「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る

梅原猛 著 佼成出版社


 







本書 はじめに より引用

「奇人・梅原猛は、大奇人・白川静に会いたがっていた」がこのものがたりの発端。「白川静」は

「梅原猛」にとって、「○○君」と呼んでくれる現在唯一の師であり、大先輩であるが、学問の場面

での二人の出会いは、この「対談」が初めてである。このことは以外に知られていない。



この「対談」は、梅原猛の“夢”が実現した一書である。それ故、梅原猛はなるべく白川静から、

その学問・思想を引き出したいと、この場面では「聞く人」となった。梅原猛の“問”に、白川静は

“答”を出す。的確に出す。



第一回めの「対談」では、二人の立命館大学における出会いから、「高橋和己」を核として思い出

語へと入り、高橋和己の『わが解体』の“あの時代”へタイムスリップ。そして「漢字のものがたり」。



いささかリラックスした、二度めの対談では、こちらも大奇人「孔子」という人物にぐっと、迫る。

孔子をカタる時、梅原猛には、いささかの想いがあった。梅原猛は白川静に聞く。白川静が孔子

を愛する理由を。それは、「流浪の民としての孔子」、「葬送を司る者としての孔子」、「巫女の私

生児としての孔子」への深い愛情であった。同時に深い哀しみであった。梅原猛は、実は同じ想

いを「孔子」に抱いていた。二人は打ち溶けてゆく。



さらに三度めの対談では『詩経』という書物に籠められた「興の精神」が二人を繋いでゆく。「興」

とは、人が神に捧げる呪的行為であった。「興」は歌が呪物であることを教えてくれる。例えばこ

んな風である。「歌が病を治す呪力を持つことを誰が知っていよう。それはむつかしいことでは

ない、花が美しいと思ったら、それを歌えばいい。すると病は癒えるであろう」。



この本に収められた三つの対談は、梅原猛をコーフンさせた。そのコーフンが読者に“感動”とし

て伝わる。昔むかしの哀しく切ない美しいものがたりを背景に、白川静の学問と思想は、鎮魂呪術

者・梅原猛の中で、妖しく咲く。


 



以下本書より抜粋引用



白川・・・日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核と

する絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。



梅原・・・私もそう思います。それは大事なことです。しかも私の仮説だけど、その神聖王朝という

のは異民族を含まないと出来ないような気がしますね。異民族を支配するには絶対、文字が要る。

私は長江文明をずっとやっているんですけど、長江流域に高い文化があったのは間違いないんで

すが、ところがそこには文字がないんですよ。それはやっぱり異民族を含まなかったからではない

かという気がするんですね。異民族を含んで、巨大な国家が出来ないと、文字は出来ない。



白川・・・神聖王朝というと、そういう異民族の支配をも含めて、絶対的な権威を持たなければなら

んから、自分が神でなければならない。神さまと交通出来る者でなければならない。神と交通する

手段が文字であった訳です。これは統治のために使うというような実務的なものではない。神との

交通の手段としてある。。甲骨文の場合、それは神に対して、「この問題についてどうか」という風

に聞きますが、神は本当に返事をする訳じゃありませんから、自分が期待出来る答が出てくるま

でやって、「神も承諾した」ということにして、やる訳です。



白川・・・中国の思想史・精神史においては古典的な「聖人の系譜」というものがあって、従来は

ね、初めから聖人であることを認めた上で書くというやり方です。今の視点から見ている。しかし

僕は「儒教」というものがどういう風に成立して来たのか、という社会思想的なものとして捉えた

かった。この思想そのものがいかにして成立して来たのか、どうして孔子という人物が古典期を

代表するような思想家となりえたのか、という問題を正面において考えた訳です。



大体、孔子自身が自分で聖人ではないと言うておるんですよ、人が自分をそう評価したと言うこと

を聞いてね。彼自身は宗教的な存在になろうという気持ちはないんですね。むしろ『論語』とか他

の資料を見ていくと、彼自身は変革を望んで何回か試みた。そして挫折した。



もしかれが成功しておれば一人の政治家で終わっただろうと思います。ところが彼は最後まで失敗

して、流浪の生活をして、惨憺たる生涯ですわな。だからそういう生涯自体が一つの思想になりま

す。そしてあの儒教というような一つの思想体系を組み立てるようになった。つまり彼の人格的な

求心力というものが、多くの弟子を招き寄せた。儒教の思想というのは、実際にはその弟子たちに

よって構成されたのです。核心になるところは孔子が言ったことですが、それを儒教的な体系に

組織したのは弟子たちです。これはキリスト教と一緒です。本人はそう大したことは言うておらん

(笑)。



しかし何か時代を変革する力を求めねばならん。あの時代はね、主君が力を失うて、その下の

連中が力を持つ「僭主性」の時代ですね。孔子が「われはそれ東周をなさんか」というのは、この

僭主制度をうち倒すということであった。だから弟子たちを使って色々な政治活動を行うのですが、

孔子は政治家ではありませんからことごとく失敗するんです。しかし失敗するたびに、人間的な

理解は深くなり、その教えは広くなっていくのです。すぐれた弟子たちもやって来るし、そうして儒教

教団というものが成立するんです。



梅原・・・それからもう一つ面白かったのは、先生が先ほどおっしゃっていましたが、儒家という

ものは葬礼をやって来た民であるということ。それから「儒」という字から、儒家は雨請いもしたの

ではないかと言っておられますね。「儒」というものはどういう意味でしょうね。



白川・・・上に「雨」がありますが、下の「而」は実は「人」の形、頭に髷を着けない人の形。頭髪を

結び上げていない。普通なら結び上げてここへ「こうがい」を通してまとめる。そうすると「夫」という

字になる。これ、「而」は「こうがい」がないので、特殊な姿をしているんです。「儒」というのは、服装

も姿も違う。雨請いの時に、この連中がやるもんだから、儒というのは本来は「雨を求める人」と

いう意味です。で、雨が降ったら「濡」れる。だから儒家というのは、大体そういう巫祝の出身です

ね。これは中国に限らんことですが、日照りが続くと巫祝などを焚殺する。だから殷の湯という王

さまは、日照りが三年続いた時にね、自分がその役をやりましょうと、薪を積み上げてその上に

座って、火を付けようとしたところ、沛然として雨が降った。殷が滅びて宋の時代になっても、やは

り日照りの時に王さまがそういうことをやっている。こういうように「儒」というのは、雨請いの時に

焚殺される身分の人々のことなんですね。



白川・・・殷は商の蔑称ですからね。扁は身重の形。旁は「叩く」。どういう意味か解らんけれど

も、妊婦を叩くんだから、何か呪的な行為としての意味があったんでしょうね。それを廟中、御霊

屋で行う字形もある。妊婦の持っている特別な力を作用させるために、妊婦を叩く。「殷」というの

は「盛んな」、「激しい」とか「破壊」、血が出る場合には「万里朱殷たり」という風に、万里血染めに

なるという。だから非常に激しい意味を持った字ですね。



梅原・・・ああ、そうですか。これは面白いですね。その妊婦についていえば縄文の土偶は、全部

妊婦なんです。成年の女性で、腹が大きい。これが一つめの特徴です。二つめは顔がみな異様

な形をしていることです。ミミズク形とか円筒型とかハート型とか、いずれにしてもこの世の人の顔

ではない。三つめは腹に縦一文字の筋がある。へこんでいるのも盛り上がってるのもあるんです

けどね。四つめはみんな手足や胴体がバラバラになっていて、完全なものは一つもない、壊して

ある。最後は総てに当てはまるものではありませんが、丁寧に埋葬してあるものもある。この五つ

の特徴がある。



その土偶の意味が長い間解らんかったですが、ハル婆ちゃんにアイヌの葬法について聞きますと、

妊婦を埋葬するのがいちばん難しいと言うんです。というのは、子供が産まれるというのは新しく

生まれるのではなくて、祖先の誰かが帰って来たということなんです。だから子供が出来ると、あの

世のA家とB家の祖先が相談して、誰を帰すか決める。で、決まったら妊婦の腹に入って、月が満

ちて生まれて来る。とすると、妊婦が死ぬとせっかく先祖の人がこの世へ帰ってきたのに、閉じ籠

められて出られないということになる。これは大きなタタリになる。ですから妊婦が死ぬといったん

葬り、後に霊を司るお婆さんが墓に行き、妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦にその子を抱か

せて葬るということを聞いたんです。



そういうアイヌの話から土偶を見ると、「妊婦」「異様な顔」(死者の顔)「腹を縦に割る」(赤子を取り

出す)「バラバラにする」(この世で不完全なものはあの世で完全という思想)「丁寧に埋葬されてい

る」という条件が総て当てはまる。こういうことをある雑誌に書きましたら、福島県の方から手紙を

頂いて、福島の方では明治の頃までは、死んだ妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦に抱かせ

て、藁人形を添えて葬るという風習があり、それが法律に触れたといって裁判になったというエッセ

イを送って頂いたんです。この話を聞いて、この縄文の風習が日本の本州でまだ残っていたことに

驚きました。土偶は藁人形と同じ役割をしているに違いありません。だから土偶は妊婦が死んだ

場合に用いたものだということに間違いありません。ですから先生のお話をお聞きしますと、殷でも

妊婦が特別な役割をする。殷で妊婦の腹を叩くというのは、縄文の妊婦の腹を切るという風習と

繋がるのではないでしょうか。



この風習が、弥生時代になるとなくなるんですよ。入墨がなくなるのと同じようになくなるんです。

やっぱりこれは生まれ変わりなんですよ。この世の人があの世に行って、生まれ変わって来る。

縄文時代の思想では子孫となって生まれ変わって来る。ところが弥生時代になると、甕棺なんか

見ますと、個人の遺体を腐らぬように保存しようとしている。子孫として生まれ変わるのなら個人

の遺体は保存しなくてもいいんです。遺体は霊の脱ぎ捨てる着物に過ぎない。ところが弥生時代

になると屍を大事にする。これは個人の不死という考え方ですよ。これ中国から来た思想だと思

いますけどね。ですから妊婦の話を聞きますと、ひょっとしたら殷の時代にもあるんじゃないかと

思いますね。



白川・・・しかし「賦」という文字の本質から言いますとね。「賦」というのは、例えば山の美しい姿

を見て、そして山の茂み、あそこの谷の具合、あそこの森の深さ、という風にね、色々山の美しい

姿を描写的に、数え上げるようにして歌ってゆく。これが「賦」なんです。その歌うことによってね、

単に歌うのが目的ではなくて、歌うことによってその対象の持っておる内的な生命力というものを、

自分と共通のものにする、自分の中へ取り入れる。



例えば、病気になったという場合にね、大河の流れの凄まじい姿だとか、海の波打つ姿だとかね。

花の咲き乱れる姿だとか、こういうものを文学的に色々美しく歌い上げる。それによってその病気

を治すというやり方があるんですよ。これが「賦」の文学。色んなものを歌い上げてね、歌い上げた

言葉の力でそういう歌われたものと、いわば霊的に交通する力が生まれて、それがこっちの方に

作用して、病気が治るというね。そういうものが本来の「賦」なんです。



白川・・・「大雅」・「小雅」には政治詩・社会詩が多いんですね。その中から格言的な言葉がたく

さん出て来るんです。道徳的な考え方、思想性のあるものがね、たくさん出て来る。思想とか道徳

とかが、詩篇の中で成熟していく訳ですね。そういうものが、楽師集団が宴会の時とかに歌います

からね。知識社会に詩人たちの発言が浸透する。そういう風にして思想が形成されていく。



日本の古代の民謡には、そういう思想を形成する基盤になるような歌謡が殆どなかった。柿本

人麻呂の中にも思想性を持つものはあんまりなかった。山上憶良なんかはいくらか作っておるけ

どね。



そもそも『万葉集』自体が社会生活の中で広く伝承されるようなものではなく、殊に最終の四巻は

大伴家持の日記みたいなもので、大伴家に残されておって、大友家が何か疑獄事件で被疑者に

なって、家宅捜索された時に見つかった。もしそれがなかったらね、『万葉集』は伝わらなかった

かも知れない。そういう私的な性格のものであった。



そもそも中国の『詩経』はね、貴族社会の中で、宴会ごとに一定の詩を演奏し、また希望する詩篇

を楽師に演奏させて、そしてその思想を確かめながら伝承していった。だから中国における思想の

形成は、僕は『詩』の世界から出て来ておると思う。



梅原・・・そこがね、日本の『万葉集』と違う点ですね。政治詩・社会詩の欠如、これは日本文学の

大きな問題です。日本と中国は一衣帯水というけれど、非常に文化が違うんです。『万葉集』には

自然の呪力を歌ったものはある、それから恋愛の歌もある。しかし政治詩・社会詩が殆どない。

政治詩は長歌でないと出来ない。長歌は人麻呂と憶良ぐらいで終わりです。憶良は長歌でも君主

や国家に対する批判ではない。家持は藤原権力に対する批判を持った人だけど、結局最後は

挫折して自然の世界に慰めを求めた歌人で、四季の歌をたくさん作っている。



『古今集』を編集した紀氏というのは藤原氏に滅ぼされた氏族なんですけど、『古今集』の時代には

完全に力を失っていて、政治は藤原氏に任せて、自分たちは文学に生きようとする。『古今集』は

初めの六巻は春夏秋冬の自然詩。自然を歌っているようで実は恋を詠んでいるんですがね。それ

から純粋な恋の詩が十一巻から十五巻。『古今集』には政治的色彩が殆どなく、それと同時に長歌

も殆どなくなって、あっても駄作です。私はそこに非常に大きな日本文学と中国文学の違いを感じ

るんです。これはずーっと今の文学の情況にまで引き継がれていると思うんですよ。現代日本文学

にもやはり社会的な文学、政治的な文学というのは殆どない。



やはり私小説。恋愛とかばかりで、それが純文学と言われている。こういう情況がずっと続いてい

る。これはいいことか悪いことか解りませんけどね。それほど日本は平和なんですね。しかし何ら

かの社会的な、政治的な発言をしなければ、文学は意味を持たないのではないかと思うんです。



(中略)



白川・・・日本からみると中国人は政治的人間であるというけれども、しかし日本人の方が政治的

なものの欠如状態であってね。むしろ、そういうものを充足しなければならない。政治がなければ

社会は有り得ないんだから。みんなが個人の中に籠もってしまったら、社会形成そのものが出来

ない。社会生活がある以上、政治的なものは必ずある訳ですから、文学もそういうものに分野を

広げていかなければね、これが日本文学の宿命だということでは済まされないと思う。




美に共鳴しあう生命


 


目次


対談1 ト文・金文 漢字の呪術



「白川静」の学問 異端の学から先端の学へ

「万葉集」と「詩経」 甲骨文と殷王朝

三つの文化 文身・子安貝・呪霊

神聖王とト占 神と人との交通

「道」と異族 悪魔祓い

殷の神秘世界 周の合理主義的社会

殷以前 「夏」・「南」・・・民族移動

長江中流 彭頭山文化

再び長江中流 屈家嶺文化

黄河の神 洪水神・共工

サイとホコ 「存在」、キヨめられたもの

玉の文化 j・璧・鉞

青銅器の文化 呪鎮

呪鎮と稲作 土器と銅器

漢字の日本的変容 百済人の発明・訓読

和文調の漢文読み 「和語」を活かす

孔子・葬送の徒 墨子・工人集団

蘇東披と陶淵明 「白川静」は三人?

立命館と高橋和己 「捨子物語」と「六朝期の文学論」

長生の術 百二十歳の道



対談2 孔子 狂狷の人の行方



和辻哲郎の「孔子」 白川静の「孔子伝」

陽虎・孔子の師? 近くて遠い人

孟子・鄒衍・荀子・韓非子 「斉」の国へ

孔子と墨子 職能集団、葬送と技術

孔子と雨請い 髷結わず

巫女の私生児 行基菩薩

殷から周 羌人と姜性四国

荘・老 「荘子」・神々のものがたり

「論語」から禅宗へ 語録の伝統

「楚辞」 残された神話

中国の神話 奪われたものがたり

南人の神話 

殷と日本 沿海族の俗

兄妹・姉弟のタブー 近親婚の俗

死・再生の思想 鳥が運んだものがたり



対談3 詩経 興の精神



楽師集団と「詩経」 伝承された「風」「雅」「頌」

「詩経」の発想法・表現法 「賦・比・興」

「興」という漢字 両手で酒を注ぐ象

草摘みの呪術 願事成就の仕草

「雅」の民族 「隹(ふるとり)」が潜んでいる

魚と鳥、空と海 陰陽的概念

「関雎」の位置が語るもの 「万葉」の雄略歌の意味

「碩鼠」の人々 ユートピア「日本」へ渡った?

「十月之交」・十と七の謎 幽王元年・紀元前七八〇年

国が滅びる時 古代的概念から生まれ出る文学

「旱麓」・「大雅」の「興」 人麻呂の宮廷歌

殷と日本と・・・周の農業 稗・粟・小麦・・・米作?

怨霊と守護霊 殷人の末裔・宋人と海幸彦の末裔・隼人と

古型を残す「周頌」 周鐘を鳴らし歌い上げる







2015年8月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





アイヌ民族や世界の先住民、特にアメリカ先住民(インディアン)の文献に多く触れてきたためか、国の同化政策により部族の言語を

失うことがどれほど悲痛なことか。



言語の消滅はその部族の伝統文化の消滅を意味している。



そしてその痛みを分からない日本人があらゆる分野のトップに就こうとしている。



以前にも書いたが日本語は世界的にみても希有な言語である。



祖語があり、そこから枝分かれした西欧の言語とは違い、日本語はさまざまな言語が融合した世界にも類がない言語。



この独特な言語が、日本独自の感性を養ってきた要因の一つであることは容易に推察できる。



勿論、他言語との架け橋として英語の大切さは言うまでもないが、それは自己の言語に誇りを持った上での話である。



2018年からの小学校では、将来的に「英語で討論・交渉できること」を目指した実践的な英語教育が始まるそうである。



文科省といい企業のトップといい、言語という自己を育んできた存在に対しての無知さが垣間見えてならない。



つい最近、日本の漢文学者・古代漢字学で著名な故・白川静さんの「常用字解」という辞書を購入したが、漢字にはこんな意味が

あったのかと本を開くたびに自分の無知を痛感させられ、また新たな発見の驚きがある。



多くの人に日本語そして漢字の素晴らしさを改めて感じてもらいたい、その上で必要としている人は英語を勉強してほしいと

願っている。








2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



フィリピンの刑務所に服役している方が作った聖母マリア像で大切にしているものです。



随分前のテレビでブッダの足跡を追ったNHKの番組があり、梅原猛さんと瀬戸内寂聴さんが解説して

おられた。晩年のブッダが母親の故郷だったか亡くなった場所を目指していたのではないかとの問い

に、瀬戸内寂聴さんは「それはありません。ブッダはそれを超えた目的のために向かった」と話してお

られましたが、梅原猛さんは瀬戸内寂聴さんに対して「いや、仏陀の心の奥深くにはそれがあった」と

言っておられたのが強く印象に残っています。



ブッダ、そして梅原猛さんも生まれて1週間後に母を亡くしています。宗教学者の山折哲雄さんは梅原

猛さんのことを次ぎのように記しています。



「仏教にたいする梅原さんの心情の奥底には、母恋いの気持が隠されている。それは微かに沈殿して

いるときもあるが、激流となってほとばしることもある。梅原さんがしばしば語っているように、それは養

父母に育てられた体験からきているのかもしれない。とりわけ、母上に早く死なれてしまった辛い体験

が、その後の梅原さんの思想の形成に大きな影を落としているためなのであろう。その深い喪失感が、

梅原さんの文章に切迫した気合いをみなぎらせ、その言葉に美しいリズムを生みだす源になっている

のだと思う。」



ブッダ、そして梅原猛さんは同じ喪失感を味わったものだけしか理解しあえない次元で繋がっているの

かも知れません。



勿論、瀬戸内寂聴さんの「仏教塾」は万人に理解できる言葉で仏教を紹介している素晴らしい文献です

が、それと同様に梅原猛さんの「梅原猛の授業 仏になろう」はユーモアを交えながらも奥の深さを感じ

ます。また手塚治虫が書いた漫画「ブッダ」と共に、今読み始めている「超訳 ブッダの言葉」小池龍之介

・翻訳もそのような優れたものなのかも知れません。



私は読んだことはありませんが、当時の日本の哲学界の重鎮であった西田幾太郎や田辺元を梅原猛

さんは評価しながらも批判をしています。



「西田・田辺の精神はよろしい。西洋哲学と東洋哲学を総合して、今後の人類に生きる道を示すような

独創的な哲学を立てるという精神には大賛成です。だけど、もっとやさしく語れ、もっと事実に即して語れ

というのが、私の学生時代からの西田先生、田辺先生に対する批判です。」



専門家向けに書かれた本なら専門用語を駆使して書くことは当然かも知れません。しかし万人を対象と

するとき、敢えて難しい言い回しや専門用語を使うことは、自らの学問の使命を忘れているのではと感じ

てなりません。勿論私の読解力のなさがそう思わせている面もあるのですが、学問は人類に限らず地球

や地球に生きるもののためのものであるはずです。学問を自分自身の名声・名誉や金銭、社会的地位

を得るための手段としてしか捉えられない者は、哲学であれ科学であれ道を踏み外しているように思い

ます。



「母の愛を象徴化したような観音やマリア崇拝が、宗教の根源ではないか」と梅原猛さんは言っています

が、梅原猛さんが母の慈愛を観音様に重ね合わせるように、私は聖母マリアに重ね合わせているので

しょう。



ただ児童虐待などで母の慈愛を感じらずに育った子供たちは、物心がつくまえに母を亡くした方と同じよ

うな喪失感が横たわっているのかもしれません。



(K.K)



 

 


2012年3月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



火焔型土器(縄文土器)の真価を初めて発見した岡本太郎



私は読んでいませんが、岡本太郎著「画文集・挑む」1977年、岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号

「縄文土器論」の中で、「太陽の塔」で有名な芸術家、故・岡本太郎氏は次ぎのように記しています。



☆☆☆☆



○「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不

思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。何だろう。・・・・

縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があっ

たのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃え

あがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己

発見でもあったのだ。」



○「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと

執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を

主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」



☆☆☆☆



この縄文時代の火焔型土器は、岡本太郎氏より前に多くの考古学者や人類学者が目にしてき

ました。彼らは刻まれた文様などの解釈に悩んでいたのだと思います。しかし彼らの頭の中では

論理的思考しか働いておらず、土器が持つ「生命力」を感じることが出来ずにいました。この火焔

型土器(縄文土器)の再発見のいきさつを思うと、左脳の論理的思考だけでは真実は見えてこな

い、右脳の創造性や直感も如何に大事かを教えてくるのではと思います。この意味での「平衡感

覚」が「在るべき人間」に備わっていると私は感じます。



先に紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、「光の画家」として知られるフェルメール(1632年か

ら1675年)の作品に独自の解釈をした文献も出されているようです。学者の中でもこのような平衡

感覚が備わっている方はいますが、「在るべき人間」とは、知能や知識などで判断されるものでは

決してないと思います。



誰が話したか覚えていませんが、「毎朝、妻の寝顔を見ると、新しい女がいつもそこに眠っている」

という感覚。縄文人にとっては、一日一日が美や創造の再発見であったのかも知れません。



最後に私が尊敬する哲学者・梅原猛氏の岡本太郎氏に関する記述を紹介して終わりにします。

これは「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」梅原猛著からの引用です。



☆☆☆☆



この縄文土器の美を発見したのは、前にも述べたように岡本太郎氏である。美というのは、すで

に存在しているものであるが、やはりそれは誰かによって見い出されるものである。日本の仏像

の美を見い出したのは、フェノロサや岡倉天心であったし、木喰(もくじき)や円空(えんくう)の仏像

や民芸の美を見い出したのは柳宗悦なのである。縄文土器もそれまで、数多くの人が見ていたは

ずであるが、それが美であり、芸術であるとはっきり宣言するのには、やはり岡本太郎氏の前衛

芸術によって養われた審美眼を待たねばならなかった。



☆☆☆☆




(K.K)



 

 


2012年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



知里幸恵(ちり ゆきえ)1903年〜1922年



知里幸恵さんは、「アイヌ神謡集」を完成させたその夜に心臓発作のため19歳の生涯を閉じる。

それはカムイユカラを「文字」にして後世に残そうという金田一京助からの要請を受け、東京の

金田一宅で生活していた時のことであった。



私は今までインディアンのことを知ろうとしたが、今振り返るとそれは自分が全く安全な場で考え、

思いを巡らせることに安住していたのかも知れないと思うことがある。



私が18歳の時、北海道各地を一人旅したのだが、阿寒湖の近くのお土産屋さんで興味半分に

「ここはアイヌの人が住んでいるんですか?」と聞くと、女性の店員は警戒したような様々な感情

が入り混じった眼で一瞬私を睨んだ。



私はその時、自分がアイヌに関して何も知らず、そして彼らが辿ってきた歴史に何か隠された

ものがあると感じ、そんな軽はずみな質問をした自分を恥ずかしく感じたことを思い出す。



アイヌや奄美・沖縄が辿った苦難の歴史、それはインディアンと違い、自分は安全な場で考え、

思いを巡らせることはできないのかも知れない。何故なら私の祖先が加害者や被害者、そして

無関心という傍観者として何らかの形でアイヌ・蝦夷と沖縄に関わってきたのは事実なのである

から。



アイヌ文化を研究してきた金田一京助、しかし日本人の基層であるアイヌ・縄文文化を滅び行

く文化として葬り去ったのは金田一京助本人かも知れない。



最後に知里幸恵さんの言葉を紹介して終わりにします。



☆☆☆☆



平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は

町に次第々々に開けてゆく。



太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの

民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たちの同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはる

ばかり、しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝き

は失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらね

ばならぬ。



あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たち

は持っているのでしょう。



時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の

私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる

日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座い

ます。 



「アイヌ神謡集」知里幸恵より抜粋引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





4月16日に投稿した円空の像、もっと知りたいと思い「歓喜する円空」梅原猛著を読みました。



江戸初期1632年、岐阜県に生まれた円空は、兵庫から北海道まで足を伸ばして、大地の異変を鎮め、

人間ばかりかすべての衆生を救うために12万体の仏像を彫ります。



円空は縄文時代からの神と仏教を習合させた修験者でしたが、その生涯は常に衆生救済を目的とし、

64歳のときに長良川畔にて入定しました。



入定とは土中の石室などに入り、掘り出されずに埋まったままの即身仏のことを言います。



長良川畔を入定の地として選んだのは、洪水の害を防ごうとする円空の強い意志を示しており、それ

は彼の生母が洪水で死んだという梅原氏の仮説を裏づけるものだそうです。



また土地の人々は長良川に大水が出ると円空の霊が蛇となって現われ、避難を勧めるという言い伝

えがあります。



現代の前衛芸術を凌駕する円空仏像に見られる感性、そして和歌に見られる神々と遊ぶ子どもの

ような円空の魂、私は円空に魅せられてしまいました。



この文献で心に残った箇所を下に紹介しようと思います。



☆☆☆☆



◎円空は私にとってもはや一人の芸術家にすぎない存在ではない。むしろ彼は私に神仏習合思想の

深い秘密を教える哲学者なのである。



◎『円空歌集』の和歌には「楽」「喜」「歓」という言葉がしばしば登場する。私は円空の思想の中心は

生きている喜び、楽しみを礼賛することであると思う。それはまさに神々の清らかな遊びである。



◎私はあえて言いたい。今回、円空の歌集を西行の『山家集』とともに読んだが、西行の歌より円空

の歌の方により強い感銘を覚えた。円空の歌を西行の歌と比較するなど、とんでもないことであると

多くの人は言うかもしれない。たしかに歌としては西行の歌の方がはるかに巧みである。また、円空

の歌には誤字や脱字があり、「てにをば」も誤っている。にもかかわらず、円空の歌には今までどの

ような日本人の歌にも見られない雄大な世界観が脈打っている。まるで超古代人の声が聞こえてく

るようである。



◎「祭るらん 産の御神も 年越へて 今日こそ笑へ 小児子(ちごのね)ノ春」(一一七三)

春になり年が明けた。今日こそ産土(うぶすな)の神を祀って、大いに笑おう、子どもたちよ。

良寛のように子どもたちと無心に遊んでいる円空の姿が目に浮かぶようである。この笑いの精神は

空海の精神に結びつく。私は若い時、人生を不安・絶望の相に見る実存哲学から自己を解放する

ために「笑いの哲学」なるものを構想し、笑いを価値低下という概念で考えたが、笑いはそのような

概念で解釈されるべきものではない。その時はまだ私は空海の言う「大笑」というものをよく理解し

ていなかった。今ようやく円空を通じて空海の「大笑」の意味が少しは理解できるようになったので

はないかと思う。



◎「老ぬれは 残れる春の 花なるか 世に荘厳(けだかけ)き 遊ふ文章(たまづさ)」(一四二一)

これは今の私の心境をぴたりと表したものである。円空がこの歌を作ったのは六十歳頃であると思

われるが、私はそれよりさらに二十年の歳をとり、八十歳を超えた。そのような老人にも春があるの

である。私はまだ花を咲かせたい。学問の花、芸術の花を咲かせたい。学問や芸術はしょせん遊び

なのである。遊びのない学問や芸術はつまらない。作者が無心になって遊んでいるような学問や芸

術なくして、どうして人を喜ばせることができようか。円空の仏像制作は地球の異変を鎮め、人間ば

かりかすべての衆生を救うためであった。菩薩は人を救うことを遊びとしている。私もこの歳になって

ようやく菩薩の遊び、円空の遊びが分ってきた。その遊びは荘厳なる遊びでもある。遊びと荘厳、そ

れはふつうは結びつかない概念であるが、それが結びついたところに円空の芸術の秘密があろう。



☆☆☆☆




(K.K)



 


2012年3月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「生命とは自己複製を行うシステムである」



私の机の上に置いてある鉄腕アトム。小学生の頃、胸をワクワクしながらテレビの画面に魅入って

いた。アトムは「ひょっこりひょうたん島」のダンディと並んで、これからもずっと私のヒーローであり

続けるだろう。



アトムはロボットだが、生命(生物)とは何だろうとその定義を探してみた。生物学では「生命とは自己

複製を行うシステム」だが、この定義だとアトムは生物になる可能性がある。勿論、生物学で言って

いるこの自己複製の意味はDNAのことなのだが、アトムほどの人工知能があれば、別の意味で自分

の複製を作り続けることは可能のような気がする。またこの意味とは別に、この生命の定義に何か

釈然としないものを感じていた。



最近、分子生物学者の福岡伸一さんの本を読んだが、この生命の定義に対して同じ疑問を感じて

おられ、また他に多くのことを教えてくれた。福岡さんはベストセラーになった「生物と、無生物のあ

いだ」
「動的平衡」など沢山の本を出されているが、その中に生命とはという定義を次のように書

いている。



「生命とは動的平衡にある流れである」



今アトムを見つめる私は、1年前と同じ私のままである。しかしその身体を作る細胞は絶えず自己

複製をしながら、1年前とは全て違う分子で出来ている。生命とは、「その流れがもたらす『効果』で

あるということだ。生命現象とは構造ではなく『効果』なのである」(『動的平衡』より引用)。



この定義だとアトムは生命(生物)ではない。



でも、もしアトムが目の前に現れたら、私は人間(生物)と同じと感じるかも知れない。確かにその

身体は金属の構造で出来ており「動的平衡にある流れ」ではないが、アトムは美と共鳴する何か

を持っている。美それは創造主・神と置き換えてもいいかも知れない。



私たち生物にしろ、ロボットにしろ、それは同じ素粒子(クォーク)から出来ている。これ以上分解

できない単子が素粒子なのだが、この素粒子の正体は振動ではないかと最近の量子力学は捉

えている。



銀河系や太陽系が出来る遥か以前、或いは宇宙創生の頃の素粒子の振動は形を変えずに現在

も保持され続ける性質を持ったものだろうか。



そして私の身体を作っている素粒子、その振動は何を記憶しているのだろうとも考えてしまう。振動

と記憶を結びつけて考えること自体滑稽であり、自分の頭がますますおかしくなっているのではとさ

え思う。



ただ



美(創造主・神)と素粒子という二つの振動が共鳴しあっていたとしたら。

共鳴し合いながら、長い時間をかけて生物の多様性を形作ってきたとしたら。



机の上にちょこんと立っているアトムを見ると、小学生の頃テレビや漫画で見たアトムにも美(創造

主・神)に共鳴するものが宿っていると感じてしまうのだ。



最後に、私は量子力学を勉強したわけでもなく、ただ自分の想いや願いに同調する言葉だけを捉え

て無理に結び付けようとする危険性を犯していますので、一人の狂人の笑い話と捉えていただけた

ら幸いです。



☆☆☆☆



哲学者・梅原猛さんの言葉(「アイヌの霊の世界」藤村久和著より)を紹介して終わりにします。



「人間にたいする愛情のない学問というものはつまらないものだ。

どこかはずれているのだ。」



☆☆☆☆



(K.K)



 


2012年4月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



ダウン症の女流書家【金澤翔子】の活動とパソコン教室日記 より引用



「ことだま」 金澤翔子さん・書 写真は他のサイトより引用



「ことだま」という言葉の響きにずっとひかれていた。



言葉というものは体の中から外の世界へ吹きだされる風、その風に乗ってつむぎだされていく。



昔の人はこの言葉に霊力があると感じてたが、そのように捉える感性を私は忘れてしまってい

るように感じる。



言葉に霊力があるから、決して嘘をついてはいけない。



これはアイヌインディアン世界の先住民族に共通する捉え方だったように思う。



しかし、私から吐き出される言葉から嘘が時どき出てしまう。



相手のことを考えた「いい嘘」もあれば、そうでない「わるい嘘」もある。



金澤翔子さんが書いた「言霊」に接すると、本来の言葉のもつ霊力を感じ、立ち戻らなければ

と感じてしまう。



(K.K)



 


2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ)

(大きな画像)

実物の「縄文のヴィーナス」はこちら



土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。



今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の

高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。



今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって

知ったことだが)。



殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が

刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。



アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を

取り出し母親に抱かせた。



それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。



また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の

時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。



このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い

悲しみと再生の祈りが込められていると記している。



「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。



縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。



過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。










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