「人間が好き」
アマゾン先住民からの伝言
写真・文 長倉洋海 福音館書店 より引用
この写真集はアマゾン・インディオの大地の恵みに囲まれて生きる彼らの 素朴な、そして雄弁で喜びに満ちた表情を追いかけた素晴らしい写真集 であるが、かつてアメリカ・インディアンもこのような生活を送っていたに 違いない。この写真集には短いながらも先住民の方たちが持つ世界観・ 叡智が込められており、彼らの喜びの表情そのものの中に限りなく深い 精神の豊穣さを垣間見ることが出来る。文明とは何か、人生とは何かを この写真集は訴えかけてやまない名著。 (K.K)
「ヤノマミ」 ヤノマミ、それは人間という意味だ 国分拓著 NHK出版 NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン・原初の森に生きる 劇場版 DVD」 国分拓 監督 「アマゾン、インディオからの伝言」南研子(熱帯森林保護団体代表) ほんの木 「悲しい物語 精霊の国に住む民 ヤノマミ族」 「きみが微笑む時」子どもたちの微笑がひらく、大地と地球の明日
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本書より引用
宇宙の神秘のなかにある、 わたしたちの存在は、 宇宙そのものなのです。
楽しく踊り、歌い、幸せになるために、 わたしたちは生きている。
死ぬときも 生まれてきたときと同じように なにも 特別なことはおきません 生も死も 祖先とつながる川の流れの一部なのです ですから 死をおそれることはありません
わたしたちには、 ”愛”にあたる言葉はありません。 ”好き”だけです。
人々がもっとも求め、喜ぶのは、ものではなく、人間なのです。 すべてをさしだし、もてなし、そばにいてもらおうとします。
人間は鳥のように 静かに地球を 通りすぎていくことができます どうして 自分の足跡を記念碑などの形にして 残そうとするのでしょう 人間をふくむ宇宙そのものが すばらしく 偉大な創造物なのに
地球をつくったオマミ(精霊)が言った。 「地球の幹をしっかり支えなさい」と。 わたしたちが支えていないと、 空がくずれ落ちてしまいます。
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インディオの村で (本書 密林のかなたへ より引用)
ヤノマミの村で 1995年、アユトンと再会し、インディオの村をめぐる旅にでた。まずは、ヤノマミ族 の住むデミニ村だ。ブラジルのロライマ州の州都ボア・ビスタからセスナ機で2時 間、ひたすら熱帯雨林の上を飛び続ける。雨雲がとぎれた時、密林のなかから ぽっかりとヤノマミ族のドーナツ状のまるい家屋が姿をあらわした。中央の広場 から村人がセスナ機を見あげている。2年ぶりの訪問に私の胸は高鳴った。村 にはいると、みんなが私の名を呼びながら、話かけてくる。再訪した私を歓迎し てくれているのだ。ハンモックの上で縦笛を聞かせてくれた少女アニータは、すっ かり大人びていた。屋根からしたたり落ちる雨水を集めていた男の子ロアンドロ は、背はのびたけれど相変わらずやんちゃ坊主だ。1987年から1992年にかけて、 ヤノマミ族は存亡の危機にあった。40000人もの金鉱掘りが居住区に殺到し、彼ら が持ち込んだマラリアなどの伝染病で、ヤノマミの人々はつぎつぎに倒れていった。 経験ゆたかなシャーマンを亡くし、生きる指標を見失い、押し寄せる“もの”の洪水 に飲み込まれたヤノマミの姿が各地にあった。しかし、ここデミニ村では、シャーマン でもある若い指導者ダビが中心になって、金鉱掘りたちを寄せつけず、開発の波に 抗して、伝統を守りながら暮らしていた。
ヤノマミの生活 ヤノマミの村では、狩りは男たち、マンジョウカ(サツマイモににた味のイモの一種) の収穫は女たち、魚とりは男女共同の仕事ときまっていた。晴れた日にはみんなで 森にでかけて、雨の日は、狩りの道具をつくり、マンジョウカをすりおろしてパンを焼 く。ここには平日も休日もない。仕事をしたくなければ、ハンモックで休んでいれば いい。それでも、だれも文句を言わない。ただ、みんな自分の得意なことを持って (狩りのうまい人、歌のうまい人、精霊との交信能力のある人・・・・)、助け合いなが ら調和して共同生活をおくっている。村の人口がふえると、自然にグループが生ま れ、村を出て新しい家をつくる。時にはグループどうしで、女性の取り合いがもとで 争いが起きることもあるが、戦いによる死者は少ない。
ヤノマミの精神世界 シャーマンたちは、精霊との交信を毎日のようにつづけている。よい精霊の力を 借りて、病気をなおすのも、悪霊を追いはらうのもシャーマンの仕事だ。シャーマン はシポ(植物からつくった汁)を飲み、精神を高揚させながら、家の中を動きまわ る。時には猿のようにさわがしく、時には鳥のように歌いながら・・・。その姿は、 精霊がのりうつっているかのように見える。若いシャーマンのダビは言う。「ヤノ マミが天を支えているから世界はある。我々がほろぶと白人の世界もほろぶ。 人間は破壊をつづけているが、地球を休ませなくてはいけない。そうしなければ、 いつかオマミ(精霊)が怒って、空を私たちの上に落とすかもしれない」と。夜の とばりがおりると、密林はふかい闇につつまれる。家の中には暖をとるたき火が ちらちらと見えるだけだ。耳をすますと、さまざまな音が聞こえてくる。ポーという フクロウににた鳴き声、ビューンという弓の弦を放すような音、水滴が石にはじ けるような不思議な声も聞こえてくる。暗闇のなかにたくさんの命の音が、交差 し、共鳴する。まるで、闇のなかを精霊たちが動きまわっているかのように、森 は息づき、私の鼓膜にささやきかける。ヤノマミの人々は「外の世界(都市)では 騒音しか聞こえず、人々はぼーっとしています。しかし、私たちには自然が語り かけてくるのが聞こえます」と言う。彼らがもっとも大切にするもの、それは美し さと幸せだ。森の動物のように美しく体をかざり、幸せになるために踊り、歌い、 話し、旅をする。そして、祖先とのむすびつきをけっして忘れない。「いつも、祖先 のこと、死んだおばあさん、おじいさんのことを思い出すようにしています」。
川の流れのように 子どもたちは炊事の水をくんだり、火を起こしたりと、私の面倒をよく見てくれた。 そして、私のそばをはなれず、どこへでもついてきた。私の一つ一つの動作を見つ め、持ち物にも興味を示す。彼らの食事は塩も砂糖も使わず、ただ、火を通すだ けなので、私が町から持ってきた食料品に好奇心いっぱいだ。たき火のまわりに 素裸のまましゃがみこんで、こちらをじっと見つめている子どもたちに、日本茶を ふるまうと、「おいしい、おいしい」を連発する。やがて、大人たちも集まってきて、 みんなでまわし飲んでいた。ここには、いわゆる学校はないが、村人のだれもが 先生だ。わからないことがあれば、経験ゆたかな年寄りが教えてくれる。そして、 食べものを恵み、狩りを許し、さまざまな生命とのふれあいを与える森が、生きる ことを学ぶ教室なのだ。村には絶えることのない川の流れのような伝統が息づい ている。村のなかをかけまわり、カヌーにのり、狩りをし、水浴びを楽しみながら、 子どもたちは伝統ある暮らしをおおらかに学んでいる。
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2012年2月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |