「長崎の天主堂 五島列島の教会堂」DVD T・U・V

有限会社デジタルメディア企画





五島列島の緑の山間(やまあい)や紺碧の海辺には、明治と大正時代に小さな天主堂が

多く建てられました。長崎の天主堂に関してはいくつかの素晴らしい写真集が出版され、

専門的な研究も蓄積されつつあります。しかし一般には、まだよく知られていないと言って

も過言ではありません。なにしろその大部分は、五島や平戸、天草といった離島やかなり

の僻地に点在しているからです。したがって、普通の観光客はもちろん、長崎県在住の方

でもその全貌に接する機会はあまりありません。しかしながら、長崎の天主堂はまことに

豊穣な建築的世界をなしています。宗教建築である以上、もちろん信者にとっても意味も

ありますが、もっと広くいわば人類共通の文化遺産として捉えることも不可能ではありま

せん。本DVDシリーズがそれへのひとつの誘いになれば幸いです。(紹介文より引用)


T集

収録教会
青砂ケ浦天主堂
江上天主堂
大曽教会
福江教会
米山教会
奈留教会
桐教会
楠原教会
大水教会
玉之浦教会
浜串教会
有福教会
若松大浦教会
井持浦教会
丸尾教会
教会堂フォトギャラリー




U集

収録教会
頭ケ島教会
野首教会
水ノ浦教会
牢屋の窄殉教記念聖堂
中知教会
浜脇教会
小瀬良教会
中ノ浦教会
福見教会
佐野原教会
浦頭教会
高井旅教会
大平教会
猪ノ浦教会
打折教会
青方教会
真手ノ浦教会
教会堂フォトギャラリー




V集

収録教会
旧五輪教会
堂崎教会
冷水天主堂
貝津教会
赤波江教会
南越教会
曽根教会
鯛ノ浦教会
三井楽教会
船隠教会
嵯峨島教会
土井ノ浦教会
繁敷教会
焼崎教会
宮原教会
跡次教会
半泊教会
教会堂フォトギャラリー






「大いなる遺産 長崎の教会」三沢博昭・写真集

「天主堂物語」

「西海の天主堂」「天主堂巡礼」

「切支丹の里 沈黙とオラショとサンタマリアと」

「祈りの海 キリシタンの里」

「海郷の五島」







2012年7月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。






「命を捧げるほどの愛―マキシミリアノ・コルベ神父」


マキシミリアノ・コルベ神父(1894〜1941)を紹介するサイト



アウシュヴィッツで餓死刑の身代わりを申し出、亡くなったコルベ神父(1982年、同じポーランド

出身のヨハネ・パウロ2世によって列聖を宣言される)、その姿を沢山の写真と共に紹介した

このサイトに心ひきつけられました。



聖フランシスコ修道会に入られたコルベ神父は、長崎に来られた数年間に「聖母の騎士修道院」

を設立し、現在でも月刊誌「聖母の騎士」が発行されています。



布教とは直接関係ないのですが、コルベ神父が大学時代、惑星間の旅行が物理的・生物学的

に可能であることを説明する論文を書いたり、修道院長時代、若い神学生とチェスをすることが

唯一の趣味だったりと、同じ領域に関心をもっていたことに驚きました。



しかし、それよりもこのサイトを通して、コルベ神父の言葉と行いに改めて感銘を受けています。



アウシュヴィッツでの話ですが、このサイトから印象に残った言葉を転載します。



☆☆☆☆



担ぎ出される死者には、永遠の安息を祈り見送ることが自分の務めなのだからと祈り続けられ、

他の人の身代わりになって殴打されたこともしばしばでした。



そんなコルベ神父に看護係がこっそりと一杯のお茶を持って行っても、「他の方々はいただいて

いませんのに、私だけが特別扱いを受けては申し訳ありません」と固辞され、わずかに与えられ

る食事でさえ大部分をいつも他の人に分け与え、痩せきっても優しい微笑みでこうおっしゃった

のだそうです。



「私は若い時から様々な苦難には慣れていますが、人にまでその無理を強いたことを反省して

います。私のことでしたら心配はいりません。私よりも誰かもっと他に苦しんでいる人がいるで

しょう。その人たちに…」



☆☆☆☆




(K.K)



 


2013年6月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)


「死者のための祈り」(長崎・平和祈念像 写真は1998年1月6日に撮ったものです。)



もう10数年前のNHKの番組で、病院に入院している一人のおばあさんが紹介されていた。



おばあさんの一人娘(小学生)は原爆で亡くなり、それ以降おばあさんは一人で生きてきたが、

当時のことを語ろうとせず、1枚残った女の子の写真を大切にされていた。



時が止っている、そう感じてならなかった。



平和祈念像は神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に

伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めて

作られた。



祈りの想いや手が、自分の外へと向くことができたらと思う。



「主よ、みもとに召された人々に、永遠の安らぎを与え、あなたの光の中で憩わせてください。」

詩篇130



 

 


2013年7月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)


本日の夜明けは雨でしたが、ユーミン(松任谷由実)が結婚式を挙げたことでも有名な、開港後日本

最初の聖堂であるカトリック山手教会の写真を投稿します。



外観では長崎県を中心にレンガや石造りの素晴らしい教会があるのですが、山手教会の美しさも

日本有数と言われています。



この教会の中庭に立つ聖母像(白い像)は、今から145年前(1868年・明治元年)にフランスから贈ら

れたものです。



父の赴任先・佐世保で生まれた私にとって長崎は縁もゆかりもない土地でしたが、隠れキリシタンが

多く住んでいた黒島の教会(佐世保から船で50分)を大人になって訪れたときから、記憶に刻まれた

土地になりました。








(大きな画像)



「見果てぬ夢」




君は感じたことがあるかい

永遠と思われるほどの時空を超えて

君の黒い瞳を突き射す星々の瞬きを

僕たちが婚姻の祝杯をあげた丁度その時

ウォルフ359の星から船出したダイアモンドの輝きが

七年という孤独な暗い旅を経て

今まさに僕たちの目に飛び込むその瞬間

光の塊は弾け二人を過去に引きもどす



君は覚えているかい

長崎の黒島という小さな島に向かう船の中で

水しぶきがキラキラと舞い

僕と君の間に横たわっていた乾いた心を潤し

希望という種をまいたことを

もしこの小船に足を踏み入れることがなかったら

君は今頃違う屋根の下で暮らしていたかも知れない

それ程

この黒島への旅は奇跡としか思えないものだった



二人は確信した

この結婚を神は祝福してくれていると



その昔 迫害に追われた人たちは

どのような想いでこの海を見つめたのだろう

船はゆっくりと海と戯れる光と共に

海面を滑っていった



底知れぬ海の深さに似て

僕の嘆きはどれ程心の奥底に沈んでいったか

渡り鳥よ

何故僕を引き上げ天空へと導いてくれなかったのか  

お前たちは月明かりのない暗黒の洋上でも

ただ星を指標として飛び続けることができるではないか

若かりし僕は

その満天の輝きが我が身を突き射しても

心は震えず

水沫のように消え去った

あれから幾度緑なる星は

日輪への軌跡を刻み続けたことだろう

いつしか僕は君と巡り合い夢を見るようになった



君はまだ耳に残っているかい

街灯の白い炎が僕たちの足許を照らし

冷気ある静寂が二人を包容した時

僕は湧き出る想いを歌った

それは騎士遍歴の唄だった



夢は稔り難く

敵は数多なりとも

胸に悲しみを秘めて

我は勇みて行かん

道は極め難く

腕は疲れ果つとも

遠き星をめざして

我は歩み続けん

これこそは我が宿命

汚れ果てし この世から

正しきを救うために

如何に望み薄く 遥かなりとも

やがて いつの日か光満ちて

永遠の眠りに就く時来らん

たとえ傷つくとも

力ふり絞りて

我は歩み続けん

あの星の許へ

(福井峻訳「見果てぬ夢」騎士遍歴の唄)

(1985刊 「ラ・マンチャの男」パンフより)



そんな僕に君は真実の鏡を見せてくれた

そこに映し出されたのは醜いアヒル

騎士は騎士であることを捨てた

虚空と無念の翼を拡げて

アヒルは現実の世界へと旅立った

しかし

何を目指して飛べばいいのだろう

僕は感じた

このままでは永遠に牢獄に閉じ込められてしまうと



君は打ち拉がれた騎士に向かい

訴えた

あなたはドン・キホーテでいい

そして私はこれからサンチョ・パンサになる



冷気ある静寂の中でいつしか僕たちは

天空にきらめく星たちの懐に抱かれていた


祈りの散文詩集








夜明けの詩(厚木市からの光景)

アッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)

美に共鳴しあう生命

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実


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