未来をまもる子どもたちへ




心に響く言葉

1996.11.24



「癩者に」




光りうしないたる眼うつろに

肢うしないたる体担われて

診察台にどさりと載せられたる癩者よ、

私はあなたの前に首を垂れる。


あなたは黙っている。

かすかに微笑んでさえいる。

ああしかし、その沈黙は、微笑みは

長い戦いの後にかち得られたるものだ。


運命とすれすれに生きているあなたよ、

のがれようとて放さぬその鉄の手に

朝も昼も夜もつかまえられて、

十年、二十年と生きて来たあなたよ。


何故私たちでなくてあなたが?

あなたは代って下さったのだ、

代って人としてあらゆるものを奪われ、

地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。


許して下さい、癩者よ。

浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、

そこはかとなく神だの霊魂だのと

きこえよき言葉あやつる私たちを。


かく心に叫びて首たるれば、

あなたはただ黙っている。

そして傷ましくも歪められたる顔に、

かすかなる微笑みさえ浮かべている。


「うつわの歌」 神谷美恵子著 みすず書房 より


 


神谷美恵子(1914-1979)

東京・大阪大学神経科の医者から、癩病の方が住む長島愛生園精神科勤務

(1958-72 )。医学博士。著書に「神谷美恵子著作集」全13巻 みすず書房

「精神疾患と心理学」 みすず書房がある。・・・・・・・・・・・・・・・


私自身「生きがいについて」「人間をみつめて」「うつわの歌」しか読んでいません

が、著者の鋭い洞察力と何よりも、あたたかい眼差しに深く感動させられました。








「柳澤桂子 いのちのことば」柳澤桂子著 集英社 より引用



生きものとしての私たちを考えると、

「生きる価値のない生」というものはないと思います。

ある頻度で遺伝的に障害をもった子供は生まれてきますが、

そうした多様性が維持されるシステムこそが

遺伝子の本質なのです。




障害児を中絶するケースが多くなると、

障害をもった子供を産むことに

罪悪感を感じるようになるのではないかと心配する人もいます。

人類という集団の中には、かならず、

ある頻度で障害をもった子供が生まれてきます。

すべての障害児を中絶しても、障害児は次々と生じてきます。

それが、私たちのもつ遺伝子の本質なのです。




私たちが生まれるときにどのような遺伝子を授かるかは、

誰にもきめることができません。

障害をもっている人は、私が受け取ったかもしれない障害の遺伝子を、

私に代わって受け取ってくれた人です。

障害をもった人が快適に過ごせるように、

私たちはできるかぎりのことをしなければならないと思うのです。





 







「生きがいについて」神谷美恵子 著作集1

神谷美恵子 著 みすず書房


  



著者は津田英語塾在学中にキリスト教の伝道者であった叔父にさそわれて多摩全生園を

訪れ、はじめてらいの存在を知った。同じ世に生をうけて、このような病に苦しまなくては

ならない人びとがあるとは、いったいどういうことなのか、心の深いところで自分の存在が

ゆさぶられるような衝撃をうけた著者は、できることなら看護婦か医師になってこの人たち

のために働きたいと願った。そして周囲の反対にも辛抱づよく時を待ち、ようやく医学部に

進学を許されたその女子医専時代の夏休みに、長島愛生園をたずねて「なぜ私たちでな

く、あなたが? あなたは代って下さったのだ」と詩に書いている。現実生活の荒波や自身

の病をのり越えてその初志を貫いた著者は、終生を実践活動にささげた。らいであるだけ

でなく精神をも病む人びとにとって、著者のあたたかさと知性と努力が、どれほど支えになっ

たことであろうか。


患者さんに接している間に、同じ闘病者のなかで半数以上は希望をもっていないが、しかし

少数の生きがいを感じる人びとを見いだした。著者にとって以前からの関心であった生きが

いの問題がこれを契機に深められることとなる。治療、考えること、および書くことは、著者

の「ほんとうにやりたいこと」であった。『生きがいについて』はこうして生まれた。少しのてら

いもなく、自然に流れるように語られるこの本は、みずみずしい著者の魂の書として、永遠

にひとを慰め力づけるであろう。


(『生きがいについて』より引用)


 



足場をうしない、ひとり宙にもがいているつもりでも、その自分はしっかり下からうけとめ

て支えてくれたのだ。そして自然は、他人のようにいろいろいわないで、黙ってうけ入れ、

手をさしのべ、包んでくれる。みじめなまま、支離滅裂なまま、ありのままでそこに身を投

げ出していることができる・・・・。



血を流している心にとって何というやすらぎであろうか。何という解放であろうか。そうして、

自然のなかでじっと傷の癒えるのを待っているうちには、木立の陰から、空の星から、山の

峯から声がささやいてくることもある。自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本

当の姿について深い啓示を与えうる。なぜならば社会は人間が自分の小さい知恵で人工的

につくったものであるから、人間が自然からあたえられているもろもろのよいものを歪め、損

なっていることが多い。社会をはなれて自然にかえるとき、そのときにのみ人間は本来の

人間性にかえることができるというルソーのあの主張は、根本的に正しいにちがいない。

少なくとも深い悩みのなかにあるひとは、どんな書物によるよりも、どんなひとのことばによ

るよりも、自然のなかにすなおに身を投げ出すことによって、自然の持つ癒しの力・・・・それ

は彼の内にも外にもはたらいている・・・・によって癒され、新しい力を快復するのである。



このことは地上のどこにいても、人間が自然に接することができるかぎり同じであろう。た

とえレプラの島のなかでも同じことである。小さな療養社会のなかで息がつまりそうに感じ

るひとも、そこからそっと抜け出て丘の頂から碧い海と広い空を眺め、草木の緑の輝きに

身を包まれるとき、傷ついた心身が次第に癒され強められるのを感じる。完全に断ち切れ

られてしまったと思っていたひとびととのつながりも、自然のなかに深く沈潜することによっ

て、かえってもっと広く深くむすばれるのを発見するのである。「はじめに」に記したひとは

(原田憲雄・原田禹雄編『志樹逸馬詩集』)次のように歌って逝いた。




丘の上には

松があり 梅があり 山桃があり 桜があり

木はまだ若く 背たけも短いが

互に陰をつくり 花のかおりを分ち

アラシのときは寄りそいあって生きている



ここは瀬戸内海の小さな島

だが丘の頂きから見る空のかなたは果しなく

風は

南から 北から 東から 西から

さまざまな果実の熟れたにおい、萌えさかる新芽や

青いトゲのある木 花のことば を運んで吹いてくる



それは おおらかな混声合唱となって丘の木々にふるえ

天と地の間

すべては 光 空気 水 によって ひとつに

つながることを教える



風はあとからあとから吹いて来る

雲の日 雨の日 炎天の日がある

みんなこの中で渇き 求めているのだ

木はゆれながら考えている

やがて ここに 大きな森ができるだろう

花や果実をいっぱいみのらせ

世界中の鳥や蝶が行きかい

朝ごとににぎやかな歌声で目覚めるだろう




(『生きがいについて』より引用)



 



いずれにしても、ひとたびこの世からはじき出され、虚無と絶望のなかで自己と対面した

ことのあるひとは、ふたたび生きがいをみいだしえたとき、それがどこであろうとも、自己

の存在がゆるされ、うけ入れられていることに対する感謝の思いがあふれているにちが

いない。もっともささやかな日常のよろこびも、あの虚無の闇を背景に、その光と色のか

がやきを増すであろう。陽の光も、木の葉のさやぎもすべて自己の生を励ますものとして

感ぜられるであろう。そしてたとえもし現世のなにごとにも、なんびとにも、自分が役に立

ちえないとしても、いいあらわし難いあの「瞬間」に、至高の力に支えられているのを感じ

たならば、その力のなかでただ生かされているというだけで、しみじみと生きがいをおぼ

え、その多いなるものの前に自己の生命をさいごまで忠実に生きぬく責任を感じるであ

ろう。たとえもし自分で自分の生の意味がわからなくても、その意味づけすらも大いなる

他者の手にゆだねて、「野のすみれのように」ただ大地にすなおに咲いていることにやす

らぎとよろこびをおぼえるだろう。



(『生きがいについて』より引用)



「こころの旅」神谷美恵子コレクション

神谷美恵子著 みすず書房


 






本書 第4章 ホモ・ディスケンス より引用


こうした傾向は加熱する一方らしい。日本の学童はすでに小学校から、場合によっては幼稚園から、

進学という至上目的のために生活時間の大部分を狭い意味の勉強によって埋められてしまってい

るようにみえる。これは明らかに周囲からのおしつけであり、うっかりすると子どもも劣等感のとりこ

にしたり、子どもの自発的な好奇心や学習欲をかえって損なってしまうおそれがある。



学齢期に学ぶことは決して狭い意味の知識だけではなく、あそびやスポーツや、友だち・先生との

交わりによって創意や社会性を身につけることが全人格の成長のために欠かすことのできない学習

であろう。狭い意味での知育だけなら学校へ行かなくても、家庭でも独学でできる。ヴァジニア・ウル

フがそのよい例である。しかし、学齢期によその子どもたちとあそんだり笑ったりできなかったことを

ウルフは大人になってからも残念がっている。彼女の特異な生まれつきのためもあろうが、のちの

ちまで対人関係をうまく持てないで悩んだのはまったく就学経験がなかったためもあろうかと考えら

れす。



スイスの小学校では日曜日のほかに木曜日も休みで、この日は公園や店なども子どもへのサービス

をすることになっている。平生の日も宿題はほんの少ししか出さないし、塾や家庭教師について放課

後も勉強するなどという光景はみられない。おけいこごとにしても、たとえば女の子の多くがピアノを

ならわせられる、といった図もみられない。とくに音楽や絵画の才能の芽を早くから示す子がいるな

らば、本人の希望によって一週に一度ぐらい習いに行かせるていどである。それではあとの時間を何

しているかといえば、あそんでいるのである。子どもがあそんでいることは怠けていることではない。

子どもにとって、あそびがどんなに大切なことか。それは幼児期いらい一貫してそういえるが、学齢期

のあそびは一段と進化し、それ自体学習に参与し、子どもひとりひとりのアイデンティティ確立にまで

つながるのである。子どもの個性はあそびの中で開花するからである。



日本の教育制度の問題については多くの教育評論家が論じているし、日本の小学校をめぐる精神衛

生的考察も少なくない。ここではただ一つ、知育偏重、そしてそれを支える日本人の価値観がもたら

した悲劇、とも思われる一観察例をあげておこう。



小学校から上級学校まで一貫して一番で通した、という女性がいた。親はそれをたいへん誇りに思

い、学校の先生もつねに彼女を模範として他の生徒たちに示した。家では彼女に一切家事の手伝い

などをさせず、彼女が勉強中はそのへやの戸に「只今勉強中」という札をさげさせ、だれも邪魔をし

ないようにしたという。彼女は専門教育をうけ、優秀な学究となり、職業人にもなった。しかし職場での

対人関係は彼女のエリート意識にためにうまく行かなかった。のちに結婚したが、家庭人としても多く

の破綻をきたし、ついにうつ状態になって自殺を何回かこころみるようになった。



大学の先生がたの中には「小学校からいつも一番」などという人を自分の研究室には絶対に入れな

い、という方針の人がある。それはおそらく、こういう人びとの中に少なからず「問題人」がいることを

経験されたからなのだろう。小学校では問題児どころか模範生であった者が、そのゆうずうの利かな

い性格と狭く固い人生観のゆえに、大人になってから、人生の複雑な諸局面に対して柔軟な適応が

できない、という場合が少なくないのである。


 
 


本書 第10章 旅の終わり より引用


人間は青年期いらい、自己を実現することに精一杯の努力をふりしぼって生きてくるが、それはからだ

の成熟の随伴現象ともいえる。ところが壮年期いらい、からだのエネルギーは下降してくるのに、こころは

依然と上昇をつづける。文明の進歩とともに、この心身のずれはますます大きくなった。これは心理的に

必ずしも望ましいとは言えない面がある。いつまでも成熟しない青年が神経症になりやすいように、いつま

でも生きていたがる老人もまたこころが平らかでないおそれがある。20年かけておとなになる人間は、20

年かけて死ぬ準備をしてもよいのではないか、という意味のことをユンクは述べたが、少なくとも中年期以

後は死を覚悟しつつ生きる者のほうが、生をよりよく充実させ、死をも自然なこころで迎えられるのではな

かろうか。



生が自然のものなら死もまた自然のものである。死をいたずらに恐れるよりも現在の一日一日を大切に

生きて行こう。現在なお人生の美しいものにふれうることをよろこび、孤独の深まりゆくなかで、静かに人

生の味をかみしめつつ、さいごの旅の道のりを歩んで行こう。その旅の行きつく先は宇宙を支配する法そ

のものとの合体にほかならない。その合体の中にこそもっとも大きな安らぎのあることを、少なくとも高齢

の人は直観しているようにみえることが多い。



こういうこころのことばならぬものであらわしつつ、平和な老境を送る人びとは私どものまわりにたしかに

ある。高齢の医師や学者や教育家などインテリの人びとのほか、ごくふつうの隣人にもある。



高齢になると脳の神経細胞が萎縮するから多かれ少なかれ知的にはおとろえる。ピアジェは幼少期の

知能の発達段階をしらべたが、高齢になると知能はその逆方向へと退行して行くのではないかという説

もあるし、それを裏づけるような脳の病理解剖的所見や臨床的観察事実もある。どちらかというと知的

作業をいつまでも続ける人のほうが、知能の衰えをおそくする傾向があることも観察されている。



しかし、知能だけが人の存在意義を決めるものではない。知能や学歴如何にかかわらず、安らかな老

いに到達した人の姿は、あとから来る世代の励ます力を持っている。彼らはおだやかなほほえみを浮か

べ、ぐちも言わず、錯乱もしていない。有用性よりも「存在のしかた」そのものによってまわりの人びとも

よろこばすところが幼児と共通している。こうしたありかたを妨げるものはもちろん数かぎりなくあるから、

こういう老人に接するとき、やはり人間の可能性について心打たれるのである。



しかし、人間は弱く、だれもが死や無限の宇宙の恐怖に直面してパスカルのように隠世できるわけで

もない。思索を使命とする人にはそういう生きかたがふさわしいのであろうがふつうの人間としては、ど

の側面からでもこころのよろこびを求めて行くのが自然であり、素直でもある。真にこころをよろこばす

ものに一身を投げかけてこれを深めて行くとき、そこに時空を越えたものを、たとえ瞬間的にでも畏敬

の念をもって垣間みることもあるだろう。これに支えられて人はときどき「我を忘れる」ことも許されるは

ずだと思う。生にはほとんど必然的に苦しみを伴うが、これを乗りこえるためにも、人間には時折「自己

対自己」の世界に息ぐるしさから解放されて、野の花のようにそぼくに天を仰いで、ただ立っている、と

いうよろこびと安らぎが必要らしい。それは植物や他の動物と同様に、人間もまた大自然の中に「生か

されている」からなのだろう。



人類史がこれからどうなって行くかはわからない。果してテイヤール・ド・シャルダンの壮大な夢のように

なるものだろうか。いずれにせよ、人類は生きるかぎりこころのよろこびを必要とし、こころのよろこびの

あるかぎり人は存続するだろう。たとえ廃墟の中からでも新しい生活と文化を築いて行くことだろう。



生命の流れの上に浮かぶ「うたたか」にすぎなくても、ちょうど大海原を航海する船と船とがすれちがう

とき、互いに挨拶のしらべを交わすように、人間も生きているあいだ、さまざまな人と出会い、互いにここ

ろのよろこびをわかち合い、しかもあとから来る者にこれを伝えて行くようにできているのではなかろうか。

じつはこのことこそ真の「愛」というもので、それがこころの旅のゆたかさにとっていちばん大切な要素だ

と思うのだが、あまり大切なことは、ことばで多く語るべきことではないように思われる。それでこれはヒト

のこころが旅がかなでる音楽の余韻のようなものにとどめておくとしたい。






2011年5月8日の日記から
(K.K)

「双眼鏡で見る春の星空」という項目を作りました。初めて天体に興味を持ったのは30年前になります。

有隣堂という本屋に置いてあった安い望遠鏡を購入し、初めて土星の輪を見たときの感動は忘れられ

ません。今ではその望遠鏡はなく、ただ対物レンズだけは思い出としてしまっています。その後、双眼鏡

による星空観望に移りましたが、天体を見るだけに留まらず、旅行や散歩の時などリュックにしまい第3

の眼として肉眼では見えない世界を映し出してくれます。春はかすみがかかりあまり天体を見るには

いい条件ではないといいますが、それでも肉眼や双眼鏡で見る星空は飽きがきません。




ところで貴方の一番好きな天体は何か? と問われたら、私は迷わずアルビレオと答えるでしょう。もち

ろん、人それぞれ想いが込められた天体は違うと思います。私の場合は望遠鏡で見たアルビレオでした。

白鳥座のくちばしに輝く3等星の星で、肉眼では1つの星にしか見えないのですが、オレンジとブルーとい

う全く異なる色に輝く連星なんです。双眼鏡では口径7pに10倍の倍率をかけると2つの星に分離するこ

とができますが、その対比の見事さに最初言葉を失っていました。アルビレオがある白鳥座は夏の星座

ですけれども、この時期でも夜半頃には姿を見せてくれます。10倍の双眼鏡や、低倍率の望遠鏡で見る

といいと思いますが、望遠鏡に高倍率をかけると、逆にその寄り添う姿が失われてしまいます。




話は変わりますが、今から25年前に読んだ一冊の本があります。ハンセン病の療養所で長年、精神科

医として勤めた神谷美恵子さんの「生きがいについて」です。何故かこの本はずっと心に残っていて最近

再読しましたが、神谷さんの言葉のなかで一番響く言葉が「癩(らい)者へ」という詩の一節です。この

言葉の重みを、私自身の心の底まで降ろすことはできませんが、いつかそのような眼で見ることのできる

人間になれればと願っています。




独身の頃、マルクス政権下のフィリピンに行きハンセン病の施設を訪れたことがあります。もちろんこの

時はハンセン病に対して有効な薬が存在したと思いますが、それでも最初は私自身に病気が移ったら

怖いなという気持ちがありましたし、またこの施設にいる彼女たち(男性の方は別な棟にいたのかも知れ

ません)も警戒していました。でもその棟に入ってしばらくすると彼女たちが何か悪戯っぽい眼で私に語り

かけてきました。何を言っているのかわかりませんでしたが、いつの間にか女性たちに囲まれ私は彼女

たちの手を自然に握っていました。この病気にかかりながらも、子供みたいな無邪気さを眼に湛えてい

る彼女たちを見て、私は単純に美しいなと感じました。アルビレオのように、隔離された厳しい現実と

無邪気な眼という異なる2つの対比が寄り添う姿。ただ、あれから私は彼女たちに対して何の恩返しも

できていません。




人間に「慈しむ心」「美と感じる魂」「宗教心」はどのようにして生まれたのか、たぶん多くの説が存在す

るかと思います。私はそれは星、宇宙からもたらされた面もあるのではと感じてなりません。現代のよ

うに街明かりもなく、光害が全くない太古の人間の目には、月明かりのない夜、壮大な天空の星々・

天の川が飛びこんできていたでしょう。動物も同じように目というレンズを通してそれを一つの形として

認識しますが、それらの形と自分自身を隔てる深遠な距離・空間を感じさせる力、その力を創造主は

人間に宿したのかもしれません。遥かなる天空の星々たち、それらの存在は人間に与えられたこの

恵みを気づかせ、「自分とは何者か」と常に問いかける存在なのかも知れません。






 


2012年2月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



チェスをするヘレン・ケラーと家庭教師のアン・サリバン



アン・サリバンも小さい頃の病気で盲目となるが、その後手術を受けある程度の視力を回復する。

二人を最初に結びつけたもの、それは「見えない」という、その苦悩を共有できたことなのかもし

れない。



最後の瞽女(ごぜ)として有名な故・小林ハルさんが「次に生まれたら虫になってもいいから眼の

見える人生を生きたい」と語っているように、どんなに素晴らしい相談相手がいようとも、その苦

悩を肌で感じ取れるのはやはりその苦悩を体験したものでしかないと感じる。



瞽女は、女性の盲人芸能者(旅芸人)のことで室町時代から始まったのではないかと言われて

いる。各地を転々とし、三味線を弾きながら家々を回る彼女たちを、人びとは聖なる来訪者、

威力ある宗教者と歓迎した。それは、目が見えないことは、かえって霊界に通じ、神に直結する

重要な要件だと思われていたことによる。



現代のような盲学校や点字がない時代に、盲人の男性は按摩(あんま)などの仕事に就くことが

出来たが、女性の場合瞽女としてしか生きる道がない時代が長く続いたと思う。



彼女たちの母親は娘が一人で生きていけるようにと幼い頃から心を鬼にして接し、そして6歳頃

に送り出す。人々がそんな瞽女を聖なる訪問者として接したのは、自分の身代わりに苦悩を背

負っている姿を見たからなのだろう。



この瞽女は昭和52年に廃絶した。



長い間ハンセン病の療養所で精神科医として働いていた神谷美恵子は次のように語っているが、

彼女もまた苦悩を背負っている人を「自分の身代わり」と感じていた。



光りうしないたる眼うつろに

肢うしないたる体担われて

診察台にどさりと載せられたる癩者よ、

私はあなたの前に首を垂れる。



あなたは黙っている。

かすかに微笑んでさえいる。

ああしかし、その沈黙は、微笑みは

長い戦いの後にかち得られたるものだ。



運命とすれすれに生きているあなたよ、

のがれようとて放さぬその鉄の手に

朝も昼も夜もつかまえられて、

十年、二十年と生きて来たあなたよ。



何故私たちでなくてあなたが?

あなたは代って下さったのだ、

代って人としてあらゆるものを奪われ、

地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。



許して下さい、癩者よ。

浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、

そこはかとなく神だの霊魂だのと

きこえよき言葉あやつる私たちを。



かく心に叫びて首たるれば、

あなたはただ黙っている。

そして傷ましくも歪められたる顔に、

かすかなる微笑みさえ浮かべている。



「うつわの歌」 神谷美恵子著 みすず書房 より引用



(K.K)



 

 


2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

約3億年途切れなく続いた遺伝子の継承 イチョウの樹

写真は、厚木市愛甲の熊野神社に立っているイチョウの大木です。僕にとって、樹というものは

自分を包み込んでくれる特別な存在かも知れません。



昔とある本に、樹に聴診器を当てると水分を吸う音が聞こえる、と書いてありました。疑うことを

知らなかった純真な僕(?)は、早速友達のお医者さんに「聴診器欲しいんだけど」とお願いした

ら、怪訝な表情をされました。「おい、俺の今までの品行方正さはお前が良く知っているだろう。

医者のくせにふざけた想像するなよ」(なんて言えるわけがない)。僕は丁寧に動機を説明し手

に入れることが出来ました。



確かに木に聴診器を当てると音がします。後で調べて解ったことですが、これは樹が水を吸い

上げる音ではなく、風が枝や葉を揺らしている音、地面を伝わってくる車や川の流れなどの音

のようです。現代科学が僕の夢を叩き割った瞬間でしたが、それでも立ち上がるのが九州男児

というものです(意味不明)。



話は変わりますが、ブラジルのインディオの世界観に「「この木が天をささえている。わたしたち

の部族がほろびる日が来たら、わたしはこの木を引きぬくだろう。わたしがこの木を引きぬけば、

天がくずれ落ちてきて、あらゆる人々が姿を消す。すべての終わりが来るのだ。」というのがあ

ります。先の投稿(ユングとホピの太陽の儀式)と同じように神話に横たわる深い意味を感じた

いです。



最後にインディアンの言葉と、悩んでいた青春時代に読んだ「生きがいについて」の中の文章を

抜粋引用します。「生きがいについて」を書かれた神谷美恵子さんは、ハンセン病(昔のらい病)

の患者の治療に生涯を捧げた精神科医でした。



☆☆☆☆



木に話しかけて
メアリー・ヤングブラッド(アリュート族、セミノール族)
「風のささやきを聴け」より引用



わたしはチュガチ・アリュートとセミノールの血を引いていますが、赤ん坊の頃に、インディアンで

はない両親に養女として引き取られました。両親はわたしにすばらしい家庭を与えてくれましたが、

インディアンが白人社会に溶けこむのは容易ではありませんでした。アリゾナでの小学校四・五年

のとき、わたしはクラスの子どもたちからたたかれたり、髪を引っぱられたり、胸をつねられたりし

ました。まあ、子ども特有の残酷さとでも言いましょうか。そんな子どもたちから逃げ出しては木の

茂みに身を隠し、暗くなってから家に戻ったものです。わたしは自分がインディアンであることがうら

めしくてたまりませんでした。お風呂に入って、石鹸で茶色い肌の色を洗い流せたらどんなにいい

だろうと思いました。カリフォルニアに引越したとき、わたしは生涯で最高の友に出会いました。そ

れは、家の近くの自然保護地域に立っていた巨大な樫の木です。その木はわたしの避難場所とな

り、また力にもなってくれました。わたしは毎日その木に登って、何時間も白昼夢を見て過ごしまし

た。彼女にブランディという名をつけ、紙と鉛筆をもってあがっては、枝の上で絵や文章を書きまし

た。わたしのこの木に対する思いには格別のものがありました。おまえは絶対にわたしを落とした

りしないわよね、たとえわたしが落ちても、必ず途中でつかまえてくれるわよね。わたしはよく、そん

なことを話しかけたものです。辛かったティーンエイジャー時代も、ブランディに悲しみを打ち明けて

は、しっかりと抱きしめ、抱きしめられて過ごしました。ブランディは、たとえ高校の卒業ダンスパー

ティに、茶色い肌をした女の子を誘ってくれる男子生徒などひとりもいなくても、悩むことはないと教

えてくれました。こうしてわたしはその木と、深い精神的つながりを築きあげたのです。そんなある日、

ブランディと一体になる必要に迫られて木のところまで行くと、赤いアリが木全体を覆っていました。

わたしはアリが怖くてたまりません。そこで必死に考えた末、わたしは木に、アリを追い払ってくれる

ようたのむことにしました。するとどうでしょう。アリはほんとうにいなくなったのです。みなさんは驚く

かもしれませんが、わたしは驚きませんでした。それからというもの、わたしがブランディを必要とし

ているとき、アリはいつも姿を消しました。友人や家族の中には、わたしの頭がおかしいと思う人も

いました。そして、自分がほかの人たちと違うと知ったの頃です。初めて自分をインディアンだと感じ

たのです。インディアンだからこそ、ブランディとの特別な関係を打ち立てることができたのだと。人

と違うというのはある意味で、気分のいいことでもあります。たとえ白人の世界で育てられても、わた

しはやはりインディアンだったのです。そしてインディアンであるということは、なんとすばらしいこと

でしょう! 生まれて初めてわたしは、自分がインディアンであることを誇りに思いました。これを機

に、人生もまた変わりました。わたしはクラシックフルートを学びはじめ、今ではインディアンフルート

を演奏しています。わたしのフルートは、手作りで、木製です。その木製のフルートに指が触れるとき、

わたしはそこにあのブランディを感じるのです。



☆☆☆☆



「生きがいについて」神谷美恵子著 より引用



足場をうしない、ひとり宙にもがいているつもりでも、その自分はしっかり下からうけとめて支えてくれ

たのだ。そして自然は、他人のようにいろいろいわないで、黙ってうけ入れ、手をさしのべ、包んでく

れる。みじめなまま、支離滅裂なまま、ありのままでそこに身を投げ出していることができる・・・・。



血を流している心にとって何というやすらぎであろうか。何という解放であろうか。そうして、自然のな

かでじっと傷の癒えるのを待っているうちには、木立の陰から、空の星から、山の峯から声がささや

いてくることもある。自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本当の姿について深い啓示を

与えうる。なぜならば社会は人間が自分の小さい知恵で人工的につくったものであるから、人間が自

然からあたえられているもろもろのよいものを歪め、損なっていることが多い。社会をはなれて自然に

かえるとき、そのときにのみ人間は本来の人間性にかえることができるというルソーのあの主張は、

根本的に正しいにちがいない。少なくとも深い悩みのなかにあるひとは、どんな書物によるよりも、ど

んなひとのことばによるよりも、自然のなかにすなおに身を投げ出すことによって、自然の持つ癒しの

力・・・・それは彼の内にも外にもはたらいている・・・・によって癒され、新しい力を快復するのである。



☆☆☆



(K.K)


 
 


2013年8月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


生命科学者の柳澤桂子さん、精神科医の神谷美恵子さんの言葉を紹介します。



私自身を含めて世界の多くの人に、この視点が心に灯りますように。



遺伝子の多様性がなければ、私たち人類はこの地球に生まれることさえ出来なかったでしょう。



もちろん私という存在も。



☆☆☆☆



「生きものとしての私たちを考えると、『生きる価値のない生』というものはないと思います。ある頻度で

遺伝的に障害をもった子供は生まれてきますが、そうした多様性が維持されるシステムこそが遺伝子

の本質なのです。」



「私たちが生まれるときにどのような遺伝子を授かるかは、誰にもきめることができません。障害を

もっている人は、私が受け取ったかもしれない障害の遺伝子を、私に代わって受け取ってくれた人

です。障害をもった人が快適に過ごせるように、私たちはできるかぎりのことをしなければならない

と思うのです。」



「柳澤桂子 いのちのことば」柳澤桂子著 集英社より引用



☆☆☆☆



「癩者に」



光りうしないたる眼うつろに

肢うしないたる体担われて

診察台にどさりと載せられたる癩者よ、

私はあなたの前に首を垂れる。



あなたは黙っている。

かすかに微笑んでさえいる。

ああしかし、その沈黙は、微笑みは

長い戦いの後にかち得られたるものだ。



運命とすれすれに生きているあなたよ、

のがれようとて放さぬその鉄の手に

朝も昼も夜もつかまえられて、

十年、二十年と生きて来たあなたよ。



何故私たちでなくてあなたが?

あなたは代って下さったのだ、

代って人としてあらゆるものを奪われ、

地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。



許して下さい、癩者よ。

浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、

そこはかとなく神だの霊魂だのと

きこえよき言葉あやつる私たちを。



かく心に叫びて首たるれば、

あなたはただ黙っている。

そして傷ましくも歪められたる顔に、

かすかなる微笑みさえ浮かべている。



「うつわの歌」 神谷美恵子著 みすず書房 より引用



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