「アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ 伝承の知恵の記録」
青木愛子 述 長井博 記録 樹心社 より引用
産婆術だけに留まらず、診察・治療のための特殊な手、そしてウエインカラ(何で も見える千里眼)を通してシャーマン的な役割を担ってきた方である。愛子さんの ウエインカラは、初対面の人と対座した時だけでなく、電話の相手でもその人の 過去と未来がわかる特殊な力を持っていた。それは相手の血液の赤血球や白血 球の流れがまるで顕微鏡を見ているように見えることも意味していた。 愛子さんの産婆術に関しては本書に詳しく書かれているが、驚くべきことは5代目 の愛子さんに継承されたこの秘伝は1756年(宝暦6年)フィリピンのパギオシティー、 イゴロット族の聖地アシュラムから始まっていることである。この初代の産婆さん の名前は天静一(テンシンイチ)と言うが、その出身地など不明である。そしてこの 男性がアイヌに来て結婚し、産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしなが ら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回したという。 この南の島からの秘伝と聞くと、ハワイ先住民の呪術師(カフナ)たちが行ってい た秘術として知られている「ホ・オポノポノ」とアイヌには何か共通点があるのかも 知れない。ハワイ先住民のカフナは、エジプトのピラミッド文明時代、国内情勢が 悪化したため、最高の宝(呪術の秘法)を守るためエジプトを脱出し祖国(ポリネ シア)に辿り着いた民だという説がある。 またこの説では、カフナ12部族のうち10部族がインド洋経由で各地に秘術を植え 付けたが、祖国帰還の途中で日本にも渡り、古神道の呪術の基礎を据えたとい うのである。時代は異なると思うが、イスラエルの12部族のうち失われた10部族 を考えると、この数字はただの偶然なのか、それとも何か意味を持っているのだ ろうか。 私自身1980年頃かつてマルコス政権下のフィリピンのスラム街など、同級生や シスター達とフィリピンに行ったことがあるが、その旅行中にパギオにも立ち寄っ たことがあり、パギオの近くだったか記憶があやふやだが、森に住む先住民の 方にも会ったことを思い出す。その時は経済開発の名の下に住む場所を奪わ れていく先住民の現状を見ただけだった。 話は随分それてしまったが、青木愛子さんの後を受け継いだ長井博さん、そして 長井さんの次女へと途絶えることなく継承されていることに感慨深いものを感じて ならない。 (K.K)
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2012年1月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて 来た産婆術(イコインカル)、診察、治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(ク スリ)、整体手法、あるいはシャーマンとしての技量(ウエインカラツス)をも駆使 (ウエポタラ)して、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍した。 本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見て、その言葉の一つ一つを丹念 に記録した、アイヌの信仰と文化の実態に迫る伝承の知恵の書。 (本書・帯文より引用) |
目次
第一部 赤ちゃんは喜びながら生れてくる
T イコインカル(助産)1 愛子さんに触ってもらえばわかる 病院のやり方はでたらめだ お産のカムイ(神さま)におこられる イヨーハイ イヨーハイ!(驚いた びっくりこいた) タラ(ちから縄)引っぱってみたけど 人間の体っておそろしい
U 療術 トイウシペ(ミミズ)とコロコニ(フキ) 風邪熱と麻疹のクスリ 十個のサラニップ(袋) カムイ(神さま)と置きグスリ
V イコインカル(助産)2 愛子の初産婆 産婆の道具 ケマコキルについて 妊婦の姿勢 炭焼きのお茶 トイトイ(土製)のポロニマ(大きな器)
W 療術(2) キナライタ(キンミズヒキ) 腹痛みのクスリ おっぱいにがんび 女の道のホルモン 人参の黒焼きとエフルペシキナ(コタニワタリ) 婦人病のクスリ 鹿と熊の心臓と鶏の血 内臓のクスリ
X イコインカル(助産)3 うちのだんなと話して来た 人間の魂はどこにあるかって信念で 眠り産にかかったら眠らせない 出血しても前置胎盤はめったにない ふたいろ(二種類)の子宮 おっそろしい産婆さんの内診 子宮を縛ってほどくのを忘れた話 自分の手に負えない時は
Y 療術3 ヨモギの葉と川柳の皮 ウエペレケ(あかぎれ)と腫れ物のクスリ 柳の枝のお灸 神経痛・リュウマチに効く 兄から聞いた鍼(ハリ)の話 カイクマ(丸太ん棒) オテッテレケ(踏み踏み)
Z イコインカル(助産)4 産婆の座り方 肛門脱の予防といきみの補助 骨盤を開かせる足技 顎への指技・1 顎への指技・2 盆の窪みへの指技 頚椎・胸椎等への指技 逆子に対する技術 臍(へそ)の緒 蘇生術 娩出後の嬰児の診察
第二部 カムイ(神さま)から伝えられたもの
T ウエインカラクル(観自在者)としてのめざめ 青木愛子の人となり ☆愛子のウエインカラ(千里眼) ウエインカラの始まり 相手の陰部まで見える? 距離と時間を超えて見える 顕微鏡のように見える 見えないはずのものが見える 概念が映像として見える 愛子にも見えない世界 ☆カムイが降りて来て ツス(降霊現象) テケイヌ(診察の特殊な掌) ウエポタラ(呪術) ウエインカラ(千里眼) イム(イム)
U 先祖をたずねて 祖母(フチ)の思い出 愛子までの歴代継承者について
V 海の向こうから ツス(降霊現象)の実験 初代産婆の降霊 ツスの直後のイム 補足・歴代継承者について
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顕微鏡のように見える
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補足・歴代継承者について 本書より引用
この本の原稿締めきり間近になって、愛子からこれまでになかった伝承記憶を思い出して 語られ、また筆者が再度フィリピンを訪れて確認した事実により、これまでの原稿をそのまま にした上で、更に歴代継承者の項を設けたい。この部分を加えることによって歴代の輪郭が よりはっきりしてくるかと思う。
初代の産婆は1756年(宝暦6年)頃、現在のフィリピン共和国・バギオシティー、ラクナムの 地、ルソン島北部山岳地方を支配したイゴロット族の聖地アシュラムで生を享けている。この 初代に産婆や薬草等の治療の技術、及び信仰について授けたのは、アシュラムの開祖である ティエンチンイー(天静一)という名前の男性であった。ツスの中で初代の霊が名乗っている 天静一の名は、実は初代その人の名前ではないことがはっきりした。初代は降霊現象(ツス) の中で、自分の名前を名乗っていないというのが事実である。
天静一は、中国人名のようだが、現在までの筆者の調査によっても、その出身地は不明の ままになっている。現在までに判明していることは、船でルソン島に渡りついた異国人である。 薬草その他の治療の技術にすぐれた男で、彼が瞑想の地と定めて住みついた場所が、後に アシュラムと呼ばれるようになったようだ。この地方はイゴロット族の居住域で、天静一はイゴ ロット族を中心にして周辺の少数民族の畏敬を集めた人物であったようだ。
初代の産婆はそのアシュラムから北海道まで渡って、シトシというアイヌレヘ(アイヌ語名)の シャモと結婚している。シトシはコタン(村)の人々をトバットミ(強盗集団)から護る役目等を 持ち、初代の方は産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしながら、夫婦で北海道各 地のアイヌコタン(村)を巡回した。
初代81歳の時に訪れたヤマモンベツコタン(現・沙流郡門別町庫富)が最後の地となる。初代 は、アトイサムという名のシャモの老婦人のチセ(家)に身を寄せている内に急に容体が変化し、 おせわになったその老婦人にテケイヌ(診療・治療のための特殊な能力を持つ掌)を継承して 他界した。この時、初代を追って来ることになっていた夫のシトシは、まだコタンに到着していな かった。この時の老婦人、シャモの女性が二代目継承者になるのであるが、初代との間には 血縁関係のないことを、念を押しておきたい。
この二代目アトイサムは出生地不明、1775年頃に生を享け、1855年頃に他界したようだ。 初代からの教育的伝承はほとんど受けておらず、カムイノミ(神儀)の儀式的な継承のみであっ た。アトイサムは自分の子供に継承せずに、1851年頃に生れたまだ幼ない孫に三代目する カムイノミを行ない、他界している。やはり実践教育的な継承の期間が、ほぼなかったといえる。 三代目ハイネレの夫はアイヌ語名・門別アンリケチュウという名で、比較的若くて他界したと伝え られている。シャモであったようだ。四代目は、三代目ハイネレの第二子長女・ウコチャテクが 継承して、20歳頃に13歳年上の貝沢ウトレントクと結婚している。ウトレントクの父親はウカリ クン、母親はシュトラン、祖母カシテクン、二風谷地方の古いニシバの家系であったようだ。
五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。以上を簡単に整理 すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族の アシュラム(聖地)から運ばれていることになる。アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代 継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になっ たようだ。真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを 行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。
二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は二風谷に定住した。初代以降五代目 まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を送っている。しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの 調査では四代目ウコチャテク一人が判明しているだけである。
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2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。 彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック (ピオ神父などが有名)にも見られる。 アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。 日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。 詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、 瞽女(ごぜ)もそうだった。 盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。 キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く 味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。 これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも 特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。 しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。 エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父) 悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など 過去の迷信と思っている人も多いだろう。 ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔) に苦しめられていた。 現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。 ハワイ先住民や南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが 書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。 ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。 宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る ものを未来の人類は見出すと思う。 ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。 真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い 嘆いている。 聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰 があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。 存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。 そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・ 慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。 私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。 ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。 写真は、惑星状星雲・NGC6543です。 |
2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |