「ヤノマミ」

ヤノマミ、それは人間という意味だ

国分拓 著 NHK出版 より引用


 






どちらが真実のヤノマミ族なのか? 本書で紹介される出産における驚愕の事実や長期

滞在にも関わらず、警戒感を持ち続けるヤノマミ族の「ワトリキ」村の人たちと、長倉洋海氏

がヤノマミ族「デミニ」村を撮った傑作写真集「人間が好き」そして日々の触れ合いを綴った

「鳥のように、川のように 哲人アユトンとの旅」で紹介される人たちの陽気な笑顔と深遠な

言葉。200以上も分散しているヤノマミの村落だが、「ワトリキ」と「デミニ」の村は地理的に

非常に近い場所にありながら、女性の祭の参加の仕方や警戒心など異なっている。恐らく

どちらの姿も真実なのだと思う。日本でも北海道と沖縄では歴史・風習が違うようにヤノマミ

族でもそれぞれの村落が持つ歴史(金鉱堀りのガリンペイロなどや森林破壊、白人の接触)

がそうさせたのかも知れないし、また違う理由があるのかも知れない。本書に紹介されてい

る長老の一人が「あなたたちはしっかり広めて欲しい。自分の家に帰って家族に話して欲し

い。ナプ(ヤノマミ以外の人・主に白人)が来る前、ヤノマミは幸せだったと。ナプが病気を

持ってきて、私の父も母も祖父も祖母も叔父も叔母もみんな死んでしまった。私は一人ぼっ

ちになった。こんなことは二度と起きて欲しくない。ヤノマミがナプの病気で死ぬところを見た

くない。私たちは逃げた。山の中を歩いた。その時もたくさん人が死んだ。今、ワトリキにい

る者は生き残った者たちだ。とても苦しい思いをしてきた者たちだ。忘れないで欲しい。私た

ちはもっと大きなグループだった。とても大きなグループだった。その頃のことを思い出すと、

今でも苦しくなる。思い出すだけで悲しい。どうして、私たちの祖先の土地でそんなことが起き

たのか。あなたたちはしっかり伝えて欲しい」と訴えているように、悲しい記憶が「ワトリキ」の

人たちに突き刺さっているのだ。

(K.K)


NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン・原初の森に生きる 劇場版 DVD」 国分拓 監督

「人間が好き」アマゾン先住民からの伝言 写真・文 長倉洋海 福音館書店

「鳥のように、川のように」森の哲人アユトンとの旅 長倉洋海著 徳間書店

「アマゾン、インディオからの伝言」南研子(熱帯森林保護団体代表) ほんの木

「悲しい物語 精霊の国に住む民 ヤノマミ族」
アルナルド・ニスキエル作 エドムンド・ロゴリゲス絵 田所清克・嶋村朋子 編・訳 国際語学社

「アユトン・クレナックの言葉」


 




「女たちは森に消える」より抜粋引用

(本書より引用)


同居を始めた当初、命の誕生はぜひ見てみたい彼らの営みの一つだった。1万年に

わたり自らの伝統・風習・文化を守り続けてきた人たちは、どのように子を産み、祝い、

家族として迎え、育てていくのか、そこに、ヤノマミが<ヤノマミ(人間)>であることの全

てがある、と思ったのだ。


僕たちは妊娠していると思われる女性と仲良くなるべく、話しかけたり、形態描写で「いつ

頃産まれるの?」と聞いてみたりした。だが、女たちは<タイ・ミ(知らない)>と言うか、

笑って去っていくだけだった。やはり、無理なのだと思っていた。話を聞くこともできない

のだから、出産の現場に立ち会うことなど不可能だと思っていた。


だが、同居を始めてちょうと百日目、僕たちは出産現場に初めて立会い、百二十日目に

は子どもの亡骸を白蟻に食させる儀式を目の当たりにした。そして、百三十日目、14歳

の少女が生まれたばかりの子どもを僕たちの目の前で天に送った。少女は未婚者で、子

どもの父親が誰なのか、自分でも分からないようだった。少女は複数の男と情を交わして

いた。懐妊から10回の歳月が過ぎ陣痛が始まると、少女は痛みで泣き続けた。丸2日、

泣き続けた。45時間後に無事出産した時、不覚にも涙が出そうになった。おめでとう、と

声をかけたくもなった。だが、そうしようと思った矢先、少女は僕たちの目の前で嬰児を天

に送った。自分の手と足を使って、表情を変えずに子どもを殺めた。動けなかった。心臓

がバクバクした。それは思いもよらないことだったから、身体が硬直し、思考が停止した。

その翌日、子どもの亡骸は白蟻の巣に納められた。そして白蟻がその全てを食い尽くした

後、巣とともに燃やされた。


緊張を強いる「文明」社会から見ると、原初の森での暮らしは、時に理想郷に見える。だ

が、ワトリキは甘いユートピアではなかった。文明社会によって理想化された原始共産的

な共同体でもなかった。ワトリキには、ただ「生と死」だけがあった。「善悪」や「倫理」や「文

明」や「法律」や「掟」を越えた、剥き出しの生と死だけがあった。1万年にわたって営々と

続いてきた、生と死だけがあった。


思えば、僕たちの社会は死を遠ざける。死骸はすぐに片付けられるし、殺す者と食べる者

とが別人だから何を食べても心が痛むことがない。だが、彼らは違う。生きるために自分で

殺し、感謝を捧げたのちに土に還す。今日動物を捌いた場所で明日女が命を産み落とす

ことだってある。ワトリキでは「死」が身近にあって、いつも「生」を支えていた。僕たちは、

ショックを受ける度に、死を想うようになっていった。死を想うことと生の輝きは同義なのだ

と言い聞かせて、同居を続けた。





ヤノマミの世界では、生まれたばかりの子どもは人間ではない。精霊なのだ。女が妊娠

するのも精霊の力によると信じられていた。まず、大地から男の体内に入った精霊が精子

となり、女の体内に入る。その時に天から<ヤリ>という精霊が下りてきて膣に住み着く。

ヤリがその場所を気に入れば妊娠し、気に入らなければ妊娠しない。だから母親の胎内

に宿る命も精霊で、人間となるのは母親が子どもを抱き上げ、家に連れ帰った時だった。

モシャーニャは精霊として産まれてきた子どもを人間にはせずに、精霊のまま天に返した

のだ。 (中略)

誤解のないように言っておきたいのだが、ヤノマミの女たちは何の感情もなしに子どもを

天に送っているのではない。僕たちは、天に送った子どもたちを思って、女たちが一人の

夜に泣くことを知っている。夢を見たと言っては泣き、声を聞いたと言っては泣き、陣痛を

思い出したと言っては泣くのだ。ヤノマミのルール(掟と言うより習慣・風習に近い)では死

者のことは忘れねばならないのに、女たちは忘れられないのだ。







序章 闇の中で全く知らない言語に囲まれた記憶 より抜粋引用


でも、彼らはいったい何を話していたのだろう。闇夜で何を話していたのだろう。


闇の精霊チチリは闇が好きで、夜明けの光が大嫌いだった。

だから、チチリは夜明けの精霊ショエメリを憎んでいた。

ある日、チチリはショエメリと大喧嘩を始め、ついには食べてしまった。

地上は夜だけ、闇だけの世界となった。

明かりのない闇だけの世界にヤノマミは怯えた。

いつまでも怯えていると、気の毒に思ったチチリが現れて、こう言った。

「怖かったら、話なさい。

私が言葉を教えるから、みんなで話しなさい。

家族で話し、友人と話し、客人が来た時にも話しなさい」

以来、ヤノマミは闇夜に話す。

闇の精霊チチリに教えてもらった言葉で、闇夜に話す。

(ヤノマミ族に伝わる闇にまつわる神話)


僕たちの同居は闇の中で耳を澄ませるようなものだった。百五十日間、僕たちは深い

森の中でひたすら耳を澄まし、流れている時間に身を委ねた。そして、剥き出しの人間

に慄き、時に共有できるものを見つけて安堵し、彼らの歴史や文化を学び、天と地が

一体となった精神世界を知った。それらは、僕たちの心の中にある「何か」を突き動か

し、ざわつかせた。深いところに隠れていたはずの記憶が甦ってくるように、心の奥底

ざわつかせた。


僕たちは、その得体の知れない「何か」と、答えの出ない対話を続けることになったのだ。


 







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