「歓喜する円空」新しき円空、発見 梅原猛著 新潮社
円空わが内にありて生きるるなり (本書より引用)
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木彫仏の伝統のもとに (本書より引用)
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イルカの大歓迎 (本書より引用)
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目次
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2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 画像省略 4月16日に投稿した円空の像、もっと知りたいと思い「歓喜する円空」梅原猛著を読みました。 江戸初期1632年、岐阜県に生まれた円空は、兵庫から北海道まで足を伸ばして、大地の異変を鎮め、 人間ばかりかすべての衆生を救うために12万体の仏像を彫ります。 円空は縄文時代からの神と仏教を習合させた修験者でしたが、その生涯は常に衆生救済を目的とし、 64歳のときに長良川畔にて入定しました。 入定とは土中の石室などに入り、掘り出されずに埋まったままの即身仏のことを言います。 長良川畔を入定の地として選んだのは、洪水の害を防ごうとする円空の強い意志を示しており、それ は彼の生母が洪水で死んだという梅原氏の仮説を裏づけるものだそうです。 また土地の人々は長良川に大水が出ると円空の霊が蛇となって現われ、避難を勧めるという言い伝 えがあります。 現代の前衛芸術を凌駕する円空仏像に見られる感性、そして和歌に見られる神々と遊ぶ子どもの ような円空の魂、私は円空に魅せられてしまいました。 この文献で心に残った箇所を下に紹介しようと思います。 ☆☆☆☆ ◎円空は私にとってもはや一人の芸術家にすぎない存在ではない。むしろ彼は私に神仏習合思想の 深い秘密を教える哲学者なのである。 ◎『円空歌集』の和歌には「楽」「喜」「歓」という言葉がしばしば登場する。私は円空の思想の中心は 生きている喜び、楽しみを礼賛することであると思う。それはまさに神々の清らかな遊びである。 ◎私はあえて言いたい。今回、円空の歌集を西行の『山家集』とともに読んだが、西行の歌より円空 の歌の方により強い感銘を覚えた。円空の歌を西行の歌と比較するなど、とんでもないことであると 多くの人は言うかもしれない。たしかに歌としては西行の歌の方がはるかに巧みである。また、円空 の歌には誤字や脱字があり、「てにをば」も誤っている。にもかかわらず、円空の歌には今までどの ような日本人の歌にも見られない雄大な世界観が脈打っている。まるで超古代人の声が聞こえてく るようである。 ◎「祭るらん 産の御神も 年越へて 今日こそ笑へ 小児子(ちごのね)ノ春」(一一七三) 春になり年が明けた。今日こそ産土(うぶすな)の神を祀って、大いに笑おう、子どもたちよ。 良寛のように子どもたちと無心に遊んでいる円空の姿が目に浮かぶようである。この笑いの精神は 空海の精神に結びつく。私は若い時、人生を不安・絶望の相に見る実存哲学から自己を解放する ために「笑いの哲学」なるものを構想し、笑いを価値低下という概念で考えたが、笑いはそのような 概念で解釈されるべきものではない。その時はまだ私は空海の言う「大笑」というものをよく理解し ていなかった。今ようやく円空を通じて空海の「大笑」の意味が少しは理解できるようになったので はないかと思う。 ◎「老ぬれは 残れる春の 花なるか 世に荘厳(けだかけ)き 遊ふ文章(たまづさ)」(一四二一) これは今の私の心境をぴたりと表したものである。円空がこの歌を作ったのは六十歳頃であると思 われるが、私はそれよりさらに二十年の歳をとり、八十歳を超えた。そのような老人にも春があるの である。私はまだ花を咲かせたい。学問の花、芸術の花を咲かせたい。学問や芸術はしょせん遊び なのである。遊びのない学問や芸術はつまらない。作者が無心になって遊んでいるような学問や芸 術なくして、どうして人を喜ばせることができようか。円空の仏像制作は地球の異変を鎮め、人間ば かりかすべての衆生を救うためであった。菩薩は人を救うことを遊びとしている。私もこの歳になって ようやく菩薩の遊び、円空の遊びが分ってきた。その遊びは荘厳なる遊びでもある。遊びと荘厳、そ れはふつうは結びつかない概念であるが、それが結びついたところに円空の芸術の秘密があろう。 ☆☆☆☆ (K.K) |
2012年4月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2013年1月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) 本日1月9日、夜明け前の光景です。 冬の思い出、私が小学1年の頃だったか、火鉢の沸騰したヤカンを足に落としたことがあった。 足が真っ赤に腫れ、母は私をおんぶして遠くの病院まで連れて行ったが、当時は救急車など なかったのだろう。 鹿児島市内に火傷に関しては名医がいるというので、その病院に行ったのだが、そのお陰で 大きな火傷の跡は残っていない。ただ、おんぶされて何度も病院に通ったとき感じた母の背中 の温もりや想いは、私の心に刻まれている。 児童虐待など、母や父の想いを感じられず育った子供は、その穴を、長い人生をかけて何ら かの方法で埋めていかなければならない。昔の人が言った「三つ子の魂百まで」は、幼いころ の性格は年をとっても変らないことを意味しているが、自我が確立しておらず、無意識の中に いる3歳までの時期は、その後の長い人生を形作るといってもいいのかも知れない。 異論はあると思うが、少なくとも3歳までは周りの人たちの助けを借りながら、親の想いを浴び つづける満たされた時期であってほしい。 ブッダ、日本各地に赴き12万体の仏像を彫った円空、そして私が尊敬する哲学者・梅原猛さん は幼いときに母親を亡くした。この深い喪失感は体験した者だけしかわからないのだろう。ブッダ、 円空、多くの人々を救ってきた彼らの光は、私には垣間見ることさえ出来ない深みから発せられ ているのかも知れない。 ☆☆☆☆ |
2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ) (大きな画像) 実物の「縄文のヴィーナス」はこちら 土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。 今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の 高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。 今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって 知ったことだが)。 殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が 刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。 アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を 取り出し母親に抱かせた。 それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。 また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の 時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。 このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い 悲しみと再生の祈りが込められていると記している。 「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。 縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。 過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。 |
円空仏 地図 (本書より画像引用)