け継いできた日本からは、仏教、とく に禅が、西洋にもたらされた。現在その実践者の数は文字通り数百万にものぼる。この 宗教的伝統がもたらしたインパクトは、ゆっくりとそして静かにではあるが着実に、西洋の 文化、一般大衆、宗教社会、そして心理学や哲学に影響を及ぼしてきている。瞑想への 新たな関心が、ユダヤ・キリスト教社会のなかで息を吹き返し、キリスト教徒と仏教徒の 対話がさまざまに交わされ、数々の議論の場や雑誌が生み出されるようになってきてい るのである。われわれはおそらくいま、歴史家アーノルド・トインビーの予言、すなわち 「二〇世紀のもっとも重大なできごとのひとつは仏教とキリスト教徒の出会いであろう」 という予言のはじまりを目撃しているのにちがいない。禅はまた、中国の道教からイスラ ム教のスーフィズム、インドのヨーガそしてさらに部族的シャーマニズムにまで及ぶ。各種 の非西洋の心理学、哲学、宗教、そしてその実践への関心に火をつける火だねとなった もののひとつでもある。それらは他のさまざまな要素とともに、西洋の自民族中心主義を 減少させてゆく上で大きな役割を担った。このようなことは人類史上かつて見られたこと がない。世界にあるほとんどの宗教的伝統、実践、哲学が広く利用されるようになり、 西洋のさまざまな場所が各種伝統の出会うメルティング・ぽっと(るつぼ)となりはじめて いる。そしてさらに、そうした各種の伝統的実践法がさまざまに、それぞれの社会文化的 コンテクストから切り離された形で行われるようになってきているのである。シャーマニズ ムはこれらのもっとも劇的な例のひとつである。もともとシャーマニズムはあるひとつの部 族的伝統である。しかし、それが近年ネオシャーマニズムとしても知られるような形を取 り、西洋において著しくポピュラーなものとなりはじめている。そのなかでは、しばしばも ともとの部族の信仰や文化などはまったく切り離された形態のなかで、シャーマニズムの さまざまな実践が行われているのである。心理学もまた、仏教やその他のアジアのさまざ まな心理学、哲学、宗教から深い影響を受けてきた。西洋の心理学や精神医学は、元来 重症の病理の治療や行動理解のための経験的アプローチへの関心のなかから、臨床の 場でそして実験室のなかで生み出されたものである。西洋の心理学や精神医学は、この 臨床的科学的側面の強調を推し進めてきたことによって、しばしば宗教や宗教的体験に 対する生来的とも言える不快感を抱くことになってしまった。そして、そうした宗教あるいは 宗教的体験は、たいてい病理的なものとして扱われ、見捨てられてきてしまったのである。 二〇世紀の後半になり、心理学や精神医学は、人間にもっとも中心的な、もっともユニーク で、もっとも価値のあるものを見過ごしてきてしまったことが、しだいに明らかにされるよう になってきた。愛、慈悲、喜び、そしてより高度の健康や幸福といった感情が、その価値 を十分に認められないまま、ないがしろにされてきてしまったのである。そして、より高度 の健康についての研究が進むにつれ、マズローが「至高体験」と呼んだ体験がはっきりと 認められるようにもなってきた。これは、短い間であっても、非常に強烈なエクスタシーや 変容を呼び起こす変性意識状態である。そのなかでアイデンティティの感覚は、その個人 そしてそのパーソナリティを「超え」、人類、生のすべて、さらには宇宙全体へと拡張され る。そうした体験が知られるにつれ、仏教やヨーガといったアジアの伝統のなかに、至高 体験のあらゆる形----それらはそうした伝統のなかで人間の最高次の状態あるいは最高 次のゴールであるとみなされてきた。----が詳細に述べられているということもわかるよう になってきた。トランスパーソナル心理学は、まさにそうした体験、そうした体験の意味し ているもの、またそうした体験を引き起こす手段などについて研究するために生まれたの である。こうしたトランスパーソナル的アプローチは非常に重要となってきている。なぜな ら、そうした経験やそれを経験した人々をないがしろにして見過ごしたり、病理的として 診断することにとくに注意してきたからである。このアプローチは、そうした見方を取るより もむしろ、(ユング心理学やサイコシンセシスといったいくつかの学派と同じように)体験の 重要性を認め、それを経験した人々に及ぼされる変容の効果についての知識を深めてき たのである。このアプローチによって、心理学者たちは彼らの研究の核心にあるつぎのよ うな事実に気がつくようになった。つまり、効果的な宗教的伝統のなかには、いくつかの ある特定の意識状態を引き起こす技術が含まれていること、そして人々はそのなかで、 文化を超え時代を超えて、深い価値を与えられてきた超越体験、洞察、変容体験を手に しているということである。瞑想、ヨーガ、シャーマニズム、そしてそれらに類似した他の いくつかの実践法は、いまや超越体験を導き出すための技術として見られるようになっ てきている。シャーマニズムを知る上で、この新しい心理学的視点はとくに重要な洞察を 与えてくれる。これまでシャーマンやシャーマニズムは、しばしば精神病理の産物として 誤解され、あやまった診断を下されてきた。しかし、宗教的体験や宗教的伝統の理解と 認識の上に立った現代の西洋心理学の進歩を取り入れるならば、シャーマニズム研究 をより豊かなそしてよりたしかなものとすることができるだろう。本書「シャーマニズムの 精神人類学----癒しと超越のテクノロジー」は、実際このために書かれている。(以下略)
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訳者あとがき より抜粋引用
さて、本書は、著者自身が「日本語版への序」のなかでも述べているように、「ネオシャー マニズム」という名でも呼ばれるようになった近年の西洋世界におけるシャーマニズムに 対する関心の高まりを広く視野におさめて書き上げられたものである。つまり、本書はあ る意味でこの新しい社会文化的潮流に、現代の精神科医としてたしかな目をもつ必要性 に促されて生み出されたものだと言える。また、こうした無視できない新しい動きが生まれ ているからこそ、シャーマニズムを根本的に再考する必要が出てきているのだとも言える にちがいない。ネオシャーマニズムについては、アメリカにおけるその中心的人物マイケ ル・ハーナーの代表的著作「シャーマンへの道」が、本書の共訳者でもある高岡よし子氏 によってすでに邦訳が出版されており、そのなかの「訳者あとがき」、そして吉福伸逸氏に よる同書中の「解説」および「ハワイのネオシャーマニズム・・・非日常意識へのチャンネル」 などでも、その現状や登場の背景などについて詳しい紹介がなされている。また、雑誌「ト ランスパーソナル・ヴィジョン」第二号でも特集が組まれているので、興味をもたれた方は 是非ともそれらを参照していただきたいと思っている。それにしても、西洋世界とくにアメリカ において、シャーマニズムに対する関心は、他のさまざまな新しい文化的時代潮流とともに、 いまだますます高まりを見せているということはたしかなようである。具体的にはワークショッ プという形で、シャーマニズムのさまざまな技法を用いて、シャーマニズム本来のもつ個人や 共同体の癒し、そして現代においては、個人の自己成長や自己探求といった目的までもが めざされた実践が各所で行なわれている。自らの体験を重視する本書の著者もまた、実際 1988年にエサレン研究所で行なわれたハーナーの二週間にわたる集中的ワークショップ に参加しており、またハーナーだけでなく他の多くの実践者たちとも精力的に議論を深めて きている。だが、著者はこのいわゆる「ネオシャーマニズム」の推進者であるわけではない。 本書はあくまでも学術的なスタンスをとって、こうした潮流に対して冷静な目で判断しようとし た書物であり、そうした著者の態度は、本書のなかには次のように述べられている。「シャー マニズムに寄せられている西洋の現代のこの活発な関心は、どれくらい続くのかは今後見 ていく必要がある。いくつかのものは一時的流行として消えていくにちがいない。しかし、それ らのなかには、霊性探求、霊性の源の探索、発祥地の土着民の伝統への関心、地球に敬意 を表する伝統への重視などを反映した決して一時のものにとどまってはならない関心事も含 まれているのである」。そして現代の西洋のシャーマンに対しては、「しかし、もともとそこに根 づいていた社会的、文化的、神話的状況から切り離されたところでシャーマン的実践法を用 いる西洋人を、はたしてシャーマンと呼べるかどうかということは議論の余地を残す問題であ る」と疑問を投げかけながら、今後さらにより深く慎重な研究が進められてゆかなければなら
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目次 日本語版への序
第T部 なぜいまシャーマニズムか? 第1章 なぜいまシャーマニズムか? 第2章 シャーマンとは何か?
第U部 シャーマンの生き方 第3章 英雄の旅 第4章 最初のいざないとイニシエーションの危機 第5章 学びの道:シャーマンの修行生活 第6章 探求の原点:光、死と再生 第7章 原始的狂人か神秘家か?:シャーマンに対する伝統的な見解 第8章 精神病の危機か霊性の出現か?:近年の見解 第9章 シャーマンのトリック
第V部 シャーマンの宇宙 第10章 多次元世界とさまざまな霊
第W部 シャーマンの技術 第11章 宇宙を旅する:シャーマンの旅 第12章 超越の技術:変性意識状態への導入 第13章 予見と診断 第14章 癒しの方法:シャーマン治療の心理学的原理 第15章 癒しの方法:心理学を超えて 第16章 治療者が自分自身を癒す方法
第X部 シャーマン的意識状態 第17章 シャーマン的意識状態の地図 第18章 意識の比較研究:シャーマニズム、分裂病、仏教、ヨーガ 第19章 意識レベルのマッピング 第20章 意識の進化
第Y部 現代社会における古代の伝統 第21章 危機の時代におけるシャーマニズム 第22章 シャーマニズムの現在と未来
終章 さらなる探究のために
訳者あとがき 参考文献
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2012年1月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
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