未来をまもる子どもたちへ




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散文詩「神を待ちのぞむ」

1992年12月に書き、俳句雑誌「多羅葉」に掲載。








「神を待ちのぞむ」




暁は暗い夜をじっと耐え忍んだものに

 どれ程深い慰めと喜悦の光をを授けたか



 小・中学校の時私は父の仕事の都合で転校を繰り返した

 幾人もの友と手を振り

 我が家が小さくなるまで車窓から見つめ続けた

 そんな少年に父の厳酷な教育が待ち受けていた

 勉強している私の背後に父は立ち

 間違う度に殴りつけた

 私は次第に口数少なく内気な少年になっていった



 農家育ちの父は学校から帰るとすぐ手伝いをさせられ

 ようやく机に向かうのは夜が更けてからだった

 父は当時としても難関だった商船大学に入った

 そんな父から見て私はどんなに歯がゆかっただろう

 小・中学校時代私は勉強が好きな少年だった

 しかし父の要求は高く 私の心は引き裂かれ

 いつしか私は吃音におちいっていた

 授業中先生から指されるのをどれ程恐れたことだろう

 私はどもって話すことが出来なかった

 下級生からも嘲笑され無念さをかみ締めた

 淡い恋もどうして私に告白出来ようか



どんなに父を憎んだか

どんなに父を呪ったか

私の青春時代はすでに光を失い灰の中にうずくまっていた

私は故郷九州を離れ東京で大学生活を始めた

朝四時起床朝刊を配り学校へ

帰ると夕刊そして夜は集金と勧誘の日々に明け暮れた

父はお金を出してやると言った

私は反抗した

貴方の援助は受けない 自分の力だけでやる

父はその時寂しそうにうつむいていた

今、悔心を湛えた父のその顔を想い出すと

憎しみは流れ去り

私は父を懐かしく感じられてならない



大学の授業に失望し僅か三ヶ月で学校を去り

吃音は尚私を苦しめ続けた

そんな時私は一人の女性に恋した

彼女は私にとって唯一の光明だった

だがその想いも儚く当然のように消えた

私はビルの屋上に立ちすくんだ

呼び止める者は誰もなく

両手から喜びが零れ落ちてゆく

悲恨さえ感じない

日輪の光さえ届かず

体を暖めてくれる手に触れることもない

今宵の眠りから覚める時

自転車に新聞を山のように積み

夜明けの遠い街を

私はまた駆け回っているのだろう



苦しみに耐え切れず教会の門を叩いたのは高校の時だった

牧師は私の訴えに耳を傾けてくれた

今想い出すと豊潤な香り漂う一時の出会いだった

ああ これで俺は救われるかも知れない

こんな俺にも救いの道があったのか

私は前途に光が射し込む予感に震えた

しかし一抹の疑問が頭を過ぎって離れなかった

この教えを信ずれば私は救われるかも知れない

だが キリスト教に触れることもなく死んでいった人々は

どうなるのだ

自分だけ運良く救われればそれでいいのか

私は教会を離れ再び彷徨った



すべてのことに絶望していた新聞配達時代

お客さんに笑顔で接しても心は生ける屍だった

或る日 私は茫然自失して倒れた

私はもうどうなるかわからない

このまま私は死ぬのだろうか

或いは廃人となりこの地を這いずり回るのか

私はもう何もわからない

唯 最期に私の務めを果たそう

この苦しみが私に与えられたものなら

これをそのまま私のものとしよう

この苦しみのありのままの重さを私は受けとめよう



果てし無く永遠に続くと思われる時空の中に私は立った

どれ位の時間が流れ過ぎたのだろう

突然

一筋の光閃が夜の帳を真っ二つに裂き私の体を包みこんだ

私の体は踊っていた

歓喜に涙しながら幾度も幾度も

神は私を憐れんでくださったのだ



私は就縛から解き放たれ

神は私に知恵を授けた

生あるものに限らず艱難・病・死であっても

それらの重みをそのものの重みとして魂に根ずかせるのだ

存在そのものの重みを否定するところに悪は生まれる

私にはまだ吃音がつきまとっている

私はこの障害を乗り越えるのではなく、くぐりぬけよう

今後 幾度も苦難に会い私は暗い夜を彷徨うことだろう

果たしてその時暁が再び私の瞳に映し出されるのだろうか



神は言った

「我は有りて在る者なり」と

それ故 どのような暗い夜を彷徨とも

私は神を待ちのぞむ



祈りの散文詩集

散文詩「時の彼方へ」



2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。



彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック

ピオ神父などが有名)にも見られる。




アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。



日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。



詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、

瞽女(ごぜ)もそうだった。



盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。



キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く

味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。



これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも

特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。



しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。



エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父)



悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など

過去の迷信と思っている人も多いだろう。



ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔)

に苦しめられていた。



現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で

ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。



ハワイ先住民南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが

書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。



ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。



宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る

ものを未来の人類は見出すと思う。



ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。



真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い

嘆いている。



聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰

があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。



存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。



そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・

慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。



私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。



ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。



写真は、惑星状星雲・NGC6543です。



 


「いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる」柳澤桂子著
小学館より画像・文共抜粋引用



私が体験したような「神秘体験」は、けっしてめずらしいものではなく、一般に「神秘体験」

と呼ばれている。



精神科医・神谷美惠子氏はクリスチャンとしても知られ、人間の極限的な苦悩や生き甲斐

について多くのすぐれた著作を残されているが、それによれば、このような体験は多くの場

合「ひとが人生の意味や生き甲斐について、深い苦悩におちこみ血みどろな探求をつづ

け、それがどうにもならないどんづまりにまで行ったときにはじめておこる」ものだという。

また宗教学者の岸本英夫氏によると、いろいろな宗教に見られる神秘体験の共通の特徴

は、次の四つであるという。



一・特異な直感性

ニ・実体感、すなわち無限の大いさと力を持った何者かと、直接に触れたことでも形容す
べき意識

三・歓喜高揚感

四・表現の困難



こうしてみると、私の体験したことは、まさにこの神秘体験であった。この体験に火がまつ

わることも神谷氏は述べている。私自身体験してみて、このようなことが実際に起こるとは

確信できた。



しかし、これが神秘かどうかということに私は疑問をもつ。人間は強いストレスにさらされ

ると、脳の中に快感物質が出て、ふだんとはちがった感覚をもつようになる。



たとえば、交通事故にあった人が、かなりの重傷であるにもかかわらず、痛みも感じずに

警察に電話したりする。これは、動物が深い傷を負ったときにひとまず安全なところまで

逃げられるように、脳内快感物質が出るからであると考えられている。



このような場合だけでなく、お産のときには、母親と赤ちゃんの両方に脳内快感物質が

出て、お産の苦しみに耐えやすくなっているという。



一般に、動物が強いストレスにさらされたときに、脳内快感物質が出るということは十分

に考えられることである。たくさんの快感物質が出たときに、岸本氏の挙げているような

感覚が生じても不思議ではない。神経の過度の緊張は、火となって感じられる可能性が

ある。



したがって、「神秘体験」は、神秘ではなく、科学で十分に説明のつく現象であろうと私は

考える。いわゆる宗教的な奇蹟体験の事例についても、おなじようなことが考えられる。







「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社 より引用



「それから、チベットとかアンデスとかの高地で、神秘体験を容易にする場所というのがあるらしいんです。

酸素の希薄な所ですよね」



「そういう所へ行くと、神秘体験ができるのですか?」



「そうらしいです。それから、深い悲しみ、苦しみ、難行苦行。強い至高体験をもたらすものを考え合わせて

みると、共通項として強度のストレスというものが浮かび上がってくるでしょう」



「LSDもですか?」



「たいへんな恐怖を味わった時に刺激される神経が、直接に刺激されるのですから、これは強いストレスを

受けた時と同じですね。前に、神経伝達のことをお話した時にいいましたが、ストレスを受けると、視床下部

が刺激されて、副腎皮質ホルモンや快感物質であるエンドルフィンが出るのですね。ストレスを和らげる機構

です。それで、僕は、至高体験、あるいは神秘体験というのは、エンドルフィンのような脳内快感物質と関係

があるのではないかと思っているんです」



「別に神秘ではないわけですね」



「物質的に説明できる時が来ると思いますよ。ただ、強いストレスだけでは、普遍に触れたような感じとか

宇宙との一体感は得られないようですね。三次過程の認識をできる人が、強いストレスを受けた時に、パッ

と眼前が開けるのではないでしょうか」



「やはり、自我を超越する認識方法の訓練が必要なのですね」



「そうでしょうね。いつか、禅宗のお坊さんがお話しておられたことを思い出します。その方は、熱心にお経の

勉強をして、修行に励んでおられたのですが、どうしても悟りが得られない。それで、たいへん悩んでおられ

たようです。ところが、ある日、お寺の裏山の崖の上に咲いている一輪の花をみつけて、それを取ろうとする。

花に手を掛けた途端に足を滑らせ崖から落ちてしまうのです。下がコンクリートの溝になっていたので、そこ

に落ちで、しばらく意識を失っていた。やがて、意識が戻って、目を開けると真っ青な空の中に一輪の椿が

ある。その瞬間にこのお坊さんは、すべてがわかったといわれるのです」



「からだを強く打ったことがストレスになったのですね」



「悟りというのは宗教の問題ですが、こうして考えてくると、宗教は芸術の延長線上にあるように思えます。

現在の科学では実証されていませんが、いずれわかる時が来るでしょう」






柳澤桂子 | 話題の本 | 書籍案内 | 草思社 より引用



「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」文・柳澤桂子 画・堀文子 英訳・リービ英雄 小学館

「いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる」柳澤桂子著 小学館

「愛蔵版DVD BOOK 生きて死ぬ智慧」文・柳澤桂子 画・堀文子 小学館

「柳澤桂子 いのちのことば」柳澤桂子著 集英社

「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著 集英社

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社


柳澤桂子さんのホームページ 「柳澤桂子 いのちの窓」

心に響く言葉(2011年7月3日)・柳澤桂子(生命科学者)の言葉



「プラセボ効果 信じる者は癒される」 ナショナル ジオグラフィック 2016年12月号を参照されたし





2012年7月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

写真はNASAより引用



東京で何をしていいか彷徨っていた時、駅で若い女性に声をかけられ行った先が統一教会の

信者が生活する施設だった。そこで僕は20代後半くらいの医療関係の雑誌をを編集している

女性と会い、一年間くらいここに通って彼女といろいろなことを話した。世間で問題になりつつ

ある時期だったが、彼女は僕の考えをじっくり聞いてくれたように思う。



独りぼっちで何かを求めていた僕は「あーあ、こんな女性がいつも近くにいてくれたらいいな」と

思ってばかりで、統一原理など聞いても全く頭に入ってこなかった。ただ、彼女が大勢を前にし

て統一原理を話す眼差しや口調は、僕と話すときの彼女とは別人だった。



就職したとき、ある友人が高橋桂子さんの講演を聴きにいかないかと誘われた。彼女は自身

のことを「キリストブッダを統合した上の次元にいるもの」という話を聞きながら、またしても

僕は「あーあ、こんな綺麗な女性と結婚できたらいいな」と思って聴いていた。



まあ男性だったら女性にこのような想いを抱くのは極自然なことなのだが、何が彼女たちから

自分を離したのかを思うと今でもはっきりしない。



ただ母の存在神秘体験(今思うと疑問だが)かも知れないと思うことがある。母親に関しては、

どんなに宗教家が美辞麗句を並べても、母の子への無償の愛という行為に勝るものはない。



それと奄美などの自然、美しいものでありながら怖い存在でもあった自然。それらの記憶が道を

外れそうになった自分をあるべき所に戻そうとしたのかも知れない。



様々な宗教、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは「さまざまとある正しい宗教の伝承は、すべて

同一の真理の種々ことなった反映にすぎず、おそらくその貴重さはひとしいのです」と言い、インド

の偉大な師であったラマナ・マハリシが様々な宗教について問われたとき沈黙で応えたように、多

くの人も宗教はどこかで結びついていると感じていても、その源泉ははっきりとはわからない。



恐らく何千年、何万年先でないとその姿は明らかにならないような気がするし、それだけの時間を

かけなければいけないものだと思う。



私が若い頃出会った女性、もう高齢だとは思うが「幸あれ」と願いたい。



☆☆☆☆



写真は、地球から約3000光年離れた位置にあるキャッツアイ星雲(NGC 6543)の姿です。



鋭い猫の目を思わせることからこの名前がつけられましたが、実際は死にゆく星から放出された

ガスとちりの造形です。



不思議なことにこの放出は1500年ごとに現れ、それが同心円状の構造やジェットに見ることができ

ますが、何故この質量放出が1500年ごとに繰り返されるのかまだわかっていません。



☆☆☆☆




(K.K)



 



2012年6月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


聖母マリア(写真は私の家にあるマリア像です)



これまで世界各地に聖母マリアが出現した。その中でカトリックの聖地となったものではルルド、ファチマが

有名かも知れない。



アッシジの聖フランシスコも「小さき花」で描かれているように、イエス・キリストやモーセの臨在を数多く受け

ていた。



私自身の場合、過去に一度だけ神秘体験をしたことがある。苦しみを通り越して自分が息をしているかどう

かわからなかった時のことであるが、ただそれは強いストレスにさらされた脳に快感物質が出たからだと今

は思っている。



ルルドファティマに出現した聖母は真に神からの伝言だったが、私の場合は脳の防御反応でしかなかった

と感じている。



本当に真偽を見極めるのは難しいと思うし、私には出来ない。



たとえ私の前に過去の偉大な聖人が出現しても私はそれを吟味し続けるだろう。



その現象を自己の心の奥深くに落としながら、それは真なのかと問い続けるだろう。



それは私のような疑い深い人間には長い時間を要するものかも知れないし、時間をかけなければならない

ものだと思う。



ルルドやファチマで聖母を見た少女たち、彼女たちは純真無垢だけでは言い現すことができない何か、神か

らの特別な恩寵を受けていたと感じられてならない。




(K.K)



 
 

2014年4月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。





(大きな画像)


横浜大桟橋にて(2013年7月2日撮影。遠くに見えるのは巡視船)



4月18日から21日までの夜明けは小雨でした。



父は海軍兵学校に入るだけの実力(最後の家族調査で落ちる)をもった人で、戦後に海上保安庁に入ったが、

家では「海の男」という匂いをあまり感じたことはない。



例外として、深夜に救難信号が入ると、飛び起きて船に向かう姿に憧れもしたし、子供心に自分もそうなりたい

と思ったものだ。



今回の韓国の客船沈没事故、「海の怖さ」を最も知っているはずの乗務員たちの言動を見ると、社会の風潮が

彼らから「海の男(女)」の感性を奪ってしまったのかも知れないと感じてしまう。



激しい競争と、その結果としての格差社会。



不謹慎な言い方かもしれないが、そのような社会の空気を吸い続けてきた人間にとって、乗客より先に脱出

(女性を含めて数名の乗務員は異なる選択をした)したことは、彼らにとって自然な反応だったのだろう。



単に個人や会社の責任だけに終始してしまう、それは愚かなことだと思う。



そして日本も、そうならないとは断言できないのかも知れない。



亡くなった方のご冥福を祈るとともに、生存者がまだいるという希望を捨てないで救助してくださればと願います。





Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent




人類発祥時からの流れをつかむ、その探求を避けては真の哲学の意味など見出せないでしょう。

哲学=西洋哲学ではなく、人類が先ず世界とどのように関わってきたのか、太古からの生き方を

受け継ぐ世界各地の先住民族の考え方や視点、そしてその世界観を知ることを基底としなければ

ならないと思います。現在の自分自身の立っている場を正しく捉えるためにも、この探求は必要

不可欠なものだと感じます。




「ギリシャ、エジプト、古代印度、古代中国、世界の美、芸術・科学におけるこの美の純粋にして正しい

さまざまの反映、宗教的信条を持たない人間の心のひだの光景、これらすべてのものは、明らかに

キリスト教的なものと同じくらい、私をキリストの手にゆだねるために貢献したという私の言葉も信じて

いただいてよいと思います。より多く貢献したと申してもよいとすら思うのです。眼に見えるキリスト教

の外側にあるこれらのものを愛することが、私を教会の外側に引き留めるのです。」

シモーヌ・ヴェイユ「神を待ちのぞむ」より






アビラの聖女テレサ(イエズスの聖テレジア)の生涯と「霊魂の城」

「夜と霧」 ドイツ強制収容所の体験記録 ヴィクトール・フランクル著 霜山徳繭訳 みすず書房

「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ (著), 河井美咲 (イラスト), 向井 和美 (翻訳) 紀伊国屋書店

「シャーマニズムの精神人類学」癒しと超越のテクノロジー ロジャー・ウォルシュ著 安藤治+高岡よし子訳 春秋社

「哲学大図鑑」ウィル バッキンガム (著), 小須田 健 (翻訳) 三省堂

「チベット永遠の書・宇宙より遥かに深く」テオドール・イリオン著 林陽訳 徳間書店

「人類哲学序説」梅原猛・著 岩波新書

「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書

「みるみる理解できる相対性理論」Newton 別冊

「相対性理論を楽しむ本」よくわかるアインシュタインの不思議な世界 佐藤勝彦・監修

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 著 講談社現代新書

「進化しすぎた脳」 中高生と語る大脳生理学の最前線 池谷裕二著 講談社

「死に至る病 (まんがで読破)」キェルケゴール・作 バラエティアートワークス

「生と死の北欧神話」水野知昭・著 松柏社

プラトン 「饗宴」・「パイドロス」

「人類がたどってきた道 “文化の多様化”の起源を探る」海部陽介著 NHKブックス

良寛『詩歌集』 「どん底目線」で生きる  (100分 de 名著) NHKテレビテキスト 龍宝寺住職 中野東禅・著

カール・ラーナー古希記念著作選集「日常と超越 人間の道とその源」カール・ラーナー著 田淵次男 編 南窓社

「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」ウォール&アーデン著 舟木 アデル みさ訳 築地書館

「ホピ 神との契約」この惑星を救うテククワ・イカチという生き方 トーマス・E・マイルス+ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ 林陽訳 徳間書店

「火の神の懐にて ある古老が語ったアイヌのコスモロジー」松居友著 小田イト語り 洋泉社

「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 梅原猛 著 佼成出版社

「沖縄文化論 忘れたれた日本」岡本太郎著 中公文庫

「ソクラテスの弁明(マンガで読む名作)」プラトン・原作 & サンデル「正義とは」・ハーバード白熱教室

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社文庫

「宗教の自殺 さまよえる日本人の魂」 梅原猛 山折哲雄 著 祥伝社

「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」福岡伸一 著 木楽舎

「アンデス・シャーマンとの対話」宗教人類学者が見たアンデスの宇宙観 実松克義著 現代書館

「沖縄の宇宙像 池間島に日本のコスモロジーの原型を探る」松井友 著 洋泉社

「木が人になり、人が木になる。 アニミズムと今日」岩田慶治著 第16回 南方熊楠賞 受賞 人文書館

「10代からの哲学図鑑」マーカス・ウィークス著 スティーブン・ロー監修 日暮雅通・訳 三省堂

「面白いほどよくわかるギリシャ哲学」左近司 祥子・小島 和男 (著)

「哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン」マーク・ローランズ著 今泉みね子・訳 白水社

「エデンの彼方」狩猟採集民・農耕民・人類の歴史 ヒュー・ブロディ著 池央耿・訳 草思社

「カラマーゾフの兄弟 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「罪と罰 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「夜間飛行 (まんがで読破)」サン=テグジュペリ・作 バラエティアートワークス

「若きウェルテルの悩み (まんがで読破)」ゲーテ・作 バラエティアートワークス



美に共鳴しあう生命

オオカミの肖像








夜明けの詩(厚木市からの光景)

雑記帳(魅せられたもの)

美に共鳴しあう生命

ホピの預言(予言)

大地と空の息吹き

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