上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る冬の星空・プレアデス星団(M45) すばる おうし座
距離・・・440〜448光年
上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。 |
今から400年前の世界とは?(2011年基点) 遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に 映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。 |
1604年 フランスが東インド会社を設立 1603年 (日本)江戸幕府が成立 1609年 ガリレイが天体望遠鏡を発明 ドイツのケプラーが天体の三法則を発見 1616年 清、成立(〜1912) 1615年 豊臣氏が滅びる 1618年 三十年戦争が始まる(〜1648) 1620年 イギリスの清教徒がメイフラワー号で北米に移住 |
The departure of the pilgrim fathers, for America, A.D. 1620 ピルグリム・ファーザーズ ピルグリムファーザーズ (Pilgrim Fathers) は、アメリカに渡ったイギリスの清教徒(ピューリタン)である。 「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意。 16世紀、イギリスのエリザベス1世がイギリス国教会を確立したが、17世紀にかけて、教会の改革を主張 する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれ、弾圧 を受けていた。 この為、信仰の自由を求めた清教徒を含む102人がメイフラワー号に乗ってアメリカに渡った。メイフラワ ー号船上での「メイフラワー誓約」は社会契約説に基づくものとして知られる。1620年に北アメリカ大陸に 到着したピルグリムファーザーズは、キリスト教徒にとって理想的な社会を建設することをめざした。 彼らの上陸地は、1614年にジョン・スミスが発表した地図で「ニュー・プリマス」と名付けられた地域だった。 入植当初の状況は厳しく、半年で半数程が病死したが、先住民インディアンのワンパノアグ族が食糧や 物資を援助したおかげで冬を越えることが出来た。ニュー・プリマスはやがて、発展するニュー・イングラ ンドの最初の植民地となった。 インディアンとの対立 しかし間もなく、白人入植者たちは入植範囲を拡げ始め、インディアンとの間で土地と食料を巡って対立 が発生し、戦闘が起きるようになった。 ワンパノアグ族の酋長マサソイトは、平和と友好を保つためにピルグリムと条約を結ぶが、ピルグリムは この条約を彼らインディアンの土地を自分達が領有して入植してもよいと言う神の暗黙の許可であるとも 解釈していた。 ピルグリムはまず1630年にマサチューセッツ族の領土に進入。ピルグリムの白人が持ち込んだ天然痘 により、天然痘に対して免疫力があまりなかったマサチューセッツ族の大半は病死した。 1636年には1人の白人がピクォート族に殺された事が切っ掛けでピクォート戦争が発生。ピルグリムは 容疑者の引き渡しを要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、ピクォート族の村を襲い、大量 虐殺を行った(実は真犯人は白人であった)。 さらに、平和の条約を結んでいたワンパノアグ族との関係も悪化していった。マソサイトの息子メタコメット は父マサソイトが結んだ条約を不平等条約であるとして異議申し立てをし、これを拒絶されたためワンパ ノアグ族は1675年にピルグリムのプリマス入植地を攻撃。こうして白人が「フィリップ王戦争」と呼ぶ土地 紛争が勃発した。この戦争は周辺部族も巻き込み、1676年に終結するまで、ピルグリムとインディアンの 両方共に多くの犠牲者を出した。 「夜明けへの道」はじまりの500年に寄せて アメリカ先住民は語る スタジオ・リーフ刊行 本書 「生き残る闘い」 アリス・パピノー・ドアセンター(イロコイ6カ国連合 オノンダガ)より抜粋引用 「私は生まれてから、ずっとオノンダガで暮らしてきました。「コロンブスがアメリカ大陸に来てからの 500年をどう考えるか」 この問いかけは、今とても流行しています。でも、私はこの事について、 あまり話したくありません。私は、コロンブスの訪れによって作られた傷を、一生かけて癒そうとし てきました。 コロンブスが来てからというもの、アメリカ大陸の先住民達は、ずっと苦しんできました。コロンブス は私達先住民を、人間として見なかったのです。コロンブスは、400万人の先住民を殺し、女性を 犯し、宣教師達を連れてきました。宣教師達は、最もひどい罪を私達に、先住民に対して犯しまし た。宣教師達は私達の戸をたたき、私達にキリスト教を信じさせようと何でもしました。彼らは、私 達の文化や生き方は罪深い事だ、と言いました。私達が生き延びるという事は、92年の今この瞬 間も、大変な闘いなのです。コロンブスを祝っている非インディアン達は、私達が経験してきたよう な苦しみなど、知らないのでしょう。」 |
M45 散開星団・・・日本でも古くから人々に親しまれている「すばる」・・・明るいまとまりの よい星団で、肉眼で少なくとも6つの星を確認できる。古くから世界各地で知られ、日本でも 「すばる」という和名で清少納言(966?〜1025?)の『枕草子』にも登場し、有名である。ヨー ロッパではプレアデスの七人姉妹の神話にもとづき「プレアデス星団」とよばれている。メシエ は1769年にこの星団をカタログに加えている。双眼鏡では20〜30個の星の群れが視野いっ ぱいに広がって美しい。実際には100あまりの星からなる星団である。メシエカタログは、3回 に分けて刊行されるが、その第1版からこのM45までを収めたものだ。 「Newton ニュートン別冊 メシエ天体のすべて」より引用 |
「プレアデス星団の星が肉眼でいくつ見えるのかは、いくらか議論をよぶ話題である。 伝統的には7個といわれている。しかし、その個数は古代ギリシャ神話に由来しており、 幼いころの神ゼウスに、食べると不老不死になるという神の食べ物アンブロシアを運ん できたという7羽のハトの話からきている。もしくは、7人姉妹の父親である神アトラスが、 その肩に天空を支えなければならないという悲しい運命を彼女たちが忘れられるように、 天空にかかげたという話もある。あまりに象徴的ではあるが、プレアデス星団の中の昔 の七つの星の集団が、今日でも七つ星としてなじみのものになった。このために、プレア デス星団には6等より明るい星が10個あるというのに、観望する人々の中には七つ以上 の星が見えないことを祈る人もいるのである。また7人姉妹星だというのに、どうして10個 も星が見えるというのかと疑問に思う人もいる。(これというのもクラーケが推察したよう に、言葉の威力、または人知をこえるプレアデスの魅力によるものなのだろう。)しかし、 実際は、暗い空の下ならば、拡大しなくともこの7個という魔法の数の近くの星が見える のである。クラーケによれば、ケプラーの先生であるマエストリンは、14個の星を見るこ とができ、望遠鏡の発明以前に11個の星の位置を記したという。アーキナルはくりかえし 12個の星を確認し、よい空の日には時々14個確認できたと報告している。またヒュース トンは18個を数えているが、私は20年くらい前にケンブリッジのマサチューセッツから17 個を記録した! そのための秘けつは、観測と記録に『とても』ながい時間をかけること である。」 「メシエ天体カタログ」ステファン・ジェームズ・オメーラ著 より抜粋引用 「M45は、天文に興味を持ち、天体望遠鏡や双眼鏡で初めて見るメシエ天体の筆頭では ないでしょうか。それだけ大きくて明るく、市街地からでも何とか見える天体ですが、夜空 の暗い観測地で眺めることにこしたことはありません。(中略) M45の星が肉眼でいくつ 見えるか、星仲間で目の良さを競うことがあります。筆者はたいてい6個しか見えません が、10個以上見える人もいます。皆さんは何個見えるでしょうか。見かけの大きさが約 2°もある散開星団なので小型双眼鏡でも非常によく見えます。天体望遠鏡では口径の 大小を問わず、有効最低倍率くらいで観察すると見事な眺めを堪能できます。 「メシエ天体 ビジュアルガイド」 中西昭雄・著 誠文堂新光社 より引用
「これが有名なプレアデス星団で、ふつうの視力の人であれば、この星の群の中に6個 から7個くらいの星をかぞえることができます。この星の数から、日本ではこの星団のこ とを“六連星(むつらぼし)”とよぶ地方がありますが、もっと古くは、これを糸でつないだ 玉飾りとみて“スバル”とよんでいました。スバルというのは“統(す)ばる”星という意味 の日本語で、清少納言の枕草子の中で、星についてのべた部分にも「星はすばる、ひこ ぼし、明星、夕つつ・・・」とあり、まっさきにスバルの名をあげてこの星団の美しさをたた えています。 (中略)それはともかく、イギリスの文豪テニスンが『白銀のひもにもつれる 一群の蛍』と詩ったように、淡い光の霧につつれたこの星団の本当の美しさを味わうとな ると、やはり倍率が5p7倍くらいの少し強力な双眼鏡がほしくなります。これくらいの 双眼鏡でのぞくと、星の数は一気に数十個にも増え、視野いっぱいにばらまかれた大 つぶの星々がうるんだような光で明滅するありさまが、言葉ではいいあらわすことので きない美しさでながめられます。プレアデス星団がこんなに明るく見える理由は、ヒアデ ス星団と同様、この星団が410光年という近距離にあるためと、どれも表面温度が1万 5000度以上もあるという白色の高温巨星だからです。もし、太陽をこの星団の中に入 れたら10等星くらいにしか見えないというのですから、プレアデスがいかにすばらしい 明るさの星の集団であるかがおわかりいただけるでしょう。」 「星座ガイドブック 秋冬編」藤井旭著 より抜粋引用
「日本では『すばる』、西洋では『プレアデス』で親しまれている散開星団。普通の視力の 人で6〜7個の星を数えることができる。すごく視力のいい人が25個もの星を数えたという 記録があるが、一度星図を頼りに、何個数えられるか再挑戦してみよう。すばるは双眼鏡 で見るのがいちばん美しい。」 「エリア別ガイドマップ 星雲星団ウォッチング」浅田英夫著 より引用
「プレアデス星団にはニックネームが多い。日本名“すばる”を知らない人はいない。その ほか、ムレボシ、アツマリボシ、六連珠(むつれんじゅ)、ゴチャゴチャボシ、グザグザボシ、 七曜星(しちょうせい)、ハゴイタボシ、七福神、一升ボシ、ゴンゴウボシ、オスワリサン、ツン バリボシ・・・・とかぞえあげればきりがない。 (中略)肉眼で、普通の視力があれば6個、 視力のいい人ががんばると、気流の状態のいい瞬間に7個から9個ぐらいまで数えられる。 もっとも、星の配列を知っている人と知らない人ではずい分ちがうものだ。そこにあるはず だとおもって見るからだろう。星図で星の位置をおぼえてから、あるいは双眼鏡で、もう一度 挑戦してみよう。13個から25個ぐらい数えるという人がなかにはいるが、あなたの目ではい くつかぞえられるだろうか? M45は、双眼鏡でみた姿がもっとも美しくすばらしい。それぞ れが、淡い散光星雲につつまれているのだが、7×50の双眼鏡でながめると、その雰囲気 が感じられる。うぶぎにつつまれた赤ちゃん星団といったふうでかわいらしい。」 「ほしぞらの探訪 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡による」山田卓著 より引用
「木枯らしが吹きはじめる季節になると、東の空から冬のおとずれをつげるようにM45 がのぼってきます。『枕草子』にも「ほしはすばる』とうたわれているように、肉眼でも6個 か7個の星を数えることができます。“すばる”とはプレアデス星団の和名で、星が連なっ ているところから、“むすばる”がなまって“すばる”になったといわれます。望遠鏡では 視野からはみ出してしまいますが、双眼鏡では視野中央にぴったりおさまり、プレアデス 星団が宇宙空間に浮かんでいる星々の群れであることを実感させてくれます。2.5cm 双眼鏡でさえ50個近い星が数えられ、大きい双眼鏡ではこの星団の星々が青白く輝い ていることがわかります。」 「双眼鏡で星空ウォッチング」白尾元理著 より抜粋引用
「『すばる星』の名で知られ、この神話や伝説はたくさんあります。目のよい人ならば9個 あるいはそれ以上の星をみることができましょう。望遠鏡のない時代に11個もの星の位置 がきめられていたといいます。視力をためすのによい目標と思いますが、はじめてみる人は スケッチをとって図と合わせれば、どの星がみえたかがはっきりします。星の数は3等から 14等までをふくめて160個あるといいます。全体の視直径は100'、全光度1.4等です。星団中 に明るい7個の星のよび名と等級、それにスペクトルをしるしておきましょう。 エレクトラ 3.8 B5 メローペ 4.3 B5 タイゲタ 4.3 B5 アルキオーネ 2.9 B5 アステローペ 5.8 B8 アトラス 3.8 B8 マヤ 4.1 B5 ηのアルキオーネは三重星です。光度はAが3.7等、Bが3.0等、Cが7.0等、角距離はABが 120”、ACは117”です。7×50双眼鏡でほぼ分離することでしょう。プレアデスは散光星雲 にかこまれていますが、とくにメローペをかこむIC349は1859年にテンペルが発見しました が、よく晴れた夜、小口径でこれがみえるという人があります。」 「四季の天体観測 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で」中野繁著 誠文堂新光社 より抜粋引用
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プレアデス星団 - Wikipedia より引用
APOD: 2017 October 2 - Two Comets and a Star Cluster
プレアデス星団と2つの彗星 (大きな画像)
APOD: 2018 February 16 - Comet PanSTARRS is near the Edge
2018年1月13日に撮影されたプレアデス星団(中央下)、ピンクのカリフォルニア星雲は右上、左下にパンスターズ彗星が見える。
APOD: 2016 October 19 - M45: The Pleiades Star Cluster
APOD: 2012 September 3 - M45: The Pleiades Star Cluster
The Pleiades (M45) | Deep Sky Colors - Astrophotography by Rogelio Bernal Andreo より引用
APOD: 2007 November 18 - M45: The Pleiades Star Cluster
APOD: 2017 November 14 - The Pleiades Deep and Dusty
2012年4月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年2月6日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年2月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2016年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 不死鳥のオーロラ(写真はNASAより引用) アイスランドにて昨年9月に撮影されたものですが、オーロラを見に集まっていた人々が帰った午前3時30分、 光が弱くなっていたオーロラが突然空を明るく照らします。 場所はアイスランドの首都レイキャビクから北30kmにある所で、流れている川はKaldaと呼ばれています。 画像中央やや上にはプレアデス星団(すばる)が輝き、山と接するところにはオリオン座が見えます。不死鳥の 頭の部分はペルセウス座と呼ばれるところです。 ☆☆☆ この不死鳥のくちばしの近く、やや右下に明るく輝く星・アルゴルが見えます。 アラビア人は「最も不幸で危険な星」と呼んでいましたが、それはこの星が明るさを変える星だったからです。 イギリスの若者グッドリックは、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体(子供の時の猩紅熱が原因)でした が1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を追いつづけ、この星が明るさを変えるのは暗い星がアルゴルの 前を通過することによって起こる現象ではないかと仮説を立てます。 1786年、その功績によりロンドンの王立協会会員に選出されますが、その4日後にグッドリックは肺炎により 22歳の若さで他界してしまいます。 グッドリックの仮説が認められたのは100年後(1889年)の分光観測によってでした。 今から230年前の話です。 不死鳥のオーロラ、多くの魂が光の中で飛翔していますように。 |
「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用
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