「聖者の事典」
エリザベス・ハラム編 鏡リュウジ・宇佐和通 訳 柏書房
本書 「訳者あとがき」 より抜粋引用
パラパラと開けばすぐにわかるように、キリスト教文化にしっかりと根をおろした聖者たち の楽しい事典となっている。聖者の「事典」とはいえ、編者も序文のなかで断っているよう に、神学的な堅苦しいものではなく、一般の読者が十分楽しめる読み物事典となってい る。また、ドグマティックな徳目を垂れることもなく、聖者の「守護分野」を前面に押し出し て見出しを構成していることも大きな特徴だろう。いってみれば、聖者たちの「御利益」を 看板に出しているようなもので、考えようによっては不謹慎きわまりないものかもしれない いが、しかし、聖者を信仰する素朴な民衆文化にあっては、堅苦しい教義などよりも、 ずっとこの構成のほうが心に近しいといえるのではないだろうか。
本書は、柏書房のラインナップのなかでは、ジョン・ロナー著の「天使の事典」の続編とも 言えるものとなる。欧米では、天使ブームにひきつづいて聖者やマリア信仰に対する関心 が高まっているが、本書もそんな時流の流れをうけて現れたものだといえよう。
では、天使や聖者に対する関心の高さは一体何を示すものなのであろうか。それはキリスト 教文化圏のみの現象であって、日本人の我々とは関係がない問題なのであろうか。聖者信仰 をめぐっては、実にさまざまな議論ができる。ある者を聖者とし、またある者を異端者とする分 水嶺は何か。また聖者の「遺物」に対する、フェティシズム的とすらいえる強烈な執着は何か。 聖者画のもつ、あのエロティシズムは何なのか。
しかし、聖者への祈りの根本にあるのは天使信仰と同じように、民衆の素朴な多神教的な魂 の運動なのではないだろうか。ただひとつの神、キリストではあまりにも人間と聖なるものとの 距離が大きすぎる。オットーのいうような「絶対他者」の感情ばかりでは、日々の生活は耐え切 れないだろう。元型心理学の「人間の魂は本来多神教である」というテーゼは全く正しいのだ と思う。日本に酒の神さまがいるように、ヨーロッパにはワインの守護聖者がいる。動物を守 り、また自然災害から人間を保護する聖者もいるのだ。
カトリック教会は高度な神学を発達させたが、同時にこのような素朴な民衆感情を包み込むだ けの懐の深さとしたたかさをもっていた。また、このようなこぼれ落ちるような「多神教的な感情」 と「ひとつの神を中心とした神学」「組織」とのダイナミックなせめぎあいが聖者の文化を生成さ せてきたのは、編者による序文に簡潔にまとめられている通りである。
近代化は世俗化のことであるというテーゼはもはや通用しない。宗教的な紛争は全く終わる気配 もなく、またコンピューター・ネットワークは異なる膨大な価値観と宗教を発信している。現代とは、 神々の氾濫の時代、恐るべき多神教の時代だともいえるのではないだろうか。そしてそれはまた 恐るべき価値相対化の時代でもある。(「これでもいいしあれでもいい」は「何も選べない」というこ とと同じだ)
聖者や天使が大きな関心をもたれるのは、それが単純な多神教ではなく一神教を生き抜いて来た、 独特の強みをもっているからではないのだろうか。もちろん、そんなに難しいことばかりでもなく、シン プルな「御利益」を求める人間の本性もそこには見えかくれする。
まあ、理屈は抜きにしても西洋の教会を回ったり、美術を見たりするときに、本書に登場するような 聖者たちのエピソードを知っておくことは、理解を深めるため有益に違いない。また新しい旅の楽し みができるはずだ。
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