一番上の画像は1616年のSimon van de Passeによる銅板画で、唯一残る
生前のポカホンタスの肖像である。下段には「マトアカ、またはレベッカ、
ポウハタンの万能の王子にしてバ−ジニア皇帝、アッタノウコモウクの娘、
キリスト教に改宗し洗礼を受けた、ジョー・ロルフ氏(Mr. Joh Rolfe)の妻」と
標題がつけられている。この画像からは「斜視」の特徴が見られ、頬もこけ
ているのがわかる。下の画像は19世紀のもので白人化されてきている。
(ウィキメディア『ポカホンタス』より引用)
「真実のポカホンタス」に関しての私の見解 まだ10歳か12歳かのポカホンタスがジョン・スミス処刑の場面で身を投げ出して彼の助命を乞うた出来事の真偽に
ここの述べたことは、素人の浅はかな推論でしかありません。しかしポカホンタスの心 の中に人間愛と自己犠牲という崇高な魂を見つけることが出来たように感じています。 (2010年10月21日 K.K)
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「アメリカ・インディアン 奪われた大地」フィリップ・ジャカン著 より引用
ジェームス・タウンに建てられた銅像(1922年完成) ポカホンタス - Wikipedia より引用 |
真実のポカホンタス | |
ポカホンタスの肖像ではありませんが、私が抱くポカホンタスのイメージそのものです。 Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
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ポカホンタスの生涯 (ウィキメディア『ポカホンタス』より引用) ポカホンタスはタイドウォーター・ヴァージニア(バージニア州の東部海岸の低地帯、当時はテナコマカ Tenakomakah と呼ばれた)一帯すべてを統治する強大なインディアン部族の酋長ポウハタン(本名はワフンスナコク Wahunsunacock またはワフンセナカウ Wahunsenacawh)の娘であった。彼女は読み書きができなかったので、現在彼女について知られ ていることはすべて後の世代に他人の口を通して語られたものであり、歴史上の人物としての彼女の考え、感情、動機 などは分からないところが多い。それゆえ彼女の物語はロマンティックな誇張のもととしては完璧であり、死後何百年も 悲劇の主人公であり続けている。(たとえば、ディズニーの映画化した『ポカホンタス』など。) なおアメリカ現地における彼女の名の発音は「ポカハンタス」に近い。 ポカホンタスは1607年、テナコマカに建設されたヴァージニア植民地に初めて入植したイギリス人ジョン・スミスを父ポウ ハタンが処刑しようとしたのを止めたと言われている。ジョン・スミスはもと兵士で船乗りであり、ヴァージニア会社に参加 してヴァージニア初の入植地ジェームズタウンを建設しその後リーダーになったが、川を遡る探検の途中にインディアン に捕まり処刑されようとしていた。彼によれば、その時酋長の娘が彼の前に身を投げ出したおかげで助かり無事戻るこ とができたのだという。 空想に基づいて描かれた「スミスの命を救うポカホンタス」。インディアンたちはわけのわからない服装をし、なぜか背景 にポウハタンの文化にないティーピーが描かれている(1870年画)この逸話は物語の筋書きの定型である可能性の高い もので、読者にジョン・スミスを部族の「友人」として受容させるための象徴的なエピソードとして使われた。事実かどうか は証明されてはいない。当時ポカホンタスはわずか11歳であり、しかもジョン・スミスはその年イングランドから到達した ばかりであり、古くからの仲ではなかった。またスミスもその時ポウハタン語を理解せず、何が起こっていたか誤解した 可能性もある。彼が「インディアンの娘に助けられた」と主張し始めるのはポカホンタス死後のことで、それまでの20年の 間、イギリスに帰還したあとで出版し続けた北米植民地に関する雑多な論文のどれにもこの逸話が書かれていないため、 スミスの主張は「作り話」とみなされている。 スミス以前に、1539年にアメリカ南東部を探検したスペイン人のエルナンド・デ・ソトは、フロリダで出会ったスペイン人捕 虜のフアン・オルティスから「インディアンのヒッリヒグア酋長に生きたまま火焙りにされかけたが、酋長の娘の頼みで命 を救われた」という非常によく似た真偽不明の話を聞かされており、このオルティスの逸話がスミスの武勇伝の「元ネタ」 になった可能性は非常に高い。 いずれにせよ、インディアンとスミスやその他のジェームズタウン入植者との友好関係が築かれ、ポカホンタスはしばし ば入植地を訪れ子供たちと遊ぶようになった。1608年冬ジェームズタウンが炎上した厳しい時期も、ポカホンタスは食料 を届け、入植地を全滅の危機から救った。 「拉致されるポカホンタス」ヨハン・T・デ・ブライ画(1618年)1612年、ポウハタン族に捕らわれたジェームズタウン入植者 の身代わりとするため、ポカホンタスは誘拐され、ジェームズタウンで捕虜となった。彼女の解放条件として提示された のは、捕虜となっていたイギリス人の解放、盗まれた武器の返還、トウモロコシによる多額の賠償の支払いという過大な 条件であった。この時期、彼女は英語を教わり、ジェームズタウンの宗教指導者で二つの教会を作ったアレクサンダー・ ウィテカーより洗礼を受けた。(一説には、捕まる前に彼女には一族の中に婚約者がいたというものもあるが定かではな い。)洗礼を受けた後、1614年4月5日に彼女はヴァージニアにタバコ栽培を確立したジョン・ロルフと結婚し、名を「レベッ カ・ロルフ」と変えられた。 美化されて描かれた「ポカホンタスの洗礼」(1840年、ジョン・ギャズビー・チャップマン画)彼らはジェームズ川のヘンリカ ス(Henricus) 入植地の対岸にあるロルフのプランテーション「ヴァリナ農場」で生活した。彼らの結婚生活は捕虜になった 入植者を取り返すことにつながらなかったが、それでもジェームズタウンとポウハタン族の間に数年間平和な雰囲気を作 り出した。 ヴァージニア植民地の出資者たちは、ジェームズタウンにイングランド本国からこれ以上新しい入植者を誘い出すのも、 このような冒険的な事業に対する投資家を探すのも困難になったことを悟った。そこでポカホンタスを「マーケティングの エサ」にして、「新世界の原住民が文明に馴らされたため、もはや植民地は安全になった」、とヨーロッパの住人を納得 させようとした。 「聖ジョージ教会」に建てられた銅像1616年、彼女と夫ロルフはイングランドに連れられ、1617年までの間ブレントフォード に住み、ジェームズ1世とその家臣たちに謁見した。彼女はそこで「インディアンの姫」と紹介され、イングランドにセンセー ションを巻き起こし、新世界アメリカの最初の国際的有名人となり、より多くの投資と王の関心をヴァージニア植民地にも たらす試みは大成功に終わった。 ロルフはヴァージニアに戻ってタバコ栽培をすることを熱望したが、アメリカへ帰る旅の途中、ケント州グレーブゼンドで ポカホンタスは病気になり(天然痘、肺炎、または結核など、資料により異なる)、23歳前後で死去した。彼女の葬式は グレーブゼンドの「聖ジョージ教会」で1617年3月21日に行われた。のちに教会が改装される際に彼女の墓は壊され、 現存していない。現在、同教会の敷地には、彼女の銅像が設置されている。 ウィキペディアの次の項目を参照されたし |
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「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」 スーザン小山 著 小説でありながらも、過去の歴史的事実に、「多助」という架空の日本人を織り込むことによって、現代に新たな命
チカディーはさらに別の折り、こんなことも言った。
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ジョン・スミス救出(愛を含む)に批判的な文献 | ジョン・スミス救出(愛を含む)に好意的な文献 |
「アメリカ・インディアンの歴史」第3版 富田虎男著 より引用 「キャプテン・スミス殿。あなたがこの地に来たことについて、私は |
「ポカホンタス」 スーザン・ドネル著 より引用 史実として見たとき、ポカホンタスとジョン・スミスが恋人だった 本書の著者スーザン・ドネルは、ポカホンタス直系の子孫であ |
「ネイティブ・アメリカンの世界」 歴史を糧に未来を拓くアメリカ・インディアン 青柳清孝著 より引用 では、『バージニア史概説』に突如現れるポカホンタスのスミス命 |
「白い羽の王女 ポカホンタス」 マリ・ヘインズ作 いのちのことば社 より引用 ウォルト・ディズニーの映画「ポカホンタス」には、この若い少女 イギリス人の船長ジョン・スミスを殺そうとした部族の手から救 |
「アメリカ・インディアン」奪われた大地 フィリップ・ジャカン著 より引用 最初のうち、インディアンは植民者に対して好意的な感情をもっ |
「ポカホンタス」 和栗隆史著 より引用 反目しあうパウアタン族と白人たち。その渦中スミスが囚われ の身となる。娘との交渉を許さない族長は死刑を宣告。絶体絶 命の彼を救ったのは勇気ある愛だった。 飢餓に苦しむジェイムズタウン、スミスは助けを求めてパウア 自分たちが吸う分だけのタバコを作っていたパウアタンの人々 ジョン・スミスは、ヴァージニアとポカホンタスの記憶を『ヴァー |
「アメリカ・インディアン悲史」 藤永茂著 より引用 ジェイムス・タウンにあっても、プリマスと同じく、発足当初の食糧 |
「ポカホンタスの秘密」 ポカホンタス研究会(和栗隆史) より引用 「一生に一度の恋をしたことがありますか」 |
NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 「アメリカ先住民から学ぶ―その歴史と思想」 阿部珠理 著 NHK出版 より引用 この劇的な救命劇が、その後の歴史に広く流布して、ディズニー のアニメ映画にも登場し、それからのスミスとポカホンタスの恋愛 物語に発展し定着した。スミス本人が記すとおりに実際に処刑され つつあったかどうかは、当時のポーハタンが敵を処刑する一般的 方法が、長い時間をかけた拷問か、槍での刺殺であったことを考え ると疑わしい。また当時のポーハタン族の習俗に、ハスケナウという 通過儀礼があった。少年が一人前の部族員となるために、象徴的 な死の儀式を行うものだ。スミスがこの後ポーハタンの養子となる 史実を考慮すれば、彼がポーハタン族として受け入れられるため、 一度死ぬための儀式が執り行われたと考える方が自然だろう。 実際、スミスを助けたとされる時、ポカホンタスはまだ、12歳にも 満たない子どもであった。彼女がいかに早熟であったとしても、30 近いスミスとの恋は想定しにくい。だがその後も現在まで、スミス 救出劇と二人の恋物語は、小説、芝居、映画と時代のメディアで 取り上げられ、西欧の読者に広く受容された。 ポカホンタスの容姿や態度が、他のポーハタン族の民からぬきん でているばかりでなく、彼女の機知と精神は比類がないとスミスは 描写しているが、実際美しく、賢い少女であったのだろう。ポカホン タスがジェームズ・タウンで英語を学んだのも、キリスト教に改宗し たのも、また白人と結婚したのも、彼女の意思が全く入っていな かったとは言い切れない。また彼女が逃亡を企てたという記録も 残っていない。賢明であるがゆえに、二つの人種間の仲介役として の自分の責任を認識していたのかもしれない。 |
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「アメリカ先住民を知るための62章」 阿部珠理・編著 明石書店 (本書より引用) 彼女にはあまりにも有名な「美談」がある。彼女は十代の最初の ころ、ジョン・スミスという植民地のリーダーがポーハタン族につかま り、族長に棍棒で頭を打ち砕かれそうになったのを見て、身を挺して 彼の命乞いをしたという。しかし、それが初めて詳しく語られのが17年 後に出されたスミスの旅行記(Generall Historie)においてであり、そこ には美女に命を助けられるという体験談が他にいくつも挿入されて いることから、話そのものの信憑性は低い。それ以後もポカホンタス のこの美談は語り継がれ、19世紀になると肖像画に描かれる彼女の 服装や容姿にはロマンチックな脚色が施され、彼女は白人のイメージ に近づけられる。 (辻祥子) 好戦的な先住民男性のイメージの対極におかれるのが、白人男性 に尽くす、性的な欲望の対象としての先住民女性像だ。ディズニー 映画の主人公となったポカホンタスは特に有名だ。ポーハタン族の 「酋長」の娘が、ヴァージニア植民地の建設に関わったジョン・スミス と恋に落ち、彼の命を救ったという美談は、先住民史においては まったくのつくり話とされる。それでも献身的な先住民のプリンセスの 人気は高く、毎年ハロウィーンの季節には全米各地で、ジョン・スミス とポカホンタスの衣装に身を包んだ男女が闊歩する。白人男性の 欲望を満たす先住民女性のイメージは、彼女たちが深刻な性暴力の 被害を受けてきた歴史と共振関係にある。この状況はいまも改善さ れておらず、2007年にアムネスティ・インターナショナルが発表した 報告書によれば、アメリカ先住民女性の実に3人に1人がレイプの 被害にあっているという。先住民の女性が受けてきた暴力と、彼女た ちが現在も抱える悲しみを理解しているならば、白人侵略者とポカホ ンタスの格好でハロウィーン・パーティに出かけることはできないだろ う。先住民族に関する一般認識が、いかに現実離れしているかが うかがえる。 (鎌田遵) |
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ポーラ・ガン・アレン作 「ポカホンタスからイギリス人の夫のジョン・ロルフへ」 「ネイティブ・アメリカン詩集」アメリカ先住民の現代詩 より引用 もしわたしが腕の中でやさしく守ってあげなかったら おお 不実な人よ あなたは死んでしまったでしょう それから荒野で死にそうになっていたあなたを わたしの世界を 目が見えぬ者のようにつまずきながら歩いていた あなたを わたしは何度救ってあげたでしょうか もしわたしがあなたに困難な仕事を頼まなかったなら 海の向こう側にいるあなたの雇い主は あなたを見捨ててしまったでしょう 何度も何度も あなたを見捨てたのです 丁度たわわに実った嘘を収穫させようと あなたをここに残したように それでもあなたは生き残った おお わたしの白い肌の夫よ それからあなたは わたしが栽培するようにすすめた植物から得た黄金を 彼らにもたらした タバコだ この葉のために あなたの子孫が死んでしまうのはなんという皮肉でしょうか なぜならあなたの認識を超えた力が すべてのものに働いているのです ほんとうにわたしはあなたを救ってあげた 一度だけでなく何千回にもわたって そしてあなたはわたしの腕の中で眠った 愚かな子どもよ わたしが見守る中 あなたは遊んだ 名前さえ知らない神さまについて たわごとを言った もちろん わたしの沈黙にあなたは驚いた そして言い放ったのです わたしは無知な気まぐれ女 粗野な娘 獣が父親で あなたという夫にふさわしいルールのもとで その断固とした導きによって気品を身につけはしたが 泥だらけの街で裸で横とんぼ返りして廻った 肌の黒い娘だと まったくその通り わたしはほとんど口を利かなかった あなたはそう言った そしてあなたは何も聞いてくれなかった ただあなたは大げさな夢をもてあそんだだけ それから祖国の王さまのご機嫌を取ろうと思いたって それゆえに仰々しい書状を送りつけたのです わたしはあなたをじっくり観察した あなたの策略を理解し それでもあなたを守った あなたに従って死んでしまうほどでした 無駄死に キリスト教徒の死を腐敗させたのです そしてあなたは 裏切り者 白人 わたしの息子の父親 生き残り わたしがあなたに教えたことを利用して わたしが骨になるまで利用して 夢に描いていた以上の富を手に入れたのです |
A Koskimo house Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
ワタリガラスの伝説 「森と氷河と鯨」星野道夫 文・写真 世界文化社 より引用。
今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと 聞くのだ。たましいのことを語るのを決してためらってはならない。ずっと昔の 話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森 をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の 中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚た ちもじっと動くことはなかったのだ。ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中 から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると 一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく長く、それは 一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆく タカにワタリガラスは聞いた。あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れ なければならなかった。「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた 時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲し いのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくる と、それをタカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、 頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」 若者は地上を離れ、ワタ リガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続け た。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫 んでいたのだ。ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世 を救うために炎を持ち帰るのだ」 やがて若者の顔は炎に包まれ始めた が、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れ た。その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動き だし、森の木々も伸びていった。それがわたしがおまえたちに残したい 物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを 見つめている。そのことを忘れるな。これからの時代が大きく変わってゆ くだろう。だが、森だけは守ってゆかなければならない。森はわたしたち にあらゆることを教えてくれるからだ。わたしがこの世を去る日がもうすぐ やって来る、だからしっかり聞いておくのだ。これはわたしたちにとって とても大切な物語なのだから。
(クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ 数日前に、クリンギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人 かの若者たちに託した神話だった。この古老の最後の声を、ボブはテー プレコーダーに記録したのだ。
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