2012年3月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
「生命とは自己複製を行うシステムである」
私の机の上に置いてある鉄腕アトム。小学生の頃、胸をワクワクしながらテレビの画面に魅入って
いた。アトムは「ひょっこりひょうたん島」のダンディと並んで、これからもずっと私のヒーローであり
続けるだろう。
アトムはロボットだが、生命(生物)とは何だろうとその定義を探してみた。生物学では「生命とは自己
複製を行うシステム」だが、この定義だとアトムは生物になる可能性がある。勿論、生物学で言って
いるこの自己複製の意味はDNAのことなのだが、アトムほどの人工知能があれば、別の意味で自分
の複製を作り続けることは可能のような気がする。またこの意味とは別に、この生命の定義に何か
釈然としないものを感じていた。
最近、分子生物学者の福岡伸一さんの本を読んだが、この生命の定義に対して同じ疑問を感じて
おられ、また他に多くのことを教えてくれた。福岡さんはベストセラーになった「生物と、無生物のあ
いだ」や「動的平衡」など沢山の本を出されているが、その中に生命とはという定義を次のように書
いている。
「生命とは動的平衡にある流れである」
今アトムを見つめる私は、1年前と同じ私のままである。しかしその身体を作る細胞は絶えず自己
複製をしながら、1年前とは全て違う分子で出来ている。生命とは、「その流れがもたらす『効果』で
あるということだ。生命現象とは構造ではなく『効果』なのである」(『動的平衡』より引用)。
この定義だとアトムは生命(生物)ではない。
でも、もしアトムが目の前に現れたら、私は人間(生物)と同じと感じるかも知れない。確かにその
身体は金属の構造で出来ており「動的平衡にある流れ」ではないが、アトムは美と共鳴する何か
を持っている。美それは創造主・神と置き換えてもいいかも知れない。
私たち生物にしろ、ロボットにしろ、それは同じ素粒子(クォーク)から出来ている。これ以上分解
できない単子が素粒子なのだが、この素粒子の正体は振動ではないかと最近の量子力学は捉
えている。
銀河系や太陽系が出来る遥か以前、或いは宇宙創生の頃の素粒子の振動は形を変えずに現在
も保持され続ける性質を持ったものだろうか。
そして私の身体を作っている素粒子、その振動は何を記憶しているのだろうとも考えてしまう。振動
と記憶を結びつけて考えること自体滑稽であり、自分の頭がますますおかしくなっているのではとさ
え思う。
ただ
美(創造主・神)と素粒子という二つの振動が共鳴しあっていたとしたら。
共鳴し合いながら、長い時間をかけて生物の多様性を形作ってきたとしたら。
机の上にちょこんと立っているアトムを見ると、小学生の頃テレビや漫画で見たアトムにも美(創造
主・神)に共鳴するものが宿っていると感じてしまうのだ。
最後に、私は量子力学を勉強したわけでもなく、ただ自分の想いや願いに同調する言葉だけを捉え
て無理に結び付けようとする危険性を犯していますので、一人の狂人の笑い話と捉えていただけた
ら幸いです。
☆☆☆☆
哲学者・梅原猛さんの言葉(「アイヌの霊の世界」藤村久和著より)を紹介して終わりにします。
「人間にたいする愛情のない学問というものはつまらないものだ。
どこかはずれているのだ。」
☆☆☆☆
(K.K)
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