「白い羽の王女 ポカホンタス」
マリ・ヘインズ作 高橋芳江 訳 中村悦子 画 いのちのことば社 より引用
ウィキペディア ポカホンタス
また、ウィキペディアの次の項目を参照されたし
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本書 「この本を読んでくださったあなたに」 より引用
ポカホンタスが亡くなったのは、これからヨーロッパ大陸の人々と、新大陸アメリカの 部族が手を携えて、平和を築くことができるのだという希望にあふれた時でした。いま 少し長生きして、ジェームズタウンとの関係を保つことができていたら、悲惨な闘いの いくつかは回避されていたことでしょう。ともあれ、死の原因は結核でした。当時の死 の病でした。
遺体は、ロルフや帆船トレジャラー号の船長につきそわれて、海を見わたせる丘の上 にあるセント・ジョージ教会に運ばれ、そこに埋葬されました。ひつぎのなかには、ジョン・ スミスからもどされたあの白い羽が、そおっと入れられていました。その墓は今もそこに あります。
今なら、何日という単位でわたれる大西洋を、5週間以上の船旅をしなければなりません でした。青い空と、どこまで行ってもさえぎるもののない大自然で生きていたポカホンタス にとって、暗くて寒い、石炭と煙でよごれきった霧の町のなかで、慣れない生活をし、次々 と社交界のお歴々と会わなければならなかったのは、どんなだったのでしょう。命をけず る毎日だったかもしれません。
ジョン・スミスに初めて出会ったのは、ポカホンタスがまだ10歳のころだったと言われてい ますから、その後の10年間がいかに波乱に富んだものだったか、想像していただけるで しょう。遺された子どものトマスは、成人するまでイギリスのロルフの両親の元で教育を うけ、その後アメリカ大陸にわたり、父の仕事をひきつぎしました。そして、その子孫はい まも、ニューヨークを中心とする地に、名家として存在します。
さて、ポカホンタスの協力で完成したジェームズタウンは、アメリカの歴史のなかでも、特に 大切な意味を持っています。有名なコロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年でした。 と言っても、すぐにこの新大陸がヨーロッパ人の人々に親しまれたわけではなかったようで す。スペインやオランダ、フランスといった国の人々が少しずつ大陸にわたっていましたが、 そんなに目だった形は取りませんでした。特に、イギリスが組織的にこの大陸に移住する人 を送り始めたのは、このポカホンタスの生きた時代が初めてでした。そして、このジェームズ タウンは、いわゆる大陸開拓の最初の根拠地となったのです。
ですから、もしポカホンタスがいなかったら、あるいはアメリカ合衆国の第一歩はなかった かもしれません。いまでもアメリカの子どもたちが小学校にはいると必ず、この少女の物語 を学んで育つと言われるのも、理由のないことではないことがわかります。
しかし、ポカホンタスが望み、ジョン・スミスが願った、ジェームズタウンとアルゴンキン族の 間の平和と協力は、その後どうなったのでしょうか。歴史の語るところは、必ずしもポカホン タスの願いのようにはいかなかったようです。ジェームズタウンが大きくなることは、そのまま アルゴンキンの人々の土地を奪い取ることにつながりました。また、ポカホンタスを知らない、 後に移住してきたヨーロッパ人の人たちの侵略はますます激しさを増していきました。
いわゆる「西部開拓」という歴史のなかで、アメリカ先住民は次々に征服され、滅ぼされて いったのです。いまでも、テレビや映画の題材にされることを見ても、この歴史がいかに アメリカ大陸に大きな意味のあることであるかが、想像できます。このような悲劇を思うに つけ、ポカホンタスの存在がどんなに大切な意味をもっているか、改めて痛感させられま す。
いまは、原始林のなかで敵を待ち伏せするというような恐れを経験することはめったに ないでしょう。また、自分の土地でないところに侵略によってはいりこむということもない でしょう。しかし、たがいに敵対する関係は絶えません。人間同士や団体、国の間にも、 疑惑と敵対心がなくなることはありません。ポカホンタスの心をもつ少年、少女が求めら れているのです。愛によって、目に見えないものをも信じる勇気をもつ心の持ち主が。
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本書 「はじめに」 より引用
もう今から400年前のことですが、アメリカのチェサピーク(「貝がらのたくさんあるところ」 という意味)という地域に、ポカホンタスという名まえの勇敢な少女が住んでいました。アメ リカ・インディアンのアルゴンキン族の子どもです。ポカホンタスがまだ小さいころ、イギリ ス人がやってきてチェサピーク地域、今のバージニアに住み始めました。この人たちは、 ポカホンタスの生活やアルゴンキン族の世界をすっかり変えてしまいました。
たくさんのイギリス人の手紙や日記にこまごまとした出来事が書いてあったため、ポカホ ンタスについてはおどろくほどいろいろなことがわかっています。この本の物語は、歴史 の事実に基づいています。創作してつけ加えた部分では、1600年代前半のアルゴンキン 族の王女であるポカホンタスが実際に生活し、活動した様子を描きだすようにしてみま した。
ウォルト・ディズニーの映画「ポカホンタス」には、この若い少女について今まで知られて いたのとちがう魅力がふんだんに盛り込まれています。けれども、脚色するまでもなく、 実際の話のほうがはるかに冒険と勇気にあふれ、意味深いものです。若くこの世を去っ たポカホンタスの冒険の物語は多くの本に残されています。ジェームズタウンに行ったこ と、イギリスへ旅したことなども記録されています。この本では、ポカホンタスのそうした 旅の中でもっとも大きな意味をもつ、心の旅に重点をおいています。
本書 「歴史的記録」 より引用
歴史の記録をひもとくと、実在のポカホンタスについて次のようなことがわかります。
ポカホンタスは1597年、ウェロウォコモコ村の首長パウハタンの村に生まれた(この本で は、短くしてコモコ村としている)。
イギリス人の船長ジョン・スミスを殺そうとした部族の手から救ったのは、まだほんの10歳 くらいの時だった。また後に、移住したイギリス人が、ジェームズタウンを訪れたポカホン タスが側転をしている姿をよく見かけたという記録もある。ポカホンタスは愛らしく、小柄 で、動きは敏しょうだった。
父親パウハタンとその大家族については多くの記録が残っている。ポカホンタスはパウ ハタンお気に入りの娘であり、タタクープとパラハントは、数ある兄弟の中の実在の人物 である。姉妹が何人かいたこともわかっている。
部族民たちは、戦いの神オケワスを拝んでいた。年寄りのキヨウコサック(この本では キヨウ)は、オケワスに仕える祭司で、生きているヘビをイヤリングにしており、ポカホン タスとは意見がぶつかることが多かった。オケワスにいけにえとしてささげられた人の数 は何百人にもおよんだという。
ラトクリフが、スミスを処刑しようとしたときも、ニューポート船長の船がイギリスから着い たときも、ポカホンタスはジェームズタウンにいた。この本の〈夜の恐怖〉の賞で危険を 知らせたときにいた何人かの白人の名まえやウェロウォコモコ村から救出しようとした イギリス人の少年の名まえも実在のものである。
ヘンリコ村にいた当時の様子を語るたくさんの手紙や、日記も残っている。そこには、 ホイッテイカー牧師夫婦と過ごした様子や、ジョン・ロルフと恋におち、結婚したこと、 息子のトマスの誕生なども書いてある。
ヘンリコ村に現われたスペイン人も実在の人物で、スペインのスパイだった。このスパイ は、スペイン国王に向けてこう手紙を書き送っている。「イギリス人は、インディアンの王女 ポカホンタスが信仰の確信をもつに至るまで、なんとものんびり話を進めています。われ われスペイン人とはなんというちがいでしょうか。われわれならもうとうの昔に洗礼を授け ていることでしょう。」
イギリスに行ってからの様子については資料もかなり残っている。ポカホンタスが出席した 舞踏会や、客として招かれた家のことなども書いてある。詩人であり、劇作家でもあるベン・ ジョンソンや、探検家ウォルター・ローリーにも会った。イギリスの王室に招かれてたいそう 喜ばれたという記録もある。
死の床にあったイギリスのグレイブセンドの町での(信仰の告白)も残っている。死を前に してこの言葉は、復活をはっきりと確信したものである。また、幼いトマスが、イギリスで 父方の両親に育てられることを望むとも言い残した。そうすることによって、トマスが、訓練 された信仰の人として、いつの日かチェサピーク地域にもどり、アルゴンキン族にもイギリ ス人にも祝福をもたらすことになるだろうとの願いを託したのである。
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