未来をまもる子どもたちへ




散文詩「見果てぬ夢」

1991年9月に書き、俳句雑誌「多羅葉」に掲載。



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「見果てぬ夢」




君は感じたことがあるかい

永遠と思われるほどの時空を超えて

君の黒い瞳を突き射す星々の瞬きを

僕たちが婚姻の祝杯をあげた丁度その時

ウォルフ359の星から船出したダイアモンドの輝きが

七年という孤独な暗い旅を経て

今まさに僕たちの目に飛び込むその瞬間

光の塊は弾け二人を過去に引きもどす



君は覚えているかい

長崎の黒島という小さな島に向かう船の中で

水しぶきがキラキラと舞い

僕と君の間に横たわっていた乾いた心を潤し

希望という種をまいたことを

もしこの小船に足を踏み入れることがなかったら

君は今頃違う屋根の下で暮らしていたかも知れない

それ程

この黒島への旅は奇跡としか思えないものだった



二人は確信した

この結婚を神は祝福してくれていると



その昔 迫害に追われた人たちは

どのような想いでこの海を見つめたのだろう

船はゆっくりと海と戯れる光と共に

海面を滑っていった



底知れぬ海の深さに似て

僕の嘆きはどれ程心の奥底に沈んでいったか

渡り鳥よ

何故僕を引き上げ天空へと導いてくれなかったのか  

お前たちは月明かりのない暗黒の洋上でも

ただ星を指標として飛び続けることができるではないか

若かりし僕は

その満天の輝きが我が身を突き射しても

心は震えず

水沫のように消え去った

あれから幾度緑なる星は

日輪への軌跡を刻み続けたことだろう

いつしか僕は君と巡り合い夢を見るようになった



君はまだ耳に残っているかい

街灯の白い炎が僕たちの足許を照らし

冷気ある静寂が二人を包容した時

僕は湧き出る想いを歌った

それは騎士遍歴の唄だった



夢は稔り難く

敵は数多なりとも

胸に悲しみを秘めて

我は勇みて行かん

道は極め難く

腕は疲れ果つとも

遠き星をめざして

我は歩み続けん

これこそは我が宿命

汚れ果てし この世から

正しきを救うために

如何に望み薄く 遥かなりとも

やがて いつの日か光満ちて

永遠の眠りに就く時来らん

たとえ傷つくとも

力ふり絞りて

我は歩み続けん

あの星の許へ

(福井峻訳「見果てぬ夢」騎士遍歴の唄)

(1985刊 「ラ・マンチャの男」パンフより)



そんな僕に君は真実の鏡を見せてくれた

そこに映し出されたのは醜いアヒル

騎士は騎士であることを捨てた

虚空と無念の翼を拡げて

アヒルは現実の世界へと旅立った

しかし

何を目指して飛べばいいのだろう

僕は感じた

このままでは永遠に牢獄に閉じ込められてしまうと



君は打ち拉がれた騎士に向かい

訴えた

あなたはドン・キホーテでいい

そして私はこれからサンチョ・パンサになる



冷気ある静寂の中でいつしか僕たちは

天空にきらめく星たちの懐に抱かれていた




祈りの散文詩集

「西海の天主堂」を参照されたし






映画「ラ・マンチャの男」DVDより

 


「見果てぬ夢」

 映画「ラ・マンチャの男」CDより


「見果てぬ夢」騎士遍歴の唄







夢は稔り難く (ゆめはみのりがたく)

敵は数多なりとも (てきはあまたなりとも)

胸に悲しみを秘めて (むねにかなしみをひめて)

我は勇みて行かん (われはいさみてゆかん)

道は極め難く (みちはきわめがたく)

腕は疲れ果つとも (うではつかれはつとも)

遠き星をめざして (とおきほしをめざして)

我は歩み続けん (われはあゆみつづけん)

これこそは我が宿命 (これこそはわがさだめ)

汚れ果てし この世から(けがれはてし このよから)

正しきを救うために (ただしきをすくうために)

如何に望み薄く 遥かなりとも (いかにのぞみうすくはるかなりとも)

やがて いつの日か光満ちて (やがていつのひかひかりみちて)

永遠の眠りに就く時来らん (とわのねむりにつくとききたらん)

たとえ傷つくとも (たとえきずつくとも)

力ふり絞りて (ちからふりしぼりて)

我は歩み続けん (われはあゆみつづけん)

あの星の許へ (あのほしのもとへ)



(福井峻訳「見果てぬ夢」<騎士遍歴の唄>)

(1985刊 「ラ・マンチャの男」パンフより)


 
 


Gustave Dore Gustave Dore Gallery Index


Gustave Dore Gustave Dore Gallery Index





2012年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



モーリス・ズンデル神父(1897-1975)



昨年の12月21日に簡単にモーリス・ズンデル神父の言葉を紹介しましたが、神父はそのユニーク

な思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。私は神父の生涯を振り返ると映画「ラ・

マンチャの男」を思い出さずにはいられません。



「ラ・マンチャの男」は「ブラザー・サン シスター・ムーン」と共に私の宝物ですが、「ラ・マンチャの

男」の主人公セルバンテスは公衆の面前で教会批判の演劇をし、従者サンチョと共に投獄され、

宗教裁判にかけられます。



獄中で裁判を待つ間、他の囚人がセルバンテスが大事にしていた脚本を燃やそうとしたとき、

セルバンテスは弁明を求めます。



この弁明が「ドン・キホーテ」で、この物語の登場人物の役を囚人一人一人に与え、演劇を通して

自身の潔白を訴えていく物語です。



映画の主題歌「見果てぬ夢」も素晴らしく、いつまでも心に響いてやまない作品です。



話を元に戻しますが、もしズンデル神父が中世に生きていたら、間違いなくセルバンテスと同じ

ように異端として宗教裁判にかけられていたことでしょう。



しかし彼の視点はどこから産まれたのか、それはもしあると仮定するならば、あらゆる宗教の下

に共通の地層(泉)、そこにまで彼自身の根っこが伸びていたのではないかと感じてなりません。



ズンデル神父に限らず他の宗教の偉大な魂はこの根源的な地層(泉)まで自身の根っこを伸ば

しており、その宗教をより洗練されたものへ深めていった。



ズンデル神父で言えば、聖書の言葉に新たな生命を吹き込んだとでも言えるのかも知れません

が、それは聖書の言葉を文字通りに受け取るのではなく、その背後にある真意を汲み取ること

ができたとでも言っていいかも知れません。



勿論、この共通の地層(泉)が本当にあるかどうか私にはわかりません。



ただ、これからも既存の宗教や世界の先住民たちの偉大な魂は、この地層(泉)に触れ、私たち

に新たな生命を吹き込んでいくように感じてなりません。



最後にモーリス・ズンデル神父の言葉を紹介しますが、ズンデル神父がヴァチカンの黙想指導に

招かれたのは死の3年前のことでした。



☆☆☆☆



聴くこと! 何よりも貴い、何よりも稀な、しかし、何よりも必要な行為。いのちの深淵をあかしし

てくれるのは、ただ沈黙だけである。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2013年5月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





ダンテ「神曲」(挿画 ギュスターブ・ドレ 訳・構成 谷口江里也 JICC より写真引用)



多くの男性にとって、初恋の女性は永遠の恋人かも知れません。



ダンテとベアトリーチェは挨拶の言葉しか交わしたことがありませんでしたが、ダンテは彼女に恋焦がれます。



結局彼女は他の男性と結婚し24歳の若さで亡くなりますが、ダンテはその痛手を癒すため、彼女を「神曲」の中に

登場させ永遠の存在として描こうとしました。



私の本当の初恋は高校時代の同じクラスの女性でしたが、ダンテと同じように挨拶をするくらいで、それ以上の

言葉は出せませんでした。



初恋、それは切ない思い出と同時に、当時のみずみずしい感覚を呼び覚ましてくれるものかも知れません。



ところで、挿画を描いたギュスターブ・ドレですが、最初に出会った「ドン・キホーテ」と同様に「神曲」の挿画も

感銘を受けるものでした。



☆☆☆☆



それ浮世の名声は、今こなたに吹き、今かなたに吹き、そのところを変えるによりて名を変えうる風の

一息にほかならず。



ダンテ



☆☆☆☆




 

2016年5月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「聖テレジアの法悦」


ローマ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598〜1680年)作


アビラの聖女テレサ(聖テレジア)、彼女が生まれた1515年はルネッサンスや宗教改革などの

激動の時期でした。



あるべき修道院の姿を希求した彼女は宗教裁判にかけられ投獄、書いた詩なども焼却されますが、

その後の彼女は16世紀におけるカトリック教会改革の原動力となっていきます。



現在でもカトリック神秘霊性の最高峰と言われる彼女の著作「霊魂の城」、その源となったのは、天使が

焼けた金の矢で彼女の心臓を貫いた時に感じた神への燃えるような愛でした。



ベルニーニによる像「聖テレジアの法悦」、天使が彼女を矢で射る像、その時の彼女の顔(写真は

他のサイトより引用)だけを撮ったものです。



宗教裁判や異端審問、話は変わりますが、これを題材にしたミュージカル映画「ラ・マンチャの男」

(ピーター・オトゥール、ソフィア・ローレン主演)は今でも私にとっては大切な宝物です。



真の「改革」とは、魂の奥底から突き上げてくる、自身の感情や知性などという自我を超えた次元

から、もたらされるものかも知れません。





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1959年1月10日







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