1996.11.24
「癩者に」
光りうしないたる眼うつろに 肢うしないたる体担われて 診察台にどさりと載せられたる癩者よ、 私はあなたの前に首を垂れる。
あなたは黙っている。 かすかに微笑んでさえいる。 ああしかし、その沈黙は、微笑みは 長い戦いの後にかち得られたるものだ。
運命とすれすれに生きているあなたよ、 のがれようとて放さぬその鉄の手に 朝も昼も夜もつかまえられて、 十年、二十年と生きて来たあなたよ。
何故私たちでなくてあなたが? あなたは代って下さったのだ、 代って人としてあらゆるものを奪われ、 地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。
許して下さい、癩者よ。 浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、 そこはかとなく神だの霊魂だのと きこえよき言葉あやつる私たちを。
かく心に叫びて首たるれば、 あなたはただ黙っている。 そして傷ましくも歪められたる顔に、 かすかなる微笑みさえ浮かべている。
「うつわの歌」 神谷美恵子著 みすず書房 より
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神谷美恵子(1914-1979) 東京・大阪大学神経科の医者から、癩病の方が住む長島愛生園精神科勤務 (1958-72 )。医学博士。著書に「神谷美恵子著作集」全13巻 みすず書房 「精神疾患と心理学」 みすず書房がある。・・・・・・・・・・・・・・・
私自身「生きがいについて」「人間をみつめて」「うつわの歌」しか読んでいません が、著者の鋭い洞察力と何よりも、あたたかい眼差しに深く感動させられました。
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「柳澤桂子 いのちのことば」柳澤桂子著 集英社 より引用 生きものとしての私たちを考えると、 「生きる価値のない生」というものはないと思います。 ある頻度で遺伝的に障害をもった子供は生まれてきますが、 そうした多様性が維持されるシステムこそが 遺伝子の本質なのです。 障害児を中絶するケースが多くなると、 障害をもった子供を産むことに 罪悪感を感じるようになるのではないかと心配する人もいます。 人類という集団の中には、かならず、 ある頻度で障害をもった子供が生まれてきます。 すべての障害児を中絶しても、障害児は次々と生じてきます。 それが、私たちのもつ遺伝子の本質なのです。 私たちが生まれるときにどのような遺伝子を授かるかは、 誰にもきめることができません。 障害をもっている人は、私が受け取ったかもしれない障害の遺伝子を、 私に代わって受け取ってくれた人です。 障害をもった人が快適に過ごせるように、 私たちはできるかぎりのことをしなければならないと思うのです。 |
「生きがいについて」神谷美恵子 著作集1
神谷美恵子 著 みすず書房
著者は津田英語塾在学中にキリスト教の伝道者であった叔父にさそわれて多摩全生園を 訪れ、はじめてらいの存在を知った。同じ世に生をうけて、このような病に苦しまなくては ならない人びとがあるとは、いったいどういうことなのか、心の深いところで自分の存在が ゆさぶられるような衝撃をうけた著者は、できることなら看護婦か医師になってこの人たち のために働きたいと願った。そして周囲の反対にも辛抱づよく時を待ち、ようやく医学部に 進学を許されたその女子医専時代の夏休みに、長島愛生園をたずねて「なぜ私たちでな く、あなたが? あなたは代って下さったのだ」と詩に書いている。現実生活の荒波や自身 の病をのり越えてその初志を貫いた著者は、終生を実践活動にささげた。らいであるだけ でなく精神をも病む人びとにとって、著者のあたたかさと知性と努力が、どれほど支えになっ たことであろうか。
患者さんに接している間に、同じ闘病者のなかで半数以上は希望をもっていないが、しかし 少数の生きがいを感じる人びとを見いだした。著者にとって以前からの関心であった生きが いの問題がこれを契機に深められることとなる。治療、考えること、および書くことは、著者 の「ほんとうにやりたいこと」であった。『生きがいについて』はこうして生まれた。少しのてら いもなく、自然に流れるように語られるこの本は、みずみずしい著者の魂の書として、永遠 にひとを慰め力づけるであろう。 (『生きがいについて』より引用)
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足場をうしない、ひとり宙にもがいているつもりでも、その自分はしっかり下からうけとめ て支えてくれたのだ。そして自然は、他人のようにいろいろいわないで、黙ってうけ入れ、 手をさしのべ、包んでくれる。みじめなまま、支離滅裂なまま、ありのままでそこに身を投 げ出していることができる・・・・。 血を流している心にとって何というやすらぎであろうか。何という解放であろうか。そうして、 自然のなかでじっと傷の癒えるのを待っているうちには、木立の陰から、空の星から、山の 峯から声がささやいてくることもある。自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本 当の姿について深い啓示を与えうる。なぜならば社会は人間が自分の小さい知恵で人工的 につくったものであるから、人間が自然からあたえられているもろもろのよいものを歪め、損 なっていることが多い。社会をはなれて自然にかえるとき、そのときにのみ人間は本来の 人間性にかえることができるというルソーのあの主張は、根本的に正しいにちがいない。 少なくとも深い悩みのなかにあるひとは、どんな書物によるよりも、どんなひとのことばによ るよりも、自然のなかにすなおに身を投げ出すことによって、自然の持つ癒しの力・・・・それ は彼の内にも外にもはたらいている・・・・によって癒され、新しい力を快復するのである。 このことは地上のどこにいても、人間が自然に接することができるかぎり同じであろう。た とえレプラの島のなかでも同じことである。小さな療養社会のなかで息がつまりそうに感じ るひとも、そこからそっと抜け出て丘の頂から碧い海と広い空を眺め、草木の緑の輝きに 身を包まれるとき、傷ついた心身が次第に癒され強められるのを感じる。完全に断ち切れ られてしまったと思っていたひとびととのつながりも、自然のなかに深く沈潜することによっ て、かえってもっと広く深くむすばれるのを発見するのである。「はじめに」に記したひとは (原田憲雄・原田禹雄編『志樹逸馬詩集』)次のように歌って逝いた。 丘の上には 松があり 梅があり 山桃があり 桜があり 木はまだ若く 背たけも短いが 互に陰をつくり 花のかおりを分ち アラシのときは寄りそいあって生きている ここは瀬戸内海の小さな島 だが丘の頂きから見る空のかなたは果しなく 風は 南から 北から 東から 西から さまざまな果実の熟れたにおい、萌えさかる新芽や 青いトゲのある木 花のことば を運んで吹いてくる それは おおらかな混声合唱となって丘の木々にふるえ 天と地の間 すべては 光 空気 水 によって ひとつに つながることを教える 風はあとからあとから吹いて来る 雲の日 雨の日 炎天の日がある みんなこの中で渇き 求めているのだ 木はゆれながら考えている やがて ここに 大きな森ができるだろう 花や果実をいっぱいみのらせ 世界中の鳥や蝶が行きかい 朝ごとににぎやかな歌声で目覚めるだろう (『生きがいについて』より引用) |
いずれにしても、ひとたびこの世からはじき出され、虚無と絶望のなかで自己と対面した ことのあるひとは、ふたたび生きがいをみいだしえたとき、それがどこであろうとも、自己 の存在がゆるされ、うけ入れられていることに対する感謝の思いがあふれているにちが いない。もっともささやかな日常のよろこびも、あの虚無の闇を背景に、その光と色のか がやきを増すであろう。陽の光も、木の葉のさやぎもすべて自己の生を励ますものとして 感ぜられるであろう。そしてたとえもし現世のなにごとにも、なんびとにも、自分が役に立 ちえないとしても、いいあらわし難いあの「瞬間」に、至高の力に支えられているのを感じ たならば、その力のなかでただ生かされているというだけで、しみじみと生きがいをおぼ え、その多いなるものの前に自己の生命をさいごまで忠実に生きぬく責任を感じるであ ろう。たとえもし自分で自分の生の意味がわからなくても、その意味づけすらも大いなる 他者の手にゆだねて、「野のすみれのように」ただ大地にすなおに咲いていることにやす らぎとよろこびをおぼえるだろう。 (『生きがいについて』より引用) |
「こころの旅」神谷美恵子コレクション
神谷美恵子著 みすず書房
本書 第4章 ホモ・ディスケンス より引用
こうした傾向は加熱する一方らしい。日本の学童はすでに小学校から、場合によっては幼稚園から、
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本書 第10章 旅の終わり より引用
人間は青年期いらい、自己を実現することに精一杯の努力をふりしぼって生きてくるが、それはからだ
しかし、人間は弱く、だれもが死や無限の宇宙の恐怖に直面してパスカルのように隠世できるわけで
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2011年5月8日の日記から (K.K) 「双眼鏡で見る春の星空」という項目を作りました。初めて天体に興味を持ったのは30年前になります。 有隣堂という本屋に置いてあった安い望遠鏡を購入し、初めて土星の輪を見たときの感動は忘れられ ません。今ではその望遠鏡はなく、ただ対物レンズだけは思い出としてしまっています。その後、双眼鏡 による星空観望に移りましたが、天体を見るだけに留まらず、旅行や散歩の時などリュックにしまい第3 の眼として肉眼では見えない世界を映し出してくれます。春はかすみがかかりあまり天体を見るには いい条件ではないといいますが、それでも肉眼や双眼鏡で見る星空は飽きがきません。 ところで貴方の一番好きな天体は何か? と問われたら、私は迷わずアルビレオと答えるでしょう。もち ろん、人それぞれ想いが込められた天体は違うと思います。私の場合は望遠鏡で見たアルビレオでした。 白鳥座のくちばしに輝く3等星の星で、肉眼では1つの星にしか見えないのですが、オレンジとブルーとい う全く異なる色に輝く連星なんです。双眼鏡では口径7pに10倍の倍率をかけると2つの星に分離するこ とができますが、その対比の見事さに最初言葉を失っていました。アルビレオがある白鳥座は夏の星座 ですけれども、この時期でも夜半頃には姿を見せてくれます。10倍の双眼鏡や、低倍率の望遠鏡で見る といいと思いますが、望遠鏡に高倍率をかけると、逆にその寄り添う姿が失われてしまいます。 話は変わりますが、今から25年前に読んだ一冊の本があります。ハンセン病の療養所で長年、精神科 医として勤めた神谷美恵子さんの「生きがいについて」です。何故かこの本はずっと心に残っていて最近 再読しましたが、神谷さんの言葉のなかで一番響く言葉が「癩(らい)者へ」という詩の一節です。この 言葉の重みを、私自身の心の底まで降ろすことはできませんが、いつかそのような眼で見ることのできる 人間になれればと願っています。 独身の頃、マルクス政権下のフィリピンに行きハンセン病の施設を訪れたことがあります。もちろんこの 時はハンセン病に対して有効な薬が存在したと思いますが、それでも最初は私自身に病気が移ったら 怖いなという気持ちがありましたし、またこの施設にいる彼女たち(男性の方は別な棟にいたのかも知れ ません)も警戒していました。でもその棟に入ってしばらくすると彼女たちが何か悪戯っぽい眼で私に語り かけてきました。何を言っているのかわかりませんでしたが、いつの間にか女性たちに囲まれ私は彼女 たちの手を自然に握っていました。この病気にかかりながらも、子供みたいな無邪気さを眼に湛えてい る彼女たちを見て、私は単純に美しいなと感じました。アルビレオのように、隔離された厳しい現実と 無邪気な眼という異なる2つの対比が寄り添う姿。ただ、あれから私は彼女たちに対して何の恩返しも できていません。 人間に「慈しむ心」「美と感じる魂」「宗教心」はどのようにして生まれたのか、たぶん多くの説が存在す るかと思います。私はそれは星、宇宙からもたらされた面もあるのではと感じてなりません。現代のよ うに街明かりもなく、光害が全くない太古の人間の目には、月明かりのない夜、壮大な天空の星々・ 天の川が飛びこんできていたでしょう。動物も同じように目というレンズを通してそれを一つの形として 認識しますが、それらの形と自分自身を隔てる深遠な距離・空間を感じさせる力、その力を創造主は 人間に宿したのかもしれません。遥かなる天空の星々たち、それらの存在は人間に与えられたこの 恵みを気づかせ、「自分とは何者か」と常に問いかける存在なのかも知れません。 |
2012年2月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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