フィリピンの刑務所にいる方が作った(1973年頃)、朝陽を受ける聖母子像(2015年5月26日撮影 自宅にて)
カトリック山手教会 2013年7月2日撮影
この美しい聖母像は1868年にフランスから贈られ、開国後、初の
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ローマ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂 「聖テレジアの法悦」 ヤスナグラの「黒い聖母」 AllPosters ルルドの奇跡を映画化した「聖処女」で聖女ベルナデッタ |
ナショナル ジオグラフィック 2012年3月号 マグダラのマリア アッシジの聖フランシスコが洗礼を受けた司教座聖堂「聖ルフィノ」にある |
われをして憎しみあるところに愛をもたらしめたまえ 争いあるところにゆるしを 分裂あるところに一致を 疑いあるところに信仰を 誤りあるところに真理を 絶望あるところに希望を 悲しみあるところによろこびを 闇あるところに光をもたらしめたまえ
ああ主よわれをして慰めらるるを求めずして慰むることを求めしめ 理解さるることよりも理解することを 愛さるることよりも愛することを求めしめたまえ
そはわれらは自ら与うるがゆえに受けゆるすがゆえにゆるされ おのが身をすてて死するがゆえに永遠の生命を得るものなればなり |
めでたし聖寵満ち満てるマリア、主御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。
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アビラの聖女テレサ(イエズスの聖テレジア)の生涯と「霊魂の城」 「太陽の奇跡」 ファティマの聖母と「第三の秘密」 マグダラのマリア エジプトの聖マリア 「聖処女 ベルナデッタの歌」 聖クララ リジュの聖テレーズ 「ピオ神父の生涯」 現代の神秘家 モーリス・ズンデル 「聖者マキシミリアノ・コルベ」 フォリーニョの聖アンジェラ 聖母マリア 世界で最もパワフルな女性 ナショナル・ジオグラフィック2015年12月 聖書の世界が見える 使徒たちの旅路 ナショナル ジオグラフィック 2012年3月号 「アルメリア 虐殺の影」 ナショナル・ジオグラフィック2016年4月 |
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Monastero Monache Carmelitane |
ルルドの泉 「聖母マリアの奇蹟 メジュゴリエ ファチマ ルルド」菅井日人・著 グラフィック より引用。
A chegada dos peregrinos a Fatima
2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2016年5月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「聖テレジアの法悦」 ローマ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598〜1680年)作 アビラの聖女テレサ(聖テレジア)、彼女が生まれた1515年はルネッサンスや宗教改革などの 激動の時期でした。 あるべき修道院の姿を希求した彼女は宗教裁判にかけられ投獄、書いた詩なども焼却されますが、 その後の彼女は16世紀におけるカトリック教会改革の原動力となっていきます。 現在でもカトリック霊性の最高峰と言われる彼女の著作「霊魂の城」、その源となったのは、天使が 焼けた金の矢で彼女の心臓を貫いた時に感じた神への燃えるような愛でした。 ベルニーニによる像「聖テレジアの法悦」、天使が彼女を矢で射る像、その時の彼女の顔(写真は 他のサイトより引用)だけを撮ったものです。 宗教裁判や異端審問、話は変わりますが、これを題材にしたミュージカル映画「ラ・マンチャの男」 (ピーター・オトゥール、ソフィア・ローレン主演)は今でも私にとっては大切な宝物です。 真の「改革」とは、魂の奥底から突き上げてくる、自身の感情や知性などという自我を超えた次元 から、もたらされるものかも知れません。 |
2012年6月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 聖母マリア(写真は私の家にあるマリア像です) これまで世界各地に聖母マリアが出現した。その中でカトリックの聖地となったものではルルド、ファティマが 有名かも知れない。 アッシジの聖フランシスコも「小さき花」で描かれているように、イエス・キリストやモーセの臨在を数多く受け ていた。 私自身の場合、過去に一度だけ神秘体験をしたことがある。苦しみを通り越して自分が息をしているかどう かわからなかった時のことであるが、ただそれは強いストレスにさらされた脳に快感物質が出たからだと今 は思っている。 ルルドやファティマに出現した聖母は真に神からの伝言だったが、私の場合は脳の防御反応でしかなかった と感じている。 本当に真偽を見極めるのは難しいと思うし、私には出来ない。 たとえ私の前に過去の偉大な聖人が出現しても私はそれを吟味し続けるだろう。 その現象を自己の心の奥深くに落としながら、それは真なのかと問い続けるだろう。 それは私のような疑い深い人間には長い時間を要するものかも知れないし、時間をかけなければならない ものだと思う。 ルルドやファティマで聖母を見た少女たち、彼女たちは純真無垢だけでは言い現すことができない何か、神か らの特別な恩寵を受けていたと感じられてならない。 (K.K) |
2014年10月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 皆様のすぐそばに、いつも笑いがありますように。 以前にも話したことだが、フィリピンに2週間ほど滞在したことがある。 そこでは独裁政治だったマルコス政権を打倒しようとする人々。 森に生きる先住民で、政府の政策によりその生存範囲を奪われる人々。 両親を日本兵に殺され、許すことへの祈りによって、会いにきてくれた男性。 スラム街での貧しくとも屈託のない子供たちの笑顔。 ハンセン病の隔離病棟での女性たちの笑顔。 これらの貴重な出会い、あれから30年近く経とうとしているのに消化しきれない自分がいる。 その中でも天使と出会ったと感じたのは、ハンセン病の隔離病棟での短い時間での触れ合いだった。 昔は「らい病」と恐れられた病気で、女性だけが収容されている病棟に入ったのだが、何を言えばわからなかった。 恐らく幼稚な仕草をしたためだと思うのだが、いつの間にか彼女たちに囲まれ笑われていた。 そして陽気な国民性にもよると思うのだが、彼女たちの笑顔に、心にあった壁は取り除かれていた。 無邪気な笑い、故郷や家族から引き離された人々が見せる笑顔。 どのような過酷な状況に置かれても、違った世界を垣間見させてくれる笑いに人は身をゆだねる。 天使がどのような目を持っているのか私は知らない。 しかし彼女たちの悪戯っぽい目の輝きは、乳児が生まれて初めて微笑むように、光に満ちていた。 |
2015年7月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2016年1月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 「母の首飾り」と白虹(写真はNASAより引用) ヒマラヤ山脈にあるアマ・ダブラム(6856m)はネパール語で「母の首飾り」という意味の山です。 この山の近くと言っても、富士山より100mも高い(3867m)ところにラマ僧が修行しているタンボチェ僧院があり、 僧院近くには世界初の厳冬期エベレスト登頂を果した故・加藤保男(植村直己さんと同じく現在まで遺体は 未発見)さんやシェルパ達の慰霊碑が建てられています。 最近、「神々の山嶺」(原作は第11回柴田錬三郎賞を受賞、映画(岡田准一・阿部寛・主演)も近く上映)という 漫画を読みましたが、誰も成し得ないことへの挑戦心の凄まじさを感じさせられるものです。 30年前に冬の谷川岳に登りましたが、山頂付近で吹雪に会い、冬山の恐ろしさと、命がいくつあっても足りない という想いは今でも心に残っており、先輩の助けがなければ下山出来なかったかも知れません。 この冬登山のために購入した軽くて丈夫なジャケット(エベレスト遠征隊が使用したと店員は話していましたが) は今では汚れが目立ちますが、その後の登山や外出時など使い続けてきました。 「汚れ」は想い出が刻まれた勲章のようなものかも知れません。 話は飛んでしまいましたが、写真の白虹。 太陽に薄い雲がかかった際に、光の輪が現れる大気光学現象で日暈(ひがさ、にちうん)・白虹(はっこう、 しろにじ)と言うそうです。 ネパールの人が母親の姿を思い浮かべたと思われる、腕を大きく広げた山々の姿と白虹、神々しいまでの写真です。 祈りのために作られたもののようで、お経(サンスクリット?)が記されています(1987年〜1988年) |
樹齢2000年の大楠 2016年5月18日撮影