「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」

文・柳澤桂子 画・堀文子 英訳・リービ英雄 小学館


 







本書 帯文 より引用



ひとはなぜ苦しむのでしょう。

ほんとうは、野の花のように、わたしたちも生きられるのです。

お釈迦様の気づかれていたことは科学的にも正しいことで、わたしたちの認識のほうが

間違っているのだと思います。そこに苦しみが生まれます。

般若心経が教える空(くう)について、科学的に理詰めで書くことはできます。

しかし、科学的である以前に、もっと崇高に歓喜を込めて、さとりの喜びを表現したい。

この仕事は、わたしにとって天から命ぜられたもののようにも感じられました。

(柳澤桂子)




 


本書 「あとがき」 より引用



私は現在六六歳です。一九六九年から病気をしていますから、三六年も病んだことになります。激しい嘔吐と

腹痛、頭痛、めまい、傾眠と非常に苦しい症状が一週間もつづき、次の一週間は寝たり起きたり、第三週目で

やっともとに戻れるのですが、この周期が一ヶ月に一度ずつ巡ってくるのです。ということは、月に二週間しか

起きれないということです。病気の原因がわからないので、どの医者にかかっても心因性のものと診断されま

した。家族にもそのように説明されました。勤務先に出す書類にもそう書かれました。けれども、嘔吐発作は

正確に一ヶ月に一度なのです。それも排卵期に決まっていました。そのように医師に告げても、ますます気の

せいにされるばかりでした。




心因性といっても、何か証拠があるわけではなく、私の気のせいや気のもち方が悪いといわれるのです。家族

からも責められましたが、私は自分自身を責めました。病の苦しみの上に医師から精神的な苦しみまで背負

い込まされました。




この三六年間私は苦しみました。孤独でした。人間であることの悲しみを存分に味わいました。科学の限界を

知らされました。病は悪くなる一方でした。




ところが、一九九九年に金沢大学の佐藤保先生が、ご自分の研究されている病気と非常によく似ているという

お手紙をくださり、「周期性嘔吐症候群」という脳幹の病気だと教えてくださいました。この病気には、抗うつ剤が

効くことがわかっていましたので、私は嘔吐と腹痛から解放されたのです。




その後、狭心症がひどくなり、歩くこともできませんので家の中を電動車椅子で移動しております。私の半生は

苦しみの半生でした。そこへ、平塚共済病院、脳外科の篠長正道先生が私の脳脊髄液が漏れていることをM

RIで見つけてくださいました。いろいろな神経症状が出ていたのはそのためだったのです。




私は生命科学の研究者で、ハツカネズミを使って研究していました。私の研究テーマは、なぜ一ミリにもみた

ない卵からネズミの形ができるかということでした。研究は軌道に乗っていました。国際的に活動できました。

その大切な研究も、私は断念しなければならなかったのです。自分の子供を奪われる悲しさでした。




さて、「般若心経」について、どうしてこのような現代語訳が出てくるかといいますと、私は次のように考えました。

これは私の解釈であって、絶対に正しいというものではありません。みなさんにはみなさんの解釈があるのだと

思います。




私は、釈迦という人は、ものすごい天才で、真理を見抜いたと思っています。ほかの宗教もおなじですが、偉大

な宗教というものは、ものを一元的に見るということを述べているのです。「般若心経」もおなじです。




私たちは生まれ落ちるとすぐ、母親の乳首を探します。お母さんのお腹の上に乗せてやるとずれ上がってきて、

ちゃんと乳首に到達します。また、生まれたときに最初に世話をしてくれた人になつきます。その人が見えなかっ

たり、声が聞こえないと泣きわめきます。このように、生まれ落ちた時点ですでに、ものを自己と他者というふう

に振る舞います。これは本能として脳の中に記憶されていることで、赤ちゃんが考えてやっていることではありま

せん。




けれどもこの傾向はどんどん強くなり、私たちは、自己と他者、自分と他のものという二元的な考え方に深入り

していきます。元来、自分と対象物という見方をするところに執着が生まれ、欲の原因になります。自分のまわり

にはいろいろな物があり、いろいろな人がいます。




ところが一元的に見たらどうでしょう。二元的なものの見方になれてしまった人には、一元的にものを見ることは

たいへんむずかしいのです。でも私たちは、科学の進歩のおかげで、物事の本質をお釈迦さまより少しはよく

教え込まれています。




私たちは原子からできています。原子は動き回っているために、この物質の世界が成り立っているのです。

この宇宙を原子のレベルで見てみましょう。私のいるところは少し原子の密度が高いかも知れません。あなた

のいるところも高いでしょう。戸棚のところも原子が密に存在するでしょう。これが宇宙を一元的に見たときの

景色です。一面の原子の飛び交っている空間の中に、ところどころ原子が密に存在するところがあるだけです。




あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませ

んから、それにとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を起こしているのです。




このように宇宙の真実に目覚めた人は、物事に執着するということがなくなり、何事も淡々と受け容れることが

できるようになります。




これがお釈迦さまの悟られたことであると私は思います。もちろん、お釈迦さまが原子を考えておられたとは

思いませんが、ものごとの本質を見抜いておられたと思います。現代科学に照らしても、釈尊がいかに真実を

見通していたかということは、驚くべきことであると思います。




 

 



命と原子力共存できぬ

~ 3・11からの再生 ~生命科学者 柳澤桂子

Aloe*Wing 命と原子力共存できぬ ~ 3・11からの再生 ~ 生命科学者 柳澤桂子 から引用しました。



これまで命や環境に関する本を50冊余り出しました。そろそろ執筆がつらくなり、人生最後の本のつもりで、

地球温暖化と原子力発電の恐ろしさについて書きました。その原稿を仕上げて整理をしていた3月11日、

福島第一原発事故が起きてしまいました。



最初に強調したいのは、わたしたち生物と原子力は、共存できないということです。生物は40億年前に誕生

し、DNAを子どもに受け渡しながら進化してきました。



DNAは細胞の中にある細い糸のような分子で、生物の体を作る情報が書かれています。わたしたちヒトの

細胞は、DNAを通じて40億年分の情報を受け継いでいます。DNAは通常、規則正しくぐるぐる巻.きになって

短くなり、染色体という状態になっています。



生物の生存は誕生以来、宇宙から降り注ぐ放射線と紫外線との闘いでした。放射線も紫外線もDNAを切っ

たり傷をつけたりして、体を作る情報を乱してしまうからです。



一方、細胞にはDNAについた傷を治す「修復酵素」が備わっています。ヒトの修復酵素は機械のように複雑

な働きをします。しかし、大量の放射線にさらされると、酵素でも傷を修復できず、死に至ることがあります。



ヒトが短時間に全身に放射能を浴びたときの致死量は6シーベルトとされ、短時間に1シーベルト以上浴びると、

吐き気、だるさ、血液の異常などの症状が表れます。こうした放射線障害を急性障箸といいます。しかし0.25

シーベルト以下だと、目に見える変化は表れず、血液の急性の変化も見られません。



ところが、そうした場合でも細胞を顕微鏡で調べてみると、染色体が切れたり、異常にくっついたりしている

ことがあります。また、顕微鏡で見ても分からないような傷がつき、その結果、細胞が分裂停止命令を無視

して、分裂が止まらなくなることがあります。



それが細胞のがん化です。がんは、急性障害がなくても、ずっと低い線量で発症する可能性があるのです。

しかも、がんは、進行して見えるようにならないと検出できませんから、発見まで5年、10年と長い時問がか

かります。いま日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで亡くなります。なぜこんなに多いのか。



わたしは、アメリカの核実験やチェルノブイリ原発事故などで飛散した放射性物質が一因ではないかと疑っ

ていますが、本当にそうなのかそうでないかは、分かりません。この分からないということが怖いのです。さら

に、放射線の影響は、細胞が分裂している時ほど受けやすいことも指摘しておかなければなりません。



ぐるぐる巻きになっているDNAは、細胞分裂の時にほどけて、正確なコピーを作ります。糸を切る場合、ぐる

ぐる巻きの糸より、ほどげた細い糸の方が切れやすいでしょう?胎児や子どもにとって放射能が怖いのは、

大人よりも細胞分裂がずっと活発で、DNAが糸の状態になっている時間が長いためです。



わたしは研究者時代、先天性異常を研究し、放射線をマウスにあてて異常個体をつくっていたので、放射能

の危険性はよく知っていました。1986年、チェルノブイリ原発事故が起きた時、わたしはいったい誰が悪いの

だろうと考えました。原子力を発見した科学者か。原子力発電所を考案した人か。それを使おうとした電力

会社か。それを許可した国なのか。



いろいろ考えて、実はわたしが一番悪いのだと気付きました。放射能の怖さを知っていたのに、何もしてい

なかった。



そこで88年、生物にとって放射能がいかに恐ろしいかを訴えるため、「いのちと放射能」(ちくま文塵)を書き

ました。原発がなせダメなのか。第一に、事故の起こらない原発はないからです。安全性をもっと高めれば

よいという人がいますが、日本の原発も絶対に事故は起こらないといわれていました。福島の事故で身に

しみたはずです。



第二に、高レベル放射性廃棄物を子孫に押しつけているからです。処理方法も分からない放射能のごみを

残して、この世を去る。とても恥ずかしいことです。10年もしたら、みんな福島のことを忘れてしまうのではな

いかと心配です。



原発がないと困る人はたくさんいます。政治家は電力会社から献金を受け、テレビ局や新聞社は電力会社

の広告を流しています。原発は地元の町や村に雇用を生み、交付金などで自治体財政を潤します。それら

は生産すること、お金をもうけることです。いくらもうけても、原発事故で日本に住めなぐなったら何にもなら

ない。どうして政治家が気付かないのか不思議です。わたし一人の力は小さく、原発はなくなりません。



「福島のために何かしたい」とおっしゃる方はたくさんいます。ただ、福島産の物を買ってあげるとか、そうい

うことでしょうか。「自分」というものを考えてみる。生命とは何かをしっかり考えてみる。



そういう、根本的なことが大事な気がしています。それが福島のためであり、子孫のためになると思います。

繰り返します。生物と原子力は共存できません。原発は絶対にやめるべきです。



(聞き手 細川智子 道新11.8.29.)




美に共鳴しあう生命






2012年3月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

写真は「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」柳澤桂子著より引用



私が尊敬する人で仏教にひかれている人は多い。宮沢賢治、哲学者の梅原猛さん、生命科学者

の柳澤桂子さんなどがそうである。



しかし葬式仏教の姿や住職が高級外車に乗り、ロレックスの金時計などしているのを見ると、本来

の仏教とはかけ離れたものになっているのではないかと感じていた。



ただ、前の投稿にも書いたが職場の同僚が高野山に出家したときから、仏教にたいしての自分の

無知がいろいろな偏見に繋がっているのではないかと思うようになっていた。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者だったが、原因不明の病気で36年もの間苦しみ自殺も考

えたという。しかし彼女が一般の人向きに書かれた遺伝子に関する本は高い評価を受ける。そん

な彼女が書いた「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」は、自身が研究してきた遺伝子という科学の

視点、そして何より闘病の苦しみの中から般若心経を自分の視点で捉えなおしたものだった。



何か日本人として遅すぎはしたが、ブッダのことをもっと知らなければならないと感じている。



☆☆☆☆



私たちは生まれながらにして、仏性、神性を善とする考えをもっていると思います。



私たちの意識の進化の方向は、他人をたいせつにする方向に向いているのです。



あるいは、自己本位であることが、私たちの本来の性格であると思うこともあるかもしれませんが、

私たちは、自己中心性を超越して、他人のために尽くすことに喜びを感じるよう成熟しつつあるの

だと私は思っています。



そのような視点から見て、これから人間たちの前途に大きく立ちふさがるのは、科学のまちがった

使い方です。



人間のつくったホルモン作用攪乱物質や放射能によって、私たちの地球は汚染され、生物が住め

ないような状態になってしまうかもしれません。



子孫が、そのようなことで苦しまないように、われわれは全力を尽くすべきです。



地球上のどこにも闘いのない、思いやりに満ちた人間社会をつくることができるよう願っております。



「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2013年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(写真は他のサイトより引用)



1991年に刊行された柳澤さんの「意識の進化とDNA」を最近読みました。2004年に生命科学者としての

視点を踏まえながら般若心経に迫った「生きて死ぬ智慧」は注目を集めましたが、土台はその十数年前

に芽生えていたのですね。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者でしたが、その後原因不明の病気で、36年間闘病生活を強いら

れます。生命科学者としての目、そして自殺も考えた心の痛み、この2つが彼女の死生観の根底にある

と思います。



「意識の進化とDNA」は彼女の専門分野の遺伝子に限らず、心理学、哲学、芸術などの底流にある関連

性について、二人の男女の会話を通して小説風に書かれた読みやすい本です。



彼女は言います。「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」と。そして意識の進化は「自己を否定

して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界である」と考えます。



私自身、“悟り”がどのようなものかわかりませんが、彼女の言う意識の進化は、必ずしも生命に多くの美

を宿すことにつながっていないような気がします。



私たち日本人の基層として位置づけられるアイヌの人々、彼らは縄文時代の世界観を受け継いだ人々

でした。果たして昔のアイヌの人々と現代人、どちらが多くの美を宿しているのでしょう。



美、あるいは美を感じる心とは何でしょう。それは、私と他者(物)との「へだたり」への暗黙の、そして完全

な同意から産まれるものと感じますし、「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言うヴェイユ

眼差しに共鳴してしまいます。



動物や植物、太陽や月、天の川と星ぼしたち。



現代の私たちは科学の進歩により、この「へだたり」を狭くしてきました。しかし、その一方で峡谷は逆に深

くなり、底が見えなくなっているのかも知れません。それはこの世界の混沌とした状況によく似ています。



世界屈指の古人類学者のアルスアガは、「死の自覚」が今から40万~35万年前のヒト族(現生人類では

ありません)に芽生えたと推察していますが、「死」という隔たりを自覚したヒト属にどんな美が宿っていた

のでしょう。



私は星を見るとき、あの星団はネアンデルターレンシスが生きていた時代に船出した光、あの星は大好き

な上杉謙信が生きていた時代、などと時々思い浮かべながら見るのが好きです。



そこで感じるのは、柳澤さんが問いかけている「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己」に近い不思議な

感覚でした。



意識の進化にはいろいろ議論はあるかも知れませんが、柳澤さんの眼差しには宇宙創世からの大きな時

の流れそのものを感じてなりませんでした。






柳澤桂子 | 話題の本 | 書籍案内 | 草思社 より画像引用


「いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる」柳澤桂子著 小学館

「愛蔵版DVD BOOK 生きて死ぬ智慧」文・柳澤桂子 画・堀文子 小学館

「われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学」柳澤桂子著 草思社

「柳澤桂子 いのちのことば」柳澤桂子著 集英社

「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著 集英社

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社


柳澤桂子さんのホームページ 「柳澤桂子 いのちの窓」

心に響く言葉(2011年7月3日)・柳澤桂子(生命科学者)の言葉


美に共鳴しあう生命







夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

祈りの散文詩集

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実

ブッダ(仏陀)


美に共鳴しあう生命