「梅原猛の授業 仏になろう」

梅原猛・著 朝日文庫


  








本書より抜粋引用


「仏教とは仏になることと見つけたり」。つくづく、そう思います。仏さんのおかげで

生きているということですね。これは、言ってみれば山へ登るようなもので、自力の

人は自力で登る。他力の人はケーブルカーで登る。でも山へ登るのはみんな同じ

です。



だけど、世の仏教者はあまり「仏教とは仏さんになることだ」と、はっきりと言わない。

ここに問題があるんですね。それはなぜか。私はそこに、日本の仏教の根本問題が

あると思うのですがね。そこに江戸仏教以来の問題がある。一言で言えば、日本仏

教は仏教にとって大事な戒律というものを失っている。



戒律を守って、徳を身につけることが大事です。十善戒(じゅうぜんかい)という戒律

があります。六波羅蜜(ろくはちみつ)という徳があります。戒律を守って、徳をきちん

と身につけないと仏になれない。ところが江戸時代に仏教が国の保護を受けて以来

四百年、戒律と道徳が忘れられたんじゃないかと思います。



宗教と道徳は深い関係をもっています。明治以後の日本仏教は道徳を軽んじたん

じゃないか。もう一回、仏教本来の道徳を取り戻す。そうしないと、日本の仏教は

だめになるばかりか、長い間、仏教の教えを守って磨いてきた日本人の心性が、

日本人の魂が、だめになってしまうと思います。



日本に仏教が定着したのは聖徳太子のおかげです。聖徳太子によって日本の

支配層の中に仏教が入った。これは大きな意味を持っています。でも、民衆にまで

は浸透しなかった。民衆に仏教が浸透したのは行基(ぎょうき)によってです。聖徳

太子と行基によって日本は仏教の国になったと私は思います。



その聖徳太子が晩年、仏教精神に基づいて十七条憲法を制定した。十七条憲法

は儒教や道教も入っていますが、仏教を基本とした憲法なんですよ。聖徳太子が、

晩年、常に言っていた言葉が「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゆぜんぶぎ

ょう)」です。いろいろな悪をしてはならない。いろんな善をしなさい、ということですね。

聖徳太子はこの仏典の文句をしょっちゅうつぶやいていたというんです。



私はこの話を初めて読んだとき、宗教は道徳ではないのだから、太子はつまらない

ことを言っているな、と思ったんですね。この話はあまり好きではなかったんですが、

だんだんと、これは大変に大事なことだと思うようになってきました。



日本人を善くするためには、きちんとした道徳を確立しなければならない。それには

仏教が必要不可欠なものだという考え方が聖徳太子にあったと思うんです。ですから、

仏教はただの教えとして広まったのではない、道徳とつながって広まったんです。



白山信仰というのは神と仏が一緒になった神仏習合の最初の信仰ですけれども、

そこの主峰の神が男のイザナギではなくて女性のイザナミです。そのイザナミの神の

もとの仏さま(本地仏)は十一面観音ですから、やはり十一観音も女性的にならざる

をえない。観音さまは本来、性のないものですが、日本の観音さまは女性的です。ど

こか永遠の母という大地母神の面影を宿しています。



泰澄のお母さんは渡し守の娘でした。お父さんは豪族で、渡し守の娘に子どもができ

たというので追い出して、川へ放り出した。お母さんは九頭竜川のほとりで泰澄を産ん

だと言われます。泰澄は、そのお母さんのイメージを十一面観音に重ねたのかもしれ

ません。ですから日本の観音は、どこか女性のイメージがあります。それは永遠の深

い慈悲、無償の慈悲のシンボルです。



観音さまの中には、聖観音、十一面観音だけでなく、千手(せんじゅ)観音というものが

あります。十一面を持っているものが多いので、十一面千手観音ともいいます。千手

観音は手には眼が描かれていますから、千手千眼(せんじゅせんげん)観音とも言いま

す。千の眼で人間の苦悩を見て、千の手で人間の苦悩を救うんですね。



お母さんが子どもを見るとき、千の眼で子どもを見ているんだ。そして千の手で子ども

を救おうとする。そんな無償の愛をもったお母さんのように、すべての人間の苦悩を千

の眼で見て、千の手で救うというのが観音崇拝の究極の姿です。だから日本では、聖

観音と十一面観音と十一面千手観音の三つが多いんですね。



私はどうも、宗教の根源にはそういう永遠の母性への崇拝があるような気がして仕方

がない。キリスト教の場合でも、表面はキリスト崇拝ですが、本当の姿はマリア崇拝

あるような気がします。キリストは人類の罪を背負って、十字架にかかって死んでいっ

たけれども、またこの世の中に帰ってきて、すべての人を救うという。そういう、罪を背

負って死んでいくというのは母の愛に似ていますね。



キリストとマリアの関係は、仏教の釈迦と観音の関係に似ているような気がします。母

の愛を象徴化したような観音やマリア崇拝が、宗教の根源ではないかと私は思います。



白隠が出ることによって、それまで死んでいた禅が、生きた禅になりました。白隠は

臨済宗のすべての宗派を席巻しました。ですから今でも臨済宗の老師は全員、黄檗宗

に至るまで白隠系の弟子になっています。



良寛という人も素晴らしい。良寛は書や詩といった芸術で彼の仏教を語ったんですね。

そして彼はふるさとの寒い越後で、お釈迦さんがやったように晩年まで乞食をしていた

という。乞食をしながら詩をつくり、書を書きました。



円空も良寛が書や詩をつくったと同じように仏像をつくりました。彼は生涯で十二万体

の仏像をつくったというんですね。それらは明治初めの廃仏毀釈で大きな打撃を受け

て、多くの仏像が失われました。いま残っているのは数千体です。しかし、円空は本当

に十二万体をつくったのかもしれないと私は思います。



円空は、仏像を芸術作品としてつくったのではありません。売るためでもないし、芸術

家として有名になりたいためでもありません。円空は人を救うために仏像をつくりました。

池の怪物を鎮めるために、千体の仏を池に沈めたという話もあります。また、ぼろぼろ

の朽ちた木を仏にするために仏像をつくったともいわれます。芸術というものは、本当

はそういうものなんです。芸術は人を救うためにあるものです。



円空については、いままでいろいろなことが言われてきました。どういうわけか円空を

研究するのは民間の学者ばかりで、アカデミズムには円空の研究者はほとんどいませ

ん。ほかの仏師について研究者はいくらでもあるんですよ。例えば定朝、運慶、快慶。

彼らについてはアカデミズムの研究者はたくさんいますが、円空についてはほとんどい

ない。



ところが、外国で展覧会をやると、円空がいちばん人気があるんです。この間、フラン

スの前衛彫刻家に会ったら、「私は円空に嫉妬を感じた」と言うんです。彼は円空を現代

の彫刻家だと思っていたらしい。後に四百年近く昔の人だと聞いてびっくりしたと言うん

です。現代の作家に嫉妬を感じさせるような芸術家は円空以外には、日本にはいない。

定朝や運慶や快慶の彫刻がどんなに素晴らしくても、それを見て嫉妬を感じる人はいな

い。円空は、現代の芸術家に嫉妬を感じさせるような仏像、神像をたくさんつくった。とこ

ろがその円空がアカデミズムには研究者がいないという妙なことになっているんです。



それはなぜか。定朝や運慶、快慶は時の権力者に認められて、彼らの要請によって仏像

をつくった。だから、中央で認められている。円空は、中央で認められなかった。地方の人

に愛されたんです。特に飛騨の人には大変に愛された。



あとがき (本書より引用)


この書物は平成十七年四月から八月まで計八回、朝日カルチャーセンター京都で行った

連続講座の講義録に手を加えたものである。私は平成十三年に洛南高等学校付属中学

校の三年生に「仏教」の授業、そして一年おいて平成十五年に「道徳」の授業を行い、それ

ぞれ「梅原猛の授業 仏教」「梅原猛の授業 道徳」という書物にした。



これらの授業を行って私は、仏教の教育を行うことは大変重要であると思わざるを得な

かったが、それとともに、このような仏教についての講義を少年たちばかりでなく、市井

の人たちにもしてみたいという気になった。法然にしても、親鸞にしても、日蓮にしても、

彼らが仏教について語ったのは学問のある弟子の僧にのみではなく、仏教についてとり

わけ深い知識のないごくふつうの庶民にもであった。



その講義に私は「仏になろう」といういささか刺激的な題をつけた。現代の日本仏教では、

仏になろうなどと語られることはあまりないが、私は五十年間仏教に親しんでいるうちに

「葉隠」に「武士道というは死ぬことをみつけたり」とあるように、仏教とは仏になることと

みつけたりと考えざるを得なくなった。



このようなことを語る論者はほとんどいない。そのようなことをいえば、「それならあなた

は仏になっているのか」という問いが返ってくるであろうが、その問いに論者は困惑せざる

を得まい。それゆえ僧職にある人すらそのようなことを語りたがらないのであろうが、真言

の「即身成仏」ということも、禅の「悟り」ということも結局、仏になるということなのである。



仏になるためにはまず十善戒を守り、六波羅蜜の徳を身につけねばならない。聖徳太子

以来、わが国の仏教は深く道徳と結びついている。明確な道徳を与えることによって、仏

教は日本人の精神の糧となっていたのである。日本人の道徳心は、すべてではないが

多分に仏教によって養われたものである。しかし明治以後、僧職にある人も道徳を説かな

くなり、仏教は日本人の精神を道徳化する役割を失ってしまった。私はそこに現代の日本

仏教の堕落があり、衰退があると思う。そのような失われた仏教道徳を復活させ、日本人

を道徳化することが今の日本のもっとも重要な課題の一つである。



このような意味で、仏になろうという私の勧めも決して大げさな言葉ではなく、ごくふつうの

仏教への誘いなのである。



平成十八年二月 梅原猛


 


目次

第一時限 仏教とは「仏になる」ことである

       誰の心にも観音がいる

       肉体のまま仏になる「即身成仏」

       浄土宗の理想も「仏になる」こと

       日本仏教は戒律を失った



第二時限 仏教と道徳

       因果応報の説と道徳

       神と仏は仲良くやっていた

       国家主義は日本の伝統ではない



第三時限 十善戒について

       道徳的に立派だった父と母

       戦争に反対できなかった日本仏教

       殺生戒は環境保護を防ぐ思想

       「清い」を尊ぶ神道道徳と一体に



第四時限 六波羅蜜について

       布施は仏教道徳の中心

       観音信仰は永遠の母性への崇拝

       精進と忍辱が日本人の精神をつくった

       仏教道徳は不可能(?)故に素晴らしい



第五時限 四弘請願について

       願のない人生はつまらない

       四弘請願は「仏になる」ための指針

       煩悩を積極的な力とする

       仏と法と僧に帰依する「三帰依文」



第六時限 釈迦仏教について

       この世のものは必ず滅び、人は死ぬ

       人生は苦であることを悟る「苦諦」

       愛執を滅ぼすための「戒、定、慧」

       戦争こそ人類の最大の愛執



第七時限 大乗仏教について

       経典を釈迦の一生にあてはめる

       六波羅蜜が説かれない「般若心経」

       統一と平和という「法華経」の思想



第八時限 円空の語るもの

       泰澄、行基の伝統のもとに立つ

       緊張感とユーモアが共にある仏像

       広隆寺の弥勒に匹敵する思惟菩薩

       巨大な想像力をもつ円空の歌



あとがき

解説 中沢新一





2013年4月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「男は女の力を恐れている」



(写真は『アメリカ先住民女性 大地に生きる女たち』から引用しました。)



中東やインドで起きている女性の悲劇を見るにつけ、私はそれを感じてならない。



恐らく太古の時代では多くが母系社会(母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度)で

あり、調和ある共同体をつくるために母系社会は最も基礎となるものだった。



縄文土器に見られる女性像などから、儀式を執り行ったのは主に女性だったのではないかとの説が

あるが、沖縄・奄美のユタ(殆ど女性)を除いて、世界各地のシャーマンは圧倒的に男性が多い。これ

はもともと女性は生まれながらに偉大な神秘が宿っていることを男性自身が認識しており、治癒など

の儀式や部族の指導者(女性の意見だけで決める部族もある)は男性に任せるというのが自然の流

れになってきたのかも知れない。



母系社会の中では性犯罪が起きることは考えられないことであった。例えばアメリカ先住民と白人が

憎み戦っていた時代の証言「インディアンに囚われた白人女性の物語」の中でも、白人男性の捕虜と

は異なり、女性捕虜が如何に大切に扱われてきたかを読むとることができる。



このアメリカ先住民の社会では、女性が男性の荷物を家の外に置くだけで離婚は成立し、その逆は

なかった。



ただ現代のアメリカ先住民社会は、子供を親から無理やり引き離し、言葉・生活習慣・宗教などの

同化政策がなされた影響で、アルコール中毒、自殺、家庭崩壊、貧困が深刻な問題になっているが、

虐待や育児放棄の被害にあった子供たちを母系の集団の中で世話するため、現在でも孤児は存在

しない。



母系社会がいつから父系社会に転換したのか、、定住とそれによる近隣との闘争という説もあるが、

私の中ではまだ答えは見つけられないでいる。しかし肉体的な力による服従が次第に母系社会を

崩壊させ、それが暗黙のうちに様々な宗教に伝統として紛れ込んだのは事実かも知れない。



日本では菅原道真などに象徴される「怨霊」や「祟り」を鎮めるために、迫害者に近い人が神社などを

つくり、祭り上げることで鎮めてきたが、同じように卑弥呼の時代は既に女性の力の封印が始まった

時期だと思う。また中世ヨーロッパにおける「魔女狩り」も、宗教が関わりを持つ以前から民衆の間で

始まった説があるが、女性の力を封印させる側面もあったのだろう。



「男は女の力を恐れている」



無意識の次元にまで下ったこの感情を、あるべき姿へと開放させ、母系社会の意味を改めて問う時代

だと思う。



「アメリカ先住民」に限らず、「聖母マリア」、「観音菩薩」の存在は、暗にその意味を私たちに教えている

ような気がしてならない。



☆☆☆☆



「女性が死にたえるまで、部族が征服されることはない。」

(チェロキの言い伝え)



「先住民族女性と白人の女性開放論者のちがいは、白人フェミニスト

たちは権利を主張し、先住民女性は負うべき責任について主張し

ているところだ。このふたつは大きく異なる。わたしたちの責務とは

この世界にあるわたしたちの土地を守ることだ。」

ルネ・セノグルス(Renee Senogles)
レッド・レイク・チペワ(Red Lake Chippewa)



「女は永遠の存在である。男は女から生まれ、そして女へと帰っていく。」

オジブワ族(Ojibwa)の言い伝え



「この星は、われわれがずっと生活してきた家である。

女性はその骨で大地を支えてきた。」

リンダ・ホーガン(Linda Hogan) チカソー(Chichasaw)族 詩人



「女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と

女性を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。生命を産む

のは女性である。女性が昔から感じとっていた眼にみえない大きな力と

の関係を男たちが理解し始めるなら、世の中はよりよい方向に変化し

始めるだろう。」

ロレイン・キャノ(Lorraine Canoe) モホークの指導者



☆☆☆☆




 


2012年4月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



Obrazky Liberec.cz より引用

(大きな画像)

円空(1632〜1695)が創った像(庚申像)

この像は自分が苦しいとき、その時に本当に会いたい顔の一つかも知れません。円空の像は

この表情だけではなく、様々な顔を見せてくれます。



生涯12万体を作ったとされる円空。時の権力者にすり寄らず庶民のために、人を救うために

像を作り続けた円空。梅原猛さんによると、円空は私生児として生まれ幼くして母を洪水で失い、

お寺のお坊さんになったと言われています。



遠くは北海道のアイヌの人と生活し、多くの地で仏像を作り続け庶民に愛された円空。その円空

の仏像も、明治初めの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などで失われ、12万体のうちの数千体しか

残されていません。しかし、人を救うために円空が仏像に込めた願いや祈りは、時を超えて人び

との心に刻み続けていくのかも知れません。



☆☆☆☆



円空は、仏像を芸術品としてつくったのではありません。売るためでもないし、芸術家として有名

になりたいためでもありません。



円空は人を救うために仏像をつくりました。



池の怪物を鎮めるために、千体の仏を池に沈めたという話もあります。



また、ぼろぼろの朽ちた木を仏にするために仏像をつくったといわれます。



芸術というものは、本当はそういうものなんです。



芸術は人を救うためにあるものです。



「梅原猛の授業 仏になろう」より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 


2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



フィリピンの刑務所に服役している方が作った聖母マリア像で大切にしているものです。



随分前のテレビでブッダの足跡を追ったNHKの番組があり、梅原猛さんと瀬戸内寂聴さんが解説して

おられた。晩年のブッダが母親の故郷だったか亡くなった場所を目指していたのではないかとの問い

に、瀬戸内寂聴さんは「それはありません。ブッダはそれを超えた目的のために向かった」と話してお

られましたが、梅原猛さんは瀬戸内寂聴さんに対して「いや、仏陀の心の奥深くにはそれがあった」と

言っておられたのが強く印象に残っています。



ブッダ、そして梅原猛さんも生まれて1週間後に母を亡くしています。宗教学者の山折哲雄さんは梅原

猛さんのことを次ぎのように記しています。



「仏教にたいする梅原さんの心情の奥底には、母恋いの気持が隠されている。それは微かに沈殿して

いるときもあるが、激流となってほとばしることもある。梅原さんがしばしば語っているように、それは養

父母に育てられた体験からきているのかもしれない。とりわけ、母上に早く死なれてしまった辛い体験

が、その後の梅原さんの思想の形成に大きな影を落としているためなのであろう。その深い喪失感が、

梅原さんの文章に切迫した気合いをみなぎらせ、その言葉に美しいリズムを生みだす源になっている

のだと思う。」



ブッダ、そして梅原猛さんは同じ喪失感を味わったものだけしか理解しあえない次元で繋がっているの

かも知れません。



勿論、瀬戸内寂聴さんの「仏教塾」は万人に理解できる言葉で仏教を紹介している素晴らしい文献です

が、それと同様に梅原猛さんの「梅原猛の授業 仏になろう」はユーモアを交えながらも奥の深さを感じ

ます。また手塚治虫が書いた漫画「ブッダ」と共に、今読み始めている「超訳 ブッダの言葉」小池龍之介

・翻訳もそのような優れたものなのかも知れません。



私は読んだことはありませんが、当時の日本の哲学界の重鎮であった西田幾太郎や田辺元を梅原猛

さんは評価しながらも批判をしています。



「西田・田辺の精神はよろしい。西洋哲学と東洋哲学を総合して、今後の人類に生きる道を示すような

独創的な哲学を立てるという精神には大賛成です。だけど、もっとやさしく語れ、もっと事実に即して語れ

というのが、私の学生時代からの西田先生、田辺先生に対する批判です。」



専門家向けに書かれた本なら専門用語を駆使して書くことは当然かも知れません。しかし万人を対象と

するとき、敢えて難しい言い回しや専門用語を使うことは、自らの学問の使命を忘れているのではと感じ

てなりません。勿論私の読解力のなさがそう思わせている面もあるのですが、学問は人類に限らず地球

や地球に生きるもののためのものであるはずです。学問を自分自身の名声・名誉や金銭、社会的地位

を得るための手段としてしか捉えられない者は、哲学であれ科学であれ道を踏み外しているように思い

ます。



「母の愛を象徴化したような観音やマリア崇拝が、宗教の根源ではないか」と梅原猛さんは言っています

が、梅原猛さんが母の慈愛を観音様に重ね合わせるように、私は聖母マリアに重ね合わせているので

しょう。



ただ児童虐待などで母の慈愛を感じらずに育った子供たちは、物心がつくまえに母を亡くした方と同じよ

うな喪失感が横たわっているのかもしれません。



(K.K)



 


2013年1月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



(大きな画像)


本日1月9日、夜明け前の光景です。


冬の思い出、私が小学1年の頃だったか、火鉢の沸騰したヤカンを足に落としたことがあった。

足が真っ赤に腫れ、母は私をおんぶして遠くの病院まで連れて行ったが、当時は救急車など

なかったのだろう。



鹿児島市内に火傷に関しては名医がいるというので、その病院に行ったのだが、そのお陰で

大きな火傷の跡は残っていない。ただ、おんぶされて何度も病院に通ったとき感じた母の背中

の温もりや想いは、私の心に刻まれている。



児童虐待など、母や父の想いを感じられず育った子供は、その穴を、長い人生をかけて何ら

かの方法で埋めていかなければならない。昔の人が言った「三つ子の魂百まで」は、幼いころ

の性格は年をとっても変らないことを意味しているが、自我が確立しておらず、無意識の中に

いる3歳までの時期は、その後の長い人生を形作るといってもいいのかも知れない。



異論はあると思うが、少なくとも3歳までは周りの人たちの助けを借りながら、親の想いを浴び

つづける満たされた時期であってほしい。



ブッダ、日本各地に赴き12万体の仏像を彫った円空、そして私が尊敬する哲学者・梅原猛さん

は幼いときに母親を亡くした。この深い喪失感は体験した者だけしかわからないのだろう。ブッダ、

円空、多くの人々を救ってきた彼らの光は、私には垣間見ることさえ出来ない深みから発せられ

ているのかも知れない。



☆☆☆☆



2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ)

(大きな画像)

実物の「縄文のヴィーナス」はこちら



土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。



今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の

高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。



今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって

知ったことだが)。



殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が

刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。



アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を

取り出し母親に抱かせた。



それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。



また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の

時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。



このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い

悲しみと再生の祈りが込められていると記している。



「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。



縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。



過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。










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