「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る
梅原猛 著 佼成出版社
本書 はじめに より引用
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ね、初めから聖人であることを認めた上で書くというやり方です。今の視点から見ている。しかし 僕は「儒教」というものがどういう風に成立して来たのか、という社会思想的なものとして捉えた かった。この思想そのものがいかにして成立して来たのか、どうして孔子という人物が古典期を 代表するような思想家となりえたのか、という問題を正面において考えた訳です。 大体、孔子自身が自分で聖人ではないと言うておるんですよ、人が自分をそう評価したと言うこと を聞いてね。彼自身は宗教的な存在になろうという気持ちはないんですね。むしろ『論語』とか他 の資料を見ていくと、彼自身は変革を望んで何回か試みた。そして挫折した。 もしかれが成功しておれば一人の政治家で終わっただろうと思います。ところが彼は最後まで失敗 して、流浪の生活をして、惨憺たる生涯ですわな。だからそういう生涯自体が一つの思想になりま す。そしてあの儒教というような一つの思想体系を組み立てるようになった。つまり彼の人格的な 求心力というものが、多くの弟子を招き寄せた。儒教の思想というのは、実際にはその弟子たちに よって構成されたのです。核心になるところは孔子が言ったことですが、それを儒教的な体系に 組織したのは弟子たちです。これはキリスト教と一緒です。本人はそう大したことは言うておらん (笑)。 しかし何か時代を変革する力を求めねばならん。あの時代はね、主君が力を失うて、その下の 連中が力を持つ「僭主性」の時代ですね。孔子が「われはそれ東周をなさんか」というのは、この 僭主制度をうち倒すということであった。だから弟子たちを使って色々な政治活動を行うのですが、 孔子は政治家ではありませんからことごとく失敗するんです。しかし失敗するたびに、人間的な 理解は深くなり、その教えは広くなっていくのです。すぐれた弟子たちもやって来るし、そうして儒教 教団というものが成立するんです。
ものは葬礼をやって来た民であるということ。それから「儒」という字から、儒家は雨請いもしたの ではないかと言っておられますね。「儒」というものはどういう意味でしょうね。 白川・・・上に「雨」がありますが、下の「而」は実は「人」の形、頭に髷を着けない人の形。頭髪を 結び上げていない。普通なら結び上げてここへ「こうがい」を通してまとめる。そうすると「夫」という 字になる。これ、「而」は「こうがい」がないので、特殊な姿をしているんです。「儒」というのは、服装 も姿も違う。雨請いの時に、この連中がやるもんだから、儒というのは本来は「雨を求める人」と いう意味です。で、雨が降ったら「濡」れる。だから儒家というのは、大体そういう巫祝の出身です ね。これは中国に限らんことですが、日照りが続くと巫祝などを焚殺する。だから殷の湯という王 さまは、日照りが三年続いた時にね、自分がその役をやりましょうと、薪を積み上げてその上に 座って、火を付けようとしたところ、沛然として雨が降った。殷が滅びて宋の時代になっても、やは り日照りの時に王さまがそういうことをやっている。こういうように「儒」というのは、雨請いの時に 焚殺される身分の人々のことなんですね。
も、妊婦を叩くんだから、何か呪的な行為としての意味があったんでしょうね。それを廟中、御霊 屋で行う字形もある。妊婦の持っている特別な力を作用させるために、妊婦を叩く。「殷」というの は「盛んな」、「激しい」とか「破壊」、血が出る場合には「万里朱殷たり」という風に、万里血染めに なるという。だから非常に激しい意味を持った字ですね。 梅原・・・ああ、そうですか。これは面白いですね。その妊婦についていえば縄文の土偶は、全部 妊婦なんです。成年の女性で、腹が大きい。これが一つめの特徴です。二つめは顔がみな異様 な形をしていることです。ミミズク形とか円筒型とかハート型とか、いずれにしてもこの世の人の顔 ではない。三つめは腹に縦一文字の筋がある。へこんでいるのも盛り上がってるのもあるんです けどね。四つめはみんな手足や胴体がバラバラになっていて、完全なものは一つもない、壊して ある。最後は総てに当てはまるものではありませんが、丁寧に埋葬してあるものもある。この五つ の特徴がある。 その土偶の意味が長い間解らんかったですが、ハル婆ちゃんにアイヌの葬法について聞きますと、 妊婦を埋葬するのがいちばん難しいと言うんです。というのは、子供が産まれるというのは新しく 生まれるのではなくて、祖先の誰かが帰って来たということなんです。だから子供が出来ると、あの 世のA家とB家の祖先が相談して、誰を帰すか決める。で、決まったら妊婦の腹に入って、月が満 ちて生まれて来る。とすると、妊婦が死ぬとせっかく先祖の人がこの世へ帰ってきたのに、閉じ籠 められて出られないということになる。これは大きなタタリになる。ですから妊婦が死ぬといったん 葬り、後に霊を司るお婆さんが墓に行き、妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦にその子を抱か せて葬るということを聞いたんです。 そういうアイヌの話から土偶を見ると、「妊婦」「異様な顔」(死者の顔)「腹を縦に割る」(赤子を取り 出す)「バラバラにする」(この世で不完全なものはあの世で完全という思想)「丁寧に埋葬されてい る」という条件が総て当てはまる。こういうことをある雑誌に書きましたら、福島県の方から手紙を 頂いて、福島の方では明治の頃までは、死んだ妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦に抱かせ て、藁人形を添えて葬るという風習があり、それが法律に触れたといって裁判になったというエッセ イを送って頂いたんです。この話を聞いて、この縄文の風習が日本の本州でまだ残っていたことに 驚きました。土偶は藁人形と同じ役割をしているに違いありません。だから土偶は妊婦が死んだ 場合に用いたものだということに間違いありません。ですから先生のお話をお聞きしますと、殷でも 妊婦が特別な役割をする。殷で妊婦の腹を叩くというのは、縄文の妊婦の腹を切るという風習と 繋がるのではないでしょうか。 この風習が、弥生時代になるとなくなるんですよ。入墨がなくなるのと同じようになくなるんです。 やっぱりこれは生まれ変わりなんですよ。この世の人があの世に行って、生まれ変わって来る。 縄文時代の思想では子孫となって生まれ変わって来る。ところが弥生時代になると、甕棺なんか 見ますと、個人の遺体を腐らぬように保存しようとしている。子孫として生まれ変わるのなら個人 の遺体は保存しなくてもいいんです。遺体は霊の脱ぎ捨てる着物に過ぎない。ところが弥生時代 になると屍を大事にする。これは個人の不死という考え方ですよ。これ中国から来た思想だと思 いますけどね。ですから妊婦の話を聞きますと、ひょっとしたら殷の時代にもあるんじゃないかと 思いますね。
を見て、そして山の茂み、あそこの谷の具合、あそこの森の深さ、という風にね、色々山の美しい 姿を描写的に、数え上げるようにして歌ってゆく。これが「賦」なんです。その歌うことによってね、 単に歌うのが目的ではなくて、歌うことによってその対象の持っておる内的な生命力というものを、 自分と共通のものにする、自分の中へ取り入れる。 例えば、病気になったという場合にね、大河の流れの凄まじい姿だとか、海の波打つ姿だとかね。 花の咲き乱れる姿だとか、こういうものを文学的に色々美しく歌い上げる。それによってその病気 を治すというやり方があるんですよ。これが「賦」の文学。色んなものを歌い上げてね、歌い上げた 言葉の力でそういう歌われたものと、いわば霊的に交通する力が生まれて、それがこっちの方に 作用して、病気が治るというね。そういうものが本来の「賦」なんです。
さん出て来るんです。道徳的な考え方、思想性のあるものがね、たくさん出て来る。思想とか道徳 とかが、詩篇の中で成熟していく訳ですね。そういうものが、楽師集団が宴会の時とかに歌います からね。知識社会に詩人たちの発言が浸透する。そういう風にして思想が形成されていく。 日本の古代の民謡には、そういう思想を形成する基盤になるような歌謡が殆どなかった。柿本 人麻呂の中にも思想性を持つものはあんまりなかった。山上憶良なんかはいくらか作っておるけ どね。 そもそも『万葉集』自体が社会生活の中で広く伝承されるようなものではなく、殊に最終の四巻は 大伴家持の日記みたいなもので、大伴家に残されておって、大友家が何か疑獄事件で被疑者に なって、家宅捜索された時に見つかった。もしそれがなかったらね、『万葉集』は伝わらなかった かも知れない。そういう私的な性格のものであった。 そもそも中国の『詩経』はね、貴族社会の中で、宴会ごとに一定の詩を演奏し、また希望する詩篇 を楽師に演奏させて、そしてその思想を確かめながら伝承していった。だから中国における思想の 形成は、僕は『詩』の世界から出て来ておると思う。 梅原・・・そこがね、日本の『万葉集』と違う点ですね。政治詩・社会詩の欠如、これは日本文学の 大きな問題です。日本と中国は一衣帯水というけれど、非常に文化が違うんです。『万葉集』には 自然の呪力を歌ったものはある、それから恋愛の歌もある。しかし政治詩・社会詩が殆どない。 政治詩は長歌でないと出来ない。長歌は人麻呂と憶良ぐらいで終わりです。憶良は長歌でも君主 や国家に対する批判ではない。家持は藤原権力に対する批判を持った人だけど、結局最後は 挫折して自然の世界に慰めを求めた歌人で、四季の歌をたくさん作っている。 『古今集』を編集した紀氏というのは藤原氏に滅ぼされた氏族なんですけど、『古今集』の時代には 完全に力を失っていて、政治は藤原氏に任せて、自分たちは文学に生きようとする。『古今集』は 初めの六巻は春夏秋冬の自然詩。自然を歌っているようで実は恋を詠んでいるんですがね。それ から純粋な恋の詩が十一巻から十五巻。『古今集』には政治的色彩が殆どなく、それと同時に長歌 も殆どなくなって、あっても駄作です。私はそこに非常に大きな日本文学と中国文学の違いを感じ るんです。これはずーっと今の文学の情況にまで引き継がれていると思うんですよ。現代日本文学 にもやはり社会的な文学、政治的な文学というのは殆どない。 やはり私小説。恋愛とかばかりで、それが純文学と言われている。こういう情況がずっと続いてい る。これはいいことか悪いことか解りませんけどね。それほど日本は平和なんですね。しかし何ら かの社会的な、政治的な発言をしなければ、文学は意味を持たないのではないかと思うんです。 (中略) 白川・・・日本からみると中国人は政治的人間であるというけれども、しかし日本人の方が政治的 なものの欠如状態であってね。むしろ、そういうものを充足しなければならない。政治がなければ 社会は有り得ないんだから。みんなが個人の中に籠もってしまったら、社会形成そのものが出来 ない。社会生活がある以上、政治的なものは必ずある訳ですから、文学もそういうものに分野を 広げていかなければね、これが日本文学の宿命だということでは済まされないと思う。
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目次
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2015年8月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 アイヌ民族や世界の先住民、特にアメリカ先住民(インディアン)の文献に多く触れてきたためか、国の同化政策により部族の言語を 失うことがどれほど悲痛なことか。 言語の消滅はその部族の伝統文化の消滅を意味している。 そしてその痛みを分からない日本人があらゆる分野のトップに就こうとしている。 以前にも書いたが日本語は世界的にみても希有な言語である。 祖語があり、そこから枝分かれした西欧の言語とは違い、日本語はさまざまな言語が融合した世界にも類がない言語。 この独特な言語が、日本独自の感性を養ってきた要因の一つであることは容易に推察できる。 勿論、他言語との架け橋として英語の大切さは言うまでもないが、それは自己の言語に誇りを持った上での話である。 2018年からの小学校では、将来的に「英語で討論・交渉できること」を目指した実践的な英語教育が始まるそうである。 文科省といい企業のトップといい、言語という自己を育んできた存在に対しての無知さが垣間見えてならない。 つい最近、日本の漢文学者・古代漢字学で著名な故・白川静さんの「常用字解」という辞書を購入したが、漢字にはこんな意味が あったのかと本を開くたびに自分の無知を痛感させられ、また新たな発見の驚きがある。 多くの人に日本語そして漢字の素晴らしさを改めて感じてもらいたい、その上で必要としている人は英語を勉強してほしいと 願っている。 追記 2017年6月1日 「英語化は愚民化」施光恒・著 同化政策の悲劇を知らない悲しい日本人 を参照されたし。 |
2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年3月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 4月16日に投稿した円空の像、もっと知りたいと思い「歓喜する円空」梅原猛著を読みました。 江戸初期1632年、岐阜県に生まれた円空は、兵庫から北海道まで足を伸ばして、大地の異変を鎮め、 人間ばかりかすべての衆生を救うために12万体の仏像を彫ります。 円空は縄文時代からの神と仏教を習合させた修験者でしたが、その生涯は常に衆生救済を目的とし、 64歳のときに長良川畔にて入定しました。 入定とは土中の石室などに入り、掘り出されずに埋まったままの即身仏のことを言います。 長良川畔を入定の地として選んだのは、洪水の害を防ごうとする円空の強い意志を示しており、それ は彼の生母が洪水で死んだという梅原氏の仮説を裏づけるものだそうです。 また土地の人々は長良川に大水が出ると円空の霊が蛇となって現われ、避難を勧めるという言い伝 えがあります。 現代の前衛芸術を凌駕する円空仏像に見られる感性、そして和歌に見られる神々と遊ぶ子どもの ような円空の魂、私は円空に魅せられてしまいました。 この文献で心に残った箇所を下に紹介しようと思います。 ☆☆☆☆ ◎円空は私にとってもはや一人の芸術家にすぎない存在ではない。むしろ彼は私に神仏習合思想の 深い秘密を教える哲学者なのである。 ◎『円空歌集』の和歌には「楽」「喜」「歓」という言葉がしばしば登場する。私は円空の思想の中心は 生きている喜び、楽しみを礼賛することであると思う。それはまさに神々の清らかな遊びである。 ◎私はあえて言いたい。今回、円空の歌集を西行の『山家集』とともに読んだが、西行の歌より円空 の歌の方により強い感銘を覚えた。円空の歌を西行の歌と比較するなど、とんでもないことであると 多くの人は言うかもしれない。たしかに歌としては西行の歌の方がはるかに巧みである。また、円空 の歌には誤字や脱字があり、「てにをば」も誤っている。にもかかわらず、円空の歌には今までどの ような日本人の歌にも見られない雄大な世界観が脈打っている。まるで超古代人の声が聞こえてく るようである。 ◎「祭るらん 産の御神も 年越へて 今日こそ笑へ 小児子(ちごのね)ノ春」(一一七三) 春になり年が明けた。今日こそ産土(うぶすな)の神を祀って、大いに笑おう、子どもたちよ。 良寛のように子どもたちと無心に遊んでいる円空の姿が目に浮かぶようである。この笑いの精神は 空海の精神に結びつく。私は若い時、人生を不安・絶望の相に見る実存哲学から自己を解放する ために「笑いの哲学」なるものを構想し、笑いを価値低下という概念で考えたが、笑いはそのような 概念で解釈されるべきものではない。その時はまだ私は空海の言う「大笑」というものをよく理解し ていなかった。今ようやく円空を通じて空海の「大笑」の意味が少しは理解できるようになったので はないかと思う。 ◎「老ぬれは 残れる春の 花なるか 世に荘厳(けだかけ)き 遊ふ文章(たまづさ)」(一四二一) これは今の私の心境をぴたりと表したものである。円空がこの歌を作ったのは六十歳頃であると思 われるが、私はそれよりさらに二十年の歳をとり、八十歳を超えた。そのような老人にも春があるの である。私はまだ花を咲かせたい。学問の花、芸術の花を咲かせたい。学問や芸術はしょせん遊び なのである。遊びのない学問や芸術はつまらない。作者が無心になって遊んでいるような学問や芸 術なくして、どうして人を喜ばせることができようか。円空の仏像制作は地球の異変を鎮め、人間ば かりかすべての衆生を救うためであった。菩薩は人を救うことを遊びとしている。私もこの歳になって ようやく菩薩の遊び、円空の遊びが分ってきた。その遊びは荘厳なる遊びでもある。遊びと荘厳、そ れはふつうは結びつかない概念であるが、それが結びついたところに円空の芸術の秘密があろう。 ☆☆☆☆ (K.K) |
2012年3月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年4月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ) (大きな画像) 実物の「縄文のヴィーナス」はこちら 土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。 今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の 高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。 今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって 知ったことだが)。 殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が 刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。 アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を 取り出し母親に抱かせた。 それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。 また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の 時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。 このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い 悲しみと再生の祈りが込められていると記している。 「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。 縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。 過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。 |