「超訳 ブッダの言葉」
小池龍之介・編訳 ディスカヴァー
二つの道
煩悩を焼き尽くす火を燃やせ
スピリチュアルなものや人に依存しない
知識から自由になる
私(ブッダ)の言葉にすら依存しない
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序文 (本書より抜粋引用)
すなわち、読者がこの本を手に取り、どこかのページをパラッと開く。そこに並んでいるブッダ の言葉がスーッと心に染み込んで、良き方向へと向かう風が吹きこまれるように、と。 その心に勇気の嵐が吹き、あるいは静けさが生まれ、あるいはハッと目が覚め、あるいはま た執着(こだわ)っていたことを手放して心安らぎ、あるいは怒りの火が消えてゆく・・・これらの 「効き目」こそが狙いとするところです。 したがいまして、「学問的意義」や「深遠さ」や「お勉強」を求めて読まれますなら、きっとがっか りされることでしょう。そうではなく、悟りしブッダによる、私たちの心の核心まで迫り揺さぶって くる言葉に、素直に耳を澄ませていただければと思う次第です。 その言葉はてらいなくシンプルであるがゆえに、複雑なコムズカシイ心で受け取ると、何も入っ てこないかもしれません。けれども、肩肘はらない素直な心でページをめくってくださいますなら、 きっと読むたびごとに毎回新たな風が心に吹きわたり、良き方向へと背中を押してくれることで しょう。ひょっとすると、口ずさんでいただくのも味わいかたとして、とても好ましいかも知れません。 本書では、ブッダ自身が生きて古代インドで活躍していたころの語源を直弟子たちが暗記・暗誦 して伝えられてきたとされる古い経典たちから、高校生からそのおじいさまおばあさま世代まで、 どなたにもわかりやすそうなもののうち、筆者自身が気に入っているフレーズを選定して「超訳」を 施しました。さらに口調も、できるだけ広い年代の方にお読みいただけるよう、わかりやすさを心 がけました。 (中略) ギラギラと太陽が照りつける過酷な環境のインド。ブッダが活躍した国では、厳しい環境のもと、 古代から、数学や科学の研究が発展したり、きわめて合理的な思考が育ったものでした。 強い日差しのもと、カラッとした思考が生まれていた土壌に、ブッダのすこぶる合理的かつ心理学 的アプローチも生まれた、と申すこともできるかもしれません。それに比べて私たち日本人はいき おい、センチメンタルでじとっとした情感にとらわれるのを好みがちで、その気質はうっかりアレコレ 思い悩んでしまう元凶ともなりましょう。この日本的な湿気こそ、古代インドの智慧の太陽によって、 カラッと焼き尽くしてしまえば、ジメジメした心の湿度が下がって快適な風通しが得られることでしょう。
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目次 一 怒らない 二 比べない 三 求めない 四 業(カルマ)を変える 五 友を選ぶ 六 幸せ(ハピネス)を知る 七 自分を知る 八 身体(からだ)を見つめる 九 自由になる 十 慈悲を習う 十一 悟る 十二 死と向き合う ブッダの生涯「超」ダイジェスト あとがき 参考文献
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2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年4月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月6日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 4月17日に投稿した「二番煎じは嫌だ」とも通じますが、ブッダの言葉の中で最も好きなものを紹介しようと 思います。 この言葉は後世にいい影響とそうでないものをもたらしたように思います。しかしブッダはそれ予見してい ながら、それでも自分の教えが新しく生まれてくる人たちによってより深まっていくのを確信していたように 感じてなりません。 さまざまな宗教には多くの問題がありますが、それでもより洗練された姿になろうという方向性を感じます。 宗教の根源、沈黙でしか聴くことが出来ない次元に根を下ろした偉大な魂は道標として私たちを導いてく れました。そして新たに生まれてくる魂が、今度はどんな景色をみせてくれるのか本当に楽しみです。 ☆☆☆☆ 君が川を渡るために筏(いかだ)をつくって、川を渡ったあとでこう考えたとしてみよう。 「この筏はとても役に立ったから捨てずに背負って歩いてゆこう」と。 そんなお荷物をかかえ込んでしまっては、重たくて重たくて、まともに歩けはしなくなる。 それが君の業績であれ学歴であれ職歴であれ、この筏と同じこと。 私の言葉も教えも真理すらもまた、この筏のようなものにすぎないのだから。 君が私の教えを使い終わったなら、惜しむことなく捨て去るように。 中部経典「蛇喩経」 「超訳 ブッダの言葉」より引用 ☆☆☆☆ (K.K) |