「蛇儀礼」

北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ

アビ・ヴァールブルク著

加藤哲弘訳 ありな書房 より引用


 






この文献には特異な面が二つある。一つはインディアンへの偏見がまだ

根強い時代、1923年に行なわれた講演であること。もう一つは著者自身

が精神的に不安定な統合失調症の時期に、彼自身が入院している療養

所で行なわれたことである。インディアンの偏見に満ちていた時代、彼の

視点は蛇の図像への考察にも見られるように、彼らインディアンが持つ

世界への接近を西洋のそれと対比させながら展開させている。しかしそ

れは彼の内面を考慮に入れなければ正しく読むことは出来ないものだろ

う。尚、蛇へのインディアンと西洋の視点の違いに関しては、違った角度

からの文献「蛇と十字架」東西の風土と宗教がある。

2003年8月9日 (K.K)




Antelopes starting for the plaza (Shipaulovi)

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)

Oraibi snake dance

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)

Depositing snakes in the circle of meal

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)



ヴァールブルク自らが現地で写真に収めたアメリカ先住民たちの生活と

儀礼、そのなかに息づく蛇のイメージ。旅の記憶は壮大な歴史的回想へ

と姿を変えて、古典古代やキリスト教、世界の美術に見られる蛇の図像

の役割を逆照射する。ジャンルの閾を超えて、文明化による不安克服の

両犠牲を自己省察とともに顕在化させる試み。(本書・帯文より)


 


本書より引用。


太陽への崇拝のなかで全人類は出会います。そして、太陽のことを、夜のどん底

から上へと引きあげてくれる象徴と受けとることは、未開人の権利であると同時に

文明人の権利でもあります。子どもたちが、洞窟の前に立っています。彼らを光明

へ向けて引きあげてやることは、たんにアメリカの学校の課題であるだけでなく、

全人類にとっての課題なのです。救済を求めるものと蛇との関係は、感覚にもと

づいた粗野な接近から始まりその粗野さの克服へといたるという、尊崇と礼拝の

円環的進行のなかを動きます。この関係は、プエブロ・インディアンたちによる

そのような祭式にも見られますように、本能衝動にもとづいた呪術的接近から

始まり精神性を高めた距離取りへといたる進化を具体的に示すものさしであり

ましたし、今日にいたるまでそうであります。この有毒な爬虫類は、人間が精霊

的な自然の動きのもとで外面的にも内面的にも克服しなければならないものの

象徴として表現されてきたわけです。



アメリカ政府は、実際にすばらしく精力的な勢いで、かつてカトリック教会が試みた

ように、啓蒙のための学校をインディアンたちのもとに設置してきました。アメリカ人

の人々の知的楽観主義は、見たところ効果を表しているようです。インディアンの

子どもたちは、お行儀の良い制服とエプロンを身につけて学校に行くようになりまし

た。子どもたちは、もはや異教の精霊の存在など信じているようには見えません。

その他の教育上の目標につきましても、その大多数がこれと同じような結果を得て

います。たしかに、このことはひとつの進歩と言えるかもしれません。しかしながら、

インディアンたちがもっていた、イメージによって思考する心、あるいはこう言って

よければ、詩的な神話世界に根を下ろしていたものが、このようにすることで正当

に扱われているのかどうかということにつきましては、ただちに肯定する気にはな

れないのです。(中略) しかしわたしたちは、地下に住む原始的な生きものの世

界にわたしたちを連れていく蛇の絵の魔力のもとにわたしたちの想像力を押しと

どめておくことを望みません。わたしたちは、むしろ宇宙家屋の屋根に登って、

頭を上に向け、ゲーテも語っていたものについて考えることを望みます。


目が太陽の性質をそなえていなければ

太陽をそれと認めることはできないだろう。


太陽への崇拝のなかで全人類は出会います。そして、太陽のことを、夜のどん底

から上へと引きあげてくれる象徴と受けとることは、未開人の権利であると同時に

文明人の権利でもあります。子どもたちが、洞窟の前に立っています。彼らを光明

へ向けて引きあげてやることは、たんにアメリカの学校の課題であるだけでなく、

全人類にとっての課題なのです。救済を求めるものと蛇との関係は、感覚にもと

づいた粗野な接近から始まりその粗野さの克服へといたるという、尊崇と礼拝の

円環的進行のなかを動きます。この関係は、プエブロ・インディアンたちによる

そのような祭式にも見られますように、本能衝動にもとづいた呪術的接近から

始まり精神性を高めた距離取りへといたる進化を具体的に示すものさしであり

ましたし、今日にいたるまでそうであります。この有毒な爬虫類は、人間が精霊

的な自然の動きのもとで外面的にも内面的にも克服しなければならないものの

象徴として表現されてきたわけです。


 


本書・解題 加藤哲弘 より引用


ここからも見てとれるように、この講演の主題は、人類学の調査報告でもなけ

れば、通常の美術史学の作品研究でもない。彼がここで表明したかったのは、

むしろそれらを深く大きく超えたところにあるヴァールブルク自身の宗教心理学

的な文明観である。彼によれば、「文明化の過程」とは、生活のなかで「肉体」

や本能に直接結びつくかたちで襲いかかってくる不安や強迫観念を、生身の

「身体」からは「切り離し」て距離をとることで克服するすべを身につけていくこと

であり、それは、すでに述べたように、入院している彼個人の問題でもあった。

「不安」のなかから襲いかかる非合理でプリミティヴな衝動に対して人間はどの

ような対抗策をとってきたのか。ヴァールブルクは、入院直前に書きあげられた

「ルター時代の言葉と表象における異教的 古代的予言」のなかでも、そして

彼がハンブルクに帰還してからも、この疑問への答えを探し出すことに全力を

傾けた。フロイトやユングが「夢」のなかに探ろうとしたものを、カッシーラー、

パノフスキー、ウィントらに代表される「ハンブルク学派」の長兄にあたるヴァー

ブルクは、絵画や記号のなかに見られる「象徴的思考」のなかに求めたので

ある。以上からもわかるように、ヴァールブルクの議論の背後には、未開/

呪術→古代/象徴形式→現代/文明化へという明確な進化論的展開図式が

存在している。もちろん、ヴァールブルクの文明進化論は、たとえばヘーゲル

のそれのように不可逆的なものではない。「樹液の上昇」への不安はつねに

襲ってくる。現代においても、テクノロジーによる文明化はむしろ思考空間の

破壊によって不安の増大を招いているのである。この枠組みのもとで考えれ

ば、思考空間の破壊を嘆く、本文の末尾の言葉に一種のエコロジカルな視点

を見てとることも不可能ではない。しかし、単純な二元論(文明と未開、開発と

環境保護、テクノロジーと呪術、偶像崇拝と偶像破壊、ヨーロッパ人とアメリカ

先住民、・・・・)で追跡するかぎり、衒学的なまでに機知豊かに意味を重層化

させていくヴァールブルクの言葉に込められた、いわば「啓蒙弁証法」とでも

言うべき視点は見えてこない。彼は、距離をとることによって不安を克服する

はずの啓蒙が、その一方で距離の破壊をもたらす危険を同時に内包している

ことに注意を喚起しているのである。わたしたちが、比喩としての「洞窟」の前

に立つ子どもたちの姿から見てとれるべきなのは、「もうひとつの生き方」など

をかんたんに選ぶことのできないわたしたちが、それでもなお進んでいかなけ

ればならない複雑な啓蒙(文明化)の進路を進むことの厳しさとむずかしさで

はないだろうか。


 


目次

蛇儀礼 北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのメッセージ

原注 訳注

1923年4月26日付ザクスル宛ヴァールブルク書簡

ヴァールブルクのアメリカ南西部旅行(旅程表)

文献一覧

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解題 ヴァールブルクと「蛇儀礼」講演

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