「人類がたどってきた道 “文化の多様化”の起源を探る」
海部陽介 著 NHKブックス
本書 第11章 拡散を終えて より引用 かくしてホモ・サピエンスは、南極大陸を残して地球全体に広がった。改めて振り返ると、私たちの種が、 それ以前の人類といかにかけ離れた存在であるかが実感される。私たちの祖先は世界各地で新しい文化 を生み出し、それまでの人類の分布範囲を一挙に二倍以上に拡大した。 祖先たちは、なぜ未知の土地を目指して、行けるところまで進んでいったのだろうか。人口が過密になった り、タブーを侵したり争いに負けたりして、集団の一部が新たな土地を求めて移動したこともあったのだろ う。一方そうではなくて、純粋な好奇心や冒険心というものが、彼らを強く駆り立てたこともあったかもしれ ない。しかし何はともあれ、地球はこれで完全にホモ・サピエンスで染まってしまったのだ。この後に続く のは、地域文化のさらなる多様化であり、同時に各地域集団における勢力関係の変動の歴史である。 このように理解した上で、次に私たちが真剣に考えるべきことは、歴史の中で個々の地域社会が向かう 方向性を決め、現代の国際社会・政治・経済情勢を形成した重要な因子は何であったのかということで あろう。そしてその答えは、これまでに描いてきた歴史の中に、すでに見えている。 拡散していった祖先たちの様々な分派が行きついた先は、その後の発展に結びつく生産性のよい土地 もあれば、そうでない土地もあった。ここで明らかなのは、誰がどの土地へ住み着くことができるかを決 めたのは、偶然以外の何ものでもなかったということだ。拡散の旅路でいかに勇気のある行動をとった としても、そのことが明るい未来を切り開く材料になったわけではなかった。 その最もわかりやすい例は、南アフリカ最南端のフエゴ島と、東ポリネシアのイースター島であろう。 これらの土地は、ホモ・サピエンス拡散の歴史の終着点と言える。拡散史全体を一つの冒険ドラマに 見立てれば、そこへたどり着いた人々は賞賛されるのかもしれない。しかし現実には、それを記念碑 的な出来事と認識するのは、世界史を学べる立場にある私たち現代人だけだ。実際にはフエゴ島も イースター島も、不毛の地であった。そこへたどり着いた人々は、そのような土地を自ら選んだわけで はない。それなのに彼らは、その後よその土地からやって来た高い技術をもつ集団に、征服される 運命にあったのである。 これは現在までの歴史の結果である。しかし何とも煮え切らない部分のある結果である。私たちは、 この歴史をどう理解し、何を学び、そして将来のために何をすればよいのだろう。 |
歴史を方向づけてきたものは何か 本書では、私たちの種、ホモ・サピエンスがアフリカで進化し、その後、世界の隅々にまで拡大していった 歴史を描いてきた。この歴史は、過去600万年にわたる人類史全体の中で、どのように特徴づけられるの だろうか。一言で表現するなら、それは「文化の発展」以外にないであろう。文化そのものは、それ以前の 人類がもっていた。しかし人類史の中で、ホモ・サピエンスの時代とは、文化が劇的な発展と多様化を遂 げ、かつ絶大な影響力をもつようになった時代であったと言える。 ホモ・サピエンスは、生物史の尺度からすれば極めて短時間のうちに世界中に拡散したが、これは基本的 に文化の力によって成し遂げられたとみなせる。ホモ・サピエンスは、ほかの動物たちとは違い、分布域を 広げながらいくつかの種に分化することがなかった。自然環境の異なる新しい土地へ進出するに当たっ て、身体構造の生物学的進化を持たずに、文化的手段をもって適応できたのである。確かに世界各地へ 散った集団は、暮らしている土地に適するよう、身体形質を多少特殊化させた(本書ではそのような例とし て北方モンゴロイドとポリネシア人について説明した)。しかしそうした特殊化は、程度がわずかで種分化 するほどではなかったというだけでなく、第8章でも述べたように、必ずしも拡散当初に起こったものでは ない。 (中略) 一方で私たちは、自分たちが作り上げた文化に縛られる存在でもある。どの地域の文化にも、様々な かたちで社会のルールや規範が存在し、標準的な価値観、しぐさや言葉の使い方、食の好みといった ものがある。個人のものの考え方や行動様式が、属していた集団のそれにとにもかくにも大きく影響さ れることは、誰もが知っているとおりだ。このように私たちは、文化と切っても切れない関係にある。これ は、旧石器時代の祖先たちの社会においても、間違いなく同様であったはずだ。各地にそれぞれ独特 の文化伝統が存在し、それがある期間維持される傾向があったことが、その何よりもの証拠である。 それではなぜホモ・サピエンスだけが、文化を急激に発展させることができたのであろうか。それはこの 種において、それを可能にする何らかの生物学的な能力が進化したからにほかならない。文化は「知の 遺産」の継承、つまり先代から受け継いだ知識の体系に自分たちの発見・発明による新しい情報を付け 加え、次の世代に受け継ぐ行動を繰り返すことによって、維持され、発展していくものだ。私たちの祖先 は、どこかの時点でそのために必要な能力を進化させた。その能力の実態はまだ不明であるが、おそ らくいくつかの要素から成っていると考えられている。そのような要素の候補としては、例えば第3・4章 で説明したように、抽象的思考を行なう能力、無限とも言える発見・発明能力、優れた子見・計画能力、 シンボルを用いて知識伝達する能力などが挙げられている。 (中略) 本書で「知の遺産仮説」と呼んだ、この考え方の意味するところは大きい。つまり現代人は、その内面に おいて30万年前の旧人や20万年前の祖先(つまり最初期のホモ・サピエンス)とは違うが、世界へ拡散し はじめた5万年前の祖先とはほとんど同一だということなのだ。過去5万年間に私たちの内面が全く進化 しなかったかと言えば、そうではなかったかもしれない。しかしそうだとしても、その程度はわずかで、本質 的なものではなかったろう。 もし過去5万年間に人間の内面が大きく進化したなら、現在の地域集団間には、内面の顕著な違いが 生じている可能性がある。もっとも一言で内面と言っても、空間把握能力、論理構成能力、芸術的能力、 気性など、いくつもの側面があるので話は単純ではない。しかし例えば芸術にしても、各地で発達した スタイルは異なっているが、私たちは互いのスタイルの魅力を理解しあうことができるわけで(そしてそれ らをしばしば取り入れたり真似したりしているわけで)、芸術的能力に本質的な集団差があるとは思われ ない。いわゆる“知力”については(これ自体もさらに複数の要素に分けられる可能性があるが)、19世 紀以来、多くの人種主義者たちが、集団間に差異が存在することを客観的に示そうと様々に努力して きた。それにもかかわらず、アメリカ自然史博物館のスティーヴン・J・グールドが見事な検証の末に結論 づけたように、結局、現在に至るまでそのような科学的証拠は得られていない。現在の世界の人々は、 身体特徴つまり見かけの上でかなり違うため、私たちは人種や民族の違いや多様性にばかり目を奪わ れがちである。しかし、このように身体特徴が進化し多様化しえいるかといって、私たちの内面も同じよう に進化し多様化しているわけではないのである。 このことについて、もう少し説明しよう。私たちは、もてる潜在力を発揮し、現在の文明を築くまでに5万年 以上の時をかけてきた。しかしこれはあくまでも結果である。つまり5万年以上前の祖先において、文化を 創造的に発展させる能力が進化したとき、それは将来の文明の発展に役立つからという理由で進化した わけではありえない。生物の進化とは、そのような将来の目的をもつものではない。そもそもこのような 能力は、旧石器時代の祖先たちにとって、例えば新しい素材も使ってより機能的な道具を開発し、野生の 食資源をより安定的に確保することに役立つといった利点があり、そのために進化したものと考えられる。 しかしこの能力は大いなる発展性を秘めていたため、これまでにも見てきたように、やがて私たちの文化 は急速に複雑化していった。 総じて見れば、文化の複雑化は、ホモ・サピエンスにおいてこの能力が進化したことの必然的な結果で あったとみなせるだろう。そかし「文化のフィルター」という言葉で形容した例のように、個々の地域文化 は一方的に複雑化を遂げるものではなく、状況によって様々な方向へ変化しえるものである。アフリカか ら南アメリカ大陸最南端のパタゴニアまでの極めて長い道のりの中で、祖先たちは多様な環境を通過 し、膨大な知識を蓄積してきたはずだ。しかしその時々に不要な知識は捨てられ、知の遺産の多くが 失われたからなのであろう。最終的にパタゴニアへ到達した集団の文化は、極めて単純なものとなって いた。加工されたり捨てられたりするものであることを示す例である。そもそも、文化が複雑化して近代 文明のようなものが誕生するまでの5万年という期間も、地球の陸地の地理や地形、気候変動のサイクル などが異なるものであったのなら、早くも遅くもなっていた可能性がある。 このように理解したとき、各地域の歴史と文化に“違い”があるのは、不思議なことではなくなる。しかし、 その違いを優劣と結びつける考えに、私たちは注意しなくてはならない。冒頭の疑問に答えるとすれば、 縄文文化も、ほかの文化と同様に、普遍性と独自性を併せもつ文化である。この文化が当時の日本列 島という環境の下で、なぜこうしたかたちに発展したのかはたいへん興味深い課題だが、一方で、この 文化が先進的でなければ現代の日本人にとって困るというようなことは何もない。ヨーロッパの後期旧 石器時代の芸術も、それだけについて論じるのではなく、当時の環境や歴史とあわせてバランスよく理解 する必要がある。旧石器時代の芸術の証拠は、確かにヨーロッパでは目立って多く残されている。しかし 後氷期に入ったころには、世界各地で雨後の竹の子のように様々なスタイルの芸術が現れることも、見逃 してはならない事実だ。一方のヨーロッパでは、旧石器時代が終わると、壁画の文化は一時衰退する。 従って、私たちが追求する意味のある課題は、氷期のヨーロッパにおいて人々が芸術活動に駆り立てら れた背景は何であったかであり、旧石器時代人の芸術的才能に地域間差があったかどうかではない。 第5・6章でも触れたように一部の考古学者たちは、ネアンデルタール人という集団の存在を軸に据え、 そうした議論をすでにはじめている。 グローバル化の進行により、現在、私たちの生活環境は大きく変化している。現代は、異文化間交流を 通して、個人が文化的、精神的にもっと豊かになることのできる時代である。その一方で異文化間の摩擦 や衝突が頻発し、特定の強国が経済、軍事、文化といくつもの面で、他の国を圧倒する問題も進行して いる。このような現代において私たちが探さなくてはならないものは、世界を見つめる適切な視点だろう。 私たちの歴史を、局所的にではなく大きな全体の流れとして捉え、人間の文化とその多様性の成り立ち を理解することにより、私たちは新しい眼をもつことができるようになるのではないだろうか。私たちが 人間の文化の多様性を素晴らしいと感じることには、もっともな理由がある。それはどの文化にも、祖先 たちの5万年以上にわたる歴史が刻まれているからだ。 |
本書 第5章 クロマニョン人の文化の爆発 より抜粋引用 面白ことに、数は少ないが、ヒトと動物が合体したような半人半獣の絵も存在する。有名なのは、フランス のトロワ・フレーレス洞窟の絵で、手足の指と脚の形と直立した姿勢はどう見てもヒトだが、草食動物の 背中と耳、トナカイの角、ウマの尾、ネコ科のそれを思わせる陰茎と、いくつかの動物が混ざっている。 過去には、こうした絵は動物のマスクを被ったシャーマン(呪術師)とみなされていたが、想像上の生き物 を描いた可能性もある。古代エジプトのアヌビス神(ジャッカルの頭と人間の身体をもつ)などの例がある ことを考えれば、そうした可能性も非現実的とは思われない。後で述べるクロマニョン人が制作したマン モス牙製の小像の中にも、見事な半人半獣の作品が存在する。 |
目次 はじめに・・・・人間の文化はいつ多様化したのか プロローグ 世界中に分布するヒト 「銃・病原菌・鉄」 モンゴロイド・プロジェクト 第1章 ホモ・サピエンス以前 一つでなかった人類の系統 ホモ・サピエンスとは誰か ホモ・サピエンス以前の人類史 石器文化の発展 第2章 ホモ・サピエンスの故郷はどこか 1980年代以前 他地域進化説 アフリカ起源説 化石が示唆する過去 遺伝人類学が復元する過去 年代測定が揺さぶる解釈 ジャワ原人の運命 決定的な証拠 新しい動き 第3章 ブロンボス洞窟の衝撃・・・・アフリカで何が起こったのか 替わるMSAの位置づけ 革命はなかった 世界最古の「模様」 「模様」の意味・・・・シンボルを用いる行動 世界最古のアクセサリー シンボルを用いる行動の起源 最古の埋葬 旧人によるシンボル操作 骨器の登場、漁のはじまり 古さは本物か ブロンボスは特異な遺跡か 石器技術 現代人的行動のリスト・・・・再びホモ・サピエンスとは何か 言語の進化 第4章 大拡散の時代 知の遺産仮説 現代人的な行動能力の遺跡証拠 大拡散 祖先たちが歩いた世界 拡散は何回起こったか、なぜ拡散したか 第5章 クロマニョン人の文化の爆発・・・・西ユーラシア 地底に眠る大遺跡 クロマニョン人の発見 ネアンデルタール人の姿 偏見からの解放 上部旧石器文化 狩猟活動 石器、骨角器、土器のスペシャリスト 機能的な住居 社会間ネットワーク クロマニョン人たちの芸術活動 壁画はどうやって描かれたか 何が描かれたか なぜ描いたのか 芸術の爆発? ポータブル・アート 最古の楽器 文化のダイナミズム ネアンデルタール人の埋葬 謎の文化の主 ネアンデルタール人の本当の姿 消えたネアンデルタール人 クロマニョン人はどこから来たか 上部石器文化の終焉 第6章 人類拡散史のミッシング・リンク・・・・東ユーラシア ミッシング・リンク 中国の旧人とスンダランドの原人 カフゼーとスフールの謎 沿岸移住仮説 日本列島の重要性 山頂洞人の発見 ヨーロッパとの共通点 ないはずの石器 儀礼を伴う埋葬 芸術活動 大陸南方の文化 モンゴロイドの集団 アイヌとネグリト モンゴロイドの特徴の由来 アジア集団の形成 日本人の二重構造性 誰が一番進化したか? 後氷期の東ユーラシア 第7章 海を越えたホモ・サピエンス・・・・ニア・オセアニア 海の向うの有袋類の国 ニア・オセアニアという概念 現われ、消えたサフルランド オーストラリアのアボリジニ どうやって海を越えたか? 渡来の年代論争 巨獣たちの絶滅 世界最古の航海の背景 渡来してきた人々 頭骨の人工変形といくつかの世界最古 スピーディーな拡散? 後氷期のオーストラリア 新しい文化要素の起源 タスマニア島で起こったこと ディンゴを連れてきた人々 アボリジニのロック・アート 赤道直下の巨大な島 ニューギニアの文化と農耕の起源 第8章 未踏の北の大地へ・・・・北ユーラシア 人類未踏の地 寒冷地克服の条件 ロシア平原への進出 マンモスの骨の住居 メジリチ遺跡 スンギールの豪華な墓 シベリアの大地 シベリアの先住民族 北方モンゴロイドの成立 シベリアへの本格的進出 マリタ遺跡 細石刃の登場 極地への進出 さらなる東への道 第9章 一万年前のフロンティア・・・・アメリカ アメリカ先住民 先住民のルーツ 消えた平原ベリンジア 超巨大氷床 最古のアメリカ人論争 クローヴィス文化 南アメリカの魚尾形尖頭器 大絶滅の謎 一万年前のフロンティア 第10章 予期しなかった大躍進・・・・農耕と文明の起源 狩猟採集か農耕か 後氷期 農耕はどのように起こったか 食料生産を行わなかった人々 アフリカその後 第11章 もう一つの拡散の舞台・・・・リモート・オセアニア 大拡散の最終章 リモート・オセアニア 島の環境 ヨーロッパ人による太平洋探検 彼らの故郷はどこか カヌー文化揺籃の地 ホクレア 古代カヌーの発見 拡散した人々 ラピタ集団のメラネシア拡散 ミクロネシア、小笠原諸島への拡散 ポリネシアへの拡散 拡散を終えて エピローグ・・・・歴史を方向づけてきたものは何か 文化の多様性とは何か 参考文献 あとがき |
U-Th dating of carbonate crusts reveals Neandertal origin of Iberian cave art | Science
ネアンデルタール人が描いた6万4800年以上前の壁画
Neanderthals were artistic like modern humans, study indicates - Bintroo 1913年の論文に掲載されたスペインの洞窟壁画を写した絵=サイエンス誌提供 ネアンデルタール人が描いた? 世界最古の洞窟壁画:朝日新聞デジタル より以下引用。 スペイン北部の世界遺産のラパシエガ洞窟の壁画が世界最古の洞窟壁画であることが国際研究チームの調査でわかった。 現生人類は当時欧州におらず、絶滅した旧人類ネアンデルタール人が描いたものとみられる。22日付の米科学誌サイエンス 電子版に発表された。 研究チームはラパシエガ洞窟など3カ所で動物や手形などの線描の部分に含まれる天然の放射性物質を高精度な年代測定法 で調べた。三つとも6万4800年以上前に描かれたものだとわかった。 現生人類がアフリカから欧州にやってきたのは4万〜4万5千年前とされる。1万数千年前のアルタミラ洞窟(スペイン)や約2万 年前のラスコーの洞窟(フランス)など、これまでの洞窟壁画はすべて現生人類が描いたと考えられてきた。 4万年前に描かれたスペイン北部のエルカスティーヨ洞窟の壁画がこれまで最古とされてきたが、さらに2万年さかのぼる古い 洞窟壁画と確認されたことで、研究チームは「すでにいたネアンデルタール人が描いた洞窟壁画だ」としている。ネアンデルタール 人は現生人類に近い種で、約40万年前に出現し、4万年〜2万数千年前に絶滅した。 ラパシエガ洞窟の壁画には線を組み合わせたはしごのような図形もあった。抽象的な考えを具体的な形で表す「象徴表現」の 可能性がある。人類の進化に詳しい佐野勝宏・早稲田大准教授は「象徴表現は現生人類のみが生まれつき持つ固有の認知能力 という考えが多数派だった。今回の年代が正しければ、ネアンデルタール人にもこの能力があったことになる」と指摘している。 |
2012年8月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 原罪の神秘 キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが 何か考えるようになってきた。 世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る 余地などない。 ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない 遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら の魂は何かに守られていると感じてならなかった。 宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力 に満ち溢れているのだろう。 その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た わっているのかも知れない。 世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し ている。 世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。 これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類 と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、 原罪との関わりもわからない。 将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、 ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人と 言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。 しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。 原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて いる。 前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも それは変わらないのだと強く思う。 最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は 聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。 私の文章で不快に思われた方、お許しください。 ☆☆☆☆ 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように いさかいのあるところに、赦しを 分裂のあるところに、一致を 迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光を もたらすことができますように、 助け、導いてください。 神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。 自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ 永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。 ☆☆☆☆ (K.K) |
2012年6月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 氷河期の記憶(写真は岩田山公園にて撮影) 太陽の魂、暖かさを地上にもたらす鳥の伝説は2月5日に投稿した「ワタリガラスの伝説」があるが、 寒冷地に住む民族ほどこのような伝説を産みだしやすいのかも知れない。 このような伝説は、7万年前から1万年までの最終氷期を生き抜いた人類が子孫に伝える教訓とし て伝説や神話の中に生きている。 自身の「死の自覚」から神(創造主)との接点、それが神話の誕生に繋がったのかも知れないし、 それらはほぼ同時期に産まれたのかも知れない。 世界屈指の古人類学者のフアン・ルイス・アルスアガは、「死の自覚」が今から40万〜35万年前の ヒト族に芽生えたと言っているが、それは我々の祖先と言われてきたミトコンドリア・イブ(約16万年 前)よりも遥かに古い時代である。 エレクトゥス(100万〜5万年前)、ハイデルベルゲンシス(60万〜25万年前)、ネアンデルターレンシス (35万〜3万年前)のヒト族は既にこの世界から絶滅しているが、もし彼らに「死の自覚」、神との接点、 神話があったとしたら、それはどのようなものだったのだろう。 そして現生人類(我々)の最古の宗教であるシャーマニズム、そして現存する多くの宗教はどのよう に関わっているのだろう。 2010年に現生人類(我々)の遺伝子にはミトコンドリア・イブだけでなくネアンデルターレンシス(ネア ンデルタール人)の遺伝子がある可能性が指摘されたが、今後の遺伝子研究や発掘により、彼らの 真実が明らかになってくることだろう。 ただどんなに過去や未来に想いを馳せようが、我々は今この瞬間を生きていることだけは確かな ことかも知れない。 過去未来に関わらず、すべての生命がそうであった(ある)ように。 (K.K) |
2012年1月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年1月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2013年4月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 昨日、電王戦という将棋のプロ棋士とコンピューターの対戦でコンピューターが圧勝(3勝1敗1分け)した。 人間の最後の砦、A級棋士も負けたのだが、振り返ればチェスは1997年に人間チャンピオンがマッチで負 けている。その当時の掲示板では、多くの将棋ファンが「だからチェスは将棋より劣った競技だ」と主張して いたが、そこに未来の将棋の姿を予見したものは殆どいなかった。 これは何もチェス・将棋・囲碁などの盤上競技だけに当てはまるものではないと思う。 1986年のチェルノブイリ原発事故など世界中で多くの事故や事件が起きてきたが、それを対岸の火事とし てしか捉えなかった人々。私も含めて多くの人がそのような態度を取ってきたのだが、何故それらのことを 我が事として捉えることが出来なかったのか。 当時の私自身の視点、感受性のどこに問題があったのか。 それを想うと私自身とても偉そうなことは言えない。 人間は過去からの知の遺産を継承して現在の文明を築いてきたが、過去の過ちから感じたことの継承が、 果たして現在の文明にどれほど備わっているのだろうか。 今回の人間とコンピューターの対戦、それを通していろいろなことを思い巡らせてしまう。 |
Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent
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