2012年4月25日アーカイブ: Earth Dayな日々|鎌倉ツリープBLOG

(さらに大きな画像)




「呪の思想 神と人との間」白川静+梅原猛 対談 平凡社 より抜粋引用


白川・・・殷は商の蔑称ですからね。扁は身重の形。旁は「叩く」。どういう意味か解らんけれど

も、妊婦を叩くんだから、何か呪的な行為としての意味があったんでしょうね。それを廟中、御霊

屋で行う字形もある。妊婦の持っている特別な力を作用させるために、妊婦を叩く。「殷」というの

は「盛んな」、「激しい」とか「破壊」、血が出る場合には「万里朱殷たり」という風に、万里血染めに

なるという。だから非常に激しい意味を持った字ですね。



梅原・・・ああ、そうですか。これは面白いですね。その妊婦についていえば縄文の土偶は、全部

妊婦なんです。成年の女性で、腹が大きい。これが一つめの特徴です。二つめは顔がみな異様

な形をしていることです。ミミズク形とか円筒型とかハート型とか、いずれにしてもこの世の人の顔

ではない。三つめは腹に縦一文字の筋がある。へこんでいるのも盛り上がってるのもあるんです

けどね。四つめはみんな手足や胴体がバラバラになっていて、完全なものは一つもない、壊して

ある。最後は総てに当てはまるものではありませんが、丁寧に埋葬してあるものもある。この五つ

の特徴がある。



その土偶の意味が長い間解らんかったですが、ハル婆ちゃんにアイヌの葬法について聞きますと、

妊婦を埋葬するのがいちばん難しいと言うんです。というのは、子供が産まれるというのは新しく

生まれるのではなくて、祖先の誰かが帰って来たということなんです。だから子供が出来ると、あの

世のA家とB家の祖先が相談して、誰を帰すか決める。で、決まったら妊婦の腹に入って、月が満

ちて生まれて来る。とすると、妊婦が死ぬとせっかく先祖の人がこの世へ帰ってきたのに、閉じ籠

められて出られないということになる。これは大きなタタリになる。ですから妊婦が死ぬといったん

葬り、後に霊を司るお婆さんが墓に行き、妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦にその子を抱か

せて葬るということを聞いたんです。



そういうアイヌの話から土偶を見ると、「妊婦」「異様な顔」(死者の顔)「腹を縦に割る」(赤子を取り

出す)「バラバラにする」(この世で不完全なものはあの世で完全という思想)「丁寧に埋葬されてい

る」という条件が総て当てはまる。こういうことをある雑誌に書きましたら、福島県の方から手紙を

頂いて、福島の方では明治の頃までは、死んだ妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦に抱かせ

て、藁人形を添えて葬るという風習があり、それが法律に触れたといって裁判になったというエッセ

イを送って頂いたんです。この話を聞いて、この縄文の風習が日本の本州でまだ残っていたことに

驚きました。土偶は藁人形と同じ役割をしているに違いありません。だから土偶は妊婦が死んだ

場合に用いたものだということに間違いありません。ですから先生のお話をお聞きしますと、殷でも

妊婦が特別な役割をする。殷で妊婦の腹を叩くというのは、縄文の妊婦の腹を切るという風習と

繋がるのではないでしょうか。



この風習が、弥生時代になるとなくなるんですよ。入墨がなくなるのと同じようになくなるんです。

やっぱりこれは生まれ変わりなんですよ。この世の人があの世に行って、生まれ変わって来る。

縄文時代の思想では子孫となって生まれ変わって来る。ところが弥生時代になると、甕棺なんか

見ますと、個人の遺体を腐らぬように保存しようとしている。子孫として生まれ変わるのなら個人

の遺体は保存しなくてもいいんです。遺体は霊の脱ぎ捨てる着物に過ぎない。ところが弥生時代

になると屍を大事にする。これは個人の不死という考え方ですよ。これ中国から来た思想だと思

いますけどね。ですから妊婦の話を聞きますと、ひょっとしたら殷の時代にもあるんじゃないかと

思いますね。


 




「縄文 謎の扉を開く」縄文文化輝く会 より引用

本書「中ツ原遺跡の仮面土偶と縄文社会」

桐原健 より抜粋引用



土偶が戸外に据えられていたとなると、拝跪する人の数は家族を超えた複数多人数で、そうなると

聖霊と拝跪する縄文人との間に立つ祀る人の存在も浮かんできます。縄文のムラには女・子どもの

知らない秘密結社がありまして、その結社員が精霊とはこういうものだと具体化してくれます。その

秘密結社とムラ人の間に介在するのが司祭者で、ムラ人から見た場合、彼は精霊を呼び招く人、

土偶を管理し祀る人であります。民族例によりますと祀る対象物が人工物である場合は、それを

常時露天にさらすケースは少ない。戸外に結界を設け同処に土偶を据えるのは、特別な日に限っ

たことで、通常はムラ人の知り得ないタブーとされている処に秘匿されていた。


(中略)


土偶の持っている聖性を喪失させる行為は、精霊(マナ)を否定することに通じます。自分たちの

期待にこたえてくれないから殺すんだと言えば、それは現代的な話になります。精霊が死んだ、い

なくなってしまった。あるいは精霊と村の人たちの間を取り持ってきたシャーマンの死によって精霊

との交渉ができなくなってしまった。土偶の取り扱い方がわからなくなってしまった。このような場合

に土偶を放置しておくと、どんな悪い結果が起こるかもわからない。仕方がないから土偶の一部を

欠損させて聖性を喪失させた。




本書「女性と仮面の精神史」・・・民俗・民具研究の視点から

岩井宏實 より抜粋引用




こうした視点で見ると、女性がどんな霊力を持っていたか、またどんな力を持っていたかというと、

これはやはり一つは巫女(ふじょ)となる特性を持っていた。要するに神の託宣を聞いて、その託宣

でもって社会のいろんな問題に対応していく。こういう思想行動の中から語られてきたのが、歴史の

中で邪馬台国の女王卑弥呼であり、また天照大神であり、多く女性が核になって出てきます。その

示唆によって男性が実際実務を行っています。こうした中で日本の芸能が出て、文学も発生したの

であります。巫女が異常な状況になって神の託宣を聞いてその託宣を口走る、これが伝承になって

継承され、それを文字化されたときに文学に転換するとなると、日本文学の発生というのは、まさに

女性でもって生み出されてくるわけです。また、芸能の場合もやはり神を迎えてそれを慰める、ある

いは神の託宣を聞く。託宣を聞くのはやはり女性でありました。ここから湯立神楽が生まれ、それが

今日の神楽に発展してくるわけであります。いずれにしても日本の文学なり芸能の発生は、霊力あ

る女性が担ってきたものでありました。そうしたことから考えても、土偶が女性であって当然でしょう。

そうした縄文の時代に持っていた意識が、ずっと現在まで生きているのではないかと思います。


(中略)


さらに一本足のかかしと同じように、どこかひとつ人間とは違った形で神々は人間社会にあらわれる

んだと信じています。そうでないと同じ姿では同じ人間になり、これは神の聖なる表象にはならない

わけであります。だから異形者を日本人は非常に歓待をして、尊んだわけであります。この異形者

については、仮面のところでも異形者の霊が出てくるわけであります。今も青森県では、子どもが

生まれて普通の人間とはちょっと異なった姿で誕生すると、これは神さんの子だということで非常に

尊んで、これは神の授かりものである、あるいは神であるということで丁重に扱って育てるという風習

が、ごく近年までありました。これが日常の世界の中で、聞いていますと青森だけでなくあちらこちら

にあるんです。そういうことで異形者というものは、これは神の化身であるという考え、あるいは聖な

る力を持つものであるということです。したがって土偶は、聖なる異形者の姿と言えるでしょう。口が

歪んでいるとかいうふうな姿になっていたりするのも、あれは現世の人間とは違う姿を表象している

わけで、そういう意識が土偶の中にあらわれているのではなかろうかと考えているわけです。土偶は

ほとんどが女性で、男性の土偶は見られないところに、大きな女性の霊力というものを日本人は考

えていたということと、左右対称、正常な形ではなくて異形であるということにも、異形者を神聖視す

る日本人の意識があらわれている。それがすでに土偶に象徴されていて、今日のわれわれの世界

に継承されてきたのではなかろうかというふうに思うわけです。


(中略)


ここで日本で考えていたのは、三角というのは、神の支配する形であり神の支配する土地であり

聖なる形だと信じました。その一つに御霊の飯があります。人が亡くなったときににぎり飯をつくり

ます。これは御霊飯と言い三角につくります。この三角の御霊飯を持つことによって、聖なる他界

へと行くことができるのだと信じました。また、死者には必ず額に三角の冠をつけます。あの冠は、

やっぱり現世から他界へと行くときの聖なる表象なんです。そのほかわれわれ民俗社会で三角と

いうものを考えていくと、いろんなものが出てくるわけであります。一般に三角を忌み嫌うというのは、

聖なるものであるから普段それを使うことは忌み嫌います。日本人がそういうふうに三角というも

のを非常に古代から意識しているわけですが、そうした意識は縄文人も持っていたんだろうと思い

ます。




本書「土偶に見る縄文人の女神信仰」

吉田敦彦 より抜粋引用



そしてそのファースト・ペインティングと書いてある下を見ていただきますと、611メータース フロム 

エントランスと書いてありますね。つまり入り口からここまで611メートルもあるわけです。しかもその

通路は地下ですから、当然真っ暗やみです。その真っ暗やみの中を611メートルもの距離のこの

場所まで到達するために、クロマニョン人は長い道をたどらなければならなかったのです。こういう

ふうに平面図で見ると、それがどれほどたいへんなことかということがよくわからないんですが、起伏

の激しい通過するのが困難な迷路のような道だったのです。



苦労をしてクロマニョン人がこの場所までたどり着いて、そこに、きわめて迫真的な狩の獲物になる

大型の野獣の絵を描いたということが何を意味するかと言えば、それはきわめて明瞭だと思います。

その地下の広々とした空間は、彼らにとって大地の子宮であったと思うのです。そこに行くために

通らなければならない、長い長い迷路のような通路は、これは大地母神の産道です。だからその

産道を通って大地の子宮の中に行って、その子宮の壁や天井に自分たちにとって絶対に必要な、

それなくしては生きていけない、そういう野生の大型の獲物になる動物の絵を、互いに折り重なる

ようにしておびただしい数を描いたということがどういうことかと言いますと、これらの絵は、大地母神

が子宮にこういう野生の動物をおびただしい数、妊娠して、どんどん産み出して自分たちを養ってく

れている。その大地のありがたい働きを表現しているわけです。



そして、彼らにとって最も肝心なものが、そういう狩の獲物となる動物だから、彼らはそれを主に描い

たわけですけれども、大地母神はただ単にそういう動物を産み出すだけじゃない。ありとあらゆる

生きとし生けるもののすべては、大地から産まれてくるわけですね。あるいは生命のないものだって

大地の子として認識されたんだろうと思うのです。クロマニョン人たち自身も、こういうふうにしてこの

お祭を行うために、大地の産道を通っていって大地の子宮の中に入るわけですね。そのことでもって

いったん大地の胎児として自分たちも、大地の子宮に妊娠されるわけです。そしてお祭を行ってまた

苦労をして産道を通って外へ出てくる。そのときに彼らは、自分たちも大地の子として産まれたんだ

と、だから自分たちが獲物として狩をして殺して、食べたり毛皮を利用したりいる動物と自分たちと

は、同じ母神の子どもとしてのきずなでもって結ばれているという認識を持っていたんだと思うのです。



(中略)


19世紀の末にアメリカの先住民が白人に対して叛乱を起こしたときに、その精神的な指導者となっ

た、ウマピラ族のスモハラという人の言葉を引用して説明しています。スモハラは、アメリカの先住民

がなぜ白人のように農業をして金持ちにならないか、なってはいけないのかということを説明したん

ですね。スモハラは、なぜ自分たちは白人と違って作物栽培をしないかということを説明するために、

白人たちは大地母神に対して、作物栽培の営みによって、害を加えている。殺すようなことをしてい

る。身体をばらばらにするようなことをしていると言っているわけです。そういう思いを生々しく持った

んだと思うんですね。そしてすでに藤森栄一先生が、土偶が大地母神をあらわしているということの

根拠として、『日本書紀』の保食神(うけもちのかみ)、『古事記』の大宜津比売(おおげつひめ)の話

を引いていらっしゃいますが、これは私は大地母神とはっきり言いたいと思います。つまり、桐原先生

は精霊とかマナということを強くおっしゃって、神という言葉を避けていらっしゃいます。私はそういう

態度はとりません。もしかしたらネアンデルタール人もちゃんと神の考えを持っていたんじゃないかと

思っているので、今から3万5000年前の先史時代のビーナス像も、それから洞窟画もみんなやっぱり

偉大な大地母神の働きをあらわしているから、縄文土器の土偶もやっぱり大地母神をあらわしたん

だと思うんですね。








本書「縄文土器の形とこころ・・・ドングリのアク抜きと土器の関係」

渡辺徹 より抜粋引用



長野県伊那市御殿場遺跡出土の釣手土器・・・(中略)・・・そのこと自体、性的行為を示している。

これは、大晦日の晩に伊勢地方で行われる、ゲーター祭を思わせるものです。直径2メートルぐらい

の竹の輪を作り、それを竹竿で若衆がみんなで突っついて、一番天井まで押し上げたときに終わり

になるんですね。そういう突っつくという行為がなくても、新しいお命を頂くということで茅の輪くぐり

というのがどこの神社でもありますよね。お正月など、参道をくぐってお参りして帰ってくる。あれは

母親の子宮の中に一回入って、生まれ変わって出てくるということで、縄文以来の伝統というふうに

思わなくてはいけないわけですが、その伊那市の御殿場遺跡から出たものは、吉田先生はこう書い

てあります。



「釣手部の頂点に人の顔がはっきり表されている」、「全体が明らかに腹の部分の大きく膨れた女体

を思わせる形をている」、「女神像」だと。そしてその「女神は、胎内におそらく彼女の子の神と見なさ

れた燃える火神」、それを産みながら体を焼かれて死んだ女神であると。日本神話の最高神である

イザナギ、イザナミですね。イザナギ、イザナミはアマツマグワイをして日本列島を生み出し、最後に

火の神カグツチを生むときにイザナミはその陰部を焼かれてもだえ苦しんで死ぬ。その過程で人間

にとって必要ないろいろな穀物、粘土、鉄、こういう物を吐き出したということになっているのです。

「このイザナミと似た身体の中に火を持っていた母神を主人公にする神話は、メラネシアやポリネシ

ア」、それから南米まであるんです。このことは、ほかの地域と比べるとわかります。私がイタリアの

ポンペイ遺跡の発掘に加わったときに、ギリシャ・ローマ神話を読んだのですが、あちらは、最高神

のジュピター以下、ひたすら恋愛を繰り返し、ひたすら男であり、女であるんです。しかしアジアの神

様は、どこか母親のイメージがあるんですね。要するに自分の身体を焼いて死んで、その代わり、

その子どものためにいろいろな物を残す。こうして人間のために残すというのは自己犠牲ですから。

これは、一番ランキングの高い愛情の表現ということになります。そういうものの考え方を縄文人は

すでに確立しているということになるのではないかと思います。






本書「文様で見る月の神話」・・・有孔つば付き土器の図像世界

小林公明 より抜粋引用



これは昭和38年に江上波夫さんが「勝坂式系土器の動物意匠について」という論文を書きまして、

その中で、当時はこれほどの資料はなかったのですが、蛙形人物とかカエルとかヘビの文様を取り

上げて、これと同じものが新石器時代の中国や西アジアや中南米にあると述べている。江上さんの

結論は、これらがきわめてよく似ていて、とくに中国のものと並行関係、年代的にも並行関係がある。

これは、生活環境も精神状態も非常に似通った環境にないと、こういうものは出てこないだろうという

ことです。しかも中国や西アジアの場合、中南米もそうですが、農耕をやっている。カエルやヘビとい

うのは水の神、従ってこれは農耕と深い関係がある。この時代の人たちは原初的な農耕を営んでい

たのだろうと、こういうことを書いたのです。今から40年以上前のことになりますが。



それから10年くらいたって、今度は、日本の古代について研究しているドイツのネリー・ナウマンと

いう女の先生が、「縄文時代の若干の宗教的観念について」という論文を書くのです。その中でやは

り同じように、新石器時代の中国、西アジア、中南米ときわめてよく似ている、と述べている。江上さ

んと異なるところは、ナウマンさんの場合は、それらの図像が何を表しているかというと、中心テーマ

は「死と再誕生」である。その背景にあるのは「月の神話」だと言っています。農耕に関してはあまり

言及しないし、むしろ否定的だったのですが、そこには当時の人々の世界観が表されている、という

ことを述べた。そして中国ときわめてよく似ており、そこには中国とまったく同じ一つのシンボル体系

がある。従って、次の課題は、中国から日本列島へ伝播の過程を明らかにすることだというような

ことが述べられている。これは昭和50年。もう30年あまり前です。


(中略)


要するに、相互照らし合わせて考察をしてみると、月、それからカエル、カエルの中でも王様である

ヒキガエルです。ヘビの中の王様がマムシであるのと同じように、それから、水、女性、この四位一体

世界です(三位一体とはよく言いますが)。この四者が一体となった月を中心とした世界観、太陽に

対して月のことを太陰と言いますが、太陰的な世界観を形づくっているという結論にならざるを得ない

のです。


(中略)


人類にとっての最大の悩みは死です。これは現代人も古代の人間も、新石器時代でも旧石器時代

でも、死というものをどのように理解して、いかにして克服するか、これに人類は営々として知恵の

限りを尽くして、おそらく石器時代、人々はその答えを月に見いだした。月というのは、われわれの

眼前にあって比較的短い、今日流にいうと、29.5日という周期でもって、規則正しく満ち欠けを繰り

返している。月は人間と同じように生まれて、生長して、老衰して死ぬ。けれども3日間の暗やみの

後、4日目には必ず西の空によみがえる。これを人類の眼前で未来永劫に繰り返している。そこに

石器時代の人たちは答えを見いだした。そこに一つの宗教観念、哲学というものが発生していた。

そういった世界観なり宗教観念が、有孔つば付き土器に非常に濃厚に描かれている。まずはそう

いう結論になったのです。





本書「まほろばの国の信濃」

杉山二朗 より抜粋引用



昔から考古学を好きな人を考古学少年といいまして、われわれの先輩の江上波夫先生は考古学

少年の一人であり、旧制中学の2年頃から考古学に興味をもち、専門雑誌に論文を書かれました。

文化勲章を受章されました。ところが、あの文化勲章の経緯には大変問題がありまして、先生は

日本の天皇家は朝鮮半島から遊牧の騎馬民族として日本を征服したのだという、皆さん方がご存

じの遊牧民族王朝征服説を立てました。私は先生のああいう考え方については、半分は納得して

いましたが、半分は少し眉唾ではないかということを申し上げたことがあります。その先生の発言が

取り上げられ、文化勲章を受章されたというのは、天皇家というのは遊牧騎馬民族ということを認め

たのだと認識しております。現実に天皇家は、今の天皇様も昭和天皇様も、365日の3分の2から

4分の3は農耕儀礼を行っておられる方です。


(中略)


今、私が申し上げたのは、高句麗の文化がいかにこの国の“まほろば”を活性化したか、すなわち

彼らが入ってきたとき、ここがある意味で非常に高文化的な条件を持っていたからこそ、すなわち

ポテンシャルのエネルギーがここにあったからと、私は理解しております。これは今までの歴史ない

しは考古学の常識からいたしますと、ある意味では非常識かもしれない。しかし、ご存知のように

ここから2対のすばらしい土偶が出てくるということは、私からすると「うん、出てきたな。恐らくこうい

うものが当然出てくるはずだ」と申し上げたいのです。偶然出てきたとは私は思っておりません。

逆に言うと、当然あるべきものが今までなぜ出てこなかったのか、という気がいたします。


(中略)


縄文という時代は、今のジェンダーで言いますと、最高の女性の時代です。あらゆる発明と発見、

あらゆる意味での幸福の追求というものを献身的に働いたのは全部女性です。土器も女性です。

縄文土器は過半が男性がつくったものではなく、女性がつくったものです。


(中略)


縄文の方は女性の叡智そのものをかたどった命名です。弥生になってくると、その場所を指すという

のが弥生ですから、弥生文化と縄文文化の質的な差が命名の中にもはっきりあるということです。

それから後、古墳という命名が出てきますが主権者、支配者の墳墓が発生した時代にもなります。

縄文というものが女性の美意識、感性と知性が一丸としたものとして受け取り、それに対して弥生と

いうのは、私などに言わせるとあまりにも土器そのものが貧弱であるだけではなく、実は弥生に入っ

て女性たちは土器づくりから退場せざるを得なかった。なぜか。稲作という栽培におけるものが全部、

女性の労働に変わるからです。


(中略)


したがって縄文の時代は母系の社会です。弥生の後期ぐらいから父系社会に入ります。女性だけで

はなく男性が定住して、土器もやがて男性が奪うわけですが、そういう中にこういう地母神式の土偶

がというものがあったときに、次に問題になってくるのは、土偶が全部女性像だということです。われ

われはこれをマザーゴッデス、地母神という言い方をします。大地の中にそういうスピリットがある。

これが植物というものを繁栄させ、花を咲かせ、実をならせるというきわめて合理的というか、この中

に何かがなければこういうふうにならないよという部分が、地母神信仰として顕在化します。インドも、

そして東南アジアにも地母神信仰があります。そしてさらにイラン高原からメソポタミアの原始農耕

社会にも分布しています。そういうものが農耕社会的な様相を持つのか、牧畜生活の状況からか

わかりませんが、とにかく小麦が多く実る、家畜がたくさん子を産むように祈ってつくったのが地母神

です。





本書「仮面の謎を解く」

吉野裕子 より抜粋引用



「仮面土偶」ですけれども、だいたい女性神の像であるといわれておりますが、これは私も全く同感で

ございます。ただ、これに「仮面」がついている。ここがちょっと私の意見と異なるところでございます。

これは正面から見るとどこまでも女蛇シャーマンの全体像でございます。しかし、側面から見ますと、

それは、祖先神として縄文人があがめた蛇の全体像ではないかと私は思うのです。そうして、この

正面と側面の両方をあわせると、これは男と女、つまり陰と陽。陰陽神となります。さらに言いますと、

これは神様と人との合体像と受け取られるように思います。このように考えますと、仮面と言われて

いる頭の部分の逆三角形は蛇の頭部の造形ではないかと思います。この逆三角形ですが、蛇の略

図をかきますと頭はだいたい正三角形ですね。頭は正三角形でそれに胴体がずっと続くわけです。



それでは、なぜ逆三角形になっているか。つまり祖神の蛇がねらっているところがあるのです。

ねらっているところは女蛇シャーマンの女性のシンボルのところ。これをねらっているんですね。です

から、どうしても蛇の頭部の造形である正三角形は逆三角形になります。ちょうどこの仮面と言われ

ているこの形がそこに出てくるわけですね。蛇というのはとかく穴をねらいますからね。どうしても頭

が下になる。何か獲物をねらうときは逆三角形になるわけです。それが仮面、仮面と言われている

蛇の頭部のありのままの模写ではないかと私は思うわけです。そうしますと、陰と陽がぶつかれば、

そこに液体が生まれます。平たく言えば性器ですね。それがこの像全体の筋模様、あるいは渦巻き

模様だと思います。それから、この像の右足は、わざと砕いているように思われるわけです。正面か

ら見るとこれは女蛇シャーマンの造形ですけれども、わきから見るとこれは蛇の造形であるとさっき

申し上げました。蛇というと必ず一本足ということが民俗学の方では常識になっています。ですから、

神様をお祭りするとき、よくわらじを片一方だけつくって収めるんですね。わらじが片一方ということ

は、そのお祭りしている神様、お祭の対象が一本足であるということです。


(中略)


そこで祖神様にどこまでも守っていただきたいということで蛇をかたどるために片足を砕いてしまった

のではないかと思います。先ほど資料館を拝見させていただきましたけれども、これはお墓の中から

出土したということでございます。ということになれば、死者をあの世に新しく生まれさせる、そういう

呪物であったと思います。そうすれば、なおさらこれは仮面女性神像と言われるこの土偶は今申し

上げたように男女の合体像。それによって死者が新しく身ごもられて、そして次の世では蛇になって

誕生する。そういう予祝を兼ねて埋められたのではないかと思います。





本書「現代人と縄文人の考え方」

養老猛司 より抜粋引用



日本文化というものを丁寧に考えていくと、私はおそらく縄文と弥生とが非常におもしろく、複雑に

絡み合っているものだろうと。言葉などもそうで、日本語って変な言葉ですが、われわれが習う言語

学というのはどうしても西洋の言語学が中心になります。西洋語というのは一つの祖語であって、

母語があって、それが枝分かれしていったという典型的な言葉ですから、言語をやるときについそう

考えて調べようとしてしまう。これはもう古く何十年も前に日本の物理学者が「それはおかしいんじゃ

ないの」ということを統計的に検討して出していますね。要するにフランス語とかイタリー語、スペイン

語とラテン系の言葉という幹があって、そこから分かれる。それと同じように考えて、朝鮮語、日本語、

琉球の言葉お同じように分析しようとするとまったくできない。話がむちゃくちゃになってしまう。その

方は物理学者ですけれども、どう書いていたか。「日本語の成立は逆だ」というのです。いくつもの

言葉が別の時代に流れ込んで、一本の幹になったものが日本語だ。そう考えた方がずっとデータに

合う。



私もそう思っていました。日本語というのはいくつかの言葉が枝分かれしていって進化していったの

ではなくて、違う人たちがいろいろしゃべっていて集まってできた。まったく母語の違う子どもたちが

集団で遊んでいるとどの言葉でもない、新しい文法と新しい言葉ができてしまいます。これをクレ

オールという。日本語がクレオールだろうというのは亡くなった安部公房さんが一生懸命言っておられ

ました。私もそう思います。



日本語というのはある意味非常に変な言葉で、それは新しくできている言葉ですね。いろいろな言葉

をつぎはぎして、つぎはぎではないので、ある意味では新しく発生してしまう。そういうことが起こると

いうことを認めないと、世界中にこれだけ言葉があるというむちゃくちゃな事実が説明できません。

言葉ってしょっちゅうボコボコでてくるものなんですよ。じゃあ、どういう状況で出てくるのだろう、大人

は頭がかたいですから、たたき込まれた言葉しか使いませんけれども、そういう言葉を小さな子ども

同士が違う言葉でやっていますと、そこに新しい言葉が出現してくる。そうやっていくつもの奇妙な

言葉が世界中に発生してきたのではないかと思っています。ですから縄文と弥生の境でもおそらく

そういうことが起こり、これはいろいろ考えていくとおもしろいと思います。




Camera artist casts new light on Jomon millennia | The Japan Times




2013年4月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「男は女の力を恐れている」



(写真は『アメリカ先住民女性 大地に生きる女たち』から引用しました。)



中東やインドで起きている女性の悲劇を見るにつけ、私はそれを感じてならない。



恐らく太古の時代では多くが母系社会(母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度)で

あり、調和ある共同体をつくるために母系社会は最も基礎となるものだった。



縄文土器に見られる女性像などから、儀式を執り行ったのは主に女性だったのではないかとの説が

あるが、沖縄・奄美のユタ(殆ど女性)を除いて、世界各地のシャーマンは圧倒的に男性が多い。これ

はもともと女性は生まれながらに偉大な神秘が宿っていることを男性自身が認識しており、治癒など

の儀式や部族の指導者(女性の意見だけで決める部族もある)は男性に任せるというのが自然の流

れになってきたのかも知れない。



母系社会の中では性犯罪が起きることは考えられないことであった。例えばアメリカ先住民と白人が

憎み戦っていた時代の証言「インディアンに囚われた白人女性の物語」の中でも、白人男性の捕虜と

は異なり、女性捕虜が如何に大切に扱われてきたかを読むとることができる。



このアメリカ先住民の社会では、女性が男性の荷物を家の外に置くだけで離婚は成立し、その逆は

なかった。



ただ現代のアメリカ先住民社会は、子供を親から無理やり引き離し、言葉・生活習慣・宗教などの

同化政策がなされた影響で、アルコール中毒、自殺、家庭崩壊、貧困が深刻な問題になっているが、

虐待や育児放棄の被害にあった子供たちを母系の集団の中で世話するため、現在でも孤児は存在

しない。



母系社会がいつから父系社会に転換したのか、、定住とそれによる近隣との闘争という説もあるが、

私の中ではまだ答えは見つけられないでいる。しかし肉体的な力による服従が次第に母系社会を

崩壊させ、それが暗黙のうちに様々な宗教に伝統として紛れ込んだのは事実かも知れない。



日本では菅原道真などに象徴される「怨霊」や「祟り」を鎮めるために、迫害者に近い人が神社などを

つくり、祭り上げることで鎮めてきたが、同じように卑弥呼の時代は既に女性の力の封印が始まった

時期だと思う。また中世ヨーロッパにおける「魔女狩り」も、宗教が関わりを持つ以前から民衆の間で

始まった説があるが、女性の力を封印させる側面もあったのだろう。



「男は女の力を恐れている」



無意識の次元にまで下ったこの感情を、あるべき姿へと開放させ、母系社会の意味を改めて問う時代

だと思う。



「アメリカ先住民」に限らず、「聖母マリア」「観音菩薩」の存在は、暗にその意味を私たちに教えている

ような気がしてならない。



☆☆☆☆



「女性が死にたえるまで、部族が征服されることはない。」

(チェロキの言い伝え)



「先住民族女性と白人の女性開放論者のちがいは、白人フェミニスト

たちは権利を主張し、先住民女性は負うべき責任について主張し

ているところだ。このふたつは大きく異なる。わたしたちの責務とは

この世界にあるわたしたちの土地を守ることだ。」

ルネ・セノグルス(Renee Senogles)
レッド・レイク・チペワ(Red Lake Chippewa)



「女は永遠の存在である。男は女から生まれ、そして女へと帰っていく。」

オジブワ族(Ojibwa)の言い伝え



「この星は、われわれがずっと生活してきた家である。

女性はその骨で大地を支えてきた。」

リンダ・ホーガン(Linda Hogan) チカソー(Chichasaw)族 詩人



「女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と

女性を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。生命を産む

のは女性である。女性が昔から感じとっていた眼にみえない大きな力と

の関係を男たちが理解し始めるなら、世の中はよりよい方向に変化し

始めるだろう。」

ロレイン・キャノ(Lorraine Canoe) モホークの指導者



☆☆☆☆




 
 

2013年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。




ニーチェと宮沢賢治(写真は1年前に作ったレゴの蒸気機関車です)



ニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴される虚無主義(ニヒリズム)と「超人」思想。



私はニーチェの著作に触れたことがなく正しく読み取っていないかも知れませんが、、現世から目を背けている

当時の風潮に対して、彼は果敢な挑戦状を叩きつけたのだと思います。



しかし、来世のことだけを語る宗教への断罪と虚無主義。一部において何故彼がこう考えたのか納得はするも

のの、私たち一人一人は空気や水・食べ物など、地球や他の生命が養い創ったもののなかでしか生きられま

せん。人間は決して単独で存在できるものではありませんし、他のものとの関係性なくしては生きられないので

はないかと疑問に思ったのも事実です。



デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」からニーチェ、ハイデッガー。彼らの「個(人間)」だけを世界から切り

離した思索、人間中心主義が横行した西洋哲学に対して、梅原猛さんはその著「人類哲学序説」の中で鋭く

批判しています。



これらの西洋哲学者の対極にいるのが宮沢賢治先住民と呼ばれる人なのかも知れません。西洋哲学が

人間を世界から切り離して真理に近づこうとしていたのに対し、賢治や先住民は他のものとの関係性(繋がり)

を基軸に据え、賢治の場合は「銀河鉄道の夜」などの童話を通して私たち後世の人に想いを託したのでしょう。



賢治が言う「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、互いの繋がりを

真に肌で感じた者にしか発することが出来ない言葉なのだと思います。



梅原さんは前述した本の中で、宮沢賢治と江戸時代の画家「伊藤若沖」を紹介され、二人の思想の背景には

「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(国土や動物・草木も仏性を持ち成仏できる意味)が

あり、縄文時代アイヌを含む世界各地の先住民の世界観に共通しているものがあると言われます。



またノーベル賞を受賞した福井謙一さんの言葉「科学はいまに、裁かれる日がくるだろう。自然を征服する科学

および科学技術から、自然と共生する科学および科学技術へと変わらなければいけない」を紹介されていました

が、科学技術文明の基となったデカルト以来の西洋哲学にも同じことが言えると主張されています。



私たちはデカルト以来の西洋哲学を、反面教師として捉える時期なのかも知れません。



ニーチェの「神は死んだ」、私は彼の思索の片鱗も理解できていないかも知れませんが、虚無としか映らない

状況のなか一筋の光りを見た女性がいました。



ニーチェの「超人」思想がヒトラーに悪用され、ハイデッガーがナチスの思想ではなくヒトラーの強い意志に魅了

されていた同じ頃、アウシュヴィッツの強制収容所で亡くなった無名の人ですが、賢治の銀河鉄道と同じように

多くの人の道標として、これからもその軌道を照らしていくのだと思います。



最後に、フランクル「夜と霧」から抜粋引用し終わりにします。



☆☆☆☆



それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。



「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。



「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを

追っていなかったからですの。」



その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達

ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。



外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。



病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた

一本の緑の枝を見ることができた。



「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。



私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか? 

不思議に思って私は彼女に訊いた。



「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」



彼女は答えた。



「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」



☆☆☆☆




 

2012年5月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



2012年4月25日アーカイブ: Earth Dayな日々|鎌倉ツリープBLOG



「縄文のビーナス」 2012年4月国宝に指定 (写真は他のサイトより引用)



高さが45センチもあるこの土偶は約4500年前のものと言われており、縄文時代

土偶の中では最大級のものです。



平成4年、山形県舟形町の西ノ前遺跡から出土したこのビーナス、その造形美に

は心打たれるものがあります。



縄文時代に思いを馳せ、このビーナスを作った人のことを想像してみたいものです。




(K.K)



 

2012年10月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



(大きな画像)


本日10月1日、十六夜(いざよい)のお月様です(自宅にて撮影)。



縄文土器の一つ「有孔つば付き土器」、この土器に見られる図像は「死と再誕生」を意味しており、

その背景にあるのは「月の神話」ではないかとの説があります。



40年前この説を最初に唱えたのは、「縄文時代の若干の宗教的観念について」という論文の中で

ドイツのネリー・ナウマン(女性の方です)さんが書いたものらしいです。



それに関連して、「縄文 謎の扉を開く」という本の中で縄文土器を研究する14人の方たちが、そ

れぞれの視点で縄文土器の意味を探り発表しますが、異なる解釈も見受けられ興味深い文献で

した。



この本の中で、「文様で見る月の神話」を書いた小林公明(井戸尻考古館館長)さんの言葉を下

に紹介しようと思いますが、一つの仮説として読んでいただければと思います。



私も古代の人は、月だけに限らず、太陽や星、天の川を見て、この世とは違う世界が存在してい

ることを感じ、そこに何らかの宗教心が産まれたのではないかと考えていますが、これは永遠の

謎(神秘)なのかも知れません。



☆☆☆☆



人類にとっての最大の悩みは死です。



これは現代人も古代の人間も、新石器時代でも旧石器時代でも、死というものをどのように理解

して、いかにして克服するか、これに人類は営々として知恵の限りを尽くして、おそらく石器時代、

人々はその答えを月に見いだした。



月というのは、われわれの眼前にあって比較的短い、今日流にいうと、29.5日という周期でもっ

て、規則正しく満ち欠けを繰り返している。



月は人間と同じように生まれて、生長して、老衰して死ぬ。けれども3日間の暗やみの後、4日目

には必ず西の空によみがえる。これを人類の眼前で未来永劫に繰り返している。



そこに石器時代の人たちは答えを見いだした。



そこに一つの宗教観念、哲学というものが発生していた。



そういった世界観なり宗教観念が、有孔つば付き土器に非常に濃厚に描かれている。



☆☆☆☆




 

2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ)

(大きな画像)



土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。



今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の

高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。



今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって

知ったことだが)。



殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が

刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。



アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を

取り出し母親に抱かせた。



それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。



また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の

時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。



このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い

悲しみと再生の祈りが込められていると記している。



「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。



縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。



過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。






Japan, Middle Jomon Period Flame-Style Vessel c 2500 BC Art

火焔型土器(縄文土器)



2012年3月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



火焔型土器(縄文土器)の真価を初めて発見した岡本太郎



私は読んでいませんが、岡本太郎著「画文集・挑む」1977年、岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号

「縄文土器論」の中で、「太陽の塔」で有名な芸術家、故・岡本太郎氏は次ぎのように記しています。



☆☆☆☆



○「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不

思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。何だろう。・・・・

縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があっ

たのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃え

あがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己

発見でもあったのだ。」



○「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと

執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を

主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」



☆☆☆☆



この縄文時代の火焔型土器は、岡本太郎氏より前に多くの考古学者や人類学者が目にしてき

ました。彼らは刻まれた文様などの解釈に悩んでいたのだと思います。しかし彼らの頭の中では

論理的思考しか働いておらず、土器が持つ「生命力」を感じることが出来ずにいました。この火焔

型土器(縄文土器)の再発見のいきさつを思うと、左脳の論理的思考だけでは真実は見えてこな

い、右脳の創造性や直感も如何に大事かを教えてくるのではと思います。この意味での「平衡感

覚」が「在るべき人間」に備わっていると私は感じます。



先に紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、「光の画家」として知られるフェルメール(1632年か

ら1675年)の作品に独自の解釈をした文献も出されているようです。学者の中でもこのような平衡

感覚が備わっている方はいますが、「在るべき人間」とは、知能や知識などで判断されるものでは

決してないと思います。



誰が話したか覚えていませんが、「毎朝、妻の寝顔を見ると、新しい女がいつもそこに眠っている」

という感覚。縄文人にとっては、一日一日が美や創造の再発見であったのかも知れません。



最後に私が尊敬する哲学者・梅原猛氏の岡本太郎氏に関する記述を紹介して終わりにします。

これは「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」梅原猛著からの引用です。



☆☆☆☆



この縄文土器の美を発見したのは、前にも述べたように岡本太郎氏である。美というのは、すで

に存在しているものであるが、やはりそれは誰かによって見い出されるものである。日本の仏像

の美を見い出したのは、フェノロサや岡倉天心であったし、木喰(もくじき)や円空(えんくう)の仏像

や民芸の美を見い出したのは柳宗悦なのである。縄文土器もそれまで、数多くの人が見ていたは

ずであるが、それが美であり、芸術であるとはっきり宣言するのには、やはり岡本太郎氏の前衛

芸術によって養われた審美眼を待たねばならなかった。



☆☆☆☆




(K.K)



 

 


2012年3月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

奄美にいたときの私。

長崎・佐世保で生まれ、3歳の時に私たち家族は奄美に移り住んだ。



佐世保の近くに黒島という隠れキリシタンが住んだ島がある。成人してからこの島と黒島天主堂

訪れたときの衝撃とそこで与えられた意味は私の大切な自己基盤の一部になっている。



そして奄美大島、そこはシャーマニズム・アニミズムの世界観が残る地であった。幼少の頃はそん

なことなどわかるはずもなく、青く澄んだ海、赤い蘇鉄の実、さとうきび、そして怖い毒蛇ハブが住む

森を身近に感じていた。



「一人で森に入ってはいけない」と何度も言われた。それ程ハブが棲む森は子供にとって恐ろしい

場であった。逆に言うとハブがいたからこそ、昔の奄美の森は人間によって荒らされずに生き残っ

てきたのかも知れない。



ホピ族の有名な踊りに「蛇踊り」がある。砂漠に住む猛毒をもつガラガラヘビなどを多く集め、儀式

するのだが、その儀式の前に長老達は一つの部屋にこれらの蛇を置いて数日間共に過ごすので

ある。そして儀式が済むと蛇たちは丁重に元の砂漠に帰される。



確かに日本でも蛇信仰はあったと思う。母の実家・久留米の家では白蛇がおり家の人たちは大切に

その蛇を扱っていた。私は白蛇を見たことはないのだが何度もその話を聞いて育った。



創世記で蛇がイブを誘惑したことから生じてきたずる賢い悪魔の存在としての意味、そして蛇信仰が

残る地や奄美、両者には決定的な自然観・世界観の違いが横たわっていると感じていた。



前者からは人間だけによる地球支配の夜明けが始まり、自然に対しての畏敬を失い森を切り開い

た姿が、後者からは脱皮を繰り返す蛇に、森の再生のシンボルとしての意味を見い出せるかも知

れない。



良くキリスト教は一神教と言われるが、私はそうは思わない。父・子・聖霊の3つの姿が互いに与え

尽くしている姿、三位一体はそのことを指し示しているのではないかと思う。



言葉では偉そうに「与え尽くす」と簡単に言うことは出来るが、それを肌で知り、示すことは私には

出来ない。インディアンの「ポトラッチ」縄文時代での社会的緊張を緩和するために呪術的儀礼や

祭を通して平和で安定した平等主義、「与え尽くし」の社会。



ある意味でキリスト教の真実の姿を体現しているのが先住民族たちなのかも知れないと思うことが

ある。



まだまだ多くの疑問が私の中に横たわっているのだが、長崎・奄美から旅立った私の魂は、ブーメ

ランのように再びこれらの地に戻ろうとしているのかも知れない。



☆☆☆☆



「ガラガラ蛇からサイドワインダー、ヤマカガシまであらゆる種類の蛇がおった。

六〇匹はいたじゃろう。あちこちに動き回って、囲んでいる男たちの顔を見上げ

ていた。男たちは動かず、優しい顔つきで歌っているだけじゃ。すると、大きな

ガラガラ蛇が一人の老人の方に向かい、足をはい登り、そこで眠り始めた。

それから次々と蛇がこの老人に集まり、優しそうな顔をのぞき込んでは眠り始

めたのじゃ。蛇はこうやって心の清い人間を見分けるのじゃよ。」



コアウィマ(太陽を反射する毛皮)の言葉

「ホピ・宇宙からの聖書」フランク・ウォーターズ著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2012年6月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「巨大な化け物に立ち向かう光の戦士」・・・自宅にて撮影



ギリシャ神話のなかで、ペルセウスアンドロメダ姫を助けるときに利用したメドゥーサは、見たものを石に

変える目と毒蛇の髪をもつ怖ろしい存在として語られてきました。



これに対して興味深い思索があります。「森を守る文明・支配する文明」安田喜憲著から引用しますが、

5月7日に投稿した「縄文のビーナス」に見られるように、土偶の全てが大きな目を持っていたわけでは

ないと思います。しかし、安田氏(京都大学教授)の視点はギリシャ神話とは全く異なった古代の世界観、

その視点をこの現代に問いかけているのではないでしょうか。それはメドゥーサの蛇に関しても同じこと

が言えるのだと思います。



☆☆☆☆



この森の生命と同じように、人間の生命もまた死してのち、再生したいという願いが、目に対する信仰を

生み、巨大な目の土偶を作り、メドゥーサの伝説を生んだのである。



私たちをじっと見つめる巨大な土偶の目やメドゥーサの目には、森のこころが語られていたのである。



それは、古代の人々が森に囲まれて生活してことと深くかかわっていると思う。



古代の人々が深い森に囲まれて生活していた頃、自分たちをじっと見つめる大地の神々の視線を感じた。



その森が語りかけるこころに対して、人々は畏敬の念を込めて、巨大な目を持った像を造形したのである。



大地の神々の住処である森。



しかし、こうした人間を見つめる目を持った像は、ある時期を境にして作られなくなり、あげくの果てには

破壊される。



メドゥーサが神殿の梁からゴロリと落とされ、イースター島のモアイが引き倒され、三星堆の青銅のマスクが

破壊され、燃やされた時、そして縄文の土偶が作られなくなった時、それは森が激しい破壊をこうむったり、

消滅した時でもあった。



森がなくなり森のこころが失われた時、人々は自分たちを見つめる巨大な目を持った像を作らなくなった

のである。



私は、その時に一つの時代が終わった気がする。



森のこころの時代の終焉である。日本では、縄文時代に3000年以上にわたって作り続けられた巨大な

目を持つ土偶が、弥生時代に入ると突然作られなくなる。



その背景には、森と日本人との関係の変化が深くかかわっていたと考えざるえない。



弥生時代の開幕は、大規模な森林破壊の開始の時代でもあった。



水田や集落の拡大の中で、平野周辺の森は破壊されていった。



こうした森の破壊が進展する中で、縄文人が抱いていた森のこころが次第に失われていったのであろう。



☆☆☆☆




(K.K)



 

2013年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(写真は他のサイトより引用)



1991年に刊行された柳澤さんの「意識の進化とDNA」を最近読みました。2004年に生命科学者としての

視点を踏まえながら般若心経に迫った「生きて死ぬ智慧」は注目を集めましたが、土台はその十数年前

に芽生えていたのですね。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者でしたが、その後原因不明の病気で、36年間闘病生活を強いら

れます。生命科学者としての目、そして自殺も考えた心の痛み、この2つが彼女の死生観の根底にある

と思います。



「意識の進化とDNA」は彼女の専門分野の遺伝子に限らず、心理学、哲学、芸術などの底流にある関連

性について、二人の男女の会話を通して小説風に書かれた読みやすい本です。



彼女は言います。「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」と。そして意識の進化は「自己を否定

して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界である」と考えます。



私自身、“悟り”がどのようなものかわかりませんが、彼女の言う意識の進化は、必ずしも生命に多くの美

を宿すことにつながっていないような気がします。



私たち日本人の基層として位置づけられるアイヌの人々、彼らは縄文時代の世界観を受け継いだ人々

でした。果たして昔のアイヌの人々と現代人、どちらが多くの美を宿しているのでしょう。



美、あるいは美を感じる心とは何でしょう。それは、私と他者(物)との「へだたり」への暗黙の、そして完全

な同意から産まれるものと感じますし、「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言うヴェイユ

眼差しに共鳴してしまいます。



動物や植物、太陽や月、天の川と星ぼしたち。



現代の私たちは科学の進歩により、この「へだたり」を狭くしてきました。しかし、その一方で峡谷は逆に深

くなり、底が見えなくなっているのかも知れません。それはこの世界の混沌とした状況によく似ています。



世界屈指の古人類学者のアルスアガは、「死の自覚」が今から40万~35万年前のヒト族(現生人類では

ありません)に芽生えたと推察していますが、「死」という隔たりを自覚したヒト属にどんな美が宿っていた

のでしょう。



私は星を見るとき、あの星団はネアンデルターレンシスが生きていた時代に船出した光、あの星は大好き

な上杉謙信が生きていた時代、などと時々思い浮かべながら見るのが好きです。



そこで感じるのは、柳澤さんが問いかけている「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己」に近い不思議な

感覚でした。



意識の進化にはいろいろ議論はあるかも知れませんが、柳澤さんの眼差しには宇宙創世からの大きな時

の流れそのものを感じてなりませんでした。




 


2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



さそり座のアンタレスと球状星団M4 (写真はNASAより引用)



宮沢賢治が好きだった、さそり座のアンタレス。「銀河鉄道の夜」にはこの焼け死んだ

さそりの物語が登場してきます。



さそり座はこの時期、午前2時ごろに南の空から昇ってきますが、一等星のアンタレス

は日本では「赤星」と呼ばれています。



賢治は「ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その

火は燃えているのでした」と書いていますが、画像でも黄色い星雲の中でひときわ明る

く輝いています。



アンタレスの下、画像中央やや左に見えるのが球状星団M4で、地球からこの星団まで

の距離は約1万光年です。



日本で1万年前というと縄文時代が花開いていた時代でした。この縄文時代の光が今

ようやく地球に到達しているんですね。



画像は長時間撮影したもので、肉眼や望遠鏡ではこのような美しい星雲は見えません。

双眼鏡ですと、同じ視界にアンタレスとぼんやりした姿のM4が映ります。



(K.K)



 



APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 



文化財課|十日町市教育委員会


出土した遺物-NPO笹山縄文の里 新潟県十日町市


美に共鳴しあう生命







夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

祈りの散文詩集

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実


美に共鳴しあう生命