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上のこれらの七つの散文詩は、1991年9月より1993年7月まで月刊 俳句雑誌「多羅葉」澤村昭代編集発行に掲載されたものですが、2002年 12月15日に文芸社から「神を待ちのぞむ」という題で出版されました。自 費出版に近い形での刊行ですが、、縦書きで見やすいものとなっています。
私自身ツルゲーネフの「散文詩」に強い衝撃を受けましたが、まさかこの ような形で自分の思いを発表できるとは思ってもいませんでした。これらの 散文詩は当時同じ職場にいた佐藤勝さん(石川啄木の研究家)に勧めら られて書いたものです。構成や表現方法など、佐藤勝さんにはいろいろ 教わり、お叱りを受けながら出来たものです。佐藤さん、本当にありがとう ございます。もし佐藤さんがいなければ、決して形に残らなかったでしょう。 佐藤勝さんのサイト「湘南啄木文庫」
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2014年1月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 風の年輪 遥か太古の時代に、慈愛の原型が生まれた。 それがどのようにして生まれたのか、生物が「死」を自覚したときからなのか、 それは永遠にわからないかも知れない。 しかしその原型は何十万年過ぎても、姿かたちを変えながら現代に息づいている。 波動、恐らく様々な波動がこの世界を飛び交っている。 存在をあるがままに受けとめる波動もあれば、存在を消そうとする波動もある。 どの波動をつかむか、ラジオの周波数を合わせるように、 それは私たちの自由意志に任せられているのかも知れない。 波動、それは決して一箇所に留まる性格のものではないと思う。 風のように、私たちの体を吹き抜け、そして私からはまた新たな波動が生まれる。 波動という風、それは大きな木の年輪のように、悠久の歴史を刻んでいる。 この世界が慈愛の風に包まれますように。 ☆☆☆☆ http://vimeo.com/22439234 |
2014年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 「もし私が何か良いことをしたのなら、それらは全て神に帰するように」 この言葉は確か童話作家のアンデルセンの言葉だったと記憶しているが、今の私に欠けているもの、 それを全て現しているといっても過言ではない。 私に限らず人は、自身の名誉や成功に対する称賛の風を、自分の中にしまい込みがちである。 しかしそれでは風はさえぎられ、新たな風を産み出すことはできない。 アッシジの聖フランシスコが好んで唱えた「平和を願う祈り」、この祈りには、自身を「平和の道具」と して使われることへの揺るぎない自覚が横たわっている。 私に向かって吹いてくる風は、良いものも悪いものもある。 しかしそれらの風が私をすり抜けるとき、また違う風を産み出すことが出来ればと思う。 宗教を問わず、神を信じているか否かを問わず、新たな浄化された風を世界に送り出すことができる 人は、聖なる人なのかも知れない。 現代社会を見ていると、いい風ばかり吹いているとは決して思わないが、一人ひとりが新たな風を 産み出しつづけるなら、きっと世界は変わっていくのだろう。 ☆☆☆ 写真は、2012年8月25日の夜明けの光景ですが、まるで不死鳥のようですね。☆☆☆ |