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1992年12月に書き、俳句雑誌「多羅葉」に掲載。
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2011年5月8日の日記から (K.K) 「双眼鏡で見る春の星空」という項目を作りました。初めて天体に興味を持ったのは30年前になります。 有隣堂という本屋に置いてあった安い望遠鏡を購入し、初めて土星の輪を見たときの感動は忘れられ ません。今ではその望遠鏡はなく、ただ対物レンズだけは思い出としてしまっています。その後、双眼鏡 による星空観望に移りましたが、天体を見るだけに留まらず、旅行や散歩の時などリュックにしまい第3 の眼として肉眼では見えない世界を映し出してくれます。春はかすみがかかりあまり天体を見るには いい条件ではないといいますが、それでも肉眼や双眼鏡で見る星空は飽きがきません。 ところで貴方の一番好きな天体は何か? と問われたら、私は迷わずアルビレオと答えるでしょう。もち ろん、人それぞれ想いが込められた天体は違うと思います。私の場合は望遠鏡で見たアルビレオでした。 白鳥座のくちばしに輝く3等星の星で、肉眼では1つの星にしか見えないのですが、オレンジとブルーとい う全く異なる色に輝く連星なんです。双眼鏡では口径7pに10倍の倍率をかけると2つの星に分離するこ とができますが、その対比の見事さに最初言葉を失っていました。アルビレオがある白鳥座は夏の星座 ですけれども、この時期でも夜半頃には姿を見せてくれます。10倍の双眼鏡や、低倍率の望遠鏡で見る といいと思いますが、望遠鏡に高倍率をかけると、逆にその寄り添う姿が失われてしまいます。 話は変わりますが、今から25年前に読んだ一冊の本があります。ハンセン病の療養所で長年、精神科 医として勤めた神谷美恵子さんの「生きがいについて」です。何故かこの本はずっと心に残っていて最近 再読しましたが、神谷さんの言葉のなかで一番響く言葉が「癩(らい)者へ」という詩の一節です。この 言葉の重みを、私自身の心の底まで降ろすことはできませんが、いつかそのような眼で見ることのできる 人間になれればと願っています。 独身の頃、マルクス政権下のフィリピンに行きハンセン病の施設を訪れたことがあります。もちろんこの 時はハンセン病に対して有効な薬が存在したと思いますが、それでも最初は私自身に病気が移ったら 怖いなという気持ちがありましたし、またこの施設にいる彼女たち(男性の方は別な棟にいたのかも知れ ません)も警戒していました。でもその棟に入ってしばらくすると彼女たちが何か悪戯っぽい眼で私に語り かけてきました。何を言っているのかわかりませんでしたが、いつの間にか女性たちに囲まれ私は彼女 たちの手を自然に握っていました。この病気にかかりながらも、子供みたいな無邪気さを眼に湛えてい る彼女たちを見て、私は単純に美しいなと感じました。アルビレオのように、隔離された厳しい現実と 無邪気な眼という異なる2つの対比が寄り添う姿。ただ、あれから私は彼女たちに対して何の恩返しも できていません。 人間に「慈しむ心」「美と感じる魂」「宗教心」はどのようにして生まれたのか、たぶん多くの説が存在す るかと思います。私はそれは星、宇宙からもたらされた面もあるのではと感じてなりません。現代のよ うに街明かりもなく、光害が全くない太古の人間の目には、月明かりのない夜、壮大な天空の星々・ 天の川が飛びこんできていたでしょう。動物も同じように目というレンズを通してそれを一つの形として 認識しますが、それらの形と自分自身を隔てる深遠な距離・空間を感じさせる力、その力を創造主は 人間に宿したのかもしれません。遥かなる天空の星々たち、それらの存在は人間に与えられたこの 恵みを気づかせ、「自分とは何者か」と常に問いかける存在なのかも知れません。 |
この「星夜の調べ」の前半に書かれていることは実際に起こったことを元にして 書いています。「二つのクリスマス」という題でS.カンドウ神父が「世界のうらお もて」の中で自分自身の体験として回想されているもので下に引用します。
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「二つのクリスマス」 わたしが今までに出会った最も殺伐なしかも平和なクリスマスの思い出話をしたのは、 最も寂しいしかも賑やかなクリスマスの晩のことであった。それは先の戦傷後、スイスの 病院で腰骨入れ換えの大手術を受けて間もないころであった。全身ギブスに生き埋めの 形で、教会のクリスマスを偲んでいるわたしをあわれんで、手術した6人の医師が病床 を囲んで晩餐会を催してくれたのであった。降誕祭の夜食と言えば、日本での元旦の 雑煮にように、家族そろって祝う楽しい行事である。それをこの医師たちは犠牲にして、 うそ寒い病室に集まってきた。レマン湖の鯉の上等料理を取り寄せ、シャンペンを抜き、 Aドクトルがわたしの首にナプキンをかければ、Bドクトルはフォークを口に運び、大きな 巣雛のように総がかりで食べさせる。それから夜の2時過ぎまで、且つ飲み且つ歌い、 果ては次々と変わったクリスマスの思い出を語り合った。そこでわたしも持ち出したの が次の話であった。
第一次世界大戦の塹壕の中で迎えた降誕祭のことである。我々は夜になっても続く烈し い戦闘と厳しい寒さに疲れきっていた。凍傷で足を切断するようになるのを恐れて、めい めいがサージンの空缶に炭火を入れ、靴に縛りつけていた。靴の底が焼けてジリジリいっ ても構わず、ただもうがむしゃらに、数十メートル先の敵の塹壕を目掛けて、ヘトヘトにな りながら手榴弾を投げ合っていた。そしてだれもが心ひそかに故郷のクリスマスのことを 思っていた。
そのうちとうとう一人が「ああ、今ごろはみんな教会で賛美歌を歌っているんだろうな」と つぶやくと、そばのが 「どうだ、我々も一つ歌おうじゃないか」といきなり、“天に栄光、 地には平安”を歌い出した。そにつられてあちこちから歌声が上がり、たちまち塹壕中は 大合唱になってしまった。と、向こうのドイツ軍の塹壕がなんとなくひっそりしたと思うと、 とたんに張りのある美しい何部合唱かで、我々のコーラスに加わってきた。こちらが気勢 を上げて声を高めると、向こうも歯切れのよいドイツ語でますます調子をつける。負けじ 劣らじと歌ううち、相手の合唱に代わる代わる耳を傾けるようになり、聞きながら次の歌 を用意して、あちらがすむと、さあこれはどうだ、とばかり歌い出す。そうして思い出す限 りの聖歌を、敵も味方もわれを忘れて、天にとどろけ地にも響けと、思うさま歌い抜いた。
やがてさすがに息が切れ歌合戦の歌の種も尽きたとき、どちらももう手榴弾のことなど すっかり忘れ、いい気持ちでそのまま朝までぐうぐう寝てしまった。実に何年ぶりかの 平和な眠りだった。相手の寝込みを襲おうなどという考えの夢にも浮かぶはずのない ことを双方とも確信していた。それこそ一家族伝来の祭りを共に喜び祝った兄弟のよ うに、同じ歌の余韻に包まれて、安らかに眠ったのであった。
S.カンドウ(Sauveur Candau) 1897年、南フランス・バスク地方に生まれる。第1次世界大戦に参戦し負傷。 療養地ブルターニュ地方の深い信仰に感動し、聖職者を志す。1925年、パリ 外国宣教会の司祭として来日。1929年、東京大神学校の初代校長に選ばれ、 日本人司祭の育成にあたる。終戦後は、日仏学院主席教授、あけの星社会 事業団の指導者をつとめる。日本語の著書に「思想の旅」、「永遠の傑作」、 「バスクの星」など多数がある。1955年9月28日死去。
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2016年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 不死鳥のオーロラ(写真はNASAより引用) アイスランドにて昨年9月に撮影されたものですが、オーロラを見に集まっていた人々が帰った午前3時30分、 光が弱くなっていたオーロラが突然空を明るく照らします。 場所はアイスランドの首都レイキャビクから北30kmにある所で、流れている川はKaldaと呼ばれています。 画像中央やや上にはプレアデス星団(すばる)が輝き、山と接するところにはオリオン座が見えます。不死鳥の 頭の部分はペルセウス座と呼ばれるところです。 ☆☆☆ この不死鳥のくちばしの近く、やや右下に明るく輝く星・アルゴルが見えます。 アラビア人は「最も不幸で危険な星」と呼んでいましたが、それはこの星が明るさを変える星だったからです。 イギリスの若者グッドリックは、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体(子供の時の猩紅熱が原因)でした が1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を追いつづけ、この星が明るさを変えるのは暗い星がアルゴルの 前を通過することによって起こる現象ではないかと仮説を立てます。 1786年、その功績によりロンドンの王立協会会員に選出されますが、その4日後にグッドリックは肺炎により 22歳の若さで他界してしまいます。 グッドリックの仮説が認められたのは100年後(1889年)の分光観測によってでした。 今から230年前の話です。 不死鳥のオーロラ、多くの魂が光の中で飛翔していますように。 |
2016年4月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) アイスランド南部にあるセリャラントスフォス(滝)とオーロラ (写真1枚目はNASAより、それ以外は他のサイトより引用) 1枚目の写真、幻想絵画かなと思いましたが、滝の水しぶきで何度もレンズを拭きながら撮られた写真です。 オーロラのやや右側に明るく輝く星が織姫星(ベガ)、左側に輝く星が彦星(アルタイル)です。 ですから天の川が位置するところにオーロラが出現したんですね。 北欧では死者と生者の世界を結びつけているのがオーロラであり、イヌイットの伝説ではこの世で善い行いを した人はオーロラの世界へ行けると言われているようです。 死後の世界を意識することによって、初めて生の意味が問われてきたのかも知れません。 それはギリシャ哲学(ソクラテスやプラトンなど)よりも遥か太古の世界、ひょっとしたら私たち現生人類よりも 前の人類にも芽生えた問いかけのように感じています。 オーロラなど天球に映し出される様々な現象(太陽、月、天の川、星、彗星など)を通して、人類は異なる次元の 世界を意識し死後の世界とのつながりを感じてきた。 ただ、精神世界の本に良く見られる「光の国(星)からのメッセージ」的な言葉に違和感を感じているのも事実です。 自分自身の足元の大地にしっかりと根をはらずに、ただ空中を漂っている、或いは彷徨っているような感じしか 受けないからです。 アインシュタインの相対性理論、まだ理解は出来ていませんが、それぞれの立場によって時間や空間が変わる、 それは他者の立場(社会的・文化的・経済的)を想像することと同じ意味を持っているのではと感じます。 もし、相対性理論なしでカーナビを設定すると現在地よりも11キロずれたところを指してしまいますが、それが 人間同士や他の生命間のなかで実際に起こっている。 自分自身の根をはらずに、他者のことを想像することなど出来ないのではないか、その意味で私も大地に根を はっていないのでしょう。 一度でいいからオーロラを見てみたいです。 |
我々の半身は火、半身は夢である。 我々は、母なる大地にミアヘイユン---全宇宙---を映す現身(うつしみ) この地上に経験するためにやってきた。 我々は、果てしなくめぐる季節の中で、ちらと閃(ひらめ)く手の一振り。 太陽の幾百万の火に束の間だけ身をさらし、 その輝きを映す、すべてのものを語らう。
ファイアー・ドッグ(シャイアン族) 「風のささやきを聴け」より引用
平和・・・・それは魂の内にやって来る。人々が宇宙とつながり、そのすべての力と つながって一体となっていることに気がつく。と、そのとき平和がやって来る。宇宙 の中心に大いなる魂ワカンタンカが宿っていると悟ったとき、また実は宇宙の中心 というのはどこにでもあって、われわれひとりひとりの中にもあるんだとわかったと き、心に平和がやって来る。・・・・ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族) 宇宙の神秘のなかにある、わたしたちの存在は、宇宙そのものなのです。
「人間は小さく、宇宙は大きい」という考えもありますが、私たちが常にこの 創造の神秘の中にいるならば、私たちも宇宙ほど大きいのです。我々は 宇宙の外にいるのではなく、その中に統合されているのです。そのことを 学べる精神文化の中で生きていれば、自分のためや未来に残す記念碑 を建てる必要はありません。なぜかといえば宇宙そのものがすばらしい 記念碑であるからです。・・・・・・・アユトン・クレナック(アマゾン先住民)
ています。ですから、命を授かった時点から地球のサイクルに入り、宇宙 の全てと呼吸を共有しているのです。生命を授かったことに責任を持ち、 自らを啓蒙しながら自分の道を歩まねばなりません。それこそが地球を 通過している本来の意味なのです。私たちクレナック族の伝説の中では、 命が絶たれたあと、我々は宇宙全体の命を支えている輝きのあるエネル ギーの源とつながると言われています。人は死後、地球や宇宙全体を支 えている全宇宙的パワーの一部となるのです。一個の生が個人的体験 を超えて、全宇宙的に広がっていくのです。それは一つの「希望」です。 「死」に恐れを感じる必要はないのです。・・・・・・・アユトン・クレナック |
2012年3月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。 彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック (ピオ神父などが有名)にも見られる。 アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。 日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。 詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、 瞽女(ごぜ)もそうだった。 盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。 キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く 味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。 これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも 特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。 しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。 エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父) 悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など 過去の迷信と思っている人も多いだろう。 ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔) に苦しめられていた。 現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。 ハワイ先住民や南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが 書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。 ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。 宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る ものを未来の人類は見出すと思う。 ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。 真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い 嘆いている。 聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰 があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。 存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。 そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・ 慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。 私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。 ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。 写真は、惑星状星雲・NGC6543です。 |
2016年1月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 本日1月17日の夜明けです。 大きな白い鳥を肩に載せて散歩している人に興味が湧き雑談したが、この鳥は話すと言う。 確かに彼が話しかけると良く話す。名前は失念したがキバタンの仲間なのかも知れない。 その方(56歳)は細胞の増殖を抑える研究が主で、動物実験では成功しつつあるものの、将来はがん細胞を 押さえる研究に結びつけたら、と願っていた。 ソニーに勤めていたが、独創的な研究が認められ、今は研究員として東大の研究所で働いている。 ただ、大学の研究員は有期雇用(現在は数年毎の更新)であり、生活が苦しいときはコンビニでバイトをして いますと笑っている。 人の生き方は様々で安定した生活を望む人もいれば、生活が多少不自由であっても探究に情熱を燃やす 人もいる。 彼は後者のタイプだが、その顔に非痛感はなく、「私たちの研究が認められるのは、私が死んだ後になるで しょうね」と、近くにいた彼の息子(小学生)を見ながら笑っていた。 彼とは初対面でありながらも、彼の研究や宇宙(JAXA・宇宙航空研究開発機構)の話まで広がっていったが、 このような名もない数多くの人の土台があってこそ、花咲く土壌が出来ていくのだろうか。 彼と、その息子さんの晴れ晴れしい笑顔に、少しだけ未来への希望を感じた。 |
2012年2月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2016年1月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 世界各地の冬至(写真は他のサイトより引用) 昔の人の冬至への想い、冬至から新年にかけての私たちの想いが伝わってくるようです。 |