ルルドの奇跡を映画化した「聖処女」で聖女ベルナデッタ を好演技した、Jennifer Jones。映画の場面より 名匠ヘンリー・キングが贈る、奇跡の聖女、ベルナデットの生涯 (DVDより引用) ナポレオン三世の第二帝政期、フランス、ピレーネ山中の寒村ルルド。ある日、貧しい農夫 の娘ベルナデットは村はずれの洞窟で聖母マリアに出会った。それから無心に祈りを捧げ に洞窟へ通うベルナデット。しかし村人や家族でさえもその話を信じようとはせず、人々を 惑わすという罪で役人に捕えられてしまう。そんな最中のある日、ベルナデットの祈りの場 所で泉が湧き上がり、その水が人々の病気を癒す、という奇跡が起き始める・・・・。
現在でも多くの巡礼者が訪れる「ルルドの泉」を造った少女ベルナデット。その短い生涯を 「慕情」の名匠ヘンリー・キングが壮大な映像叙情詩に仕上げている。1943年度アカデミー賞 では「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンを退け、清らかで美しいジェニファー・ジョーンズ が主演女優賞に輝いた他、見事5部門を受賞した名作である。(モノクロ作品)
<キャスト&スタッフ>
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ルルドの泉 「聖母マリアの奇蹟 メジュゴリエ ファチマ ルルド」菅井日人・著 グラフィック より引用。
Confraternity of Saint Joan of Arc より引用
TV Lourdes - Le direct avec la vie de Sanctuaires Notre-Dame de Lourdes Lourdes(ルルドの生中継の映像)
Serviteurs de Jesus et de Marie
聖ベルナデッタ(1844〜1879) 以下の紹介は「聖人たちの生涯」池田敏男著 中央出版社より引用
「神は知恵者を辱しめるために世の愚かな者を選び、強い者を辱しめるために、世の弱い 者を選ばれた」(コリント書1の27)。フランスのルルドで聖母のご出現をうけたベルナデット の生涯にも右の聖パウロのことばがあてはまる。貧しい労働者の家庭に育ち、6歳のときか ら呼吸はぜん息で困難だったし、胃は病弱、14歳までは読み書きさえできない内気な少女 だった。できることといえば羊の番やタキギ拾いくらいのもの。この少女が聖母のお選びを うけ、教会史上を飾る偉大な聖女となったのである。
ベルナデッタは、1844年(弘化元年)にフランスはルルド市ラパカ町のボリーという水車小屋 で生まれた。父は名をフランソワ・スビルスといい、麦粉を製造していた。母のルイズ・カステロー は、きれい好きで、まめに働き、思いやり深い人であった。その年の7月、母がふたたび懐胎し たので、幼いベルナデッタは、バルテレスの乳母のもとに1年2ヶ月あまり預けられた。両親は 共に信心深く、家族そろって祈りもしたし、ミサにもあずかった。ベルナデッタもよく祈り、おおら かな気持ちで家の貧しさやぜん息にたえ、いつもにこにこしていた。家では弟妹たちにいじめら れることがあった。弟妹は貧しさの故に、とうもろこしのパンを食べさせられているのに、病弱な ベルナデッタだけには、白パンや砂とうの入ったぶどう酒を与えられていたからである。しかし ベルナデッタは、よくそれにたえ、時にはねだられるままに、自分の食べ物を弟妹に分配するこ ともあった。
羊飼いとなったベルナデッタは、メダイやロザリオや聖画をポケットに忍ばせて、暇さえあれば それを取り出して祈っていた。また貧しい家計を手伝うため、ベルナデッタは、妹のトワネットや 他の貧しい娘たちといっしょに紙を拾ったり、古鉄を集めたり、ボロを見付けたりして、カゴがいっ ぱいになると、古物商のところへもっていって金にかえ、その金を必ず母に手渡した。
1858年、14歳の2月11日、妹ととなりの娘と三人づれで、近くのガーヴ川の岸辺にタキギを 拾いに行った。ベルナデッタがサボ(木靴)をぬいで、薪の多い向こう岸に渡ろうと、ためらって いるあいだに、他の二人はもう川を渡ってタキギを拾い集めていた。
すると突然、どこからともなくさーっと風のざわめく音がしたので、ふと顔をあげてみると、天然の 洞窟にふしぎな光につつまれた美しい貴婦人が、ベルナデッタの方を向いて立っていた。その 着物はま白く輝き、空色の帯をしめ、頭にかぶった白いヴェールは肩までたれさがり、うやうやし く両手を合わせ、そのおん腕には金のクサリに白い玉のロザリオをかけていた。その足の下に は二輪の黄金のバラをふまえ、おん眼はこうこつとして天を仰いでおられた。
ベルナデッタは、びっくりして、何度も目をこすってみたが同じことだった。やがて貴婦人は、おも むろに十字架のしるしをし、次にロザリオを手に取り、ベルナデッタといっしょに15分ほど祈って ら姿を消した。帰宅の途中、ベルナデッタは二人に尋ねてみた。「あんたたち、さっき、何か見な かった」「ううん、何か見えて」二人はベルナデッタのただらなぬ様子に気づいてしつこく問いつ めた。ベルナデッタは仕方なしに、さっきの出来事を話した。
母親は二人からこの話を聞いて驚き、「ばかな、まるで子供だましだよ。おまえの見まちがいだよ、 何も見なかったのに、見たと思ったんだよ、もうそんな所に行ってはいけないよ」とベルナデッタにき つく言った。ベルナデッタは洞窟に行きたい心をおさえながら、2、3日家にいた。
しかし魂をうばうような強い衝動にかられて、ついに14日の日曜日、彼女は友だち6人をさそって 洞窟にでかけた。みんなが洞窟の前で祈っていると、たちまちベルナデッタの顔が美しく輝き、その 目は何かにすいつけられたように一点を見つめて喜びにあふれていた。それから友だちのすすめに 従って、それが悪魔のしわざであるかどうか確かめるため、用意していた聖水をふりかけながら、 「神様からつかわされた方なら、お近づきください」というと、婦人はうなずきながら、にっこりほおえ まれて、ベルナデッタがロザリオをとなえ終わるまで洞窟のふちに立っておられた。他の少女たち には見えなかったが、ベルナデッタの話しからして、それが聖母マリアであることを知った。
第3回目のご出現のとき、聖母は「15日間ここに来てくださいますか。・・・私はあなたがこの世で 幸福であるとは約束しませんが、あの世で幸福であると約束します」と、ベルナデッタにおっしゃった。 出現の回数がふえるにつれて、奇跡の場面をひと目みようと、洞窟のまわりは黒山のような人だかり となった。感動したり疑ったり、人びとはこれについていろいろと話題をにぎわした。
聖母はご出現のあいだ、ベルナデッタに「かわいそうな罪人のために祈りなさい・・・・」、「ここに聖堂 を建て、皆が行列をつくってくるようにして欲しいと、神父様方のところへいいにいらっしゃい」と命じた。
9回目のご出現のとき、聖母は「泉の水を飲み、顔を洗い、そこにある草を食べなさい」とおっしゃった が、それらしいものがないので、指さされたところを掘り出すと、ふしぎにもそこから清水がこんこんと わき出た。この水はルルドではもちろん、世界各国に送られて、今でも多くの病人をなおしている。
3月25日聖母のお告げの祝日に、ベルナデッタがその名まえを尋ねると、聖母は両手を合わせ、 天を仰ぎながら「私は原罪の汚れなくしてやどった者です」と答えられた。教区の司教も、ルルドの 主任司祭もこの出現については、ひかえめで、むしろ敵意さえ示した。が、世論におされて司教は ついに、その年の7月28日に、神学者、科学者、医学者からなる調査委員会を組織し、3年以上 にわたって、この事件を精密に調査させた。
その結果、ベルナデッタは誠実そのもので、しかも明せきな判断力をもち、富、名誉、快楽に対し ては無私無欲で、性格的に少しも異常な点がないこと、文芸の知識がないのに、新しい聖母像や ことばを正確に述べ、さらに彼女の予言したことが、ひとつひとつ実現されていること。ルルドの水 は町の井戸水と同質のものだが、医学の限界を超えた超自然的な効力のあることなどを、一致し て認めた。
こうしてご出現の場所は、聖地となり、巡礼者のむれでうずまるようになった。ベルナデッタも人気の まとになったが、前のとおり家事を手伝い、羊の番を続けた。1866年、22歳のとき、ネヴェールの 博愛教育姉妹会に入会した。病身のため人目につくような活躍はしなかったが、たえず従順、克己、 謙遜、忍耐、隣人愛などを神のみ前で実践した。こうして13年の修道生活をりっぱに終え、1879年、 35歳でこの世を去った。
なおネヴェールでは、ベルナデッタの取り次ぎで多くの奇跡が起こり、ルルドでも1876年には、聖母 のお望みどおり、洞窟のそばに壮麗な聖堂が建てられ、今でも奇跡が続いている。ちなみに、ノーベル 賞の世界的な医学者アレクシス・カレルは、1903年、ルルドで自分も他の医師もサジを投げた少女の 腹膜炎の早期回復に立ち会い、奇跡なんてありうるわけがないという先入観が、事実を前にして一挙に ふっとんだと「ルルドへの旅」に書いている。 File:Bernadette Soubirous en 1861 photo Bernadou 1.jpg - Wikimedia Commons
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(大きな画像) 死後30年経った1909年、遺体の調査のため地下墓地から掘り出された ベルナデッタの遺体は全く腐敗しておらず、死んだときそのままの状態で あった。その後、1919年、1925年と遺体の調査を行なったが共に腐敗 はなかった。神の恩寵を受けた奇跡の人とはこの人のことを言うのだろう。
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「聖者の事典」エリザベス・ハラム編 鏡リュウジ・宇佐和通 訳 柏書房 「聖者伝説 365日、あなたを守護する聖人たちのものがたり」茅真為 著 学習研究社 「聖人たちの生涯 現代的聖者175名」池田敏男 著 中央出版社 |
2012年1月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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2012年6月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 聖母マリア(写真は私の家にあるマリア像です) これまで世界各地に聖母マリアが出現した。その中でカトリックの聖地となったものではルルド、ファティマが 有名かも知れない。 アッシジの聖フランシスコも「小さき花」で描かれているように、イエス・キリストやモーセの臨在を数多く受け ていた。 私自身の場合、過去に一度だけ神秘体験をしたことがある。苦しみを通り越して自分が息をしているかどう かわからなかった時のことであるが、ただそれは強いストレスにさらされた脳に快感物質が出たからだと今 は思っている。 ルルドやファティマに出現した聖母は真に神からの伝言だったが、私の場合は脳の防御反応でしかなかった と感じている。 本当に真偽を見極めるのは難しいと思うし、私には出来ない。 たとえ私の前に過去の偉大な聖人が出現しても私はそれを吟味し続けるだろう。 その現象を自己の心の奥深くに落としながら、それは真なのかと問い続けるだろう。 それは私のような疑い深い人間には長い時間を要するものかも知れないし、時間をかけなければならない ものだと思う。 ルルドやファティマで聖母を見た少女たち、彼女たちは純真無垢だけでは言い現すことができない何か、神か らの特別な恩寵を受けていたと感じられてならない。 (K.K) |