2012年4月25日アーカイブ: Earth Dayな日々|鎌倉ツリープBLOG




「呪の思想 神と人との間」白川静+梅原猛 対談 平凡社 より抜粋引用


白川・・・殷は商の蔑称ですからね。扁は身重の形。旁は「叩く」。どういう意味か解らんけれど

も、妊婦を叩くんだから、何か呪的な行為としての意味があったんでしょうね。それを廟中、御霊

屋で行う字形もある。妊婦の持っている特別な力を作用させるために、妊婦を叩く。「殷」というの

は「盛んな」、「激しい」とか「破壊」、血が出る場合には「万里朱殷たり」という風に、万里血染めに

なるという。だから非常に激しい意味を持った字ですね。



梅原・・・ああ、そうですか。これは面白いですね。その妊婦についていえば縄文の土偶は、全部

妊婦なんです。成年の女性で、腹が大きい。これが一つめの特徴です。二つめは顔がみな異様

な形をしていることです。ミミズク形とか円筒型とかハート型とか、いずれにしてもこの世の人の顔

ではない。三つめは腹に縦一文字の筋がある。へこんでいるのも盛り上がってるのもあるんです

けどね。四つめはみんな手足や胴体がバラバラになっていて、完全なものは一つもない、壊して

ある。最後は総てに当てはまるものではありませんが、丁寧に埋葬してあるものもある。この五つ

の特徴がある。



その土偶の意味が長い間解らんかったですが、ハル婆ちゃんにアイヌの葬法について聞きますと、

妊婦を埋葬するのがいちばん難しいと言うんです。というのは、子供が産まれるというのは新しく

生まれるのではなくて、祖先の誰かが帰って来たということなんです。だから子供が出来ると、あの

世のA家とB家の祖先が相談して、誰を帰すか決める。で、決まったら妊婦の腹に入って、月が満

ちて生まれて来る。とすると、妊婦が死ぬとせっかく先祖の人がこの世へ帰ってきたのに、閉じ籠

められて出られないということになる。これは大きなタタリになる。ですから妊婦が死ぬといったん

葬り、後に霊を司るお婆さんが墓に行き、妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦にその子を抱か

せて葬るということを聞いたんです。



そういうアイヌの話から土偶を見ると、「妊婦」「異様な顔」(死者の顔)「腹を縦に割る」(赤子を取り

出す)「バラバラにする」(この世で不完全なものはあの世で完全という思想)「丁寧に埋葬されてい

る」という条件が総て当てはまる。こういうことをある雑誌に書きましたら、福島県の方から手紙を

頂いて、福島の方では明治の頃までは、死んだ妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦に抱かせ

て、藁人形を添えて葬るという風習があり、それが法律に触れたといって裁判になったというエッセ

イを送って頂いたんです。この話を聞いて、この縄文の風習が日本の本州でまだ残っていたことに

驚きました。土偶は藁人形と同じ役割をしているに違いありません。だから土偶は妊婦が死んだ

場合に用いたものだということに間違いありません。ですから先生のお話をお聞きしますと、殷でも

妊婦が特別な役割をする。殷で妊婦の腹を叩くというのは、縄文の妊婦の腹を切るという風習と

繋がるのではないでしょうか。



この風習が、弥生時代になるとなくなるんですよ。入墨がなくなるのと同じようになくなるんです。

やっぱりこれは生まれ変わりなんですよ。この世の人があの世に行って、生まれ変わって来る。

縄文時代の思想では子孫となって生まれ変わって来る。ところが弥生時代になると、甕棺なんか

見ますと、個人の遺体を腐らぬように保存しようとしている。子孫として生まれ変わるのなら個人

の遺体は保存しなくてもいいんです。遺体は霊の脱ぎ捨てる着物に過ぎない。ところが弥生時代

になると屍を大事にする。これは個人の不死という考え方ですよ。これ中国から来た思想だと思

いますけどね。ですから妊婦の話を聞きますと、ひょっとしたら殷の時代にもあるんじゃないかと

思いますね。





2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ)

(大きな画像)



土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。



今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の

高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。



今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって

知ったことだが)。



殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が

刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。



アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を

取り出し母親に抱かせた。



それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。



また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の

時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。



このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い

悲しみと再生の祈りが込められていると記している。



「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。



縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。



過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。




 

2012年5月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




「縄文のビーナス」 2012年4月国宝に指定 (写真は他のサイトより引用)



高さが45センチもあるこの土偶は約4500年前のものと言われており、縄文時代

土偶の中では最大級のものです。



平成4年、山形県舟形町の西ノ前遺跡から出土したこのビーナス、その造形美に

は心打たれるものがあります。



縄文時代に思いを馳せ、このビーナスを作った人のことを想像してみたいものです。




(K.K)





Camera artist casts new light on Jomon millennia | The Japan Times



APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年6月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「巨大な化け物に立ち向かう光の戦士」・・・自宅にて撮影



ギリシャ神話のなかで、ペルセウスアンドロメダ姫を助けるときに利用したメドゥーサは、見たものを石に

変える目と毒蛇の髪をもつ怖ろしい存在として語られてきました。



これに対して興味深い思索があります。「森を守る文明・支配する文明」安田喜憲著から引用しますが、

5月7日に投稿した「縄文のビーナス」に見られるように、土偶の全てが大きな目を持っていたわけでは

ないと思います。しかし、安田氏(京都大学教授)の視点はギリシャ神話とは全く異なった古代の世界観、

その視点をこの現代に問いかけているのではないでしょうか。それはメドゥーサの蛇に関しても同じこと

が言えるのだと思います。



☆☆☆☆



この森の生命と同じように、人間の生命もまた死してのち、再生したいという願いが、目に対する信仰を

生み、巨大な目の土偶を作り、メドゥーサの伝説を生んだのである。



私たちをじっと見つめる巨大な土偶の目やメドゥーサの目には、森のこころが語られていたのである。



それは、古代の人々が森に囲まれて生活してことと深くかかわっていると思う。



古代の人々が深い森に囲まれて生活していた頃、自分たちをじっと見つめる大地の神々の視線を感じた。



その森が語りかけるこころに対して、人々は畏敬の念を込めて、巨大な目を持った像を造形したのである。



大地の神々の住処である森。



しかし、こうした人間を見つめる目を持った像は、ある時期を境にして作られなくなり、あげくの果てには

破壊される。



メドゥーサが神殿の梁からゴロリと落とされ、イースター島のモアイが引き倒され、三星堆の青銅のマスクが

破壊され、燃やされた時、そして縄文の土偶が作られなくなった時、それは森が激しい破壊をこうむったり、

消滅した時でもあった。



森がなくなり森のこころが失われた時、人々は自分たちを見つめる巨大な目を持った像を作らなくなった

のである。



私は、その時に一つの時代が終わった気がする。



森のこころの時代の終焉である。日本では、縄文時代に3000年以上にわたって作り続けられた巨大な

目を持つ土偶が、弥生時代に入ると突然作られなくなる。



その背景には、森と日本人との関係の変化が深くかかわっていたと考えざるえない。



弥生時代の開幕は、大規模な森林破壊の開始の時代でもあった。



水田や集落の拡大の中で、平野周辺の森は破壊されていった。



こうした森の破壊が進展する中で、縄文人が抱いていた森のこころが次第に失われていったのであろう。



☆☆☆☆




(K.K)




美に共鳴しあう生命







夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

祈りの散文詩集

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実


美に共鳴しあう生命