「大酋長フィリップ王」

消されたアメリカ・インディアン

加藤恭子著 春秋社










1620年12月、メイフラワー号で上陸した巡礼始祖たちは最初の困窮

した状況の中で人数が半減し50名を残すのみだった。その彼らを助

けたのがワムパノアグ族の酋長であるマサイットであった。この頃の

白人とインディアンの関係は友好的なものであり、1621年の秋、感謝

祭の際にもマサイットは多くの食料を持参して列席した。しかし、入植

者が急激に増加しインディアンの土地を売るように要求するだけに止

まらず、インディアン文化に対する侮辱、強引なキリスト教の布教や、

インディアンに不利な裁判などでインディアンの白人に対する反感は

膨れ上がっていた。マサイットの子どもであるメタカム(フィリップ王)

はそれでも白人との友好関係を続けていくことに苦心していたが、

彼の心を邪推した白人の仕返しにメタカム(フィリップ王)は遂に立ち

あがる。この書は多くの文献や残存する記録、そして著者自身が彼

の足跡を追いながら記したメタカム(フィリップ王)の生涯の物語であ

り、フィリップ王の魂の叫びを聴くことが出来る書である。

(K.K)







「フィリップ王戦争」は、開拓民とインディアンの戦いであるだけでは

なかった。キリスト教の神とインディアンの神々の争いでもあった。

多くの開拓民にとって、弾丸と祈りは心理的に同じものであった。

砦にこもった彼ら、平原を行進する彼ら(開拓民)はあくまでも信じ

る。「そこから(砦から)われわれは祈りと弾丸を発射したのである。

両方とも同時に」


そして、事実、大精霊、コウタントウィットは敗北したのである。もし

フィリップの霊が南西の楽園の休息を受け入れられないとしたら、

「砦」でもない、「椅子」でもない。この湿地帯にこそ彷徨すると思わ

れる。「英雄となるためには、より白い皮膚ともったましな成功を必

要とした」と言われたフィリップである。おそらくは、天才的な武将で

も政治家でもなかった。だが、誇り高く、インディアン文化への信頼

において、彼はりっぱに「王」であった。石を玉座としようとも、熊皮

が王衣であろうとも、熊脂で焼いた指二本大のパン・ケーキが宮廷

の正餐であろうとも、フィリップは偉大な王であった。哀惜がこみあ

げてきて、三百年の昔、彼の血を吸った湿地に立ったまま、私は

眼を閉じた。「南無・・・・・」思いがけない音が唇にのばった。驚い

た私は、ぱっと眸を開いた。秋の木漏れ陽が足もとの水に落ち、

キラキラ光った。開拓民の神と大精霊、そこへ私の仏を持ち込ん

で、私は何を混乱させようとしていたのだろうか。(本書より)





アメリカ合衆国の歴史は、一言でいうならば、白人側から書かれた歴史である。

歴史とは、過去に起こったすべてを採録するものではない。歴史家たちによって

取捨選択され意味づけられたものを、後世のわれわれは読ませられているわけ

だ。外国の歴史に関しては、なおさらそういうことになる。アメリカの植民地時代

史に限っても、白人の側から書かれたということは、その視野からの選択がすで

になされたことを意味する。17世紀を実際に生きた人間にとっては重要な事件

なり、人物なりが、こぼれ落ちているかもしれない可能性を秘めている。事実、

アメリカ史は、インディアン問題を無視、もしくは必要以上に軽く扱っている。ロー

マを語るにあたってシーザーの名が不可欠であるように、植民地時代のインディ

アン問題を語るときに真っ先に取り上げられるべきある人物の名は、ほとんど何

の注目を浴びてはこなかった。


白人種の側からではない歴史に眼をむけようとする者は、支配する側に立った

人種と、される側に立った人種との矛盾、偏見、そして闘争に直面しなければ

ならない。そして、支配する側に立った人種のそれは、彼らが勝利を収めたと

いう事実の故に、ことさらいちじるしくみえる。私はアメリカのあら捜しをするため

にこの仕事を始めたわけではない。そこで十数年の歳月を過ごした私にとって

は、アメリカとは、多くの矛盾と問題を抱え込んだそのままの形で、かけがえの

ない友なのである。この仕事にあたって、インディアンの血をひいた一人の女性

の献身的な協力を除いては、インディアン側からの助力は、求めたけれども得ら

れなかった。有形無形の援助は、すべて白人種の側からきた。しもかかわらず、

私がアメリカ史の埋もれた部分にメスを入れようとするのは、「友人」をよく知りた

いからである。理想化された形においてではなく、ありのままの姿を、である。


しかしメスを入れたいために始めたというのも、私の場合、正確ではない。イン

ディアン研究もまた、土地が与えてくれた“産物”の一つだったのである。ニュー・

イングランドに住まなかったら、私は決してこの仕事に引きずり込まれなかったで

あろう。その意味で、ニュー・イングランドの葛藤を描くものになるにもかかわら

ず、私はこの作品を愛する土地へ捧げたいのである。なおこの作品は、「消され

た大酋長----アメリカ建国のかげに」と題して、1974年(昭和49年)に朝日新

聞社から出版された。17年後の今日、春秋社から再度の機会を与えられたこと

は、著者としてこの上ない喜びである。また、それなりの思い出がある旧版の題

だったが、今回、変えていただいた。大酋長とアメリカ・インディアンを結びつける

読者が、この17年間に減少したのではないかと思われるからである。

(本書 はじめに より抜粋引用)



目次

はじめに


第一章 フィリップ王戦争の謎

第二章 メイフラワー号上陸

第三章 誤解

第四章 ニュー・イングランドは誰のものか?

第五章 戦争か従属か

第六章 フィリップの決意

第七章 開戦

第八章 フィリップの急襲

第九章 幻に怯える開拓民

第十章 大湿地帯の戦闘

第十一章 インディアン王の最期

第十二章 終結


あとがき

参考文献







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