「天主堂物語」 木下陽一写真集
海鳥社 より引用
撮り続けたものですが、この「天主堂物語」はその集大成と言えるものだと思い ます。木下氏は遠藤周作の「沈黙」を読んで、隠れキリシタンの歴史に関心を持 ち、迫害が終わった後に隠れキリシタン達が建てた天主堂を追い続けてきまし 写真の秀逸さは勿論のこと、その被写体を通して、祈りや長い苦難の歴史を感じ させてくれるものです。長い迫害の歳月をじっと絶え忍んできた隠れキリシタン、 そして形は違う迫害に今も苦しめられ続けている世界各地の先住民の方たち。 迫害する側に共通しているのは、国家による独裁政治の秩序維持あるいは物質 的利益のため、人々の心の自由を奪い取ってきたということかも知れません。 2008年511日 (K.K) (K.K)
「長崎の天主堂 五島列島の教会堂」T・U・V DVD |
影像が語り継ぐ信仰の遺産 長崎県外海 黒崎カトリック教会 主任司祭 野下千年 このたび、木下陽一氏の作品集「天主堂物語」が刊行されることになった。カメラを 初めて手にしてから45年とおっしゃる木下氏は、これまで既に9冊の作品集を出版 しておられ、今回記念すべき第10冊目の出版を成し遂げられた。心からのお祝い を申し上げたい。1979年の第一冊目が「切支丹の里」、続く翌年が「祈りの海」、6 冊目には「西海の天主堂」、そして今回のが「天主堂物語」で、これらは純粋に天主 堂のみの、あるいはその周辺の祈りの情景を収めた写真集である。木下氏との最初 の出会いから33年になる。私が五島福江市に新設された浦頭教会の初代主任司祭 として赴任したばかりの頃である。近くの入り江には、キリシタン弾圧後の五島に最初 に建立された赤煉瓦造りゴシック様式の天主堂が海面に美しい姿を映していた。木下 氏のカメラが天主堂を捉え始めた頃とほぼ一致するように思う。私の14年の福江滞在 中に、木下氏は堂崎をはじめ島内の天主堂撮影に足しげくやって来られた。その撮影 活動は天主堂だけにとどまらず、教会に繋がって生きているキリシタンの家族の生活、 かくれキリシタンの人々にまで及んでいた。赴任して丁度10年目の1979年、氏の写 真集第一冊目「切支丹の里」が刊行され、早々それを携えてきてくださった。それは多 くの論考を含み、内容の濃さに驚いた。そして現在、私は長崎県外海町の黒崎教会の 主任司祭として司牧の任にあり、木下氏の記念すべき第10冊目作品集の刊行の喜び を申し上げる機会に恵まれた。木下氏は、遠藤周作の小説「沈黙」との出会いが自分 に天主堂をライフワークとする写真家となる決意をさせたと語る。この物語の前半、イ タリアを出航し密かに長崎に近付いた主人公の外国人宣教師たちが、近郊の小さな 入り江の海岸に命懸けの上陸を果たし、キリシタン検索の役人たちの眼をかわしなが ら、潜伏キリシタンたちとの接触を図る。そして、潜み逃げ回る。この間の作中舞台と して遠藤周作が選んだのが長崎県外海の黒崎。現在、黒崎教会が建つ周辺の海岸、 集落、後ろに控える山々や小道、炭焼き小屋の跡などである。島原の乱をきっかけに 幕府の弾圧が一段と激化した頃の長崎が舞台である。そのため遠藤文学ファンやカメ ラマン、マスコミ関係者の来訪も多い。写真家にしても画家にしても、天主堂を恰好の 被写体として捉えようとする人は多い、しかし、これまでのお付き合いをとおして、木下 氏の半端でないキリシタン史の研究、教会事情に関しての謙虚な学び、筋を通した撮 影申し入れ、撮影現場での紳士的で敬虔な振るまいまどに接しながら、氏は、自らを 天主堂写真家として確信を持って位置付けることのできる人だと思う。執拗に天主堂 を狙い続けるレンズの後ろに、木下氏の天主堂に込める深い思いがある。趣味や技 術への衒いを超えて、天主堂の持つ、らしさや本質を影像に語らせようとする意図が あるように思える。これまでの作品集もそうだが、今回もまたページを捲りながら、氏 がシャッターの指先かrだ影像におくる天主堂への思いをあらためて深くする。天主堂 の外観や風景の中のたたずまいも、そこに10年以上も過ごしたことがあったのに、全く 異質の新鮮さに気付かされる。内部のステンドグラスの図柄や光彩に、柱頭や天井の 紋様に、その昔、祈りを込めて彫り込んだであろう匠たちの姿が浮かぶ。十字架上に 人類の贖罪をなし終えて、荊冠の血をおびて静かに瞼を閉じるキリストの顔、クリスマス の聖堂の一角にセットされた馬小屋の聖家族像。そこで飼い葉桶のみどり子を優しく見 つめ、ステンドグラスの仄かな光を浴びながら祈る聖母マリアの瞳に、いつの間にか祈 りに誘われている。キリストの秘蹟的現存である聖体が安置され、聖堂の心臓部であ る聖櫃。赤いカーテンい仕切られた告白室。クリスマス・イヴのミサで、キャンドルを手 にキリストの誕生を賛美歌と祈りで祝う信徒たち。黄昏の十字架墓碑、晩鐘など、写真 集に見入るうちに、いつしか現実の情景の中で合掌しているような思いになる。『天主 堂物語』は、弾圧に苦しんだ先祖たちの物語、自由の日を迎えた喜びの物語、感謝の 証として天主堂再建に心血を注いだ信者たちの物語を秘めている。『天主堂物語』は、 それらの天主堂が現存していることの証拠写真である。『天主堂物語』の願い、それは、 一つ一つの天主堂を大切に後世に遺すこと、そして、一つ一つの天主堂が秘めている 決して忘れてはならない物語を語り継いでいくことである。 天主堂語り部、木下陽一氏に感謝をこめて。 (本書より引用)
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2012年7月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「命を捧げるほどの愛―マキシミリアノ・コルベ神父」 マキシミリアノ・コルベ神父(1894〜1941)を紹介するサイト アウシュヴィッツで餓死刑の身代わりを申し出、亡くなったコルベ神父(1982年、同じポーランド 出身のヨハネ・パウロ2世によって列聖を宣言される)、その姿を沢山の写真と共に紹介した このサイトに心ひきつけられました。 聖フランシスコ修道会に入られたコルベ神父は、長崎に来られた数年間に「聖母の騎士修道院」 を設立し、現在でも月刊誌「聖母の騎士」が発行されています。 布教とは直接関係ないのですが、コルベ神父が大学時代、惑星間の旅行が物理的・生物学的 に可能であることを説明する論文を書いたり、修道院長時代、若い神学生とチェスをすることが 唯一の趣味だったりと、同じ領域に関心をもっていたことに驚きました。 しかし、それよりもこのサイトを通して、コルベ神父の言葉と行いに改めて感銘を受けています。 アウシュヴィッツでの話ですが、このサイトから印象に残った言葉を転載します。 ☆☆☆☆ 担ぎ出される死者には、永遠の安息を祈り見送ることが自分の務めなのだからと祈り続けられ、 他の人の身代わりになって殴打されたこともしばしばでした。 そんなコルベ神父に看護係がこっそりと一杯のお茶を持って行っても、「他の方々はいただいて いませんのに、私だけが特別扱いを受けては申し訳ありません」と固辞され、わずかに与えられ る食事でさえ大部分をいつも他の人に分け与え、痩せきっても優しい微笑みでこうおっしゃった のだそうです。 「私は若い時から様々な苦難には慣れていますが、人にまでその無理を強いたことを反省して います。私のことでしたら心配はいりません。私よりも誰かもっと他に苦しんでいる人がいるで しょう。その人たちに…」 ☆☆☆☆ (K.K) |
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