「祈りの海 キリシタンの里」 木下陽一写真集

日本写真企画 より引用









西海の天主堂 結城了悟 長崎・日本二十六聖人記念館館長

「天主堂」は、神の家である。唯一の神を賞め讃える自然の中で、その神を求める

人間の声である。天主堂は、西海の景色に合わせてキリシタンの子孫が築いた祈り

の家である。西海の風土との二十年以上もの付き合いで、私はいつもその建物に

引き寄せられ、その素朴な美しさに新しい意味を見い出す。遠くから眺め、或いはひ

とり板張りに座り内部の静寂を楽しむ時、私が受けた印象を表現する一つの言葉が

ある。天主堂には調和がある。その建物は、日本の最も美しい風景の一つである

西海の自然とよくつり合っている。その自然の中で開花する花のようであるが、そ

の花の当然とも言える優しさと調和には、言いようのないほどの厳しさが秘んでい

る。それは、人間の世界では、美と聖性を生む厳しさである。海は荒れ、冬風が冷

たい、土地はやせている。そこに潜伏したキリシタンたちは、絶えず迫害された。

どのように厳しい自然でも、春の訪れには花が咲く。明治の初め頃、信仰の自由

が与えられると、西海では、復活の喜びを天主堂の建物に表わした。その喜びを

感じたのは、心の貧しい農民や漁民であったので、その表現には、傲慢と権力の

しるしが見受けられないし、天主堂の扉が皆の前に親しげに開かれる。天主堂が

建っている丘の粘土で、信者はレンガを造り、隣の島から砂岩を運び、村の家々

を建てた大工の手が、材木を切り揃え、その表面には自然から教わった飾りを彫

った。毎日の仕事が終わると、その手の強い指は、優しくロザリオの珠を繰った。

彼等が建てた神の家は、自分たちの住まいのように親しみをおぼえさせる。天主

堂の建築には、光と音も基本的な材料として利用されている。空と海の青と緑に

囲まれた赤レンガの天主堂、白壁の天主堂、石造りの天主堂の姿が目につくが、

窓の色ガラスが自然の彩りを内部の材木に写す。壁がきえても光でこしらえた建

物が残るであろうという印象である。同様に、水のせせらぎ、風の音、蝉や鳥の

声などが祈りと讃美歌とに折り込まれる。時にはすべての音が消え、天主堂の内

部はあたかも沈黙でつくられているかのように見える。私がいつも教会の建築に

要求する特色の一つは、そこに入る人の心に、沈黙を育てることができる雰囲気

である。西海の天主堂を建てた人は、自然の静けさを味わい、自らの心には、祈り

の精神を育んだので、見事にこの点においても成功したのである。朝まだ早くあた

りが静寂に包まれている頃、一人の老人の坂石を踏む足音が天主堂にいる私の

耳元まで届く。西海の天主堂は、巡礼地でもある。巡礼者は神との出会いを求めて

家を後にし、希望を胸に、出会いのために定められた場へと向かう。西海の信者た

ちは、毎日そのような巡礼の道を歩いた。特に最初の天主堂は、海の道と山の道

の合流地点に建てられた。信者は毎日その道を歩き、砂浜と岩を踏んだその足が、

天主堂の板張を磨いていう。しかし、西海では住民の移動によって過疎化した村や

小島がある。信者が離れ去っても、天主堂は残る。天主堂が残っていても、祈る人が

いなければ、建物は次第に死んでいく。その寂しい死のしるしの一つは、板張には

ほこりが積もり、板がはずれて落ちてしまう。壊れたガラスから洩れる光は反射しな

い。しかし、生き残った天主堂が島々にある。もろい建物のように見えるが、五十年

後、七十年後、八十年後を経た今日もなお上品な柱とアーチがたち上り、搭の先端

の十字架は絶えず透き通った空に祝福のしるしを刻む。天主堂は村の生活と同じ

リズムで生きる。村人が結婚式や子供の誕生に際して喜ぶ時には天主堂が彼等を

招き、その喜びを分かち合う。愛された人が亡くなり、目に心に泪が溢れると天主堂

も悲しみ、信者に慰めの言葉を囁く。丁度その時、ゆっくりとそして印象深く鐘が鳴り、

遠くの農科にまでその響きを轟かせる。天主堂には天主堂自身の喜びと悲しみの日

がある。御降誕祭、復活祭、聖母マリアの祝日などに信者が天主堂に行き、その日

の雰囲気に従って心を改める。西海の天主堂は大抵若者の夢のように海に向かっ

ている。旅する神の民に宿を備えながら永遠のふるさとのみちしるべである。平戸

の古江天主堂の薄暗い内部の銀のランプのかすかな光は、私の心に聖書の中の

ある言葉を思い起こさせた。「永遠の都に夜はない。子羊はその光である。」

(本書 より引用)





「長崎の天主堂 五島列島の教会堂」T・U・V DVD

「大いなる遺産 長崎の教会」三沢博昭・写真集

「天主堂物語」

「西海の天主堂」「天主堂巡礼」

「切支丹の里 沈黙とオラショとサンタマリアと

「海郷の五島」

 




2012年7月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。






「命を捧げるほどの愛―マキシミリアノ・コルベ神父」


マキシミリアノ・コルベ神父(1894〜1941)を紹介するサイト



アウシュヴィッツで餓死刑の身代わりを申し出、亡くなったコルベ神父(1982年、同じポーランド

出身のヨハネ・パウロ2世によって列聖を宣言される)、その姿を沢山の写真と共に紹介した

このサイトに心ひきつけられました。



聖フランシスコ修道会に入られたコルベ神父は、長崎に来られた数年間に「聖母の騎士修道院」

を設立し、現在でも月刊誌「聖母の騎士」が発行されています。



布教とは直接関係ないのですが、コルベ神父が大学時代、惑星間の旅行が物理的・生物学的

に可能であることを説明する論文を書いたり、修道院長時代、若い神学生とチェスをすることが

唯一の趣味だったりと、同じ領域に関心をもっていたことに驚きました。



しかし、それよりもこのサイトを通して、コルベ神父の言葉と行いに改めて感銘を受けています。



アウシュヴィッツでの話ですが、このサイトから印象に残った言葉を転載します。



☆☆☆☆



担ぎ出される死者には、永遠の安息を祈り見送ることが自分の務めなのだからと祈り続けられ、

他の人の身代わりになって殴打されたこともしばしばでした。



そんなコルベ神父に看護係がこっそりと一杯のお茶を持って行っても、「他の方々はいただいて

いませんのに、私だけが特別扱いを受けては申し訳ありません」と固辞され、わずかに与えられ

る食事でさえ大部分をいつも他の人に分け与え、痩せきっても優しい微笑みでこうおっしゃった

のだそうです。



「私は若い時から様々な苦難には慣れていますが、人にまでその無理を強いたことを反省して

います。私のことでしたら心配はいりません。私よりも誰かもっと他に苦しんでいる人がいるで

しょう。その人たちに…」



☆☆☆☆




(K.K)



 


2013年6月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)


「死者のための祈り」(長崎・平和祈念像 写真は1998年1月6日に撮ったものです。)



もう10数年前のNHKの番組で、病院に入院している一人のおばあさんが紹介されていた。



おばあさんの一人娘(小学生)は原爆で亡くなり、それ以降おばあさんは一人で生きてきたが、

当時のことを語ろうとせず、1枚残った女の子の写真を大切にされていた。



時が止っている、そう感じてならなかった。



平和祈念像は神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に

伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めて

作られた。



祈りの想いや手が、自分の外へと向くことができたらと思う。



「主よ、みもとに召された人々に、永遠の安らぎを与え、あなたの光の中で憩わせてください。」

詩篇130



 





(大きな画像)



「見果てぬ夢」




君は感じたことがあるかい

永遠と思われるほどの時空を超えて

君の黒い瞳を突き射す星々の瞬きを

僕たちが婚姻の祝杯をあげた丁度その時

ウォルフ359の星から船出したダイアモンドの輝きが

七年という孤独な暗い旅を経て

今まさに僕たちの目に飛び込むその瞬間

光の塊は弾け二人を過去に引きもどす



君は覚えているかい

長崎の黒島という小さな島に向かう船の中で

水しぶきがキラキラと舞い

僕と君の間に横たわっていた乾いた心を潤し

希望という種をまいたことを

もしこの小船に足を踏み入れることがなかったら

君は今頃違う屋根の下で暮らしていたかも知れない

それ程

この黒島への旅は奇跡としか思えないものだった



二人は確信した

この結婚を神は祝福してくれていると



その昔 迫害に追われた人たちは

どのような想いでこの海を見つめたのだろう

船はゆっくりと海と戯れる光と共に

海面を滑っていった



底知れぬ海の深さに似て

僕の嘆きはどれ程心の奥底に沈んでいったか

渡り鳥よ

何故僕を引き上げ天空へと導いてくれなかったのか  

お前たちは月明かりのない暗黒の洋上でも

ただ星を指標として飛び続けることができるではないか

若かりし僕は

その満天の輝きが我が身を突き射しても

心は震えず

水沫のように消え去った

あれから幾度緑なる星は

日輪への軌跡を刻み続けたことだろう

いつしか僕は君と巡り合い夢を見るようになった



君はまだ耳に残っているかい

街灯の白い炎が僕たちの足許を照らし

冷気ある静寂が二人を包容した時

僕は湧き出る想いを歌った

それは騎士遍歴の唄だった



夢は稔り難く

敵は数多なりとも

胸に悲しみを秘めて

我は勇みて行かん

道は極め難く

腕は疲れ果つとも

遠き星をめざして

我は歩み続けん

これこそは我が宿命

汚れ果てし この世から

正しきを救うために

如何に望み薄く 遥かなりとも

やがて いつの日か光満ちて

永遠の眠りに就く時来らん

たとえ傷つくとも

力ふり絞りて

我は歩み続けん

あの星の許へ

(福井峻訳「見果てぬ夢」騎士遍歴の唄)

(1985刊 「ラ・マンチャの男」パンフより)



そんな僕に君は真実の鏡を見せてくれた

そこに映し出されたのは醜いアヒル

騎士は騎士であることを捨てた

虚空と無念の翼を拡げて

アヒルは現実の世界へと旅立った

しかし

何を目指して飛べばいいのだろう

僕は感じた

このままでは永遠に牢獄に閉じ込められてしまうと



君は打ち拉がれた騎士に向かい

訴えた

あなたはドン・キホーテでいい

そして私はこれからサンチョ・パンサになる



冷気ある静寂の中でいつしか僕たちは

天空にきらめく星たちの懐に抱かれていた


祈りの散文詩集



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