未来をまもる子どもたちへ




上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る夏の星空 天空の貴石・アルビレオの二重星 はくちょう座。

私が持っている口径7p倍率10倍の双眼鏡では二つの星に分離しましたが、これより低い倍率だと見えないかも

知れません。散文詩「星夜の調べ」

距離・・・アルビレオ(386光年)、伴星(387光年)



上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです

ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。


 




今から386年前の世界とは?(2011年基点)

遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に
映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。


 


1609 ガリレイが天体望遠鏡を発明
   ドイツのケプラーが天体の三法則を発見

1616 清、成立(〜1912)

1615 (日本)豊臣氏が滅びる

1618 三十年戦争が始まる(〜1648)

1620 イギリスの清教徒がメイフラワー号で北米に移住

1628 イギリスで「権利の請願」成立

1629 (日本)紫衣事件

1633 ガリレイが宗教裁判をうける

1642 イギリスでピューリタン革命が始まる(〜1649)

1643 フランス、ルイ14世の治世(〜1715)

1637 (日本)島原の乱


 


MalcT32: March 2010
ガリレオ・ガリレイ

ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)
はイタリアの物理学者、天文学者、哲学者である。パドヴァ大学教授。その業績から天文学
の父と称され、フランシス・ベーコンとともに科学的手法の開拓者としても知られる。真空実験
で有名なエヴァンジェリスタ・トリチェリはガリレオの晩年の弟子である。


ガリレオは望遠鏡を最も早くから取り入れた一人である。ネーデルラント連邦共和国(オラン
ダ)で1608年に望遠鏡の発明特許について知ると、1609年5月に一日で10倍の望遠鏡を作成
し、さらに20倍のものに作り変えた。これを用いて1609年月に望遠鏡を向けてみたガリレオは、
月面に凹凸、そして黒い部分(ガリレオはそこを海と考えた)があることを発見した。現代では
このような岩石型の天体の表面の凹凸はクレーターと呼ばれている。月は完璧に球形である
とする古いアリストテレス的な考えでは説明がつかないものであった。

また、翌年の1610年1月7日、木星の衛星を3つ発見。その後見つけたもう1つの衛星とあわせ、
これらの衛星はガリレオ衛星と呼ばれている。これらの観測結果は1610年3月に『星界の使者』
(Sidereus Nuncius )として論文発表された(この論文には、3月までの観測結果が掲載されてい
るため、論文発表は4月以降と考えられたこともあるが、少なくとも、ドイツのヨハネス・ケプラー
が4月1日にこの論文を読んだことが分かっている)。この木星の衛星の発見は、当時信じられて
いた天動説については不利なものであった(詳細な理由は天動説を参照)。そのため論争に巻
き込まれはしたが、世界的な名声を博した。晩年に、これらの衛星の公転周期を航海用の時計
として使うことも提案しているが、精度のよい予報ができなかったことや、曇天時に使えない割に
は、船舶に大きな設備を積む必要があったことから、実際には使われなかった。

金星の観測では、金星が満ち欠けする上に、大きさを変えることも発見した。当時信じられていた
天動説に従うならば、金星はある程度満ち欠けをすることはあっても、三日月のように細くはなら
ず、また、地球からの距離は一定のため、大きさは決して変化しないはずであった。さらに、望遠
鏡での観測で太陽黒点を観測した最初の西洋人となった。ただし、中国の天文学者がこれより
先に太陽黒点を観測していた可能性もある。形や位置を変える黒点は、天は不変で、月より遠い
場所では永遠に変化は訪れないとする天動説には不利な証拠になった。これは、アリストテレス派
の研究者と激しい議論となった。なお、ガリレオは晩年に失明しているが、これは望遠鏡で太陽を
直接見たためだと考えられている。

ガリレオは1597年にケプラーに宛てた手紙の中で既に地動説を信じていると記しているが、17世紀
初頭まではそれを公言することはなかった。主にこれら3点(木星の衛星、金星の満ち欠け、太陽
黒点)の証拠から、地動説が正しいと確信したガリレオは、この後、地動説に言及することが多く
なった。

その他には、天の川が無数の恒星の集合であることなども発見した。


ガリレオ・ガリレイ - Wikipedia より抜粋引用

 



天草四郎
上の画像はNO.205号 天草への旅 第五章天草四郎メモリアルホール 補筆: 杜の鍛冶屋 より引用


天草 四郎(あまくさ しろう)、元和7年(1621年)? - 寛永15年2月28日(1638年4月12日)は、江戸時代初期の
キリシタン。島原の乱の指導者とされている人物で、幕府の攻撃による原城陥落により自害したとされる。
本名は益田四郎(ますだ しろう)。諱は時貞(ときさだ)。洗礼名は「ジェロニモ」もしくは「フランシスコ」。一般
には天草四郎時貞という名で知られる。本名については愛知時貞(えち ときさだ)という説もある。


肥後国南半国のキリシタン大名で関ヶ原の戦いに敗れて斬首された小西行長の遺臣・益田甚兵衛の子とし
て母の実家のある天草諸島の大矢野島(現在の熊本県上天草市)で生まれたとされる。しかし、宇土郡江部
村(現在の宇土市)または長崎出身という説もあり、出生地ははっきりしない。益田家は小西氏滅亡後、浪人
百姓として一家で宇土に居住したという。その生涯については不明の点が多いが、生まれながらにしてカリス
マ性があり、大変聡明で、慈悲深く、容姿端麗で女が見たら一目惚れするとまで言われたほどだった。また
経済的に恵まれていたため、幼少期から学問に親しみ、優れた教養があったようである。小西氏の旧臣や
キリシタンの間で救世主として擁立、神格化された人物であると考えられており、さまざまな奇跡(盲目の少女
に触れると視力を取り戻した、海面を歩いたなど)を起こした伝説や、四郎が豊臣秀頼の落胤、豊臣秀綱であ
るとする風説も広められた。

島原の乱勃発時は16才程度の少年で、十字架を掲げて戦闘を指揮したと伝わり、徳川幕府の軍隊による
原城への総攻撃を受けて、炎の中で自害したとされる。実際には少年であった四郎が大規模な反乱を組織
したり戦いを指導したとは考えられず、実質的な首謀者は庄屋や浪人たちで、彼はその象徴として祭り上げ
られた性格が強い。しかし、3万7000人とされる島原の乱の参加者が主と仰ぐカリスマ的存在であったのは
確かである。

死後に首を切断されて幕府へ送られたという話もあり、首は長崎の原城大手門前にて晒されたとも伝わる。
そのとき幕府側には天草四郎の姿や素性の情報が全く伝わっておらず、原城に立てこもった反乱軍が皆殺し
(内通者の山田右衛門作を除く)にされているため、旗印の近くにあった立派な服装をした少年の死体を天草
四郎と断定したと言われている。そのため、首実検を行おうにも、その首自体が天草四郎本人のものかどうか
は最終的に分からなかったという。一説には、幕府軍に捕えられた四郎の母は「今ごろ四郎は白鳥になって
伴天連の国へ向かっているでしょう」とうそぶいたが、四郎の首を見せられると悲嘆して泣き崩れたとのことで
ある(細川藩資料「肥前国有馬戦記」)。

四郎の秀頼落胤説は、馬印が豊臣秀吉のものと同じ瓢箪であることなどから、大坂夏の陣において死去した
はずの秀頼が大坂城を脱出して薩摩へ逃れていたとする論拠で、豊臣家権威の糾合を図ったとも考えられて
いる。豊臣秀綱という名があったと鹿児島での書物に記されている。

原城跡をはじめ天草、島原など複数箇所に銅像がある。また、後年民家の石垣から発見された、四郎の母が
建立したと思われる墓石も立っている。


天草四郎 - Wikipedia より抜粋引用



「長崎の天主堂 五島列島の教会堂」T・U・V DVD
「天主堂物語」
「西海の天主堂」「天主堂巡礼」
「キリシタンの里 沈黙とオランショとサンタマリアと」
「祈りの海 キリシタンの里」
「海郷の五島」




「天上の宝石アルビレオ・・・この星は小望遠鏡の好対象としていつもまっさきにとりあげられる

美しい連星ですが、金色の3.1等星とエメラルド色の5.4等星が34.6″へだててならんでいるようす

をひと目見れば、誰でもその美しさにため息をつかずにはおれないことでしょう。(公転周期約30

万光年) 少し強力な双眼鏡で、手ぶれしないようにしっかり固定して見れば、二重星であること

がはっきりわかるくらいですから、どの口径にも向く二重星といってよいでしょう。魅力的なその

色彩を楽しむためには、やや高倍率にしてピントをわざとはずし、星像をぼかし気味にして見る

というのもひとつの手だといえます。」

「星座ガイドブック 春夏編」藤井旭著 より抜粋引用


「くちばしに輝く3等星だが、小望遠鏡対象の重星としてもっとも有名である。“アルビレオ”という

もっとも美しい名前をもち、もっとも美しい色の対照をみせる重星として、もっとも人気があるのだ

ろう。オレンジとブルーがすばらしい全天一の美星に、ロメオとジュリエットと命名した人がいる。

まさにそのとおりだ。」

「ほしぞらの探訪 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡による」山田卓著 より抜粋引用


「アルビレオ、なんとやさしい、チャーミングな名前だろうか。まるで清純な初恋の人の名を呼ぶ

ようにこころよい。アルビレオの原意が不明というのも、神秘のベールにつつまれたあこがれの人

の名にふさわしい。明るい夏の銀河のなかの3等星だから、川の流れに呑みこまれはしないかと

おもわせるほど可憐だ。見失ったら、オリヒメとヒコボシのまん中の、ほんの少しデネブよりをさが

すといい。アルビレオは、もっとも美しい呼名と、もっとも色の美しい二重星として知られている。

残念ながら、美しい重星を楽しむには天体望遠鏡の助けが必要だ。オレンジ(K1型)の3等星に、

ブルー(B9)の5等星がよりそっているようすは、美しいその呼名にふさわしい。」

「夏の星座博物館」山田卓著 より引用


「アルビレオの名で親しまれている全天でもっともきれいな重星で、とりわけ色のめざましいコント

ラストは、夏の夜空に投げられた宝石といえます。光度は3.9等と5.1等で、位置角は54°.4、角距離

34".2、この両星の色は黄金とむらさき、宝石になぞらえれば、トパーズとサファイアです。色をた

めすには、ピントをすこしぞらすとよくわかりますが、あまりにも小さな器械や大口径ではこの色は

味わえません。また倍率は30倍ぐらいでみた方が高倍率よりよくわかります。15〜20cm30倍ぐらい

がいちばんみごたえがあります。7×50などの双眼鏡でみるときは、架台にしっかりとつけてみない

かぎりはっきりしません。微星の間にまじって、ひときわうかびあがり、何ともいえない美しさです。」

「四季の天体観測 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で」中野繁著 誠文堂新光社 より抜粋引用


 


Albireo, Double Star より引用


APOD: 2005 August 30 - Albireo: A Bright and Beautiful Double



2015年12月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




本日12月24日の夜明けです。



今から24年前に創った散文詩(星夜の調べ)を載せます。

この中に出てくる戦時中の出来事は実話で、「世界のうらおもて」カンドウ神父・著に書かれています。



☆☆☆

オリオンの三つ星たちよ

凍える冬の天空にお前は腰掛け

その胎内からは光を与えられた星々が生まれる

薄い赤味を帯びた雲は

まるで鳩が平和という願いの翼をひろげ

飛翔しているかのよう

大地に夜の帳が落ち

明日のために羽根を休める時

アルビレオの星がその頭上に輝く



見るがいい

この対比は一体どうしたことだろう

黄玉と青宝石の異なる輝きを擁く二つの星が

恋人のように寄り添う

これらの星はどの地にも

余す所無く光の粒子を落とす

それが戦争という極限の状況に置かれた

兵士の上にでも



さあ僕と一緒においで

君をある過去に連れて行ってあげよう

あの四辺形に見える星々を見てごらん

あれはペガスス座といって翼を持った天馬のことなんだ

そのα星までの距離 約八十光年

この星を見つめてごらん

僕たちの瞳に飛びこんでくる光の粒子は八十年前のもの

それは欧州に多くの血が流された

第一次世界大戦の時なのだ



闇を突き刺す砲弾の音

恐れ逃げ惑う足音

街はもうすぐクリスマスを迎えようとしていた

そして それは同じく

前線の兵士たちの上にも

彼らは夜になっても続く

激しい戦闘と厳しい寒さに疲れ切っていた

凍傷で足を切断することを恐れ

缶詰の空缶に炭を入れ靴に縛りつける

靴の底が焼けても構わず

唯、我武者羅に

数十メートル先の敵の塹壕目掛けて

手榴弾を投げ合っていた



兵士の一人が呟いた

ああ 今頃みんな教会で讃美歌を歌っているだろうな

といきなり 「天に栄光 地には平安」と

クリスマスの聖歌を唄い出した

その歌は広がり

塹壕中 大合唱になった

それを聞いていたドイツ軍の塹壕が

何となくひっそりしたと思うと

途端に張りのある美しい何部合唱かで

コーラスに加わってきた



君にも聞こえるだろう

降誕祭を祝う調べが

あらゆる讃美歌が

敵、味方なく交互に歌い継がれてゆく

彼らの瞳は

オリオンの整然と並んだ

七つの星に見入っただろう

兵士たちは手榴弾を持つことを忘れ

その瞳はゆっくりと閉じてゆく

まるで幾年か前に

家族と共に楽しく過ごしたクリスマスに

優るとも劣らない

平和な鳩を抱きしめたのだ



さあこの地を離れよう

明日になれば

兵士たちは再び手榴弾を握るのだろう



アルビレオよ

何故お前たちは

そのように寄り添っていられるのだ

全く異なる二つの星が

私の目には一本の松明としか映らない

何故 人類は

お前のように生きていけないのだ

思想が異なる為なのか

民族が異なる為なのか

宗教が異なる為なのか

何故このことの為 人は憎み合い争わねばならないのか



アルビレオよ 教えてくれ

二つの異なる光が何故そのように共に輝いていられるのだ

アルビレオよ 私を見ておくれ

私は弱く醜い姿を曝け出している

唯 私はこの体内に心の平和が宿ることを願いたい

どのような理想国家が机上にて産み出されようとも

どのような奇跡が人々の前に現れようとも

一人一人に

人を憎むことのない心の平和が体現しない限り

戦争という不幸は永久に生き続けることだろう



君の瞳に写し出されているアルビレオは三百五十年前の姿  

この星から船出した二つの光芒は

三百五十年後

どのような地球・人類を見ることになるのだろうか

今 時は一九九二年・降誕祭


 


2015年7月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「白鳥のロザリオ」 画像の赤い部分



10数個の繋がった星の並び、この並びは「はくちょう座の鎖」と外国では呼ばれますが、「はくちょう座」には鎖よりもロザリオ

(数珠)と表現するほうが相応しいと思い「白鳥のロザリオ」と自己流に命名しました。



この「はくちょう座」にアルビレオ(美しい二重星)が輝いていますが、今私達が見ているアルビレオは約386年前の光です。



日本では天草四郎が生きていた時代ですが、天草四郎が島原の乱で亡くなった後、幕府軍に捕らえられた四郎の母は「今ごろ

四郎は白鳥になって伴天連(バテレン)の国へ向かっているでしょう」と言ったとの説(定かではありません)があります。



「白鳥のロザリオ」



この星のつながりを見るには、望遠鏡ではなく双眼鏡で見るのが最適です。これはアルビレオの二重星(色の対比が美しい)

にも言えます。



過去のこと、未来のことなど様々な想いを、星に投影して見るのもいいものですね。


 


「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用




2011年5月8日の日記から
(K.K)

「双眼鏡で見る春の星空」という項目を作りました。初めて天体に興味を持ったのは30年前になります。

有隣堂という本屋に置いてあった安い望遠鏡を購入し、初めて土星の輪を見たときの感動は忘れられ

ません。今ではその望遠鏡はなく、ただ対物レンズだけは思い出としてしまっています。その後、双眼鏡

による星空観望に移りましたが、天体を見るだけに留まらず、旅行や散歩の時などリュックにしまい第3

の眼として肉眼では見えない世界を映し出してくれます。春はかすみがかかりあまり天体を見るには

いい条件ではないといいますが、それでも肉眼や双眼鏡で見る星空は飽きがきません。




ところで貴方の一番好きな天体は何か? と問われたら、私は迷わずアルビレオと答えるでしょう。もち

ろん、人それぞれ想いが込められた天体は違うと思います。私の場合は望遠鏡で見たアルビレオでした。

白鳥座のくちばしに輝く3等星の星で、肉眼では1つの星にしか見えないのですが、オレンジとブルーとい

う全く異なる色に輝く連星なんです。双眼鏡では口径7pに10倍の倍率をかけると2つの星に分離するこ

とができますが、その対比の見事さに最初言葉を失っていました。アルビレオがある白鳥座は夏の星座

ですけれども、この時期でも夜半頃には姿を見せてくれます。10倍の双眼鏡や、低倍率の望遠鏡で見る

といいと思いますが、望遠鏡に高倍率をかけると、逆にその寄り添う姿が失われてしまいます。




話は変わりますが、今から25年前に読んだ一冊の本があります。ハンセン病の療養所で長年、精神科

医として勤めた神谷美恵子さんの「生きがいについて」です。何故かこの本はずっと心に残っていて最近

再読しましたが、神谷さんの言葉のなかで一番響く言葉が「癩(らい)者へ」という詩の一節です。この

言葉の重みを、私自身の心の底まで降ろすことはできませんが、いつかそのような眼で見ることのできる

人間になれればと願っています。




独身の頃、マルクス政権下のフィリピンに行きハンセン病の施設を訪れたことがあります。もちろんこの

時はハンセン病に対して有効な薬が存在したと思いますが、それでも最初は私自身に病気が移ったら

怖いなという気持ちがありましたし、またこの施設にいる彼女たち(男性の方は別な棟にいたのかも知れ

ません)も警戒していました。でもその棟に入ってしばらくすると彼女たちが何か悪戯っぽい眼で私に語り

かけてきました。何を言っているのかわかりませんでしたが、いつの間にか女性たちに囲まれ私は彼女

たちの手を自然に握っていました。この病気にかかりながらも、子供みたいな無邪気さを眼に湛えてい

る彼女たちを見て、私は単純に美しいなと感じました。アルビレオのように、隔離された厳しい現実と

無邪気な眼という異なる2つの対比が寄り添う姿。ただ、あれから私は彼女たちに対して何の恩返しも

できていません。




人間に「慈しむ心」「美と感じる魂」「宗教心」はどのようにして生まれたのか、たぶん多くの説が存在す

るかと思います。私はそれは星、宇宙からもたらされた面もあるのではと感じてなりません。現代のよ

うに街明かりもなく、光害が全くない太古の人間の目には、月明かりのない夜、壮大な天空の星々・

天の川が飛びこんできていたでしょう。動物も同じように目というレンズを通してそれを一つの形として

認識しますが、それらの形と自分自身を隔てる深遠な距離・空間を感じさせる力、その力を創造主は

人間に宿したのかもしれません。遥かなる天空の星々たち、それらの存在は人間に与えられたこの

恵みを気づかせ、「自分とは何者か」と常に問いかける存在なのかも知れません。






 

2014年4月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



APOD: 2014 April 2 - Mars Red and Spica Blue

(大きな画像)



火星が地球に最接近(写真はNASAより引用)



明日4月14日に火星地球に再接近(マイナス1等級に輝く)しますが、お月様とも接近した姿が見られます。



写真は、3月末にスウェーデンで撮影された火星と「おとめ座」の1等星・スピカで、オークの木のすき間から

赤と青の対比する輝き(「はくちょう座」のアルビレオを思い起こさせます)が見えています。



アイヌの方は、スピカを狼(おおかみ)星という意味の「ホルケウノチウ」と呼んでいますが、日本語での語源

は大神(おおかみ)で、山の神として山岳信仰とも結びついてきました。



「かしこき神(貴神)にしてあらわざをこのむ」と日本書紀に記述されているようですが、ヨーロッパやイエロー

ストーン国立公園で成功したように日本の森に狼を放すこと、それに対して異論や不安(恐怖)はあるかと

思います。



ただ私は、かつて日本の森を守っていた狼、彼らの遠吠えをこの日本で聞いてみたいと思います。



100年以上前に絶滅したと言われる日本狼、何処かで生き抜いていて欲しいと願っています。









双眼鏡で見る春の星空 双眼鏡で見る夏の星空

双眼鏡で見る秋の星空 双眼鏡で見る冬の星空

天体観測に適した小・中口径の双眼鏡

天体観測に適した大口径の双眼鏡

(映し出されるまで時間がかかる場合があります)

いい双眼鏡とはどんなもの

雑記帳(魅せられたもの)

美に共鳴しあう生命

神を待ちのぞむ

天空の果実


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