1993年3月に書き、俳句雑誌「多羅葉」に掲載。
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2014年10月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 (大きな画像) 10月8日の皆既月食と天王星(写真はNASAより引用) 右下に光る二つの星で明るい方が天王星です。 もし地球を6センチの饅頭に例えると、天王星はサッカーボールほどの大きさになり、その距離は地球という 饅頭から12.5キロもの先に位置します。 地球と天王星の間には、火星・小惑星帯・木星・土星だけがあることを想像すると、約40億年先の未来に 天の川銀河とアンドロメダ大銀河が衝突すると予想されても、星と星の衝突は殆どないのかも知れません。 40億年先、もちろん私たち現生人類は生きてはいないでしょうが、膨張する太陽から脱出した新たな人類が、 違う星の上に立っている。 このようなことを言うと笑われそうですが、新たな人類はもう誕生しているかも知れないと思うことがあります。 ネアンデルタール人、デニソワ人がそうであったように、私たち現生人類と姿かたちがあまり変わらない 新たな人類が、この地球のどこかで産声を上げているかも知れない。 そして、彼ら新しい人類は数万年先、私たち現生人類をどのように結論づけることになるのか。 ただ、たとえ人類が入れ替わったとしても、私たちが作ったいい風があるとしたら、彼らの中にも必ず それが流れているのでしょう。 愛すべき月と星ぼしたち、その存在を通して、私たちは遥か太古と遥か未来を、これからも思い描いてゆく。 |
2011年8月30日 更新履歴より 随分昔から読まなければいけないと思いつつ手にとるも、どうしても読めない本があった。 それは「夜」ヴィーゼル著で、当時15歳の少年がアウシュヴィッツの体験を記した本である。 何故読めなかったのか、何を恐れていたのか、自分の中でも漠然としていたものが明るみに 出されてしまうのが怖かったのか、その想いは最近本書を読んだ後も変わらなかった。本書 が描き出す地獄絵図、自分が生きてきた尺度では想像することすらできない深い暗闇の底。 私はこの暗闇が自分にも潜んでいることを恐れていたのかも知れない。だから本書を前にし ながらも開けようとはしなかったのだろう。今まで確かにユダヤ人虐殺(ホロコースト)の本は 何冊か読んできたが、熱心なユダヤ教の青年が 「私は原告であった。そして被告は神」と言 わしめた、その言葉に私自身耐えられるだろうかと怖れていたのかも知れない。そしてこの 証言を、証言を記録したこの文献を誰かに薦めようとは思わない。それ程、本書に描かれて いる地獄絵図は読者一人一人が人間の本質を、自らの力で考え、そして答えを出さなければ ならないことを暗に迫ってくるからだ。ただ自らが持つ暗闇、その暗闇から目を避けていては、 いつまでたってもこの世界は幻想であり、夢遊病者のように生きるしかない。シモーヌ・ヴェイユ が言うように「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である。」の言葉の真の重さを私の心が 受け止める日が来るのだろうか。 この暗闇に勝てるもの、それは私たちの身近にある「美」の再発見なのかも知れない。どんな 小さなことでもいい。いつも私たちの傍にいて、語りかけようとしている「美」の声を聞き、その 姿をありのまま見ること。それが唯一、暗闇からの解放をもたらしてくれるのかも知れない。 「美」が暗闇の本質を照らし、暗闇の真の姿をさらけだしていく。常に自らの心の鏡を磨き、 「美」がそのままの姿で映ることを願うこと。そしてこの願いは「祈り」そのものかも知れない。 |